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虹を破る者  作者: 六亜カロカ
第四章 crash//
37/44

変容と受容


 2100.7.21.

《午前中》


 昨日まで、依呂葉を見つめる視線には小さな頃から軍にいた依呂葉に対する親密さとか、麗しい容姿や秀でた戦闘能力に対する羨望や尊敬、たまに嫉妬というような、いずれもプラスの感情が含まれていた。依呂葉は戦闘にしか興味がないためそれらの気持ちに答えることはなかったが、他人から好意的に見られて嬉しくない人間はほぼいないだろう。

 依呂葉は幼くして家族を失った悲しい身の上を持っているが、破虹師たちの温かい愛情に支えられ、今日まで何一つ不自由なく育ったと思っている。


 しかし今日はどうだ。


 依呂葉は寮を出て、破虹軍のロビーをカツカツと歩いていた。後方にはややおどおどしたこころが控えている。ロビーはいつもの3割増で静かだ。人が少ないわけではない。誰もが依呂葉を目にするなりその口をつぐみ、道を譲り、まじまじと観察してくる。その目には明らかに畏怖の感情が見えた。理由は分かっていた。依呂葉が今朝付けで、北斗七星筆頭……亜門の後任に就いたからだ。

 日本最強。その言葉の重みを、依呂葉は分かっていたつもりだった。しかしいざその任を負ってみると、想像を遥かに上回るものだったと言わざるを得ない。


「すごいね、亜門さん。この環境の中を何年も」

「はい。本当に……」

「でも私だって強くなった。今の私ならきっと、大罪虹化体を倒せる。亜門さんの後任だって務められるはず。胸を張るよ」


 依呂葉は何かから逃げるように、強い言葉を吐いた。眉をきりりとつりあげ、いつも緩んでいた口をきゅっと結べば結ぶほど、力が湧いてくる気がした。



 ──それを見たこころは、表情を崩さないことで必死だった。

 元はと言えばこころがスパイ活動を弓手に悟られ、命を盾に脅しに屈した結果……亜門が軍を追われることになってしまったのだから。

 亜門は確かに、何かを隠している。それは事実だったが、その亜門を助けていた五月──前事務課長は、死の間際に「あの男と関わるな」と言っていた。あの男。当時は分からなかったが、今のこころにはそれが弓手だと分かる。五月を殺したのは弓手だ。

 弓手は亜門を追い出した。その亜門を庇った五月も殺した。五月は弓手を敵と認識していた。そして、亜門を追い出すのにこころは関与した。その点でこころは亜門を尊敬している依呂葉の明確な「敵」に回ってしまっただろう。依呂葉の表情は固く、昨日までとはもはや別人のようにこころには見えた。思い詰めている。


 こころが、そうさせたのだ。

 その心に復讐心を燃やしつつも、いつも花が咲くように笑っていた依呂葉に、こんな顔をさせた。


 スパイとして2年近く、こころは依呂葉たちを裏切り続けてきた。その上この有様だ。こころはもう依呂葉を直視することなどできそうもなかった。結局あの時こころが弓手に逆らい、そのまま殺されていれば、こころを友達だと言ってくれた依呂葉にこのような顔をさせなくて済んだのではないかと思っていた。


「依呂葉さん」

「何?」

「……いえ、何でもありません。あ、そうだ。私は事務課の方に戻りますので、ここで│お別れ《・・・》です」

「うん……って、あ」


 振り返った依呂葉はこころの端末を見て、なにかに気づいた。


「その端末、課長仕様のやつじゃない? 特殊回線が使えるやつ」

「っ……そうです。昨日付けで事務課長になりました。今日依呂葉さんのところに私が向かったのもそれが理由で」

「へえ! すごい……私より年下なのに、課長か! 五月さんはどうしたの? そういえば最近あまり見てなかった気はするけど」


 その問いに答えることは、こころには出来そうもなかった。

 五月の死体は弓手によって丁寧に隠され、処分された。そもそも五月の容態が良くなかったことすら、事務課のごく一部の人間しか知らなかったのだ。

 しかし、黙り込むこころを見て、依呂葉は的確に事態を察した。悲しくも破虹軍では人の命が散ることは日常茶飯事で、怪しむべき事態にはなりにくい。


「……そっか。なら私たちよく似てるね」

「似てる?」

「新米ってことだよ。私は北斗七星筆頭として、こころちゃんは事務課長として。頑張ろうね。この世から虹化体を消す、その日まで」


 返事ができないこころを置いて、依呂葉は破虹軍の2階へと上がって行った。依呂葉が去ったロビーには、少しずつ喧騒が戻ってくる。


「……お父さん、私は……私は一体」


 こころに裏切り行為を強いているのは、実の父親だった。軍と長年水面下で対立している聖虹教会の傘下組織の社長をしていて、たった1人の兄──綾間│空良そらよしを破虹軍千葉支部の支部長にねじりこむ程度の権力を持っている。

