50 動かない車
出て行って、と言われてしまった。イオリが。彼はそこまで嫌われると思っていなかったらしく、少々凹んでいる。イオリの私物を入れた紙袋が、ダニーの車の後部座席に置いてある。
私は助手席に座って、自分のリュックを抱きしめている。イオリはハンドルにおでこをつけて、ぐったりしている。缶詰のお魚と炭酸ジュースなどは、全部彼女にあげました。
「どうするイオリ?もうホテルのスイートに行く?でもサラも一緒に連れて行っていいんだよ?さっきレイヴから電話あって、二人はもう普通に一緒の部屋で暮らせるって言ってた。どうする?」
「……お前は早くスイートに行きたいか?」
「スイートで暮らしたことない。キングサイズのベッドが三つもあって、リビングにダイニング、キッチンでしょ。部屋の真ん中にはホットタブもある。お風呂もちゃんとあって、ジャグジー付きなんだって。私はゴーストだけど、結構楽しみにしてる。」
「そうか……調べたな?ふふ。」
「うん。ネットで調べた。あはは。」
「その渇いた笑い、慣れないな……。」
「イオリどうしたの?もう後戻りできないから不安なの?それともサラのこと?ちょっと太ったから?」
「そうだよな?少し太ったよな、彼女。気のせいかなとは思ったが。」
「あれは太った。」
「……はあぁ。」
何だろう、どうしてずっとここにいるんだろう。そうだ、私は彼に聞いた。
「どうしてサラに嘘をついたの?今日はお仕事成功したよ?でも失敗って言ってた。どうして?」
「……なあ、」
「はい?」
イオリは少し考えてから、私に聞いた。
「ネクタイを俺にくれたのは、リアの意志だ。サラのサプライズではない。彼女がそう言った時、一瞬瞳孔が開いた。彼女は嘘をつく時に瞳孔を開かせる癖がある。ほんの一瞬だが、俺はそれを見て、嘘だと理解した。」
「ほお、おぉ……。」
じゃあ分かってて、敢えてその嘘を受け入れたってことなのかな。
「どうしてサラや俺に、違うと言わなかった?」
「……イオリが喜ぶならそれでもいいかと思った。私がネクタイをプレゼントしたのは変わりない。別にそれに対して、感謝して欲しいとも思わない。イオリが嘘を信じても、真実は真実。別に、気にしない。多分私はもう、生きてないから、感謝して欲しいと思わなくなったのかも。だって感謝されても、どうせ私は死んでる。」
「そうか。」
私はクスッと笑った。イオリは目を丸くして、私を見た。
「それは見抜けても、私のことは見抜けないの?」
「うん。お前は読めない。」
うん、ってなんだ。まあ、私には興味ないんだろうな。彼はまたハンドルにおでこをつけた。
「……俺は、サラを愛している。」
「どうして?」
「どうしてって……彼女のことを、真剣に想っているのが自分で分かるからだ。彼女を幸せにしたい。彼女を守りたい。だが……。」
「ん?」
「一緒にいると、辛い。」
そうでしょうね。難しい問題だよね、うん。
「きっとサラは、イオリに対して甘えてる。だから怒ったり、私に対して敵意出したりする。イオリが好きだから。」
「……。」
「なんか今日、すごい落ち込んでるね。どうして?」
私の質問に、イオリがムクっと顔を上げた。とても気怠そうな、いや、死んだ魚のような横顔だった。
「……奴が先に結婚するなんてな。」
「ぶっ」
吹いた途端に、肩に裏拳を喰らった。
「それが落ち込みの原因だったんだ。ふふっ……幼なじみに結婚先越されたのを気にしてたんだ!あっはっは!」
