三章 しんぴのまもり Lv1
光と散った剣士を見送った俺達は魔法薬品を服用して、消耗した魔力を補充する。空になった瓶は虚空へ消え、俺は新たな薬を個人倉庫から取り出す。
そろそろHPやMPも全体量が増えてきた事もあって、今まで使っていた薬では中々回復量が追いつかなくなってきた。街に戻ったら、少し効果の高い物を買ってみても良いかも知れないな。
概ね回復を済ませたところでカエデが口を開く。
「それで、ソウタ。さっき……上から頂上を目指す、って言ってたけど……どういうこと?」
「あー、そう言えばそんなことも言ったな」
言われるまで忘れていたが、説明が途中だった。
「途中…っていうか、ほとんど何も説明されてないけど……」
不満そうな視線を笑って受け流してから彼女の質問に答える。
「さっき入った時にわかったけど、確かに『霊山』には結界が張られてるみたいだな」
「あの時は……びっくりしたよ。ソウタ、本当に死んじゃうかと…思ったんだから」
「ああ、俺も驚いたよ。心配させてごめん、少し冷静じゃなかったんだ。けど、死ななかった。それでわかったことが2つある」
俺の言葉に、カエデは首を傾げて続く台詞を待つ。
「まず、『結界』はやっぱり特殊魔力に反応する物だったってことだ」
「ソウタが苦しんだのも、それに、山に近づくに連れて輝翼の……調子が悪くなったことと、狐たちが…狂暴化してなかったのも……『結界』のせい」
首肯して、
「そしてもう一つは、その能力もまた特殊魔力によるもので、俺の『共鳴』が有効って事だ」
「あんまり無事だったようには……見えなかったけど」
「多分だけど、俺の特殊魔力も『結界』のせいで一時的に効果を失うか何かしてたんだと思う。本当に頂上にある『秘宝』が『結界』の発生源なんだとしたら、俺が干渉するには遠すぎるし」
「じゃあ、なんで平気になったの?」
「自分の特殊魔力の特性を自分でもよくわかっちゃいないけど、『結界に干渉した』んじゃなくて『自身が変化した』っていうのはどうだ?」
益々わからない、と言った風な表情だな。まあ、俺もわかって言ってるわけじゃないけど。
「だから、俺の特殊魔力は『結界の影響を受けない魔力』に変質したんだよ。『結界』を変質させることが出来たなら輝翼も使えるはずなのに、結局動かせなかったし」
そもそも、特殊魔力が無効化された状態では『他の特殊魔力に干渉する』能力も使うことは出来ないだろう。
俺の『共鳴』は他の特殊魔力に干渉するだけではなく、自身の特性を他の特殊魔力に合わせて変化させることも出来る……のだとすれば一応の辻褄は通る。
「とにかく、『秘宝』が特殊魔力ならその性質を変えることも出来ると思う。上手くやればコトリに万能薬が効くようになるかも」
「でも……『秘宝』は神様が、守ってるんだよね?」
ジーヂャンさんの話では、山の頂上は『聖域』らしいからな。一筋縄ではいかないだろう。
「ま、何にしても頂上に辿り着かないことにはどうしようもないしさ」
「それで……上から?」
「そう。『結界』だって無限の範囲で効果があるわけじゃない」
言いたいことを察して来た様子のカエデが、恐る恐る口を開く。
「それって、『結界』の効果が届かないくらいの…高さまで行って……そこから飛び降りるってこと?」
ザッツライト。
「…………」
自分で口にしておきながら、信じられないと言った表情で言葉を失うカエデ。
「下から魔物を相手にしながら登るよりはいい方法だと思うけど」
「……ソウタって、高いところから落ちるの…好きだよね」
そういう事ではない。
「ううん。それは…取り敢えずいいや」
良いのか。
