四面楚歌
翌朝、旺諒は玉皇に謁見を願い出るべく、天宮に馳せ参じた。
夜伯と旺諒の処罰もさながら、月華の様子が気になって、いてもたってもいられなかったのだ。
幸い午後に謁見の許可を得た彼は、それまでの間に少しでも月華と夜伯の情報を得ようと、宴の間へと足を運んだ。
祝宴もいよいよ明日で終わるせいなのか、宴の間は大勢の賓客たちで華やかに賑わっていた。
玉皇じきじきの命を受けてとはいえ、つい先日同じ顔ぶれの前でみっともなく泥酔した振りをして、さんざん夜伯の悪行を吹聴してまわったのだ。できれば宴には顔を出したくなかったのだが、背に腹は代えられない。
天界の至宝を余すことなく散りばめた、輝く宴の間に彼が入っていくと、にこやかに談笑していた各界の使者たちが、一斉に話を中断した。
急に静まりかえった部屋のなか。なぜだか皆の視線が執拗に旺諒を追いつづけている。
(何だ、これは……?!)
彼の耳には届かないように、声をひそめて会話をする賓客たちの悪意を、肌で感じながら。
旺諒は、もう一人の龍界の使者である小柄な汀太師を呼びとめると、こっそり尋ねた。
「汀太師。どうも先ほどから皆に注目されているようなのだが、理由を知っていたら教えてくれないか?」
同じく白龍の化身である、蘇芳の袍を着た白髪の太師が、心なしか冷たい目で彼を見ながらも応じる。
「先日旺諒様が吹聴されました冥王様の行状は、根も葉もない悪質な言いがかりだったに違いないと、皆様が噂なさっておられるのです」
「なんだって?! いったいなんでそんな噂が広まっているんだ?!」
思わず声を荒げた旺諒の前で、太師が何かを指さした。
「ご覧下さい」
煌びやかな宴の間の中心で、背の高い長髪の男と、目も覚めるような美しい銀髪の佳人が、大勢の賓客たちに囲まれながら、彼らの祝福を受けている。
「冥王様と月華様の、ご結婚がお決まりになったそうです」
「――そんな馬鹿な!」
汀太師によると、使者たちは皆、もしも夜伯が旺諒が吹聴するような悪質な嫌がらせをしていたならば、月華が彼との結婚を承諾するはずはないと考えており、例の事件の犯人はむしろ、月華の心を射とめた冥界の王に嫉妬して、彼に濡れ衣を着せようとした旺諒だったのでは、とささやきあっているのだという。
あまりのことに言葉もない旺諒に、夜伯が月華の手をとって近づいて来た。
「おや、旺諒殿」
彼がこのうえなく愉快そうに話しかけてくるが、いつにも増して無表情な月華は旺諒の目すら見ようとせず、彼女からは何の感情も読み取れない。
夜伯とお揃いの黒い衣装を着た月華は、まるで美しいが趣味の悪いからくり人形のようだ。
「旺諒殿にも、あらためて未来の冥府の王妃をご紹介しましょうか」
「…………結構です!」
これから謁見がありますので。かろうじてそう言い返すと、周囲に忍び笑いが木霊する宴の間を彼は、天界の主に会うべく早足で去っていった。
『謁見の時間を早めて欲しい』という彼の願いは幸い聞き入れられ、まもなく彼はふたたび謁見の間で玉皇と相対していた。
口上をすませるや否や、彼が玉皇に問いかける。
「月華殿が冥王とご結婚なさるという噂は、本当なのですか」
「残念ながら本当じゃ。妾も今朝、冥王から月華の署名入りの誓文を見せられたばかりでの」
「私には、月華殿が本心から冥王を愛しておられるとは、とても思えません」
「同感じゃ。だがすでに婚姻の誓約がすんでおるのならば、妾としても口出しができぬ。おそらくは夜伯が、天界からの沙汰が下される前に先手を打ったのであろう」
迂闊であった、と玉皇が苦しげにつぶやく。
本来ならば月華の婚姻については、結婚前に厳しく詮議されるはずだった。
けれども、とうに本人が誓文に署名してしまった後では、周囲の者たちにはもうどうすることも出来ない。
正式な離婚には両者の同意が必要となるが、夜伯がせっかく手にいれた彼女をみすみす手放すとは、とても考えられなかった。
じつは天界ではここ数日、玉皇の密命を受けて、夜伯の過去の行状を洗いだしていたらしい。
羽根ウサギ事件だけでは、夜伯を失墜させるのには不十分だったからだが、その最中に思いもよらぬ事実が判明した。
彼がまだ冥王の候補であった頃。夜伯の周囲では他の冥王候補者たちが、行方不明の神具に操られた可能性のある者に襲われていたというのだ。
神具に操られている間の記憶は残らないうえに、現場を押さえられなければ証拠も確保はできない。
月華の婚姻は、ひそかに冥界の協力を得て、夜伯を追いつめられる材料を集めていた矢先の、寝耳に水の話だった。
「……もしかすると月華殿はあの時、私の命を盾に脅されていたのかもしれません」
旺諒自身が人界で神鐘に操られた事件について説明すると、玉皇の表情がいっそう険しくなる。
龍界の第二王子を暗殺しかけたのが真実ならば、当然夜伯に王たる資格など認められない。
ところが、夜伯にまつわるどの事件をとって見ても、口頭の証言は多々あるものの、彼が黒幕だという決定的な証拠は皆無なのだ。
そのうえ、今では月華という盾を手に入れ強気になった彼は、逆に天界に対して調査中止の圧力すらかけ始めていた。
天界には、過去のあらゆる物事を映しだせる神鏡が存在するが、各界の王族に関しては、儀礼上その神鏡は無効化されている。
まさに四面楚歌の玉皇が、誰にともなくつぶやいた。
「妾があの者に玉座を与えてしまったばかりに…………」
彼女の言葉を耳にした旺諒は、そのまま何も言わずに一礼すると、重い足どりで謁見の間から退出した。




