二章 だいじなもの Lv1
「ちょっと、待ってくれ。待てって!!」
長く続く石階段の中腹辺りまで駆け下りてきたところで、俺は前を行く少女の手を振り解いて立ち止まる。やはり広場から俺たちを追い出すのが目的だったらしく、魔物たちが追ってくる様子はない。
「どうしたんだよ!何で邪魔するんだ!?」
走ってきた勢いを殺しきれずに一、二段下った先から振り返って彼女は口を開く。
「……ソウタが、話を聞いてくれないからでしょ?」
「また、俺が悪いのか?」
心臓の真ん中にナイフを突き刺されたような気分だ。何の前触れも予感もなく、気がついたら深々と胸に刺さっていた。
「俺はただ、お前らのために……ッ」
最後まで言い切る前に、正面からの怒声で俺の言葉は遮られる。
「そんなの、全然嬉しくないよ!!」
彼女がこんなに大きな声を出すところを初めて見たかも知れない。衝撃のあまり、上手に言葉が出てこない。
「な……なんで……?」
「ソウタはいっつも……私達のために傷ついて、痛い思いして……苦しんで。そんなの……全然、嬉しく…ないよ」
捲し立てた後、息を吸い込んでからもう一度ゆっくりと言葉を続ける。
「私が……毎回、どんな思いでソウタを見てるか……わかる?ソウタが一人で悩んで、辛い思いをしてるのを……どんな気持ちで見てるのか、考えたこと、ある?」
「それは……悪いとは、思ってるよ」
二人には、特に彼女には心配ばかりかけていることくらいわかっているつもりだ。
「けど、いつだって俺は最善の方法を選んでるだけだよ」
だったら、と少女は階段を一段昇って近づくと俺の顔に両手を伸ばす。
「……だったら、ちゃんと私を見て?」
その声で、ちゃんと目は開いていたはずなのに、景色が視界に飛び込んできたような錯覚に襲われた。
眼の前の少女は――カエデは、泣いていた。
「ソウタのしてきたことは……間違ってないって、正しいことをしてきたって、そう信じてるなら……目を逸らさないで、ちゃんと目を見てそう言ってよ」
こちらの顔を覗き込むエメラルドのような綺麗な瞳を、俺もまっすぐ覗き返す。
カエデは両手で俺の頬を撫でるようにしながら、
「自分の進んできた道に…自信がなくなったなら、立ち止まったって良いんだよ。落ち着いて地図を見返して、後戻りしたって…良いと思うよ?正しい方向に……進むために迷うことは、悪いことじゃないんだから。現在地もわかんないままで……闇雲に進んだって、どこにも辿り着けないよ」
「今の俺は……間違った方向に進んでるのかな?」
「……さぁ?」
手を離した彼女は、柔らかな微笑みを浮かべて首を傾げる。
「ソウタの『正しさ』は、ソウタにしかわからないよ」
俺の横まで昇ってきたカエデは体を反転させて、石段に腰を下ろす。
「だけど、一緒に迷うことくらいは……私にも出来る、からさ。どうすればいいか、一緒に考えようよ」
「ああ、そうだな」
少女に倣って俺も彼女の隣に座る。膝を抱えるようにして座っているカエデが横目に俺を見やって述べる。
「今のソウタには……どこまで見えてるの?」
「え……?」
発言の意図を捉えきれずに聞き返す。
「ソウタはいつもいつも、無茶ばっかりするけど……それでも、何とかなるって未来が、ちゃんと見えてたでしょ?どんなに逆境でも、勝てると信じて疑ってなかった。……今は、どうなの?」
なるほど、カエデが俺を止めようとした本当の理由はこれか。俺は彼女のことを何も分かって無かったんだな。カエデがこんなに俺のことを分かってくれていたなんて。
「確かに、今の俺には何も見えてなかったみたいだ。眼前の問題に躍起になって、無謀に突っ込んでた。止めてくれてありがとう……助かったよ」
そんな彼女に心無い言葉を沢山ぶつけたのに、独りよがりな台詞ばかり吐いたのに、根気よく言葉を掛けてくれた。手を離さないで居てくれた。感謝してもしきれない。この恩は今度こそ、本当の信頼で返さなくちゃいけないな。
「よし」
気合を入れ直して、立ち上がる。
