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玉皇の依頼

(ここは……?)

目をさますと旺諒は、天宮の見知らぬ一室に横たわっていた。

ぼやけた視界の中で、蒼穹色の美しい袍をまとった銀色の佳人が、彼の顔を微かに心配そうに覗きこんでいる。

しだいに頭がはっきりし始めると、先ほどの記憶が鮮明に脳裏に蘇ってきて、恥ずかしさのあまり、彼はごろりと彼女に背を向けた。

(完敗、だったよな)

あの男に向って威勢よく啖呵(たんか)をきった後。

彼は宴の間につどう賓客達の眼前で、完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめされた。

喧嘩にはそこそこ強い旺諒だが、あの冥界の使者にとってはおそらく、赤子の手を(ひね)るようなものだったに違いない。

(結局あれから、一度もあいつを殴れなかった…………)

月華のためにも、せめてもう一発くらいはお見舞いしてやりたかったのに…………。

「旺諒殿……?」

どこか優しさのこもった月華の声が、そっと彼に呼びかける。

「………………」

羞恥心と悔しさのあまり、月華の顔を直視する勇気がない旺諒は、ふたたび目をつむると、露骨な狸寝入りを決めこんだ。

(本当に、月華に合わせる顔がないよな……)

一方的に袋叩きにされたはずの彼の体には、不思議とどこにも痛みはなかった。

多分、彼女が治癒(ちゆ)の力で助けてくれたのだ。

勝手に月華の敵を討ちに行ったあげく、結局ボロ負けして彼女に迷惑をかけて……穴があったらこのまま一生入っていたい。

涙を(にじ)ませた旺諒が、心の底からそう思った時。

打ちひしがれた彼の心に、塩を塗りこむような(たの)しげな声が、月華の背後から聞こえてきた。

「『相手になってやる!』などと偉そうに言ったわりには、あっさりボコボコにされたようじゃの、旺諒」

「玉皇……!」

振り向くと、鮮やかな深紅の袍に身を包まれた天界の主が、ゆっくりとこちらに歩いてくる。

狸寝入りの演技も忘れて、急いで天蓋つきの寝台から降りようとする彼を「そのままでよい」と制すると、彼女がふたたび上機嫌でコロコロと笑った。

「それにしてもまあ、あの冥界の王に喧嘩を売るとはの。あやつは強すぎるがゆえに、冥界では逆らう者など誰もおらぬことで有名なのだが」

「冥界の……王……?!」

「やはり知らぬのかえ。あやつはつい先日代替わりしたばかりの、冥界の新王じゃ」

(なんだそれ、聞いてないぞ!)

「おおかた、月華にばかり気をとられて、うわの空で夜伯の即位の報告を聞き逃したのであろう。龍界の使者としての努めを怠った罰が当たったのじゃな」

おそらくは玉皇が指摘した通りだったのだろう。

あまりの失態に、返す言葉すら思いうかばない。

絶句したまま旺諒は、なぜ天界が羽根ウサギ殺害の真犯人にすぐさま沙汰を下さなかったのかを、ようやく理解した。

相手が冥府の新王だったから、玉皇も慎重にならざるを得なかったのだ。

けれども、このまま夜伯が何の(とが)にも問われないというのであれば、旺諒はともかくとしても、月華があまりにうかばれない。

彼の気持ちを察した玉皇が、めずらしく神妙な面持(おもも)ちになる。

「あやつを……()(はく)を冥王として承認したのは、(わらわ)の失態じゃ。冥界ではあやつをおそれて誰も王になりたがらぬ上、当時の夜伯には、王位継承を否認されるほどの明らかな落ち度は何もなかったからの。不本意な選択ではあったとはいえ、妾もおおいに後悔しておる」

苦りきった口調で、彼女はつづけた。

「だがすでに夜伯は冥界の王じゃ。冥界では面子(めんつ)をかけて、今回の件をもみ消そうと天界にはたらきかけておる。天界は天界で、一度はあやつを王として認めてしまった妾の面子を守ろうと、愚かにもこれに同調しておる始末での」

