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お喋り妨害機

それからしばらくの間は、旺諒にとって試練の連続だった。

月華がつくりだす幻影は、日ごとに変わる。

ある時は巨大な恐竜達に追いかけられ、ある時はいつのまにか火の海のなかに放りだされた。

(なんだか、日を追うにつれて過酷な状況に置かれていく気がするんだけど……)

ここ数日で、いったい何度臨死体験をしたことだろう。

じつはこれは、月華をこよなく愛する玉帝のしわざだったと後でわかったのだが、そんなことは露とも知らない彼は、今日もまた決死の覚悟をしながら、こりずに亭に向っていた。

だが、今日の彼は秘密兵器を持っている。

天界で千年に一度咲くという、宝石すらも霞む輝きを放つ幻の千年(せんねん)()を手に、旺諒は不敵な笑みをうかべた。

(ふっ、この美しい花束に心を動かされない女など、この世に存在するはずがない)

芙蓉にも似た薄紅色のそれは、えもいわれぬ芳香さえ周囲に漂わせていた。

ついでに持参した龍宮からの菓子折を、もう片方の手にたずさえて、堂々と彼が亭に近づいてゆく。

訪ねてきた彼の手にある品々に、気がついたのだろうか。

亭に向うとちゅうで雨あられと降ってきた鋭い氷の槍が、ふいに空中であとかたもなく消えた。

(今度こそ、本気で死ぬかと思ったぞ!)

まだ心臓がドキドキしている。

眼前に突然、亭へとつづく道があらわれた。

純白の美しい神石・『雪花(せっか)(せき)』でつくられたこの亭は、主の望み通りに自在に姿を変えると言われている。

彼は初めてこの隠れ家のドアを、緊張しながらノックした。

間髪をいれずにガチャリとドアがあくと、美しい銀色の髪を無造作に後ろで束ねた月華本人が姿をあらわした。

旺諒の心臓の鼓動が、ひときわ大きく跳ねる。

「ご、ごきげんよう」

感激のあまり、うわずった声で花束を差しだし、可能なかぎり爽やかに彼女に笑いかけた彼だったが……。

(あれ、なんだろう。以前見た顔と、どこか微妙に変わっているような……?)

今は化粧をしていないせいだろうか。

よく見ると、彼女の顔のそこここに、墨や油のような汚れがこびりついている。

それに、これは彼女の作業着なのだろうか。 どうひいき目に見てもおっさん用にしか思えない、実用重視の紺のボロ服をまとっているではないか。

(確かにそれでも、佳人は佳人なんだが……)

月華が突然、頭をポリポリ掻いた。

(なんだか、露骨にイメージが違うんだけど?!)

彼女が能面を彷彿とさせるみごとな無表情のまま、ボソリとつぶやく。

「お(なか)がすいた……」

(どうしたんだろう、俺の耳。 『ごきげんよう』が『お腹がすいた』に聞こえるなんて)

「あの……」

ふたたび笑顔で彼女に話しかけようとした旺諒の眼前で、亭のドアが大きな音をたてて閉められた。

呆気にとられた彼の視界を、またしても濃霧がさえぎっていく。

そして、ふと我に返ると。

彼の手からは菓子折がこつぜんと消え、大きな花束だけが残されていた。




   *******




翌日。旺諒はふたたび例の花束と菓子折を手に、月華の亭を訪れた。

今回はめずらしく幻術を掛けられずに、すんなり入り口までたどり着けて、彼がわずかに首を傾げる。

(あれっ? 今日こそは津波か竜巻でも来るかと思ってたのに……)

それとも、これは新たな罠なのだろうか。

深くは考えないようにして、呼び鈴を鳴らすべく腕を上げかけた彼の眼前で。

突然、またしても他ならぬ月華自身が、勢いよく扉をあけた。

ふいうちで出現する傾城は、虚を衝いてあらわれた死霊と同じくらい、心臓にわるい。

「ごっ――――ごきげんようっっっ!」

飛び上がらんばかりに驚き、裏返った声でかろうじて挨拶する旺諒を、無言でじっとみつめた後。

「……どうぞ」

彼女は拍子抜けするほどあっさり彼を、実験棟こと亭に招き入れてくれた。

心の臓が、いまだに早鐘を打っている。

(いったい、どういう風の吹きまわしなんだ? これ)

嬉しいけれども、何となく腑に落ちない。

もしかすると。やはり。この餌づけ用の手土産が、効を奏したということなのだろうか……?

