神具
あくる日の朝。
旺諒がいつもの通りに月華の亭に向うとちゅうで、数人の男たちが花束を手に徘徊している姿を見かけた。
近ごろ、旺諒が彼女の亭に通っているという噂が流れ始めてから、よくこんな光景に出くわす。
たぶん彼らも月華に会いにきたのだろう。
彼らの嫉妬と羨望の視線をジリジリと肌に感じながら『実験棟』へと入っていくと、彼はまっすぐに彼女の作業室へと歩を進め、ドアを二回ノックした。
「お早うございます。入っていいですか?」
「ん……」
ドアをあけると、中では月華が銀細工を施された美しい鐘を持って、一心に何かの作業をしていた。
「早いですね。もう朝食はお食べになりましたか?」
「ん……」
「本当に? ダメですよ、いつもみたいに面倒がって抜かしたら」
「…………」
(図星だな、こりゃ)
彼女は食い意地が張っているわりには、夢中になると寝食すら忘れて没頭してしまう一面がある。
「今日もまたお菓子を持参したので、あとで食べてください」
「ん……」
昨日とそっくりの汚れが、いまだに彼女の頬に付いている。
あれでは今朝どころか、夕べ顔を洗ったかどうかすら怪しいものだ。
それにしても、最近とみに、彼女の返答に手抜きが多くなってきた気がする。
『月華はがんらい極端な面倒くさがりでの。親しい者ほど最小限の言葉で会話しようとするゆえ、そなたも覚悟しておくがよい』
あらかじめそう玉皇から聞いていなかったら、さすがの彼もあまりの応対のしかたに、相当へこんでいただろう。
とはいえ彼自身も、いったいどれほど彼女と親しくなっているのかについては、まったく謎のままなのだが……。
「今日は何をつくっていらっしゃるんですか?」
旺諒の問いかけに、彼の顔すら見ようとせずに彼女が答える。
「行方不明になった神具の番い」
「番い? なんで番いが必要なんです?」
「悪用された時のため」
「???」
彼の困惑顔をよそに、彼女が銀の鐘を勢いよく振った。
だが、鐘は空を斬った音を発しただけで、部屋には何も変化は起こらなかった。
「あれ? その鐘、打点の舌の部分がないじゃないですか。それじゃあ、音は出ないのでは?」
そう問いかけた旺諒の眼前で、月華が鐘を振ったあたりの空間を、すうっと片手で撫でて見せた。
トゥロロロロロォン……。
何もないはずの空間から、突然美しい竪琴の音が響いてきた。
(えっ……?!)
「なんですかこれ?! 何も見えないのに、音が聞こえてくる!」
月華がまるで幻の弦の存在を証明するかのように、一つ一つ繊手でそれらを鳴らして見せる。
旺諒が思わず「俺にもやらせてください!」と横から手をのばした。
「うわっ、すっげー! 本当に音が出る!」
子供みたいに目を輝かせた彼が、「せっかくだから何か弾いてください」と彼女にせがんだが、楽器は苦手だから、と即ことわられてしまった。
「そうですか……せっかくきれいな音が出るのに、残念だなあ」
トゥロロロロロォン……。
先ほどから音階を確かめるかのように弦をいじっていた旺諒が、ふと窓の外に咲く薄紅色の花に目をやると、何やら思いついた様子で曲を奏ではじめた。
曲に合わせて、粋な碧の衣装を身に着けた彼が、竪琴の音に劣らぬ美声で歌いだす。
紅花気高く緑葉に栄えて
咲くは誰が為君がため
それを知らぬか去り行く春は
花の歎きに後ろ影
(王維『紅牡丹』)
もともと洒落者で、顔立ちの整った旺諒である。
まるで絵物語のような一場面を、作業の手を休めた月華も、最後まで静かに眺めていた。
歌がおわり竪琴の余韻が去ると、旺諒が照れかくしに笑いながら言う。
「まあ、こんなもんです。兄上だったらきっと、もっと上手くてふさわしい詩がつくれると思うんですがね」
「そうなのですか?」
「ええ。兄上は俺よりもずっと出来がいいですから。俺も兄上と同じくらい頭がよければ、月華殿の研究ももっとちゃんと理解できたのになあ」
残念です、ははは。そう苦笑する旺諒にしかし、彼女は小首を傾げながら、納得がいかないといった風に返事をした。
「旺劉殿の頭も旺諒殿の頭も、私には違いがあるようにはまったく思えないのですが……」
「え……?」
予想外の言葉に、彼は自分の耳を疑った。
「それに、私は旺諒殿の詩が好きです」
虚を衝かれた旺諒の顔が、一拍遅れでみごとに朱に染まった。
(お、落ちつけ、俺! 彼女は俺の詩が好きだと言っただけで、別に俺に気があるわけじゃないんだからな!)