「そんな……面子などよりももっと大切な物があるではないですか! それなのに……!」

つい我慢しきれずに、旺諒が玉皇に言上した。

大傅達が控えていたならば、不敬罪を問われるところだっただろう。

だが玉皇は、これを聞いてにやりと笑う。

「そなたは本当にわかりやすいの。そうじゃ、そなたの言う通りじゃ。そこで相談があるのだが……」

何だかいやな予感がした。

「今回の事件を妾たちが外部にもらせば、冥界との間に禍根(かこん)を残す。こちらとしても、それは極力避けたいところじゃ。だが、そなたが夜伯を殴った理由を自ら各界の使者たちに吹聴してまわるぶんには、天界は黙認せざるをえぬ。仮にもそなたは龍界の第二王子だしの。事件が使者たちに膾炙(かいしゃ)すれば、天界側とて事件の解明に乗りだす姿勢を見せぬわけにはゆかぬはずじゃ」

「どうじゃ、ひとつ手助けをしてはくれぬか」と、玉皇が有無を言わせぬ口調でゴリ押しする。

(――――どうせ、こんなことだろうと思った!)

旺諒が、半ばあきらめながらも、ボソリと最後の抵抗をこころみた。

「俺……いえ、私と龍界の面子の方はどうなるのでしょうか」

「面子などよりも大切な物があると、たった今そなたが言うたばかりであろう?」

真紅の薔薇(そうび)さながらの笑顔で、玉皇が高らかに笑った。

綺麗な花には(とげ)がある。

しかもこの棘は、たとえ逃げても追いかけてくる気満々だ。

「……わかりました。素面(しらふ)で出来る自信はないので、せいぜい酒の力でも借りて、大声で広めてまわることにします」

「よろしく頼むぞえ」

彼のボロ負けぶりが、各界にあまねく知られることが、これによって確定した。

(まあ、いいか。これであの事件が不問にされずにすむのなら……)

月華のためにも、これくらいの屈辱は甘んじて受けてやろうではないか。

それであの男に、公正な裁きが下ると言うのならば。

彼と冥王が天宮で騒ぎを起こした件についての沙汰は、追って知らせるという。

退出前に、ふと玉皇が振り返ると、いかにも晴々とした表情で彼を(ねぎら)った。

「ところで、そなたの最初の一撃は痛快であったぞ。月華のぶんも礼を言う」

「――――ありがとうございます!」

彼女の思わぬほめ言葉に一瞬驚いた旺諒が、うれしそうに返事をした。

自分でもあまりに単純だと彼は思う。だが玉皇のこの言葉は、今の彼にとっては何よりの慰めになった。

それに、どうやら今回の彼の行為は、まったくの無駄にはならなかったらしい。

そう考えるだけで、自然に顔が緩んでくる。

天界の(あるじ)が部屋を去ると、彼に振り向いた月華と目があった。

彼女がどことなく心配そうに、旺諒に訊ねる。

「本当によいのですか。私のことならば気にしなくても大丈夫ですが」

だが彼は、彼女を安心させるべく、つとめて明るく返事をした。

「心配してくださらなくても、俺ならそれくらい全然平気ですよ。他でもない玉皇のご命令ですし。『そんなに同情(どうじょう)してもらっても、もうど~じょ~もない!』ってね! ははは」

「………………」

「それより、同情してくださるくらいなら、玉皇からの任務がすんでから、俺と一緒に人界につきあってくれませんか?」

「人界に……?」

「月華殿にぜひ見せたい物があるんです」

月華が少し迷った後、こくりとうなずく。

「やった! 月華殿との初外出だ! じゃあ、楽しみにしていてくださいね! 三日後ですよ!」

旺諒が、彼女との初外出(デート)の約束にうかれて、まるで子供のように大声ではしゃぐ。

月華さえその場にいなかったら、実際に歌うか、踊りだしていたに違いない。

だから彼はうかつにも、まったく気づいてはいなかったのだ。

無表情な(おもて)の下で、じつは彼女も旺諒との外出を心から喜んでいたことに。

そしてこの時彼の満面の笑顔を、彼女がどこか眩しそうに目を細めながら、微かな笑みをうかべて眺めていたということにも。



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