〜淀川の戦い〜VS高山右近
天正十年五月三十一日、織田信長は横死し、俺は淀川の中流にて、高山右近及び中川清秀の軍勢およそ五千と対峙した。
まずは蜂屋頼隆などの先鋒部隊四千が、轟音を立てて淀川を渡り始め、高山軍より前方に布陣していた中川清秀の軍勢二千五百と激突し、そして中川軍を圧倒した。
「中川瀬兵衛清秀、我が軍に恐れをなし撤退いたしましたっ!」
血に飢えた織田家臣を野に放てば、数で劣る中川清秀などすぐに倒せるだろうと踏み込んでおり、その予想は見事的中した。しかし、後方で不気味にも沈黙していた高山軍は、敗走する中川軍を迎え入れると、自陣に防柵を築いて抵抗した。
「我々は先を急いでおります、何としてもあの汚らわしい腫れ物を除かねばなりませぬ」
丹羽さんが憎々しげに高山軍を睨んだ。……この人ちょっと言葉に毒があるなあ。
「安心いたせ、俺に考えがある」
俺は信長譲りの大声を上げ、
「切支丹は明智軍に組みしたか、ならば俺がこの戦いに勝ち、明智を討った暁には、キリスト教の信仰を禁止し、切支丹は棄教させようではないか」
そう敵陣に呼びかけた。
にわかに敵陣にどよめきが沸いた。高山右近の軍団は下人に至るまで切支丹、つまりキリスト教徒が多い。宗教的な挑発には弱いはずだ。……あまり気は乗らないが、この手法も本願寺軍と戦った信長譲りの戦法だ。
敵陣ではしばらく騒ぎが続いていたが、数十人の雑兵がこちらに駆け出したのを機に、全軍が進軍を開始した。こちらの思う壷である。
「よし、もはや障害は何も無い、構えーっ!」
「ぎゃあっ!」
鉄砲足軽が敵兵に銃口を向け、一斉に火を噴いた。狼狽える敵兵に更に解き放たれた矢が雨のように降り注ぎ、完全に混乱した所に精鋭の騎馬隊が襲いかかる。もはや、勝負は決したようなものであった。更に、
「敵の後方で何者かの軍勢が高山軍に攻撃を仕掛けておりますっ!」
詳細不明ながら、敵の更に後方で伏兵のごとく軍勢が現れ、我が軍を支援しているらしい。
「伏兵など仕込んだ覚えはないが……丹羽か?」
「いえ、私では」
丹羽さんで無いとすれば……やはり、あの男しか有り得んだろう。
その時、敵の後方に現れた軍団は鶴翼の陣形を取り、完全に高山軍を包囲、我が軍と合流した。
その軍団から一人の騎馬武者が飛び出し、こちらへ向かってきた。
「池田勝三郎恒興、弔い合戦と聞き、急ぎ駆けつけに参った所存ッ!」
やはり、池田恒興だった。彼は俺より一回り年齢が高いにも関わらず、穂先に雑兵の首が引っ下げられた極太の十文字槍を担ぎ、所謂傾奇者と呼ばれるような派手な陣羽織を羽織っていた。まあ、俺の南蛮鎧も十分派手だけどね。
「よくぞ参ったっ!そなたならば必ず馳せ参じてくれると、信じておったわ!」
俺は歓喜をもって池田恒興を迎え入れた。織田家随一の名将と名高き池田恒興を戦列に加えたのならば、勝負は決したに等しい。
「お任せあれ。皆の者、行くぞッ!」
「おーっ!」
池田軍の騎馬武者が敵陣へ向かい疾走する。池田恒興も大将ながら、自ら槍を奮って走って行き、やがて戦場の闇に消えた。
こうして高山軍は総崩れとなり、敵将高山右近、並びに中川清秀は捕縛され、戦いは織田軍の勝利に終わった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「もはやこの世に執着はない、殺すなら早う」
高山右近はそう言って命乞いならぬ、死に乞いを始めた。……その気持ち、痛いほど分かるよ、痛いほど。
「安心いたせ、先程の切支丹迫害の件はそなたらをおびき出す為の罠じゃ。それに明智光秀に与力として仕えろ、とそなたらに申したのは父上じゃ。俺はお前らを咎めたりはしない」
高山右近は切支丹の件でほっと息をつきながらも、それでも主君に背いた背徳感からか、こちらと目を合わせようとしない。それに比べ、中川清秀は、
「いやはや、信孝様、実に見事な采配でござった。これからはこの中川清秀、信孝様に心血を注ぎますゆえ」
などとゴマを擦っている。汚いから、血なんて注がないでくれ。
「うむ、ひとまずは明智を討つべく、態勢を整える。中川清秀も高山右近も、残兵を整えて戦列に加われ」
良いのですか、と尋ねたのは蜂屋頼隆だ。確かに、一度裏切った者が信用出来ないのは当たり前の話だ。
「こいつらに裏切られるなら、俺に弔い合戦は無理だったって事さ。それに二度も裏切る程不届きな奴とも思えん」
俺はそう言うと馬に跨り、高山軍の防柵を焼き払うように右近に命じると、とぼとぼと進軍を開始した。
「若君、今回の戦ですが」
俺の隣の丹羽さんが、話を切り出してきた。
「おう丹羽か、何の用じゃ」
「……二度と人の信仰心を利用するような戦をしないでくださいませ、亡き御屋形様もよく多用した戦法でございますが、この戦法を指揮する時の御屋形様だけは、あまり好きにはなれませんでしたから」
そう言われたので思わず俺は丹羽さんと顔を合わせた。丹羽さんは男らしいその眼力の強い瞳に大粒の涙を浮かべていた。
確かに、今回の戦法は邪道であり、愚策であった。しかし、今の俺にはあれ以上の戦法が思いつかなかったのだ。単純に力不足だったのだ。
丹羽さんはその後も涙を溜め続け、ついに嗚咽を漏らして男泣きに伏した。信長との苦しくも楽しかった日々を思い出して泣いているのだろう、と俺はさっさと結論づけて、先に行ってしまった。
こうして、俺の初陣は複雑な勝利に終わったのであった。