旺劉の頭の出来が自分よりもはるかに良いということは、情けないが昔から事実としてちゃんと受けとめて来たつもりだ。
月華もべつに、旺諒の方が賢いと言ったわけではまったくない。
それでも一つ、嬉しいことに気づいた彼は、動揺しながらも自然に顔を綻ばせていた。
――――月華ほどの超天才にとっては、自分も旺劉もどうやら似たような凡才でしかないらしい。
つまり、少なくとも彼女からは、己の不出来な頭をつねに旺劉と比較されつづける屈辱を、決して味あわせられることはないのだ。
「旺諒殿?」
気がつくと、赤面した彼の謎のにやけ顔を、月華が不審そうに眺めている。
(はっ、いけない……!)
こんなで調子では、たとえバカじゃなくても彼女に嫌われてしまう。
「う、歌ったら暑くなってしまって。ははは。げ、月華殿のつくっておられる神具について、もっと詳しく教えていただけませんか?」
「…………ん」
なんとかごまかせたものの、月華の専門的な術の説明に途中でついていけなくなった彼は、結局、しごく簡単な概要をかいつまんで話してほしいと、彼女に懇願する破目におちいった。
彼女の話はこうだ。
天界における月華の重要な仕事の一つは、行方知れずの神具が万が一悪用された時のために、その神具の力を打ち消す作用のある、対になる神具をつくることだという。
通常その対になる神具は、元の物とそっくりにつくられてはいる。けれども、ひと目で見分けがつくようにと、わざわざ目立つ所に明らかな違いを持たせてあるのだそうだ。
彼女が今手にしているこの鐘の打点がないのは、そのためらしい。
(なにも、わざわざ打点をなくさなくたって、他にいくらでも違いはつけられるだろうに)
彼女以外の者がこの神具を使う日が来たら、その者はまず間違いなく、使い方がわからず途方にくれることだろう。
――――やはり天才の発想は、凡人にはとうてい理解しがたい。
思えばこれが、旺諒が月華の天然ぶりに触れた、最初のできごとだったのかもしれない。
月華の手伝いもひと段落ついて、そろそろ亭を出ようと声をかけた時。彼女が旺諒に大きな白い卵をくれた。
先ほど歌を聴かせてくれたお礼だという。
「なんですか、これ?」
「目覚まし時計。頭を押せば止まります」
「月華殿がつくったんですか?」
「ん……」
「有難うございます! 俺が朝なかなか起きられないって言ったの、覚えていてくれたんですね!」
「ん……」
時刻のセットは、口頭で卵に向ってささやくだけで出来るという、なかなかのスグレモノらしい。
もしかすると明日の朝は、月華の声で起きられるのだろうか。
目覚ましを止めては、すぐまた眠りに落ちてしまうくせがある旺諒だったが、明日の朝だけはスッキリ起きられそうだ。
ところが翌朝、彼はこの極甘な考えが、いかに非現実的な夢物語であったのかを思いしらされることになる。