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5.怪異の始まり

「おやまぁ、お坊様。熊野詣の帰りかい?」

 峠の茶屋に立ち寄った若い僧に茶を出しながら、おかみは愛想よく笑う。

「ええ、おかげさまで良い旅でした」

「運が良いねぇ、お坊様。ちょっとでも遅れていたら、途中の宿場で火事に巻き込まれていたよ」

「それは怖い。これも詣でたおかげかも知れませんね。寺に戻ったら経の一つでも供養に供えることにましょう」

 手を合わせてにこやかに答える若い男の顔を見て、ほぅとおかみは感嘆のため息をついた。

 目鼻立ちのすっきりしたそうにしておくのが惜しいほどの顔立ちで、一瞬見惚れたのだ。

 それからこの先の行程でどこの道が歩きやすいとか、祭りが見たいならどこそこに足を延ばすのもいいとか、当たり障りのない会話をする。


「おい、安珍。そろそろ行くぞ」

 持ち帰りの団子を奥で受け取って出てきた連れの僧侶にうながされ、若い僧は立ち上がった。

「では、お代はここに」

 やわらかなしぐさで代金を置き、同年代の連れの僧侶と肩を並べて立ち去った。

 その背中を見つめながらおかみは惜しいことだとつぶやいた。

「僧侶なんかにもったいないぐらいのいい男だったねぇ」

 めったにお目にかかれない美形だったし、気持ちよく話してくれた。

 連れの僧侶はガラが悪かったけれど、足して割ればちょうどよくなりそうで、いい相棒なのかもしれない。


「おい、安吉。妙な話を聞いた」

 歩きながらひそめられた声に、安珍は眉根を寄せた。

 その名前で呼ぶんじゃねぇと肘でその腹を小突いたけれど、続く言葉にさらに渋い顔になった。

「おまえの許嫁、亡骸が消えたそうだ」


 三日三晩燃えた炎が消えた後、火元になった館に残るのは黒焦げの遺体ばかりだった。

 男とも女ともわからぬ遺体は骨まで焼けて、どこの誰ともわからなかったらしい。

 影も形もなくなった真砂屋は敷地も広く、他の火元とは違って建物から少し離れた場所に倒れた乳母と清は判別の付く遺体だった。

 肌はあぶられ着ていたものは炎で焦げていたけれど、刃物で襲われた後までしっかりと残っていて、大騒ぎになったのだ。

 いくつかある火元のすべてが油がまかれ、付け火だというのも調べで分かっていた。

 これは犯人と行き逢ったに違いないとそこまではわかったが、なにしろ旅から旅へと行きすぎる者の多い宿場町の事である。

 繁盛しているがゆえに、黒焦げの姿では被害者になった者もわからないし、火が消える前に多くの旅人が逃げるように去ったので、加害者がどんな人間なのかも人数もわからない。


