魔女――と悪役令嬢――の会合
この場所はとても静かだ。
喧騒、争い、様々な音が脳へと届き変換され、時には聞きたくない様な言葉の数々が問答無用に入ってくる世界とはかけ離れたこの場所に、一つの机を挟み、二人の美しくも魅惑に満ちている女性が座っている。
二人ともその時を楽しむかのように一杯の紅茶を口にしていた。
一人は空想の物語に出てきそうな妖艶で、漆黒の色をした髪に漆黒の肌のラインが良く分かるドレスを着ている。背中が開いていたりと少し肌が露出しているが厭らしくもなく、見る者をたちまち魅了してしまいそうな柔らかな唇に赤い紅。
もう一人は、こちらも物語に出てくるような深紅のドレスを身に纏い、何処からともなく差し込む柔らかな光に美しく反射している黄金の髪。その髪から覗く美しい陶器のように白い肌。
両者ともに共通しているのが美しい宝石の様で、海のように深い青の瞳だ。
漆黒の髪の女性がカップをソーサーに戻し、口を開く。
「こんにちは、あなたの世界ではご機嫌ようが主流かしら?」
挑戦的にも聞こえるが耳触りの良い脳へと直接届くような美しい声に、目の前に座る黄金の髪の女性は何やら楽しげに笑い頷く。
「そうですわね。御機嫌よう」
二人の声しか響かないこの場所は扉が二つあるだけだ。
それ以外は彼女達が座っている所以外は何処までも果てしない水面が広がり、天井は無く、青い空が広がり時が止まっているのか動かない雲。
水面の波紋は彼女達以外作り上げる事の出来ない。水面に置かれている椅子も小さく丸い机すらその場に鎮座している。
一言で言うなれば、幻想。夢の世界と表現出来るだろうその場所に二人はいる。
挨拶を交わした二人は再びカップに手をかける。
ソーサーに置かれた時は半分まで減っていた中身も、いつの間にか元に戻り、程良い量まで復活していた。
一口飲み干した後、今度は黄金の髪の女性が口を開く。
「私ね、色々と聞きたい事がありますの」
「あら、奇遇ね。私も聞きたい事があったのよ」
二人は笑う。
カップを置いて机に肘をついて長い白い指を伸ばし、漆黒の髪の女性にどうぞと促した。
思い出すように漆黒の髪の女性は腕を組み、膝を組みかえると口元に指を持っていく。彼女の動作は慣れ親しんだようであり、普段からもこのように動いていたのだろうか。身にしみついているようだった。
「私の話をでは先にしましょうか」
漆黒の女性は語る。
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私が生まれたのは教会。神様という存在に導かれるように生まれたとされているわ。誕生した時から私には記憶があった。この世界がどのようにして生まれ、どのようにして崩壊するのか。まぁ、だからこそ私の誕生は“定め”とされていたわね。
崩壊を防ぐために神が私を世界に誕生させたと周りは大いに喜んでいた。これから来る災厄を撥ね退け、世界に平和と幸福を齎すと言われてね。
しばらくはそれでも良かったのだけれど、途中からね……。
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漆黒の女性の瞳が紅く赤く染まっていく。
変化に目の前に座る黄金の髪の女性は戸惑う事無く、「続きをどうぞ?」と笑う。
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途中からね、何度も見た光景だなって気づいてしまったの。
そう。何度も。何度も。
…気がつけば早かったわ。
自分の親友が、この世界の災厄となる未来を。
その命を奪う未来に気づいてしまったのだから、私が取る行動は一つだったの。
私が私の為に。私が嫌だからという理由で。
だから、世界を壊したのよ。私が。この手で。
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話し終えると、口から溜息を一つ漏らした漆黒の髪の女性の瞳は、元の青へと戻っていた。
「どうかしら? ご満足いただけた?」
再び足を組みかえ、黄金の髪の女性に微笑む。黄金の髪の女性はゆっくりと両手を叩き、賛辞を音にして送る。
「ええ。満足ですわ。それじゃあ私の話を致しましょう」
今度は黄金の髪の女性が語る。
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私はどちらかというと教会は教会でも拾われた存在と言えばいいかしら。孤児として教会のお世話になっていたの。奉仕活動の一環として色々とやってきたわね。あの頃は本当に楽しかった……。
そんなある時、一人の地位の高い男性に出会い、私はそのまま貴族社会、まぁ小さいのですけど学校に通う事になりましたの。
学園という場所がどのような所なのか、正直最初は全く分からなかった私も、学園の門を潜った瞬間、この先の未来を知ってしまった。
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黄金の髪の女性の周りの水面が揺らぐ。風は吹いていないのに髪が揺れる。
くすくすと漆黒の髪の女性は口元を押さえて笑う。彼女は何も話さないが続きを促しているようだ。
呼吸を整え再び語る。
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あら、ごめんなさい?
