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桔梗  作者: 楸 妃憂
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 私は彫刻刀を持つ手に再び力を込め、作業を再開する。


 キキョウの目元を見ていると、妻の目元とよく似ていることに気付いた。 もちろん、私の記憶はあやふやで、その発見も気のせいである可能性は十分にあるが。 声には出さず、手を進める。


「もしも……もしもですけど、こんな因習に囚われた村があったら、どう思いますか?」


 キキョウの目元ばかりを見ていた私だったが、キキョウが何かを決意したような目で私を見ていることに気が付いた。


「どんな?」私は先を促し、作業を続ける。


「その村は神の存在を信じているんです。それで、村は数十年に一度、神がお怒りにならないよう、この先も村を守り続けてくれるよう、生贄を捧げます」


「生贄? 誰かを殺して、神に捧げるというやつか? そんなことに意味があるとは思えない。それは、ただの人殺しだ」


 私は手を止めて、訝しげにキキョウを見る。 しかし、強い力をもった目に圧され、目を逸らした。


「ええ、私もそう思います。でも、もしもの話なので、聞いてもらえますか?」


 それは強制力のある質問だった。 あまりの必死さに、はぐらかせるわけもない。頷いた。


「その村では、生贄といっても無差別に選ぶわけではありません。生贄の血筋、というものがあるのです。代々生贄として捧げられてきたその血筋の長男、あるいは長女が、生贄となります」


「そうしたら、すぐに血筋は途絶えてしまう」


「そう。だから、遺伝子を残してから……子どもを作らせてから、生贄にされます」


「馬鹿な」


 目が回るような気分だった。 そんな村があることは、信じられない。


「本当に、馬鹿です。でも、それがその村の当たり前なんです。だけど、死ぬための子どもを生みたいとは、誰も思わない」


「それはそうだろうな。生まれたらいつか必ず死ぬということがわかっていても……」


「生きてから死ぬのと、死ぬために生きるのでは、全然違う」


 私の言葉に続けるキキョウの目元には、うっすらと涙が滲んでいる。 私は押し黙った。


「村の人は、誰も生贄の血筋の人と子どもをつくりたいと思わない。すぐに神に捧げられる旦那や妻や、愛情を注いで将来の生贄を育てたい物好きはいない」


「だったら、どうする?」


「村の習慣を知らない人と、子どもをつくる」


「馬鹿な」


 私は小さく首を振って、息を吐いた。 馬鹿な、と言いながら、キキョウの言わんとしていることに勘付き始めていた。 そして、それを否定したい気持ちでいっぱいだった。


「それは、もしもの話なんだよな?」


 私の声は、自分でも情けなくなるほどに弱々しかった。 キキョウは口を開きかけて、結局何も言わずに俯いた。


 もしキキョウが言う、生贄の血筋の中に妻がいるのであれば、妻は私を愛してはおらず、ただ村のために、生贄の血筋を残すためだけに、私と結婚したというのか。


 そして、目の前にいる少女。赤子の時しか知らない娘が、こんなに大きくなって私の前に現れたというのか。 生贄にされるために生きてきたというのか。


 信じられるわけがない。 私は首を横に振った。 そうであれば、私は何年の間、あそこで眠っていたというのだ。


 手元が狂い、私の左手の人差し指に彫刻刀がかすった。 切れ口からじわりと血が滲む。


 そうだ、もう一つ。 もし私が考えた通りなのだとすると、妻はもうこの世にはいない。 あれだけ愛した妻が、もういない?


 軽い目眩がして、全身から力が抜けた。 緊張していた手をぐったりと下ろし、背もたれに全体重をあずけた。


 先程の傷口から、紅い血が浮き出ていた。 傾ければ、指を伝って流れてきそうだ。


 この血と妻の血と、半分ずつが目の前にいる少女に流れているのか。 ぼんやりと、考えた。


 キキョウは、歯を食いしばって感情を押さえこもうとしているようだったが、それは溢れでて、大きな目の端から、白い頬を伝っていた。


「一緒に、逃げようか。どこか遠くへ」


 ぽろりと、そんな言葉が口から出てきた。 キキョウも驚いているが、私自身も驚いた。 何か考えがあって言ったわけではない。


 しかし、目の前にいる幼い命を、誰も救ってくれるわけのない神に捧げるわけにはいかないと思った。


「どうせ、宗教の儀式みたいなものなのだろう? その生贄を神に捧げるというのは。血筋を理由にしているが、君がやらなければ、誰か他の人にいくだろう。君が犠牲になる必要はない」


 妻がどう思っていたか、今となっては分からない。 それでも、私は確かに妻を愛していた。 だから、キキョウには生きていてほしい。生きていきたい。


「遠くへ行こう。そして、静かに暮らそう」


 私の声は、懇願しているようだった。


 キキョウは自分の涙に気付いていないのか、目元を拭うこともなく、俯いていた。 やがて、ゆっくりと首を横に振った。


「それは、できません……」


「なぜ?」


「私が運命に逆らって、嫌なことを誰かに押しつけて、私だけ普通の暮らしをするなんて、出来ないですよ。それに――」


 その続きは、キキョウがあまりに小さく呟いたので、聞こえなかった。 キキョウが浮かべた表情があまりに衝撃的で、聞き返すことは出来なかった。


 覚悟を決めた人の、諦めが滲んだ、寂しい微笑みだった。 未来が輝いている若者には決してできない表情。 私の心は硬い紐に縛られたように締め付けられて、何も言えなかった。


「だから最後に、会いに来たんです。残された時間で、あなたにどうしても会いたかった」


「キキョウ……」


 目の前の少女は、キキョウだった。 今までずっと話し込んできたのに、今になって、そのことを強く感じた。



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