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第1話 ニートの旅


「あぁ……俺のニートライフが……! 素晴らしき食っちゃ寝の日々が……!」


 見知らぬ森の中――


 俺はがくりと地面へ崩れ落ちては膝をついた。

 理由はもちろん――もう戻らないあの日々を嘆いてのことだ。同伴出勤も然り。


「しかも何処だよここ? 周り真っ暗だし……」


 見渡しても周囲は鬱蒼と木々が生い茂っているだけで人はおろか動物の気配すら感じられなかった。あるのはコロコロ、リンリンといったコオロギやスズムシの鳴き声と木々の間から差し込むわずかな月明かりのみ。実に寂しげな場所だった。


 いつも誰かしらが家にいたあの時と違って今の俺は完全に一人ぼっち。ここには頼れる人は誰もいない。さらに言えば剣の一本すらもない。完全なる丸腰だ。そう考えると途端に不安が込み上げてくる。


 凶暴な魔物とかに出くわしたらどうしよう。

 最近、全く修行とかしてなかったからな……。

 もしそんなことになったら俺ヤベェじゃん……。


「あの時……」


 母さんから突然世界を股にかけたダーツの旅を提案された俺は、自分の投げたダーツが世界地図の何処に突き刺さったのかを懸命に思い出そうとしていた。

 あとで気づいたのだが、あのダーツには事前に母さんの手により《テレポート》の魔法が付与されており、それが地図に刺さった瞬間にその場から転送されるという無駄に凝った仕様になっていたのだ。

 遊び感覚で息子を転送するなんて酷い母親だ。罰として一生俺を養え。存分に甘やかせ。俺も全力で甘えてみせるから。ばっち来いだ。


「確かアルセリアから東の方の国に刺さった様な気がしたんだけどなぁ」


 おおよその場所が分からなければ、何処に向かって進めばいいのか皆目見当もつかない。だからお家に帰れない。ニートに戻れない。食っちゃ寝できない。実に由々しき事態だ。


「ひとまず歩くか。ここに居てもしゃーない」


 地べたに座り込んでいた俺はどっこらせ。重い腰をゆっくりと上げる。運動不足の体にいきなりのアウトドアはきついよ。最近じゃ近所の駄菓子屋に行くのだって億劫だもん。


 そんなこんなでテクテク歩くことしばらく――


「おっ」


 十分と経たないうちにすぐに川を発見した。


 こりゃツイてるぞ。水があれば取りあえずは大丈夫。当分は死にはしないだろ。それに川があるってことはその付近には人が住んでいる可能性が高い。このまま川に沿って進んでいけば民家の一軒や二軒すぐに見つかるはずだ。


 俺はサラサラと流れる川の水を両手ですくってゴクゴクと喉を鳴らすと、気持ちも新たに川下に向けて再び歩き出した。



◇ ◇ ◇



「んおぉぉ……っっ。マジやばい……っ。ぐぅぅううううう……!!」


 早速だが、お腹を壊した。


 多分、さっき飲んだ川の水のせいだろう。きれいそうな水だから安心してたけどこの有様だよ。硬水だが何だか分からないけど身体に合わなかったらしい。お腹はぐりゅぐりゅと耳にも聞こえるぐらいの音を立てながらその不調を切に訴える。


 もう耐えられん! 手遅れになる前にそのへんで……!


 俺は慌てて近くの茂みに駆け込み、ズボンを下ろしてその場に屈み込んだ。



 ……………………。



「ふぅ……。危ない危ない。かなり強烈な波だったな。今度から生水は控えとこう」


 そう言って俺は尻を拭こうと手を伸ばすも、


「あっ」


 ここは我が家のトイレではない。

 当然ながら右手を伸ばせば普段あるはずのトイレットペーパーもここには存在しない。

 これは困った。

 トイレットペーパーに代わるものならある。そのへんの葉っぱを何枚か失敬するだけだ。

 でも、こう見えて俺って金持ちのボンボンだからなぁ。そういうのはちょっと抵抗がある。お坊ちゃま的には悩みどころだ。


 どうしようかと迷っているとふいに近くの茂みがガサゴソと音を立てた。音の発生源はちょうど俺の真後ろからだった。

 

「……?」


 多分、タヌキか何かだろう。俺はうんこ座りのまま背後を振り向くと、



 鮭を小脇に抱えたデカい熊がそこにいた。



「…………」


 俺はゆっくりと視線を逸らした。


 ヤベェよ……。あれ『グリズリー・ジョー』だろ? あの白のボクサーパンツに赤いボクシンググローブ……絶対に間違いないよ。めっちゃ凶暴なモンスターじゃん。何でこんなとろにいんだよ? 初っ端から運悪すぎだろ。もしかしてここあいつの縄張りだったのか? 俺が知らずに足を踏み入れちゃったから警戒してんのかな? 俺、うんこしてただけだよ。ただの生理現象じゃん。やむを得ない理由じゃん。


 俺は恐る恐るもう一度背後を窺うと……



 熊の片目が“カッ”っと大きく見開かれた――!