 その父親が東京本部を探らせるために送ったのがこころで、こころは週に一度、事務課の権限で閲覧した機密文書を父親に横流ししていたのだ。


 だがその実情はおそらく違う。

 弓手に言われたとおり、こころは│失敗作・・・であり、出来損ないであり、お荷物だから……軍に送り込んだところで弓手に│処分・・してもらいたかったのだろう。

 その目論見はわずかに逸れ、こころはこうして生きながらえている。周りの人々を犠牲にして。


 こころが父親に逆らうことが出来ないのは、スパイ活動をしている時が唯一、父親に──他人に自分を肯定してもらえるからだった。「今週もご苦労だった」というメールの返信を読んでいる時だけが、こころにとって心休まる瞬間だったのだ。

 でも、と思う。果たして自分は今後、スパイ活動を続けることが出来るのか? と。

 自分に初めてできた友達を、今後もずっと裏切り続けた時。それが白日の元に晒された時。そんなことを考えると、こころの胸はどうしようもなく締め付けられるのだった。


*・*・*


 依呂葉が向かった先は、破虹軍総帥室だった。ノックをすると中から速やかに声が返ってきて、依呂葉は重い扉を開ける。

 室内は重い空気が漂っていた。窓ガラスを背に大きな机に肘をついている弓手が、入室者を真っ直ぐに見つめている。

 実の所、依呂葉がこの場所に足を踏み入れたのは今日で2回目だ。一回目は依呂葉が北斗七星に任命された日で、かなり浮き足立っていたため中での記憶はほとんどなかった。だが今日の依呂葉は冷静だ。思考が停止しているとも言うが、歴代総帥の顔写真が壁に並び、こちらを見つめているアウェーな状況も真っ直ぐ受け止めることが出来ている。覚悟を決めたのだ。自らを1本の刃として、これまでより一層戦いに身を捧げることを。


「やあ、急に呼び出して悪かったね」


 少なからず緊張していた依呂葉と異なり、弓手の声色は普段通りだった。ロビーで部下に挨拶をかけるような、街で野良猫に微笑むような、何の気負いもない声がけは、この場ではむしろ異質だ。

 しかし、と依呂葉は思った。

 北斗七星筆頭という地位の重さの片鱗は、今朝から今までの間に既に味わった。しかし、弓手は……破虹軍総帥は、その北斗七星をも束ねる長としてこの部屋をもう7年も根城にしている。

 依呂葉は虹化体以外への興味関心が薄い。精々慧央を兄として慕っていたくらいだ。それ以外の人間は大体友達だと思っていたし、弓手のことは気のいい上司くらいに思っていた。だが、この部屋の中でさえずっと「気のいい上司」を演じ続ける弓手は、やはり只者ではない。


「大丈夫です。私からも1回来ようと思ってたので……」

「こころちゃんから聞いてるかな。きみを北斗七星筆頭に任命するってこと」

「はい。……破虹軍のためなら、虹化体を一体でも多く殺すためなら、私は何だってやります」

「頼もしいね。……そこで、だ」


 弓手は机の下から何かを取りだした。ゴトリとデスクに置かれた黒い塊は、展開前の大きめの蜺刃のように見える。


「きみのために開発を急いだんだ。使ってみて欲しい。調整とかはおいおいかけていきたいんだけど」


 今朝任命されたにしては随分速い開発だな、と依呂葉は思ったが、戦力が増強されるに越したことはない。はいと短く返事をすると受け取った。

 カチリとスイッチを押してみると、それは生き物のように蠢き出す。黒いうねりとなった蜺刃は依呂葉の右腕を駆け上り、それに留まらず体の表面をガッチリと覆った。

 まるで亜門が使っていた、全身鎧タイプのような蜺刃だった。

 亜門を師と仰ぎ、その戦いを死ぬ気で観察していた依呂葉には分かる。この蜺刃は、本来近寄ることは危険とされる虹化体の中に単身乗り込み、体を千切り、その身を虹素で染め上げながらも進み続けるために作られたものだ。群れではなく、個として虹化体を撃破するための武器である。


