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2.安吉という男

 不思議な力を得ると同時に、白い蛇は旅籠の床下にも潜るようになった。

 清から寒い冬が来ると聞いたのだ。

 今はまだ日向ぼっこをすれば気持ち良い秋だが、冬は着物を着こんでも身が震えて吐く息が白くなって指先がかじかむほど寒いのだそうだ。

 寒いというのはピンとこなかったけれど、着物を脱いでも脱いでも暑いジリジリ身を焼く夏の太陽とはまるで反対で、足湯や火鉢で暖を取らなければ人でも動きが鈍くなるほどつらい季節らしい。

 珊瑚のような蛇の仲間は、冬眠と言って地面に潜って寒さをやり過ごすそうだ。

 聞いただけでも恐ろしくなる冬というものがやってくることに白い蛇は身を震わせたけれど、この宿場は温泉がわいている土地柄なので雪が積もらず、他の場所よりも暖かい冬になるらしい。

 それでも蛇の仲間は冬眠するほど寒いことには変わりがないから、凍える冬の厳しさは白い蛇には関係ないのだけど。


 暖かな温泉の水は宿屋の奥にたいていあって、あたたかな風呂に無料で入る事ができ雪が積もらないとくれば、旅にそぐわない冬の季節でもにぎわっている。

 清の父親が営む旅籠は一般の逗留客を泊める本館と部屋毎に個別で露天風呂のある値の張る別館、家族や住みこみの従業員の住む屋敷と三棟も敷地にあり、他の宿に比べて一等大きかった。

 食事処は橋向こうの繁華街に任せて寝て泊まるだけに特化した宿がほとんどなのに、泊まったものすべてが朝餉付きの上に、早めに頼めば夕餉も出されるとくれば人気のお宿になるのも当然で、一日を通して活気に満ちている。


 色々な旅籠の床下を渡り歩いた白蛇は、結局のところ清の父親の営む真砂屋の本館の床下を気にいるようになった。

 古びて安い木賃宿の床下は薄暗くネズミに出くわして驚いたし、薄い床板だけの宿だと響く足音が気になって眠れやしない。

 かといって金払いの良い上客が好む上質な宿はめったに人が満員にならないので、空気も冷えて寒々しい。


 旅人が好む旅籠は騒々しく人の出入りが激しいし、温泉目当ての湯治客用の宿もピンからキリまであり、安定して客の入りの良い真砂屋は居心地が良かった。

 奉公人が暮らす屋敷は人のいる時間帯だけにぎわっているが、働く時間になると人気もなくなりしんと静まり返って火も落とされる。

 一日を通してにぎわって人が動き回りあたたかな場所というと、旅人が切れることなく訪れて活気のある本館になるのだ。

 真砂屋の本館はそこいらの木賃宿とは違って一般向けと言いながらも少し上等の部類らしく、畳がある部屋ばかりなので床下もほんのりと温もっているし、猫が数匹飼われているおかげかネズミに出くわす事もない。


 それに、時折だが清の声も聞こえる。

 とと様、かか様、と呼びかけるやわらかな声音に、聞いていると珊瑚と呼んでくれる優しい調子を思い出して胸の奥までポッとぬくもるのだ。


 こうして、白い蛇はひっそりと誰にも知られず、真砂屋にいつくことになった。

 冬は真砂屋の床下に穴を掘って潜って眠り、他の季節の日中は土手や草むらで過ごす。

 夜は安全な真砂屋に帰り、泊まっている旅人のヒソヒソ話や乱痴気騒ぎ、時にはこすっからい言い争いをする声を聞きながら、白い蛇はまどろむ。

 そして清が習い事に外出するのがわかると、素知らぬ顔をして白い蛇は草むらから顔を出した。

 真砂屋は繁盛しているので住みこみの使用人もまかないがたんまりと出るので、その残り物をチョロリとくすねれば食べるものにも困らないし、なんとも悠々自適な暮らしぶりである。