少し真面目な顔つきに戻った彼女は、こちらをまっすぐ見つめて言う。
「ソウタも、もう一度……霊山に入るの?」
「もちろん俺も行くよ」
「また……苦しむことに、なるのに?」
「けど、別に死ぬわけじゃない事はわかったし」
「やっぱり……私だけじゃ、不安かな……?」
『霊山』に入ろうとする前に、彼女は俺が全てを背負いたがっていると言っていた。
その発言はある種では的を射ていたのかもしれない。だからこそ反論出来なかったのだろう。
何かに縛られることを嫌って、自分で選ぶことに固執しすぎていた部分もあった。
傷を負うことが、努力をすることだと履き違えていた。そんな物はただの自己満足に過ぎないのに。
ストーリーが自分を中心に動いているのだと思い込みたかったのかも知れない。
なんだかんだ言って結局、仲間のことなんか信頼していない。そう思われても仕方のないことだ。
「カエデ、確かに俺は少し身勝手だったと思う。周りのことが見えなくなってたかも知れない。文句を言わずに付いてきてくれる二人に甘えすぎだった」
だからこそ。
今度はちゃんと向き合って、心からの言葉を投げかける。
「俺はカエデを心から信じてるよ。一緒に行きたいって言うのは、カエデを信頼してないからでも、自分を過信してるからでもない。……ただ、心配なんだよ」
俺が近くにいれば守れたかも知れないものを失ってしまったら。そう思うと怖くて仕方がない。
もう二度と同じ後悔を繰り返したくはない。
『こうしていれば』もっといい結果だったかも知れない、なんて思いたくない。
「……ソウタ」
「カエデのことを信じているのは本当だ。だから、カエデが『私は一人で大丈夫。安心して任せて』って心からそう言うなら、俺は信じてここで待つよ。けど、少しでも不安があるなら俺を連れて行ってほしい。カエデに何かあった時に、傍にいさせてほしいんだ」
彼女は一瞬顔を伏せて、すぐにこちらに視線を合わせる。
宝石のように透き通ったグリーンの瞳。その瞳に浮かぶ光が僅かに揺らぐ。
口の端から小さな声が漏れ出す。
「本当は、ね……不安で仕方ないの」
堰を切ったように言葉が溢れる。
「一人で、何とか出来る自信なんか…全然ない。でも……ソウタに危険な目に、もう遭って欲しくなくて。私が……頑張ってソウタやコトリを、助けられるなら……って」
力なく、悲しげに、少し申し訳なさそうにカエデは笑った。
「ソウタに……あんなに酷い事、いっぱい言ったのに。私も……おんなじだ。何にも分かって無かったんだね、ソウタの気持ち。こんな……こんなに苦しかったんだね。大切な人を守りたいって、気持ち。辛くて、痛くて……胸が張り裂けそう」
ひび割れそうな笑顔を涙が伝う。
俺は引き寄せられるようにカエデに歩み寄り、肩を抱く。
「大丈夫だ。大丈夫。カエデが自分を信じきれないって言うなら、その分俺がカエデを信じる。俺も、カエデが信じてくれるんなら、迷わず自分の道を進んで行ける」
少女の手が鎧の胸板に触れるのを感じて我に返った俺は、ドキリとして思わず彼女から距離を取る。
カエデは少し驚いたような表情で目を瞬かせている。
正直自分でも、何を言っているんだ、と思う。あんな台詞、柄でもないしな。沈黙の気まずさに耐えきれず、俺は蛇足かもしれない言葉を続ける。
「俺もさ、ずっと自分に自信が無かったんだ。けど、コトリとカエデが俺を召喚んでくれて、必要としてくれて。二人が信じてくれたから、俺はここまで来られたんだよ。やりたいことの後押しをしてくれる、間違ったら腕を引いてくれる。俺も二人にとってそんな存在に……本当の『仲間』になりたいんだ」
「…………」
「カエデの背中は俺が絶対に守るからさ。俺の背中、カエデに預けても良いかな?」