きっとそうだ。そうとしか考えられない。

それならば、と彼は意気込んだ。

(今度こそ、月華を口説(くど)き落としてみせる!)

女性を口説くことにかけては、それなりに自信がある旺諒である。

多少食い意地が張ってはいるようだが、月華とて女性だ。

花とお菓子を差しだしつつ、甘い言葉を囁きつづければ、いくら天才とはいえ心を動かされるにちがいない。

相変わらずおっさん服を着ている彼女が、「お茶の準備をする」と一言残して去った後。

緊張しつつも旺諒は、月華が持参した菓子を玻璃(はり)の皿に盛り、美しい茶器で手ずから茶を淹れてくれる幻想を、うっとり夢見ながら待っていた。

ところが。

戻ってきた彼女が手にしていたのは、美しい装飾を施された茶器ではなく、巨大なホラ貝を使った怪しげな装置だった。

旺諒のすぐ正面にセットされたホラ貝の、真っ暗な穴が彼の顔に向けられている。

(俺、生きて帰れるよな…………?)

彼女が近くにあった、謎の瓶の一つを手に取ると、そこに直接茶葉とお湯を入れてずいと彼によこした。

(ちょっと待て! それどう見ても実験道具の一つだろう?!)

それに、茶葉は茶と一緒に飲めとでもいうのだろうか。

お菓子も皿には出さず、そのまま食べろとばかりに箱ごと螺鈿(らでん)細工(ざいく)の卓子に載せられている。

(もしかして彼女、じつはものすごく大雑把(おおざっぱ)な性格なのか……?!)

月華がすとんと旺諒のとなりの椅子にすわって、黙々と菓子を食べはじめた。

「美味しいですか?」

彼が訊ねるとこくりと(うなず)きはするが、表情はあいかわらず能面のままだ。

それでも、お菓子を口にしている時の彼女からは、どことなく嬉しそうな空気がかすかに伝わってきて、旺諒は思わず顔をほころばせた。

「そうですか、よかった。こちらのお菓子は龍宮でもとても人気があるんですよ。(はす)の花そっくりで、綺麗でしょう?」

ホラ貝が彼の声を微妙に木霊(こだま)させるかたわらで、彼女がまた無言でうなずく。

(まいったな。こう無口だと、やりにくい)

とはいえ、近くで見る彼女は、存在自体がまるで月の華そのものだった。

幼いころから憧れてやまなかった、貴い白銀龍の最後の生きのこり。

その彼女の横に、龍界の誰もがみとめる立派な王太子の旺劉ではなく、出来の悪い第二王子の自分がこうして座っているなどとは、まるで夢物語のようだと、彼は感激していた。

けれども、胸の奥で少しだけ、いつもの不安が影を落とす。

(もしも彼女の隣にいるのが旺劉兄上だったら、彼女はもっと嬉しそうに喋ってくれるのだろうか……?)

龍界の女性たちがこぞって憧れる堂々とした白龍の王太子は、旺諒のようになぜかちゃらんぽらんと思われて本気で相手にされない男よりも、月華の隣に並ぶにはずっとふさわしい気がした。

過去に自分が好きになった女性たちが、のきなみ旺劉に魅かれていった辛い記憶を振り切るように、彼は月華に向きなおる。

(そうだ。せっかく彼女が迎え入れてくれたのに、口説かないなんて、男じゃないよな!)