「うるさい!勿論俺だって、これがそんな状況じゃないのは理解している!加えて、あいつが恋愛の末に結婚をしたとは全く考えられない!だ、だが……俺だって、そう言う未来を思い描いたことはある……帰宅して、おかえりと言われて、温かいご飯があって、夕飯を食べながら一緒にドラマでも見て、夜は一緒のベッドで寝る。たまには共に、夜空でも眺めて、共に買い物をして、ペアアクセサリーをねだられては買ってやって、それをオフィスで眺めて仕事に励む。」
「すごく幸せそうな妄想だね。」
「ああ、そうだろう?俺は話したんだ、次はお前の妄想を聞かせろ。」
「え?そんなすぐには無理だよ。」
「直ちに聞かせろ。」
「分かりましたよ……そうだなぁ……一緒にトレーラーハウスで暮らして、一緒に缶詰食べて、一緒にモンスター狩って、ドラマ見て、ベッドのサイドテーブルで飼ってるマリモを観察してから寝る。ペアアクセサリーは私も欲しい。あっでも、もう死んでるからいらない。夜空は眺めたい。でもお金がきっとないから、どこか森の奥の地べたに二人で寝転んで、そのまま眺める。星座は全然知らないから、勝手に星座を作って、星座のストーリーも一緒に考えて、二人で笑い合う。」
「それは、バリーと……できたか?」
「え?出来てなかったよ。だって、用事がある時にしか来ない。すぐに帰るし。だから一人でやってた。マリモは無かったけど、いつか欲しかった。」
彼が人差し指で鼻の先を掻きながら、私に聞いた。
「なあ、その……お前が欲しがっているマリモ#と__・__#ペアアクセサリーを、俺がプレゼントしたら、おかしいか?」
「え?マリモ#の__・__#ペアアクセサリーなんてあるの?」
「#の__・__#じゃない#と__・__#だ!ばか!」
べちんと太腿を叩かれた。お腹を抱えて笑っていると、イオリがボソッと言った。
「……で、答えは?」
「いらないいらない。だって、イオリはサラがいるのに、いいよ気を使わなくて。私はもう死んでるから、別に何も望まないし……ふふ。」
「い、いらないのか?」
「えー何それ……じゃあいる。」
「よし。」
なんか、顔が熱くなった。イオリは優しいから、私の望みを叶えてくれようとしてるんだ。でも、それがとても嬉しくて、とても苦しい。
今は、正直な気持ちしか胸の中にはない。私は彼がとても好き。青白いライトの駐車場を眺めたまま、私は呟いた。
「イオリ、」
「ん?」
「イオリ・ピオニー……アルバレス。」
「ふふっ……」
私は彼を見た。目が合った。彼のえくぼだって、すごく好き。たまに赤く染まる頬も。
「何故急に、俺のフルネームを?」
「が、」
「な、なんだ?」
「す……」
やばい、心臓がやばい。やっぱやめよう。彼から目を逸らして、言った。
「……アリシア?」
「す……テーキ食いに行こう。今度。」
「…………ふっ。」
ふってなんだ。イオリはどうせ私のことが分からないから、今のも普通に受け止めるはずだ。フォロー成功だ。
再び彼の横顔を見ると、結構嬉しそうに微笑んでいた。
「今のは見抜けた。」
「え。」
「それだけだ。今度、ステーキを食べに行こうか。」
そしてイオリがチノパンのポケットからノアフォンを取り出して何かを確認し始めた。あー、本当の気持ちを言うタイミングを完全に逃した。
それでいいのかもしれない。イオリにはもうサラがいるんだから、私は出る幕じゃない。でも、サラが羨ましかった。もしかしたら彼女は将来、イオリと夫婦になれるかもしれないんだ。
そしたら彼と一緒に毎日ご飯食べられるんだ。同じ家で、同じベッドで、マリモ育てられるんだ。いいなぁ、結構羨ましい。
出来れば、私が消えてからそういうことはして欲しい。私がいる間は、目の前で幸せな二人は見たくない。こんな私は、優しくないね。全然優しくない。
ノアフォンが震えた。私はポケットから取り出した。




