こんなときこそ Lv2
輝翼を使ってイーディオの近くまで飛んできた俺達は、街の入口ではなく、その外壁まで歩いて来ている。そこまでたどり着いた頃には日もすっかり落ちてしまっていた。
「どうだ、カエデ。登れそうか?」
「うーん……流石に、届かないかな……」
単純に街に戻るだけなら『帰還の書』を使えば良いのだが、あれは街の中心に移動させられる。フェイランたちが待ち伏せしている可能性が高い。正規の入り口から入る方法も同様の理由から却下だ。それに、光を放つ飛行装置を使うのもこの暗闇では目立ちすぎる。
という訳で残された選択肢は唯一つ。
それはつまり、自力で外壁をよじ登るという事に尽きる。
しかし、
「まあ、この壁はコトリでもなきゃ登れないか」
この壁が思いの外登り辛い。
高さは建物の1階くらいの物で、高すぎるとも言えないだろう。白塗りになっている壁の足元は石垣になっていて、これはこれである意味登りやすい。しかし、その外壁に乗っかった瓦の屋根が無駄にせり出しているせいで壁登りのレベルを格段に引き上げている。
コトリか、あるいはボルダリングの選手とかならワンチャンあるかもしれないが、俺達ではとても歯が立たない。
「仕方ない」
「え……」
呟いて、その場に屈んだ俺を見てカエデは不思議そうな表情を浮かべる。
「肩車で行こう」
「それは、ちょっと……」
「無理があるかな?」
「えっと…そういう訳じゃ、ないんだけど」
俺が首を傾げると、彼女も何かを勘弁したようにため息を吐いた。
「……わかったよ」
恥ずかしそうに呟いて鎧を纏った肩に跨る。
「ど、どう……?」
まだ俺は持ち上げてもいないのだが。
「私の、脚……」
そういう目的で提案したわけじゃない。
ない、のだが。彼女が変なことを言ったせいでどうしても意識せずにはいられない。顔の横に置かれた柔らかそうな太ももや、膝丈のブーツに覆われたふくらはぎ。
「こほん」
聞こえなかったフリをして、俺はカエデの足首を掴むと状況を前進させる。
「よし、持ち上げるぞ」
「え、ちょっとっ……!」
いきなりの事でバランスを崩したらしいカエデが俺の頭にしがみつく。
「待って、苦しい……!前が見えない…ッ」
あと頭の上に何か柔らかいものが。
「あ、ご…ごめん」
「いや、俺こそ急に動いて悪かったよ。…で、これなら届きそうか?」
「うん……なんとか」
壁の屋根に手を伸ばしながら答える。
「絶対、上……見ちゃ駄目だからね」
「わかってるよ」
だから、早く登ってくれ。
「よい…しょっ」
「ぐ……」
屋根を掴んで、俺の体を地面に押し付けながら体を持ち上げる。
「み、見ないで……よ?」
「見ないから……ッ」
腰を浮かせた彼女の足首を持っていた手を足の下に移動させて、少女の体を屋根の上へ。
「もう…ちょっとっ」
「はぁ、はぁ……」
一言も「重い」と口にしなかった俺を誰か褒めてほしい。彼女の名誉のために言っておくが、これは俺の体力が無いことに問題があるのだ。
「ソウタ……見た?」
「見てないって」
「……そっか……」
俺の言葉を信用していないのかどこか不満げなカエデ。神に誓って一瞬たりとも見ていないが、ここで余計なことを言うのは逆に命取りな気もするので、大人しく黙っていることにする。
カエデが壁を登り終わったので、後は俺が登るだけだ。と言っても、そう簡単では無いが。
「ソウタ。なんとか、なりそう?」
屋根の上で四つん這いの状態で下を覗き込むカエデ。
「そうだな。……悪いけど、引っ張り上げてくれないか?」
「う、うん。わかった」
なるべく彼女の負担を減らすために武装を解除した俺にか細い腕が伸ばされる。
「無理はするなよ?」
「大、丈夫……っ」
石垣に脚を掛けながらゆっくりと壁をよじ登る。
「う……んっ」
カエデは汗で滑りそうになる手を必死に握りしめて男の体を引っ張り上げる。
何とか屋根に繋いだのとは逆の手が届いたところで、瓦に手をかけて腕の力も加える。
「ソウタ。来て……っ」
「おっ……わ…!」
後ろに体重を掛けたカエデに一気に体を引き寄せられる。
「待……ッ、危ないっ」
「え、きゃ……!」
勢い余って屋根の向こう側に落ちそうになった彼女が離しそうになった手を握り直して腕を引く。しかし、中途半端にしゃがんだままの体勢からでは支えきれずもろとも街の中へ落下。
背中をしたたか打ち付け、思わず閉じていた目を開けるとすぐ近くにあったカエデの顔に少しドキリとしてしまう。覆いかぶさるように乗っかっていた彼女も恐る恐る視界を開き、俺と目が合って即座に上体を起こした。そこまであからさまに避けられると多少傷つかないでもない。
カエデは乱れた前髪を直しながら申し訳なさそうに口を開く。
「ご、ごめん……ソウタ」
「ああ、何ともないから。それより、降りてもらっていいかな?」
言われて、人の上に座り込んでいた少女は慌てて立ち上がった。
そして、スカートの裾を押さえながら、
「……えっち」
理不尽。
*
鎧を身に着け直して、コトリの待っている医者の家へ向かう。
時間はまだ9時頃なのだが、街の人々は寝静まっているのか明かりは多くない。土精種との貿易の名残でか多少は建物の中に発光石を利用した照明もあったが、大陸から離れた島国まではあまり普及していないのかも知れない。
澄んだ空気の中で光る星や月の明かりだけが、イーディオの街を歩く俺たちの存在を土の上に照らし出す。
少し大きな通りに出る前に路地裏から様子を伺う俺達の影が、道路の中心に向かってゆらりと伸びる。
「この暗い中を提灯も持たずに歩いているとは。野盗と思われて斬り捨てられても文句は言えんな」
背後から掛けられた声に振り返ると、この街で一番出くわしたくなかった顔が。
カエデを後ろに庇い、一歩、二歩と後ずさりながら言葉を絞り出す。
「どうも。……こんばんは」
苦笑にすらなり損ねた引きつった笑顔は、我ながら不甲斐ないものだった。