 遺された証拠があぶられた女の遺体、二つきり。

 詮議をしようにも焼け出された宿場の人間も身内を探すのに精いっぱいだ。

 どうしたものかと一晩悩み、目が覚めたら年若い清の遺体が消えていた。

 朝になったらかぶせていたムシロがペタンと平たくなっていて、はぐったら黒くすすけた木の屑が二つ三つ落ちているばかりだった。

 確かに清は美しい娘だったが、焦げた遺体など誰も盗まないだろう。

 ましてや真砂屋の関係者は火元に近かったがゆえに、ほとんどが行方不明なのだ。

 清の両親も使用人も話を聞こうと探しているが、見つけだせていない。

 動かぬ遺体が忽然と消えるわけがないのだ。


「そりゃぁまた気味の悪い話だな」

「てめぇに関わりある話にそれだけか?」

「はっ! 関わりあるのは安吉って男だろうが。この安珍にはなんのことやら」

 完全に他人事の安珍の物言いに、連れ立っていた男はあきれ果てる。

 五年もの長い間、交流をした相手への言葉に欠片も情が混じらない。

 清々しいまでに悪党の性根であると、自分の事を棚に上げて感心した。

「まぁ、好きにしろや。ほとぼり冷めるまで安生な」


 逃げるのに連れが居るのは都合が良かったが、火事場から遠く離れたから付き合いもここまでだ。

「ほな、さいならだ。どこかで会っても他人でよろしゅう」

 男は軽い別れの言葉を口にして、街道の分かれ道で安珍とは違う道を選んでいった。

 油断ならない相手との長旅は遠慮したかったのは安珍とて同じで、去っていく後姿にほっとする。


 火をつけて盗みを働いた仲間たちはそれぞれ別の方向に散っている。

 どこかの間抜けが捕まっても、互いにどこに逃げたかもわからない。

 繋ぎの方法を知っているのは、御隠居役の老人と安珍と連絡要員に特化したもう二人ばかりだ。


 もっとも二年は繋ぎを獲らない約定になっている。

 山分けした取り分で懐は今のところ潤っている。

 仕掛けも大きかった分、稼ぎも大きい。

 過ぎた贅沢さえしなければ何年か遊んで暮らせる。

 しかしながらどこかに居つくのも目立つのも得策ではない。

 安吉こと安珍の姿形は目立つので他人の記憶に残りやすい。

 善良な僧の真似事でもしながら、しばらく旅をする予定だった。


 気ままな旅に影がさしたのは、それから半月も過ぎた頃だった。

 火事のあった頃、熊野詣の街道を通った者の一部に怪異が起こるのだという。

 それもただの怪異ではない。

 炎に巻かれて死んでしまうのだという。


 何だそれは、と初めて聞いたときに安珍はポカンと口を開けた。

 しかし、すぐに渋い顔に変わる。

 炎に巻かれて亡くなった者の特徴が、自分の見知った者の特徴に良く似ていたのだ。


 職業は様々だった。

 香具師に芸人に猿まわし、山伏に薬師に僧侶など、旅をしていることしか共通していないのだが、遺品となった荷物を見れば懐具合が潤いすぎている。

 中には焼けた店から消えた品を持っている者もいて、すわ火事場泥棒だったのかと騒ぎにもなった。


 しかも、死んだ時のあり様が異常なのだ。

 誰もいない草むらや木陰をフイと見て、ニンマリと笑うのだそうだ。

「こりゃまたえらい別嬪さんだな」

 そんな風に下卑たつぶやきを残して、誘われるように足を踏み出したとたんに、轟と真っ赤な炎に包まれる。

 驚きながらも近くに居た者が水をかけても、半纏を脱いで叩き消そうとしても消えない。

 消えないどころか、燃えている男以外は近付いても触っても焦げもしないのだ。

 燃え上がっている男だけは激しい悲鳴を上げて転げまわっているが、できることがなにもない。

 燃え尽きて倒れるまで見ていることしかできないのだ。


 そして、ゴトンと倒れて事切れるとき。

 赤い振袖をきた若い女が見えるらしい。

 長い黒髪に白い顔。つややかな唇に優しげな顔だち。

 美しい女だが常ならぬ存在だと示す、珊瑚のように真っ赤な瞳。


 人間松明のように燃える男が二十人を超えるようになると、その女の目撃者も多くなり、とうとう絵姿が出回るほどだった。

 なんの気なしにその絵を手に入れた安珍は、もう少しで叫び声を上げるところだった。

 目の色さえ黒曜石のように黒ければ清だった。

 どこからどう見ても、真砂屋の清の顔をしていたのだ。


 生まれて初めて、安珍は恐ろしいと思った。

 一人、二人と、噂の数が増えるたびに、安珍の記憶の中の仲間の顔が浮かぶ。

 これはただの怪異ではなく、明らかな復讐なのだろう。

 安珍の記憶を探っても焼け死んだ奴の風貌は覚えがあったし、確かに火事場泥棒の仲間に似た奴ばかりが「燃えた」と噂が流れてくるので腹の底からゾッとした。


 繋ぎを取らないという約定を破り、御隠居と呼ばれていた男が燃えたと急ぎの文が届いたときに、安珍は心底から怯えた。

 これで安珍一人を残し、宿場を襲った男たちが命を落としたことになる。

 次は間違いなく自分だ。


 確信を持った安珍は大枚を払って、霊験あらたかなお札を三枚手に入れた。

 そしてとにかく悪霊退治に名高い徳のある寺を目指した。

 幸いなことにその寺は、五日ばかりあればたどりつける場所にあった。

 逃げ込めばなんとかなるかもしれない。


 ゾワゾワと背が泡立つ感覚が、安珍に怪異が近づいていることを告げる。

 一刻の猶予もないとばかりに、昼も夜もなく駆けた。


 一日目はなにもなく過ぎた。

 夜に眠るのは恐ろしく胸に札を抱いたまま山道を夜通し駆けて、二日目に日が高くなってから木陰でやっとまどろんだ。


「安吉さん」

 ウトウトとまどろんでいた安珍は、鼓膜をくすぐるような女の声に跳び起きた。

 聞いたことのある声だった。間違いなく聞き慣れた声だった。

 青ざめた顔で声の下方向を見ると、草陰に清がたたずんでいた。

 噂の通り赤い振袖を着ていたが、噂とは違い黒々とした瞳をして、人形のように表情なく安珍を見ていた。

 二歩、三歩と後ずさったけれど、ふと気付いて胸に抱いた札を清に投げた。


「成仏しろや!」

 札がぶつかったとたん、確かに驚いた顔をした清は、たじろいだように揺れて姿を消した。

 しばらく何もない草陰を見ながら洗い息を吐いていた安珍は、新たな札を手にしてそろそろと清が立っていた場所に近づいた。

 やわらかな土に人の足跡もなく、昼日中に幽霊が出る訳もなしと安珍は乾いた笑い声を洩らしたが、足元を見てヒュッと息をつめた。

 黒く焦げてボロボロになった紙屑がそこに落ちている。

 自分を襲ったのは、間違いなく怪異だったと知った。


 震える足を叱咤して、安珍は全力で駆けた。

 息が切れ倒れたても立ちあがり、疲れてもよろめきながら歩き、座って休むことはしなかった。

 とにかく急ぐ安珍だったが、水を飲むのに立ち止まったときだった。

 背後の空気がゾロリとうごめいた。

「安吉さん」

 そんな声がかけられたが、振り向きざまに胸元の札を投げつけた。

 清に触れた札はあっという間に燃え上がる。


 そして、安珍は目を見開いた。

 札を焼きながら揺らめく清の身体は、白光に包まれながら妖に変化していたのだ。

 結いあげられていた髪はほどけ背を長く覆い、その下半身はうねうねと長く伸びる蛇体へと変わっていく。

 白く硬いうろこは真珠のように光沢があるが赤い斑点が血のしぶきに似ていたるところに散り、禍々しさを醸し出している。

 なによりも恐ろしいのは深紅に輝くその眼だった。

 烈火のごとき怒りが今にも噴き出しそうな赤い瞳が、白いかんばせで異様に目立つ。

 愛らしい唇が薄く開きチロリとのぞいた赤い舌に小さく炎が乗り、恐ろしさで安吉は耐えきれず悲鳴を上げた。

 恥も外聞もなく脱兎のごとく走りだし、転がるように妖物から逃げ出した。



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