拒絶
御龍神山の麓の集落を炎から守った旺諒が、月華を残してきたハリネズミの灌木の所までようやく戻ってこられた時。
彼女の姿はそこになかった。
「月華殿……?」
何度か名前を呼んでみたが、返事は聞こえてこない。
(まさか、待ちきれなくて、独りで龍界へ帰ったのか……?)
何だか彼女らしくない気はしたが、実際周囲に彼女がいる気配はない。
(彼女が御龍教の奴らに見つかっていないといいけど…………)
人界で彼女にかなう人間など存在しないとわかってはいながらも、一抹の不安が彼の胸をよぎる。
先ほど旺諒が空を飛んでいた最中。どこからか澄んだ鐘の音がきこえてきたかと思うと、次に気がついた時には、彼はいつのまにか御龍教の弩のすぐ正面で静止していた。
おそらく彼はあの時、神具で何らかの攻撃を受けていたのだろう。
あのまま弩で射抜かれていたら、彼は今ごろ冥府にいたにちがいない。
彼とちがって、月華には神具の類は効かないはずだが、どうもいやな胸騒ぎがする。
しばらく周辺を見まわった後。ひとまず龍界へ戻ってみようと思いはじめた彼の目にふと、見慣れぬ人の足跡がとまった。
雨のせいで形が消えかけてはいるが、彼の物よりもひとまわり大きなそれは、月華の沓跡のすぐ近くにまでつづいている。
(月華……?!)
彼女とその男の足跡は、少しの間同じ方向へと歩いた後、突然途絶えていた。
ならばきっと、二人はここから空へと飛び去ったか、人界以外の場所へと移動したのだろう。
(もしも彼女と一緒にいるのが、あの神具を使用した奴だったら……?)
その誰かは、かなりの確率で人外の者だ。
全身の血管に、氷を投げこまれたような気がした。
「――――月華!」
旺諒はすぐさま白龍の姿に戻ると、彼女を探すために急いで天界へと駆け戻っていった。
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「月華殿、そこにおられるのでしょう?! 入れて下さい、旺諒です! 月華殿!」
亭の近くから彼は、声の限りに彼女に向って叫びつづけた。
月麗宮の女官によると、月華は先ほど急に天界へと戻ってきたらしい。
彼女の無事を知って、大きく胸をなで下ろした旺諒だったが…………。
月麗宮には不在だった彼女に会うべく、いつもの亭にやってきた彼は、どういうわけかいくら進んでも、入り口にたどり着くことができないでいた。
女官の話では、彼女は確かにそこにいるはずなのに。
(なんで今日は入れてくれないんだ?!)
まさか人界でさんざん待たされる破目になった彼女が、彼の仕打ちに腹を立てているとでもいうことなのか。
これまでも亭から閉め出されて来た男たちが、いい気味だとばかりに彼をひやかしながら、近くを通りすぎていく。
「月華殿! 旺諒です! 待たされたことを怒っておられるなら、謝りますから!」
ここを通してください、と大声で懇願するが、いくら待ってもなしの礫だ。
(月華殿…………)
自分がいったいなぜ避けられているのか、皆目見当もつかない彼が、ひときわ大きなため息をついてようやく踵を返した時。
月麗宮の方から、背の高い黒衣の男が亭に向って歩いて来た。
(……夜伯!)
なぜ彼がこんな所にやってくるのか。
警戒心もあらわに、旺諒が身構える。
悠々と薄笑いをうかべながら近づいてくる彼に向って、旺諒は露骨に不快な顔で言った。
「月華殿の亭に、今度は何のご用ですか?」
どうせ今日も、ろくな事をしにきたわけがない。
だが夜伯は、まるで旺諒など眼中にないと言わんばかりの態度で応じる。
「あれほど叩きのめされても、まだ懲りないとは。聞きしにまさる愚か者のようだな」
「…………」
腹は立つが、本当のことなので言い返せない。
だがそれでも、旺諒は食いさがった。
「今後あなたが、また月華殿を悲しませるようなことをすれば、俺は何度でも同じことをするつもりです」
――――愚か者の本気をなめるなよ!
(おまえみたいな陰気な奴を、月華が相手になんかするものか!)
せいぜいここで俺と一緒に、濃霧にまかれて彷徨っていろ。
そう毒を吐いた旺諒の心の声が、まるで彼に届いたのかのように。
夜伯がそっくり同じ言葉を彼に返してきた。
「あわれな男だ……せいぜいこのまま独りで、永遠に濃霧の中を彷徨うがいい」
ひときわ歪んだ嘲笑をうかべた彼が、旺諒の傍をすりぬけて、そのまままっすぐに亭へと進んでいく。
(え……?!)
彼の後を追いかけようとしたが、無駄だった。
見えない壁にゆく手を遮られた旺諒が、独りその場に置き去りにされたまま、呆然と亭へと近づいていく夜伯を傍観している。
まもなく夜伯が亭にたどり着くと、彼を迎え入れるべく開かれた正面の扉が、旺諒を外に残したまま静かな音を立てて閉まった。