差し出された掌を見つめて、彼女はさっきとはまた違った、泣き出しそうな笑顔を浮かべる。
「うん。……うんっ。ソウタの背中…私に預けてっ。ソウタが後ろに居てくれるだけで、私はきっと何でも出来るから……!」
俺の手を握った彼女の手は、鎧の上からでもしっかりと力強かった。
*
一度結界の効果範囲外に出てから飛行装置を使って空を飛び、結界の影響を受けない距離を保ちながら『霊山』の真上まで移動した。
さっきまで自分たちが登っていた霊山を遙か下方に望む中空。初夏に相応しく青々しい緑に覆われた山肌は、どう見ても俺たちを歓迎はしていないようだ。ヤマトに来るまでの空中戦を行った高さに比べれば新鮮な景色と言うこともないが、今からあの頂上に向かって飛び降りることを思うとやはりゾッととする。
山の一番高そうな場所に、他とは違って木に隠されていない部分が見える。石畳の敷かれた広場の端には瓦を乗っけた建物が鎮座している。『秘宝』とやらがあるとすれば一番怪しいのはあそこだろうな。
「さぁ、覚悟は良いか?」
隣に浮かぶ少女に声を掛けると、不安げな表情を浮かべながらも首を縦に振った。
とはいえ、あの石畳の上に飛び降りればいくら何でも無事では済まないだろう。その脇の林の上に落ちるのが、まだマシと言えるだろうか。あの木々もクッションと言うには心もとない気はするが。
「行こう、ソウタ」
「ああ、そうだな」
いつまでも尻込みしてはいられない。さっさと『秘宝』を手に入れてコトリの元に戻りたい。あまり長い間、あいつを眠り姫にしておくのは心苦しいからな。
意を決して、霊山に向かって高度を下げ始める。山頂が近づくにつれて背中の機械は俺を持ち上げる力を失っていく。そしてついに、その光は完全に消えた。重力に抗う術を失くし、地球に引っ張られるままに落ちていく。
湿気を含んだ初夏の空気が冷たく頬を滑る。速度を増しながら林へ近づく。
同じように降下を続けるカエデは真下に向かって弓を構えると、矢を番える。目を細め、風に弓を取られないように気をつけながら口を開く。
「爆裂射撃……一石多鳥……っ」
放たれた五本の矢は霊山に向かって行き、空中で次々と炸裂した。もちろん、カエデ自身は自分の魔法でダメージを負うことはないし、俺もパーティーメンバーであるが故にその点は同じだ。しかし、その魔法によって起こされた爆風となれば話は別。
少女の体を抱き寄せて地面に背を向けると、複数の爆発が重なり合って最も増幅された場所、すなわちそのまま真下へ身を投げる。重なり合った爆風が俺たちを押し上げ落下速度を緩和させるが、それだけで安心して地面に衝突は出来ない。身を任せる木々はすぐそこ。下方へ手を向けて、個人倉庫内の所持品を思い浮かべる。
「物品取出!」
深海に潜ったときにバシルからプレゼントされた巨大な網。空中で広がったそれは木の枝々に引っかかり、二人の体を受け止めた。バキバキと枝の折れる音を聞きながら、完全に体が止まったのを感じて、思わず閉じていた目をゆっくりと開く。長く息を吐いてから背中側を確認すると、鼻先にあった地面に今更肝を冷やした。
あの長老に助けられたようで少し複雑な思いを抱えながら網を仕舞うと、カエデを起こしながら俺も立ち上がる。
「大丈夫か?」
「う、うん。……あ、ありがと」
スカートの端を叩いたり、髪を撫でて身なりを整えながら、言葉を返す。
彼女の準備が整ったのを確認して、林を抜ける。上方を木に遮られていない石畳の広場。正面には大きな社がどっしりと構えている。
と。
頭の中に、聞き慣れない女性の声が響いた。
『わざわざ上から入って来ないでください』