 やっちったよ……。あれ、完全に怒ってるよ。そりゃそうだよ。誰だって自分の家の前でうんこしてるヤツがいたらそりゃキレるよ。熊も然りだよ。


 背中に突き刺さる視線に加えて得も知れぬ威圧感が押し寄せた。


 くっ……。どうしよう……。下手に動くわけにもいかないし……。かと言ってここで死んだふりってのもまた嫌な話だ。だって、うんこの隣で死んだふりだよ? 絶対に嫌じゃん。俺、耐えられないよ。しかも熊に死んだふりは効果ないって誰かが言ってたし……。あと俺まだ尻拭けてないんだけど。人間として重要なタスクが未処理のまんまだよ。でも、仮に拭き終わってたとしてもあの熊はズボンを履いて、チャックを上げて、ベルトを締める猶予まで与えてくれるんだろうか? 見た目からして明らかにスポーツ仕様の熊だからその動きもさぞかし俊敏だろう。圧倒的に不利な状況だよ。


 ガサッ!!


 そうこうしているうちに熊が茂みから出てきた!


 ズンズンとこっちに近づいて来ている。不届きな野グソ野郎にワンパン入れてやろうって腹積もりに違いない。あの巨漢から繰り出されるパンチを想像するに俺の身体はぶるりと身震い。軽いジャブでも間違いなく即死だろう。


 それならば……


 俺は意を決して前を見据えると、


 全力ダッシュで森を駆け出した――!



◇ ◇ ◇



 グリズリー・ジョーとの遭遇から数分後――


「ハァ……ハァ……。あの熊……なんてスピードだよっ……! 危うく撲殺されるところだったぞっ……。ハァ……」


 俺は命からがらヤツの猛追を振り切ることができた。


 かれこれ数年ぶりの全力ダッシュ。ニートの俺にはいささか過ぎた運動量だ。明日は間違いなく筋肉痛だろう。


「さて……」


 熊からは無事に逃げられたが状況は何も変わらない。何処とも知れぬ森に迷い込んだニートが一人いるのみだ。

 だが、幸いなことに俺の近くには先ほどいた場所と同じく川が流れていた。ならば当面の目標は変わらない。遡上する鮭を狙う熊に気をつけながらひたすら川下へゴーだ。



◇ ◇ ◇



「おおっ!」


 川下へ向かってさらに歩くこと一時間ほどのことだ。


 俺は運良く川の近くにぽつんと佇むこじんまりとした一軒家を発見した。しかも、窓からは室内の明かりが漏れている。誰かが家の中にいるってことだ。


 よっしゃ。今夜はここに止めてもらおう。


 玄関口まで来たところで扉をコンコンとノック。加えて「夜分に申し訳ありません」と言い添えつつの訪問だ。


 すると、家の中からすぐに反応があった。「はーい」という女の声。若い女だろうか。もしそうなら一夜のロマンスなんかも期待できる。是非とも可愛い娘をプリーズ。


 鍵がガチャリと落ちた音がすると控えめに扉が開いた。


「どちら様でしょうか……?」


 小さく開いた扉の隙間から若くてキレイな女の子が出てきた。やったぜとムスコと一緒に心の中でガッツポーズ。

 だが、こんな時間に男が若い女の家を訪れるんだ。警戒されて然るべきシチュエーション。ここは真摯な態度が必須条件だろう。


「こんな時間にすみません。森の中に迷い込んでしまいまして……。もし良かったら夜が明けるまでこの家で一休みさせていただけないでしょうか? なるべくご迷惑をおかけしないように努めさせていただきますので」

「まあ! そうでしたか! 大変だったでしょう? 小さな家ですがどうぞ上がって下さい。大したお構いもできませんが」

「いえいえ、泊めていただけるだけでもありがたい限りです。それではご厚意に預からせていただきます」

「えっ……」


 その時だった。


 家の中に入ろうとした俺をその女の子が驚愕で見開かれた。


「あ……あっ……! な、何ですか……それ……っ!?」

「?」

「し……下っ! 下ですっ!!」

「下?」


 俺はふと下を見てみると、


「何でズボン履いてないんですかっ!?!?」

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