四章 こんなときこそ Lv1
振り返って社の入り口の方を確認すると、物言わぬ石像と化した獅子が恨めしげに俺を睨みつけている。
それを確認した俺の体からは自然と力が抜け、思わず膝を付いてしまった。
『……やってくれたな』
頭の中にイザナキさんの声が響く。いつの間にか気まで抜いてしまっていたらしい。
『いきなりどうしたのよ?』
『本来なら特殊魔力の動きを止める「秘宝」の能力を書き換えて、俺の魔力が無効化されたようだ』
悔しそうな、少し苦しそうなイザナキさんの声。
「神様。あんたの魔力が無効化されてるって言ったけど、大丈夫なのか?」
俺がこの山に足を踏み入れようとしたときは死ぬかと思ったが。
『大丈夫だ。聖霊種には実態がないから、肉体を維持するために生命粒子を循環させる必要もない。このくらいで死にはしないさ』
「そうか。なら良かった」
言いながら立ち上がったところにイザナミさんが口を挟む。
『ていうか、人間ごときが神様を心配してんじゃないわよ。不遜ね」
そりゃ申し訳ない。
『それにしても「秘宝」の能力をこんな風に書き換えるなんて。これがあなたの特殊魔力って訳?』
「俺も自分でよく分かってるわけじゃないんだけどな。ま、俺が仲間を助けられるって言ってる根拠は示せたんじゃないか?」
『そうね。でも、それだけじゃ詰めが甘いんじゃないかしら?』
眼の前に現れた彼女の面の下は不敵な笑みでも浮かべているのだろうか。
「どういう意味だよ?」
『あなたは「秘宝」の能力を少し変化させただけ。それがこれだけの効果を発揮しているのは私の魔力があってこそなの』
その通りだ。俺個人の魔力では山を覆い尽くすほどの結界を作るなんて出来ない。せいぜい自分の周りでイザナキの魔力を無効化するくらいしか出来ないだろう。
『だから、私がこの「秘宝」への干渉を止めれば、簡単に形成は逆転するの』
「なんだ、そんなことか」
俺は石像の横を通り抜けて建物の外へ出ながら、
「甘いのはそっちの方だと思うけどな」
外でこちらを心配そうに見つめていたカエデの姿を見つけると、手にした『秘宝』を掲げて手を振った。
「どちらにしろ今の状況では結界は正常に機能してない。つまり、この霊山で封じられていた特殊魔力の使用も可能ってわけだ。そして今、『秘宝』は俺の手にある」
輝翼を使えるなら、戦闘なんかせずに目的のものを持って逃げてしまえばいい。
『もう諦めろ、イザナミ』
『けど……!』
『「秘宝」は紛れも無く彼に味方した。それに、この彼の能力があれば本当に仲間を助ける事ができるかもしれないし、ここにずっと置かれているだけよりきっと有益だ』
ゆらりと姿を現したイザナキさんにカエデが声を発する。
「それ、って……?」
『「秘宝」は持っていってもらって構わない』
「本当に良いのか、それで?」
社の奥から出てきたイザナミさんに問いかけると、彼女は少し不服そうに答える。
『あんたが欲しいって言い出したくせに、急になんなのよ』
「それはまぁ、そうなんだけど」
ご尤もな言い分に口籠ってしまう。
「…大切なもの、なんだろ?」
『その通りよ。けど、イザナキがああ言うなら私もそれで良いわ。……あの子もきっと、「それ」が誰かの役に立ったほうが嬉しいものね』
彼女の言葉を受けてイザナキさんは続ける。
『そういう訳だから、「秘宝」は好きに使えばいい』
ただ、と前置きして更に言葉を次ぐ。
『一つ頼みたいことがあるんだ』
「な、何ですか、頼みって……?」
おずおずと聞き返したカエデに、神は続ける。
『本当ならこの霊山は一般人の立ち入りが禁止されているはずだ。異邦人である君たちなんか以ての外のはず。それでもここへ来られたと言うことは、街の権力者に少なからず顔が利くんだろう?』
「顔が利くって程でも無いと思うけれど」
『説得して見てくれるだけで構わない。この霊山への立ち入りの制限を解除して貰えるように言ってくれるだけで良い』
「……そのくらいなら」
超聖霊には信仰が必要だと言っていた。そのためには霊山への入山者がいなければどうしようもないと言う事だろう。
数少ない信仰の証を持ち出そうと言うのだからそのくらいは考慮して然るべきではある。
「最善は尽くすけど、あまり結果を期待しないでくれよ?」
苦笑交じりの俺の言葉に、神様も冗談交じりに返答する。
「俺達はこの山から出ることすら出来ないんだ。期待くらいはさせてくれよ」
*
二人の人間を見送って、私の片割れが口を開く。
『悪かったな、イザナミ』
『なんで謝るのよ』
こいつはずっと変わらない。何でもわかったふりをして、勝手に何でも自分のせいにしようとする。
『私は、あんたの決めたことなら信じられる。あの「秘宝」はあんたにとっても大切なものだって分かってるわ。それに、このまま「消える」つもりも無いんでしょ?』
私達のような超聖霊は肉体を持たない。精神体を魂の器とする私達にとって、『信仰』は『存在』に直結する。
『ああ。俺たちはそう簡単に終わるわけにはいかない。あの子のためにもな』
だからこそ、と私の信じた男は言葉を綴る。
『今までと同じじゃ駄目なんだ。願いは、願うだけでは叶わない。守り続けるだけじゃ、俺達はここに縛られたまま「消える」のを待つことになる』
『あの小娘に何か言われたの?』
『願いを司る神が、年端も行かない少女に願いについて教えられる事があるとは思わなかったよ』
そう言ってイザナキは心から愉快そうに笑い声を上げた。
『「諦めきれない願いなら、叶えるだけ」……か。俺たちは長い時間を生き過ぎて、そのせいで忘れてしまっていることもあるのかもな』
『諦めなければ願いは叶う?』
『そうは言わないさ。けど、諦めたら願いは叶わない……そうだろ?』
ともすれば屁理屈のような言い種に、私も思わず吹き出す。
『そうね。間違ってはないわ』
『俺は、絶望するくらいなら初めから希望なんて抱かないほうが良いと思っていた。絶望を知らない子どもたちを守ってやる、ぐらいの気持ちだったんだよ』
『あなたの後悔も、優しさも知ってるわ』
『けど、違った。随分と思い上がってたよ、俺は。彼らは絶望を知らない子どもなんかじゃ無かった。挫折を味わって、多くのものを諦めて、絶望を知った上で、尚も希望を見つめていた』
『強い子達、だったわね』
魂に直接干渉し、心を共鳴させる事が出来るからこそわかった。彼らの過去がそのまま見える訳じゃないけれど、経験してきた痛みや苦しみは充分に伝わってきた。そこから立ち上がって、這い上がってきた強さも。
『あの二人なら、信頼出来ると思った。俺たちの宝を任せられるってな』
『信仰を集めるはずの神様が信じる、なんて変な感じだけど』
『はは、そうでもないさ。誰かに信じてもらおうと思ったら、まずは相手を信じることから。当たり前の理屈さ』
『確かにね。あ、でも』
『でも?』
『あの二人、じゃないわよ』
私の言葉に彼は不思議そうな顔をする。正確には顔は見えないけど、雰囲気で分かる。
『三人、よ。あの子達が助けたいと思った大切な仲間だもの。信じるにはそれで充分でしょ?』
『なるほど、道理だな』
絶望を知りながらも希望を追い続ける若者たち、彼らに神の祝福を。…なんて。
たまには私も、神様らしいこともしてみようかしらね。