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私が背を向けて歩き出すと、後ろから砂利を踏む音がついてきた。一緒に来てくれるらしい。
歩くといっても、ほんの数歩だった。かつて私の部屋の中にあった秘密の地下室への鉄扉は、隠すものがなくなり、地面に剥き出しになっている。私はしゃがみ込み、扉の上に積もった砂を払った。
細長い三日月形の窪みに手を掛けゆっくりと押すと、砂粒と擦れ合ってぎしぎしと音を立てながら開いた。
階段は暗闇に吸い込まれ、三段目までがかろうじて見えるだけだ。
私は右側の電子回路の操作レバーを下ろしたが、電灯は点かなかった。私は舌打ちする。すると、後ろから弱々しい光の筋が暗闇を淡く照らした。振り向くと、キキョウが懐中電灯を地下室へ向けていた。
私たちは、薄暗い階段を、壁に手をつけながらゆっくりと下りる。
十二段の階段を下りると、わずか四畳ほどの小さな空間がある。埃っぽいが、心の落ち着く、懐かしい匂いがした。数秒遅れて下りてきたキキョウが懐中電灯を揺らすと、部屋の様子が薄暗く浮かび上がった。私は微笑む。無事だった。
天井に吊るされた電球は、階段と同様に配線が切れているようだった。部屋の隅まで歩くと、古びた机がある。
私は今にもはずれそうな錆びた把手を引き、引き出しから取り出したマッチに火をつけると、燭台に立っている傾いた蝋燭にその火を移した。
蝋燭の先を中心に、暖かい光が辺りに広がった。私はそこから対角線上の隅にある蝋燭にも同じように火を灯した。私のアトリエは橙色の光でたちまち明るくなった。キキョウが後ろで、「わあ……」と感嘆の溜息を漏らした。
部屋の中心には、完成間近の大きな彫刻があった。小さな椅子に腰かけた女性が、両の手の平だけで収まりそうな小さな赤ん坊を、大切そうに抱いている像だ。体は出来上がっているが、表情にはまだ凹凸がない。もちろん、妻とキキョウの姿を描いたものだった。
「これは、私の妻とキキョウ……私の子どもを彫ったものだ。ここまでするのに、三年かかった」
私は、思い出すようにその像の曲線に触れる。
「しかし、恥ずかしながら、妻と娘の顔がはっきりと描けない。紙に何度か書いてみたのだが、どれもしっくりこなくてな……。妻と娘に見えないんだ」
私はまた妻とキキョウの顔を思い浮かべる。頭の中では、はっきりと浮かんでいる気がするのに、いざ描いてみるとその通りにならない。しかし、どう違うかと頭を捻ってみても、変えるべき箇所が分からない。
「……と。そう言われても訳が分からないよな。どうも、何もかも君が知っているような気がして説明もなく喋っていた」
今言ったことは、事実だった。キキョウのことは、どうも他人のような気がしない。それは、気のせいでもない気がした。
「そうそう、思い出した。轟音が止んだ後、私は地上に出て妻と娘を待っていたんだ。この像を完成させるには、二人が必要だったから。愛する二人をいつまでも残しておくために。二人は何も言わずに私の前から姿を消してしまったが、それにはきっと意味がある。用が済んだら、いつか絶対にここへ帰ってきてくれると信じて、待っていた」
いつの間にか疲弊して、ぼろぼろになっていたが。
「……自分の像は作らないんですか?」
私の目と、二人の像を交互に見ていたキキョウが尋ねた。
「いや、私はいいんだ。二人の姿がここにあれば。……それに、自分の姿を自分で残すのは恥ずかしいだろう」
私が冗談っぽく言うと、キキョウがくすりと笑った。小さな白い花が、そこに咲いたかのようだった。
「もしよければ、君の顔をモデルにしてもいいかな?」
「でも、それは……」
「妻と娘のはずだったが、残念ながら二人はここにいない。しかし、三年を費やしたこれを、最後に、完成させたい」
最後まで、ではなく、最後に、と言ったのは、これを作り終えたら私は死ぬだろうと思っていたからだ。この街の生き残りとして、どこかで新たな生活を始めることは考えられなかった。
そのニュアンスが伝わったのかは分からないが、キキョウは口を横に引き、頷いた。
適当な木箱を像の横に置き、そこにキキョウを座らせた。私は像と向かい合い、キキョウの顔の特徴をよく見てから、作業を始める。
久しぶりに握る彫刻刀はすぐに手に馴染まず、何度か手の中で握り方を確かめた。そして、慎重に、石像に彫刻刀を入れる。
始めると、すぐに感覚が蘇ってきた。十五の時、父の影響で彫刻に興味を持ち、初めて彫刻刀を握った時を思い出した。父が作り上げた、小さな私の石像のことも思い出した。何の特徴もないただの石が、私に変わっていくのは見事だった。あれは、どこへいっただろうか。
目の周りの窪みや、鼻の形ができ、顔の輪郭は人間らしくなってきた。
私は、妻のことを思い出す。趣味に生きることしか知らない私を、いつも支えてくれた妻。
私は勝手に愛し合っていると信じ込んでいたが、今思うと、違うのかもしれない。年齢的に
焦っていて、早まって結婚したが、私に愛想を尽かして出て行ったのだ。
村が焼かれ、人が死に、独りになった時にまで石を彫っているほど芸術が大切な私だから、愛想を尽かすのも仕方ない。
私は自分で行き着いたその考えに、溜め息を吐いて手を止めた。考えすぎのような気もするが、そう考えると辻褄も合う。元々、妻は隠し事が嫌いだったから、何か出ていく理由があるなら私に言ったはずだ。その理由が、私でさえなかったのなら。
「どうかされました?」
急にぴたりと手を止めた私に、キキョウが心配そうに問いかける。
「いや……。もしかしたら、私は意味のないことをしているのかもな、と思って」
私は自嘲の笑いを浮かべる。そして、少しの間目を閉じた。
「妻は私に愛想を尽かして、娘を連れて出て行ったのかもしれない。……まあ、それで二人が今、幸せに暮らしているのなら、私としては嬉しい限りだがな。破壊された街には、帰ってこない方がいい」
九割は本心だ。残りの少しは、また二人に会えることを望んでいる。
「……きっと、お二人は、離れても深く愛してもらって幸せだと思います」
「そう、だといいな」
どちらも声を発さなくなったので、室内はまた静寂に包まれた。蝋燭の炎が、薄汚れた壁を橙色に染め、ゆらゆらと揺らしていた。