「まずは山を出よう」
「何か……思いついたの?」
「そうだな。どうやら下から昇っていくのは大変そうだ」
どこか嬉しそうな顔で立った彼女の顔を見返して、空に人差し指を向ける。
「それなら、上から目指すことにしよう」
*
石階段を下って、俺達は『霊山』の麓まで戻ってきた。
すると、
「おっと……思ったよりしつこいな」
俺たちが山から出てくるのを待ち受けていたらしい獣人種ご一行のリーダーが、つぶやいた俺へ先制で言葉を投げつけてくる。
「随分と早かったな。『秘宝』はもう手に入れたのか?」
「いいえ、それはまだです。魔物たちに阻まれてしまって」
「『まだ』、か。素直にあきらめれば良いものを」
「言ったはずです。俺たちも譲れないと」
小さく舌打ちをして、相手は刀を構える。とはいえ、相手に敵だと誤解されたまま戦うというのも気分は良くない。勝っても負けても、これでは悪役だ。勝ち目も薄いし、話し合いで解決できるのが一番いいのだが。
「話を聞いてもらえませんか?」
ここではまだ飛行装置も万全ではない。ここは穏便な解決が望ましい。
「話だと?」
「俺たちはこの国と敵対するつもりはありません。ただ、仲間を助けたいだけなんです」
「そうか。こちらも、この国を守りたいだけなんだ」
このままでは平行線か。次の台詞を紡ごうとしたところへ柴犬の男が斬りかかる。
「ちょっと!」
たたらを踏みながら何とか躱しながら抗議をぶつける。刀の獣人は瞳に戦意を滲ませて言葉を放った。
「剣を抜け、人間」
「ま、待ってください。本当に戦う気は無いんです!」
「ならば、大人しく散れ」
構えを解くことなく突っ込んでくる。他の獣人は手出しする素振りなく様子を見守っており、カエデも攻撃すべきかの判断に迷っている様な感じで心配そうな視線を送っている。
繰り出される剣撃に、仕方がなく武器を手に取りそれを受け止める。続けて放たれる攻撃を防ぎながら必死に説得を試みる。
「少し、冷静に……なってください!!」
「俺は冷静だ。貴様らは仲間のために『秘宝』を狙い、俺達は国のために『秘宝』を守る。双方の主張が相容れない以上、俺達はぶつかりあうしか無い」
力を込めて振るわれた一撃で、俺はバランスを崩されて尻もちを付いてしまう。
彼はこちらを見下ろし、見据えて告げる。
「わかったら覚悟を決めろ。他人の正義を折ってでも、自らの正義を為す覚悟を。それとも、貴様の願いはその程度のものなのか?」
――覚悟、か。
望んだものを手に入れて、大切なものを守り切る、覚悟。
確かに、少し足りていなかったのかも知れない。コトリを助けるためにならどんな手でも使う、そう決めたはずだったのに。『悪』になることを今更恐れるなんて。
俺の行いが誰かにとって『悪』なのだとしても、俺は自分の信じる『正しさ』を貫き通す。
獣人の叫びが全身に響く。
「半端な覚悟で戦場に立つなッ!」
大切なことを思い出させてくれた、眼の前の戦士の瞳から揺るがぬ覚悟を感じ取りながらゆっくりと立ち上がる。
「……そんな訳、ねぇだろ」
覚悟なんか、とっくに決まってるに決まっていた。
もう二度と後悔しないために、誰の思惑にも邪魔されないと決めた。何を犠牲にしてでも。
それが喩え、他人の大切なものや譲れない信念であったとしても。
視界の端を見やって、少女に呼びかける。
「カエデ。突破するぞ」
「うん……!」
そんな俺の様子を見て、獣人は薄く笑った。
「いい目になったな」
「ええ。おかげさまで」
「そうでなければ、叩き潰し甲斐がない」
彼は二人の人間を視界に入れて得物を構え直すと、
「――フェイラン」
「え?」
「俺の名だ」
「そうですか。俺は、ソウタです」
こちらも戦闘に備えて体勢を整える。敬語もかなぐり捨てて吐き出す。
「かかってこいよ」
手の中の凶器の感覚を確かめながらゆっくりと握り直す。自然と口の端が釣り上がるのを感じる。
真っ直ぐに敵の姿を視線に捉えて言葉を叩きつける。
「俺達は、そう簡単に攻略出来ないぜ!?」