つい思い出したら取り乱してしまいましたわ。
そうそう。その後、私に起こる事、出会う人、その全てを私は知ってしまったの。
はっきり言って、吐き気がしましたわね。
誰それと正直好意を抱いている訳でもない男性と結婚するなんて、ましてや婚約者のいる相手となんて。
あり得ませんわ。婚約者の方だって、相手が出会ったばかりだと言うのに私ばかりを見つめているのだから、私が居なければ良かったと嘆くのも良く分かりますもの。
出会うと分かっている男性に対して、私の中の全てが拒否反応を起こしましたわね。
だから、私が粛清したのです。運命を、この手で。
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語り終えるとカップの紅茶を一口。
静聴していた漆黒の女性は楽しげだ。心から楽しいと笑っている。
「ふふ。あなたはあなたらしい悪役令嬢ねぇ」
「ええ。あなただって実に魔女らしい」
二人は嗤う。
美しく弧を描く唇、逆月のように細まる長い睫毛の瞳。
漆黒の髪の女性は赤く塗られた自分の爪を眺め、また、黄金の髪の女性は自分の髪を弄る。
「聖女様聖女様と呼ばれるのに、疲れてしまったのよ。正直、聖女になりたくて生まれてきたわけでもない。私の親友を私が手にかけなくてはならないなんて、そんな運命を受け入れていた今までが不思議なのよ。だからこそ未来を知り、過去を知り、全てを見通しているからこそ私が魔女になるべきだと思ったのよ。何故今回気づけたのか分からないけれど、今はとてもいい気分だわ」
「本当に。私がヒロインと呼ばれる存在だと気づけて、心から良かったと思いますもの。だからこそ悪役令嬢である、本来の婚約者の彼女達に、私が酷い事をして、私が悪役令嬢として君臨して差し上げましたの。彼女達が過去にも何度も涙を呑んで、それも酷い断罪を受けていた事もあったなんて、運命を変えるしかないと思うでしょう?」
聖女と呼ばれた漆黒の髪の女性は魔女へ。
ヒロインと呼ばれた黄金の髪の女性は悪役令嬢へ。
二人とも本来の道から、“物語”から自ら進んで外れ、明るい未来を捨て、悪の道を進んだ女性達。
カタリと空になったカップがソーサーに置かれた。
「さて、悪役令嬢さん? お迎えじゃないかしら?」
魔女の指は悪役令嬢の後ろを指している。振り返ると後ろにある扉が開かれていた。そこには薄らと人の影が。
扉が開かれている事には驚かなかった悪役令嬢も、その人物に一度瞳を最大限まで大きくし、今度は頬を高揚させ喜び微笑んだ。
「ええ! 本当に来てくれるなんて!」
喜びが隠しきれないのか、悪役令嬢は今にも駆けだしそうだ。その気持ちが分かるのか、魔女は母のように優しく、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「ねぇ、悪役令嬢さん。あなた今幸せ?」
美しく微笑む笑顔は本来の彼女の笑顔なのだろう。
悪役令嬢は心からの笑顔を浮かべ、本来のヒロインの顔へと。
「ええ。幸せですわ。魔女様、あなたは?」
「ふふ。愚問だったわね。私にも迎えは来ているの」
ほらと指差された先には黒い猫が一匹。自分の事かと声を鳴らす。
その仕草は魔女の心を癒し、本来の彼女の力を引き出し、本来の聖女の顔へと。
二人は幸せそうに心から微笑むと、席を立ち自分たちを迎えに来た者の元へ向かう。
「それじゃあ悪役令嬢さん。お疲れ様。ごきげんよう」
「魔女様もお疲れ様ですわ。ごきげんよう」
二人は振り返らず言葉を交わすと、扉の奥へと消えていった。
繰り返される運命の輪。
彼女達は繰り返され意思を持った。そして彼女達が自らの手で、“運命”を“世界”を壊し、望んだ未来を手にし、今はとても幸せそうに微笑む。
物語から解放された二人は、新たな彼女達だけの、彼女達の物語をこれから紡いでいくのだろう。
こうして魔女―になりたかった聖女―と悪役令嬢―になりたかったヒロインーの会合は終了した。