旺諒は意を決すると、一心に菓子を頬張りつづける月華の手をとり、つとめて甘い声でささやいた。

「これまで、(こく)色天(しょくてん)(こう)とたたえられた女性には幾度となく出会いましたが、貴女ほど優美な女性は見たことがありません」

旺諒にとっては何度も使ってきた、流れるように言えるおなじみの科白(せりふ)だ。

ホラ貝が旺諒の声を穴の奥に吸いこんでいき、かすかに遅れてそれを反響する。

「貴女の美しさに誘われて、何度も許可なくこちらの亭を訪問しようとしたことをお許しください」

貝がふたたび微妙な遅れとともに、音を弾き返す。

その間もずっと、月華は無表情のままだ。

(なんだか妙に話しづらいな……)

「玉帝の宴でひと目貴女をお見かけした時から……」

ホラ貝がまた、わずかに遅れて彼の言葉をくりかえした。

「ええっと、そう、ひと目貴女をお見かけした時から、私は貴方の……月の華のようなその勇姿が……じゃなくて麗姿が……」

ホラ貝が、二人だけの静かな部屋に、またしても正気で聴くには耐えがたい旺諒自身の甘ったるい科白を、一瞬遅れて反響させる。

頭の中がかき乱されていくのが、自分でも手に取るようにわかり、ほどなく彼は()をあげた。

「ダメだ、もう限界だっ!」

心の声を思わず口に出してしまった彼に、月華がボソリとつぶやいた。

「五分三十三秒……」

「は?」

「旺諒殿がこの『お喋り妨害装置』の実験に耐えた時間です」

「『お喋り妨害装置』?! このホラ貝って、実験装置だったんですか?!」

(そして俺はいつのまに、被験者にさせられていたんだ?!)

憤怒よりも、ようやく装置から解放されたという安堵の気持ちと呆れが、疲れとともにどっと押しよせてくる。

「ちなみに旺劉殿は、約二十六分耐えていました」

(……兄上まで実験台にさせられていたのか!)

月華の説明によると、人の声をごくわずかな遅延を加えて話し手の聴覚に反響させると、微妙におくれて届く自分自身の声に脳が混乱して、話し手は正常な会話が困難になるらしい。

それにしても、彼女はいったい何の目的で、こんな馬鹿らしい装置をつくったのだろう……。

(そうか! きっと、俺みたいな招かれざる客を追い返すためだろうな!)

気づいてしまってから、彼ががっくりと肩を落とした。

だが、気落ちした理由はそれだけではない。

まさか旺劉にまでそんなものを駆使する女性がこの世に存在したのは驚きだったが、自分はこんなことですら旺劉には勝てないのか、と地味に落ちこんでしまったのだ。

旺諒が、自嘲気味に月華に訊ねた。

「さすがは我が兄上。兄上は本当に何をやっても上手にできるからな……はは……。月華殿はすでに、兄上にもお会いしていたんですね。兄上のことをどう思われましたか?」

もし、あの旺劉に二十分以上も口説かれていたのだったら、自分の甘い科白など、道化の戯言(たわごと)にしか聞こえなかったに違いない。

だが月華は、しばし考えこんだあとに、真顔でこう答えた。

「若いのに、ずいぶん苦労性だと思いました」

「若いのに……苦労性……?」

彼女の言葉を、呆気にとられた顔で旺諒がくりかえす。

「実験も、あそこまで我慢する必要はなかったのに」

確かに、分別があり過ぎるせいなのか、はっきりいって旺劉は年齢のわりに少々年寄りくさい。

だが大抵は皆、その事実をオブラートに包みこんで、『若いのに思慮深い』などと長所にすりかえて言葉を濁そうとする。

皆がうすうす感じていたことを、こんなにもストレートに口にしたのは、彼女が初めてだったかもしれない。

しかも彼女は、一被験者にすぎない旺劉のことなど眼中にないといったありさまで、ふたたびせっせと菓子を頬張っている。

貴い月華の悪戯(いたずら)もどきの実験に翻弄されながらも、大真面目(おおまじめ)にど根性で会話しつづけていた、苦み走った偉丈夫・旺劉の姿を想像すると、ふいに何だか可笑(おか)しさがこみあげてきた。

「ぶはっ――確かに! まったくその通りですよね!」

とうとう堪えきれなくなった旺諒が、突然、堰を切ったように吹きだした。

そして彼は、どこかきょとんとした様子でこちらを見ている月華の傍らで、しばらくのあいだ腹を抱えて、涙をうかべながら笑いつづけた。





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