「……うん。起動は上手くいったようだね」

「これは」

「亜門くんに渡していた蜺刃をきみの体格に合わせてリサイズしたものだよ。このタイプの蜺刃は、使う蜺素量も多いし、実の所使用者の負担も大きくなるんだ。だから並大抵の人には渡せない。……きみだからこそ、使いこなせると思った」


 弓手は一度言葉を止めると、強調するようにゆっくりと言った。


「亜門くんが軍を去った今、1番の戦力はきみだ、依呂葉ちゃん。ぼくのためにとは言わない。ただ、日本最強としてその力を振るって欲しい。……ぼくの口から直接言いたくて、ここに来てもらったんだ」


 依呂葉は何も答えなかったが、弓手はその顔を見て微笑む。緩んだ目じりはその場の空気を微かに弛緩させた。弓手の顔に、23歳の青年らしい若々しさが宿る。


「ありがとう。うん。いい顔だ。……10年前のあの時(・・・)から、随分と成長したね」

「……え?」

「なんでもないよ。こちらの話だ。……じゃあ当面の仕事についてだけど──」


 話し出す弓手の声に被せるように、警報ブザーが鳴った。どうやらこの部屋でのみ鳴っているらしい。普段の虹化体警報とは異なる聞き慣れない音に、2人の目つきは急に鋭くなる。


「……何の音でしょう、これ」

「ぼくもはじめて聞いたかな。でも分かるよ。総帥となった日、亜門くんからその存在だけは聞いたんだ。これは……この建物が何者かに破壊されつつあることを示す警告音だよ」

「破壊?! まさか」

「いや、さすがに教会の人達じゃないとは思うし、そうだったならうちの優秀な破虹師たちがすぐ対処してくれてるよ」


 弓手は左手の指で額をトントンと叩いた。口もとには微笑が浮かぶが、その目はどこまでも冷たい。弓手ですら思案させる出来事が起きている。それだけで依呂葉の体には緊張が走った。


「それ以外で軍を攻撃しうる存在は、虹化体しかいないよ」

「でも今までこんなことは一度も」

「うん。……時に依呂葉ちゃん、知ってるかな。大罪虹化体って、久世が作った虹化体レーダーには反応しないんだよ。なんでも、あのレーダーは虹素じゃなくて負感情の方をメインに探知しているらしくてね。大罪虹化体は必ずしも憎悪とか殺意とかを元に出来てる訳じゃないだろう? だから探知をすり抜けてしまうらしいんだ。もっとも久世がレーダーを開発してから7年弱、大罪虹化体は一体も出現してない(・・・・・・)から、この欠陥が露呈することもなかったんだけど」


 初耳だった。同時に、依呂葉の足はふらつく。

 そうなると、依呂葉が破虹師として任務に当たっている限り、大罪虹化体に出会う確率は限りなく低いということになる。破虹師は世世が作ったレーダーに基づいて東京の各地に派遣され、虹化体を滅している。……それから漏れる大罪虹化体を勝手に探し歩くことは、独断専行として罰されることもありうるのだ。そもそも、破虹師の装備と力は凶悪なので、弓手から発令される討伐命令以外で振るうことは、やむを得ない場合を除いて許されていない。


「もちろんきみが大罪虹化体を追っていることは知ってるよ、依呂葉ちゃん。……だから久世には装置の改良を日々頼んでるんだけどね。どうもね。……ところでさ、じゃあ今この建物に攻撃を加えてるのってなんだと思う?」


 弓手の言葉を咀嚼した依呂葉は、思わず呻き声を漏らした。


「……まさか」

「おそらくね。おそらく……大罪虹化体が出たんだ」


 聞き終える前に、依呂葉は総帥室を出ていってしまった。雷のような勢いと速さだった。

 17歳の少女が命を顧みず戦いに赴いても、弓手の心の中には「慧央くんについて説明するのは骨が折れただろうから、そうならなくて良かった」という感想しかなかった。


「大罪虹化体ね。正直びっくりしたけど、このタイミングで良かった。この状況はぼくが立てた109の計画のうち101番目のケースだ。問題ない……に決まってるよ」


 弓手の行動の中心には、いつもあの子……みーちゃんがいる。みーちゃん……相友水端(あいうみずはな)以外がどうなろうと、弓手の知ったことではない。

 総帥になったのも、慧央を北斗七星に取り立てたのも、世世に虹素を盛ったのも、五月を殺害したのも、こころを陥れたのも、亜門も追放したのも、依呂葉をこうして焚き付けたのも全て、そのためなのだ。そのためだけでしかない。弓手の人生は全て、そのためにある。

 弓手の計画はもうすぐ完遂を迎えようとしていた。……ただひとつ、最も重要な点を残して。

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