第3話 蝋燭
「はぁはぁ……」
手術室の前に置かれたソファーに腰を下ろす。
ドット疲労感が身体を包み込み、ずんと鈍い重みが身体にのしかかる。
身体は熱を帯びているのに、身体の芯は疲労で冷え切っているような心地悪さ。
背中を伝う汗が妙に冷たく感じる。
「おい、大丈夫か!? 薫先生冷たいお茶」
「はいっ」
「だ、大丈夫……ちょっと、疲れただけだから。
思ったより、時間も短く済んだし」
僕の言葉に雅人はやれやれとため息をつく、そして、多分手術を思い出しているのか目をつぶり空を仰ぐ。
「いや、本当に驚いた……颯先生、また早くなってないか?」
「ふふ、手が早くないと行けないミッションが多いからね」
僕の答えに呆れたようにおどけて見せる。
「ああ、またあのゲームかよ。でも、そんなに効果出るなら俺もやろうかな」
「止めとけ止めとけ、魔法とか使うファンタジーだし、基本的にはクソゲーだから」
「いやでも今日の血管との剥離とか人間離れしてたぞ、拡大鏡も使わず迷いなく、俺だけだったら……撤退してたかもしれない」
スライムの真核付近に刺さった枝の除去よりも全てが頑丈でやりやすかったよ、とは言わないでおいた。
「薄皮一枚残ってたから、これなら行けるかなって麻酔も最期まで安定していたし、薫先生流石です」
麻酔を管理していた薫先生からよく冷えたお茶を受け取る。
グラスの冷たさが気持ち良い、少し口に含むと身体にまとわりついた疲労感が少し楽になったような気がする。
「術後管理はお願いしますね」
「お任せください……その、感動しました! おふたりとも凄いです!!」
そう告げるとパタパタと入院室へと向かっていった。
「ありがたいね、こんなになってもああいうことを言ってもらえると」
グラスを持つ手が情けなく細かく振るえている。
水が半分くらい満たされたグラスも支えられない、それが今の僕の現実だ。
「そうだな、まだまだ颯先生には頑張ってもらわないとな」
「できる限りは、師匠の凄さを若い人に繋がないとな」
「お前の凄さだ。それに、まだ、若いだろ、お前も……」
「……ありがと……ついでに、悪いんだけど、立てそうにないんだ……」
「わかった、車椅子用意する。待ってろ」
情けない、最近は手術も一件が限界になっている。
雅人でも大変な手術が有れば、こうして働かせてもらっているのが現実だ。
そんな手術も、どんどん少なくなっている。
良い後輩が育っている証拠だ。
そうか、師匠も……こんな気持だったのかもな……
「颯!!」
「うわっ!? びっくりした……ど、どうしたんだよ?」
どうやら眠ってしまっていたみたいだ。
車椅子を持ってきた雅人は酷く焦っている。
ああ、師匠みたいになったと思わせてしまったんだな……
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……
あんまり驚かせるなよ、寝るなら部屋で寝ような、看護師さんも呼んだから送るよ」
「タハハ……いつも、悪いね」
「……本当に病院には入らないのか?」
僕の答えはわかっていても、言わずにはいられないのだろう。
この話をする時の雅人の優しくも悲しそうな目を見るのは……辛い。
それでも、その提案を受け入れるわけにはいかない。
「ああ、一度入ると、たぶん二度と出られなくなる。わかるんだ……
いせいしゃと動物病院が有るから、僕は生きてるんだって。
悪いね」
「……そうか。よし、それじゃ移すぞ」
僕は雅人に支えられながら車椅子に乗せてもらう。
それからワゴン車で家まで送ってもらい、マンションの前で待機していた訪問看護師の方の世話になる。
動物病院での手術後は、こうなってしまう。
沢山の人に迷惑をかけてしまうようになってきている。
それでも、僕にとって手術は必要なんだ。
そう、確信している。
命を削る行為が、僕の命の火を灯している。
矛盾するような話だが、はっきりとそれを自覚している。
僕は、間もなく死ぬ。
たぶん、あと、1・2回の手術を終えたら、もう、耐えられないだろう。
それでも僕は、最期まで獣医師として生きていきたい、師匠のように……
看護師さんに全てのケアをしてもらいベッドに寝かせられる。
「明日も朝から参ります」
40辺りだろうか? 自分より少し年上の、恰幅の良い、少し厳しいけど優しい看護師さん。
「いつもありがとうございます」
「今日は長時間のゲームは避けて早く寝てくださいね」
「なるべく……気をつけます」
「……それではまた朝に」
看護師さんが静かに戸を閉めて出ていく。
やるなと言われるとやりたくなるのが人間の性。
特に今日はなかなかいい手術ができた。
こういう日は調子がいいのを知っている。
そして、やらかしたことが有るからこそ看護師さんも苦言を呈すわけだ。
「でもね、実際の手術の熱が残ってると、成績がいいんだよね」
ヘッドギアとグローブを付けて、いつものようにゲームの世界へとダイブする。
相変わらず選べるのはチュートリアルのみ……
「今日は200くらい行きたいなー」
ふぅ……短く息を吐いて気合を入れてゲームを起動した。
息をするように序盤のミッションをこなしていく、やはり手術後は調子がいい。
その調子の良さに調子に乗って、数日発熱するはめになって、看護師さんに怒られるところまでがセットになっていた……
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