月華のダジャレ
この日から旺諒は、手土産を携えて毎日月華の亭を訪問することになった。
自ら実験の被験者になると申し出た彼を、彼女が歓迎したからだ。
玉皇大帝は最後まで許可を渋ったそうだが、彼女に「被験者がほしい」と懇願されてしまっては、いやとは言えない。
たいていの実験に旺諒はこころよく協力したが、吸引すると同性だけを襲いたくなる催淫型の防衛武器・『龍陽爆弾』の実験台となることだけは、謹んで辞退させていただいた。
あいかわらず月華は無表情で無愛想だったが、それでも彼はずいぶん、彼女の感情の変化を敏感に察知できるようにはなってきた。
月華の思考回路は、どうやら常人とはかなり違っているらしい。
今でも彼女に見惚れはするが、すっかり口説く気はなくなって素を見せる旺諒に、彼女のほうも安心したのか。これでも以前よりははるかによく喋ってくれる。
ある日のこと。
お気に入りの青藍の袍をまとった旺諒は、ふと、月華が彼の笑顔をじいっと眺めているのに気がついた。
彼がにかりと笑って、「どうしたんですか。あんまり男前だから、つい見惚れちゃいました?」と茶化すと、抑揚にとぼしい冷静な口調で彼女が応えた。
「旺諒殿は、本当によく笑う」
「月華殿だって、宴の間ではずっと微笑んでいたじゃないですか」
あれのおかげで彼はひと目で恋に落ちたのだ。正直にいえば、もう一度あの千年花のような顔を拝んでみたい。
だが、彼女のつぎの一言で、旺諒が心のなかで密かに抱いてきた夢は、盛大な音をたてて崩壊した。
「あれは身代わり用に作った人形です」
「えっ?!」
「玉皇が、あの人形でどこまで皆を騙せるか、試してみたいと……」
(――――だから玉皇は、あの後すぐに緞帳を閉じさせたのか!)
どうやら彼は、ただの人形に恋こがれていたらしい。
がっくりと項垂れ、目に見えて落胆した旺諒だったが――――。
しばらくの後。彼がおもむろに顔を上げたかと思うと、突然月華に向けて言いはなった。
「俺は、本物の月華殿の笑顔が見てみたい」
彼女が少し呆気にとられた様子で、彼をいちべつする。
(そうだ。人形の笑顔なんか見なくたって、ここにちゃんと実物がいるじゃないか!)
「私は笑うのが苦手です」
「笑うのなんて簡単ですよ。誰だって生れつき出来るんです!」
「…………」
「月華殿、ダジャレはお好きですか?」
「ダジャレとは何ですか」
「知らないんなら、教えて差し上げます。『ダジャレを言ったのはダレジャ!』」
「…………」
「笑えない? だったら、これは? 『仏像がぶつぞう!』『母艦が爆発した。ボカーン!』」
「…………どういう物かはわかりました」
「それもダメ? じゃあ、これは? 『豹に出会った。うっひょー!』」
旺諒がうひょーと言いながら、全身で驚いた演技を見せると、月華の頬がわずかにピクリと痙攣した。
「やった! 月華殿、今少し笑ったでしょう?!」
「ダジャレではなく、旺諒殿の様子がおかしかったのです」
「いいです、その調子です! こり固まった表情筋さえ鍛えれば、月華殿にも人形以上の笑顔がつくれるはずですから!」
「………………」
自分が何気に失礼な発言をしたことには気づかないまま、上機嫌で彼がつづける。
「そうだ! せっかく覚えたのだから、月華殿も一つダジャレを言ってみてください」
「ダジャレを?」
「そう! 超天才の月華殿になら、簡単でしょう?」
しばらく無表情のまま考えこんだ末に、月華がボソリと言った。
「旺諒の横領」
――――――笑えないだろ、それ!
だが、しかし。笑わなければ。せっかく彼女がつくったのだから。
「ははは。将来せいぜいそのダジャレが、シャレにならなくならないよう、気をつけますよ」
つとめて明るくそう言った時。彼女が心なしか、ホッと緊張を解いたような空気が伝わってきた。
実際、彼女は少しだけ緊張していたらしい。
何しろ、閉ざされた世界に住む月華にとっては、これが生れて初めてのダジャレ体験だったのだから。