「おや、お清さんじゃないか! お清さんの前じゃそこいらの姫様もかすんじまうね。ずいぶんと綺麗になった」

 そんなからかい混じりの男の声に、清を見つけて顔を出しかけていた白い蛇は尻尾を震わせ、急いで草むらに身をひそめた。

「安吉さんったら、相変わらずねぇ。おひさしぶりですけれど、御隠居さんのお供をしてなくていいの?」

 鈴の音を震わすような愛らしい清の声に、安吉と呼ばれた男はクツクツと笑っている。

 二十歳半ばぐらいに見えるが、色白で涼しげな眼鼻立ちも立ち姿も綺麗な男である。

 粋な男ぶりというのだろうか、役者になっていてもおかしくない美形だった。


「良いもなにも、酔狂なお人だからね。掘り出し物の細工があると聞いたら、おまえは勝手にしてろって、すっとんでいっておしまいになったよ」

「まぁ! おひとりで?」

「ひとりもひとり。後をついていこうものなら、年寄り扱いしておくれでないよと怒るから、しばらく放っておくしかないんだ」

 困ったご隠居なんだよ、と笑う安吉に、清も穏やかに笑い返していた。

「気がすんだら戻ってくるから、いいんでさぁ」

 道端の立ち話だったが真砂屋に馴染みの常連客だったので、清の付添いの女中も少し離れて見守っている。


 安吉の主人である御隠居は境にある小間物問屋を息子に任せているそうで、五年ぐらい前からこの宿場町にも顔を出す。お伊勢参りだ熊野詣だと理由をつけて、いたるところに足を延ばしては、目についた珍しいものを仕入れているそうだ。

 ふくふくとした丸顔のタヌキに似た老人だが、足腰は達者も達者。そのへんの若いものよりは健脚で、頭の回転も速く話し上手なうえに愛嬌もあるから他人を飽きさせない。

 櫛や簪のような装飾品も取り扱っているが硯や筆のような日用品もご隠居は好んでいるらしく、木箱や竹細工も喜んだし碁石のような娯楽品も繁華街で買っていったと聞いているので、ずいぶんと手広くやっている大きなお店のご隠居なのだろうと宿場町のものは噂していた。


 旅慣れているご隠居はこの宿場を気にいっているらしく、年に一度の割合で来るたびに滞在期間が延びていく。

 気まぐれだと自称するだけあって毎回違う季節に安吉を伴ってふらりとやってきては、気分を変えるのだと言って日替わりのように違う宿に泊まっていくのが酔狂と呼ばれる所以だった。

 安っぽい木賃宿から真砂屋の高級な別館まで渡り歩き、時には懇意になった土産物屋に泊る事もあるのけれど、どこに泊まってもその旅籠の良いところを口にする。

食事処でも実に楽しげにこの土地ならではの風習や遠く離れた場所と似通ったところなどを他の客相手に語るので、鳥のように旅籠を渡り歩くのも好意的に受け入れられていたし、歩いていると「うちに来れば去年話していたアレがちょうど手に入ったよ」と声をかけられるのも良く見る光景だった。


 愛嬌のある話上手のご隠居に毎回ついてくる安吉は、主人と同じく人当たりが良いうえに他人を飽きさせない機転も利き、姿形の良い色男の上に愛想もよいので女子供に人気がある。

 安吉は江戸の生まれらしく言葉に勢いがあるので、どうして境に店を構えた御隠居さんについているのか不思議ではあったが、御隠居の旅先の酔狂の一環ですよ、と答えられたらなるほどと納得するしかない。

 道を歩けば「今度はうちのお宿においでよ」とか「いい魚が手に入ったからこんばんはうちのお店に食べにおいで」と袖を惹かれる姿もざらに見かけた。

 そのかわし方も慣れたモノで、鮮やかに笑って「ご隠居の機嫌次第だが誘いはありがたいねぇ、覚えておくよ」と頬をなでたり「今は急ぎの最中だが、また今度よろしくな」などと軽く手の甲に触れていなしたり、誘い女の矜持を満たしている。

 かといって女の尻をふらふら追いかけたりもせず、甘い誘いになびく訳でもない。

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