一章 わずかなきぼう Lv1
コトリを医者に預けてから、彼の勧めに従って組合のイーディオ支部を訪れていた。俺たちが証を持っていないことを知って、まずは受け取りに行くように言われたのだ。
組合支部までの案内してくれたのは彼の弟子だという青年。
受付をしてくれた職員は不審な物を見るような態度ではあったが、殿様からもらった許可証を提示するとマニュアルに従って『証』を発行してくれた。俺たちはそれをストラップにして貰い、これ見よがしに見えやすい場所にぶら下げた。
『証』を持っていることで殿さまからの信頼を得ているということも示せたからか、町の人たちの反応も幾分か柔らかいものになり、初めて訪れた時に比べれば随分と行動しやすくなった。
弟子の青年と別れた後、その日は船へ持って帰る食料を購入し、適当に宿屋を見つけて泊まることにする。
『……あの子、やっぱり無理してたのね』
夜になって自分の部屋でいつものようにコトリの母親への連絡をする。無暗に心配させるのもどうなのかとは思ったが、遠く離れた娘を心配することしかできないとしても、それが今彼女が娘にしてやれる唯一の事だというのなら、それを奪う権利は俺にはない。
それに、やはり俺も彼女に相談したかったのだ。この世界に身寄りのない俺にとって、いざという時頼れる大人はそう多くは思い浮かばない。
「やっぱり、っていうのは?」
『コトリは朝が苦手なのよ。それなのにあなたが来てからここを出ていくまで、一度も寝坊してこなかった』
「はい。冒険に出てからも大体は俺より早起きでしたよ」
俺でさえ気づいたことだ。母親の彼女が感づいていないはずがないか。
『いつも笑ってて何も考えてないように見えるかもだけど、結構繊細なのよ』
「すみません、こんなことになるまで気づけなくて」
『何言ってんの。ソウタ君やカエデちゃんが悪いわけないでしょっ』
そう言って彼女は声を出して笑った。娘にそっくりの笑い方だ。
『大丈夫っ。コトリはきっと元気になるわよ』
「お母さん……」
『ほらっ。暗い声出さないの!笑ってる場合じゃないときこそ笑うのよ。何とかなるって思ってれば、何とかできるものだから』
こういうポジティブなところは、やっぱり彼女はコトリの母親なんだな、と思った。
本当は娘が心配で堪らないはずなのに。強い人だ。
「……ありがとうございます。そうですよね」
俺たちが彼女にしてやれることなんか、コトリが俺たちのパーティーにもたらしてくれていた笑顔を絶やさないことくらいだ。コトリが眠っている間、俺たちが暗い顔をしてたんじゃ、あいつが起きた時に怒られてしまう。
『それじゃあ、コトリをよろしくね』
最後に聞いた彼女の一言に、俺は何故か胸騒ぎを覚えた。
「はい、任せてください」
そう答えた俺だったが、翌日再び医者を訪れた際に未だ彼女が目覚めていないことに不安を覚えずにはいられなかった。
「彼女には昨日、万能治療薬を飲ませたし、そのうち目を覚ますはずさ。昏倒の原因は脳の過剰な疲労だ。しっかり睡眠を取れば元気になるはずなんだけどね」
万能治療薬とは魔力の循環を正常化し、能力異常を回復するための魔法薬品らしい。そう言えば、土精種の集落で巨大ゴーレムから出てきた長老にルビィさんも薬を渡していた。あとは体に蓄積した疲労が回復すれば目を覚ますだろうと言う話だ。
町でも信頼のあるという彼が言うのだから信じてもいいのだろうが、何もできないというのは想像以上に辛いものだ。こんなにも近くにいる俺がこんなんじゃ、コトリのお母さんに顔向け出来ないな。
その日は、昨日買った食料を船に届けて事情を説明してから戻った後、掲示板に掲載されている依頼をいくつかこなしながら時間を潰した。町の人たちは『同盟』に対しては不信感を持っていても獣人種組合やそこに所属する冒険家には信頼を置いているらしく予想外に多くの依頼が貼りだされていた。
それらを遂行しながら、都市の冒険家やイーディオを訪れていた野良の冒険家、あるいは住人に話を聞きながら『魔王への対抗策』に関する情報を探していた。
結論から言えば、有力な情報は得られなかったのだが。
夜になってもう一度ジーヂャンさんの所を訪ねたが、やはりコトリは目を覚ましていなかった。
翌日も同じようにコトリの様子を見に行って、依頼を消費して情報を収集した。集められたのは情報ではなく獣人種の好感度だけだったけど。それはそれで無駄とも言い切れない。
次の日も、その次の日も同じように時間を過ごした。
コトリは、まだ、目覚めない。
「先生……コトリは、本当に、目を……?」
大切な仲間が倒れて四日目の朝、習慣のように医者の元を訪れて眠り姫の顔を確認したカエデがジーヂャンさんに投げかける。
気持ちはわかる。彼を疑うわけではないが、やはり心配なものは心配なのだ。
「そうだね。薬を飲ませたのに昏倒も解除されていないし、ここまで眠ったままとなると、もしかしたら……」
彼は口を噤んだ。
「もしかしたら……何ですか?」
思わず口を衝いた疑問に答えず、
「少し、調べてみよう」
そう言って弟子に呼び掛ける。
「タイラン、魔法石と聖製水の用意を」
「はい、先生!」
持って来られた鉱石をコトリの手に握らせ、彼女の胸の上に置く。
「ジーヂャンさん、これは一体なんですか?」
医者が横に座り、しばらく待つような体勢に入ったので再度質問をしてみた。
質問に対して帰ってきたのは質問だった。
「魔法石がどういうものかは知っていかな?」
「確か、船とかの動力源になってますよね」
「間違ってはいないよ。ただ、今回の用途はもちろんそれじゃない」
魔力をコトリに与えることで回復を図っている、という訳でも無いようだ。
「魔法石は魔力を吸収しやすい性質を持った石でね。蓄積された魔力を使い切っても、しばらく置いておけばまた使えるようになるんだ。今彼女に持たせているのは、空っぽの魔法石」
「……魔力粒子を、吸わせてるんですか?」
「心配しなくていい。吸収するのは無自覚に放出されている微弱魔力だからね」
そこまで説明すると「そろそろいいかな」と呟き、コトリの手の石を取り上げる。そしてそれを桶に移した水につける。
「そして、聖製水は魔力の波動に応じて振動する。つまり、魔力の性質によって違った波紋が現れる」
石を入れた時に出来た波紋が収まるのを待って、水面に現れた模様を観察した医者は声を漏らした。
「予想通り、だね」
「何…ですか?」
彼の続く言葉を待ちきれずカエデが声を発する。
「彼女は特殊魔力を持っているみたいだね」
「コトリに、特殊魔力が?」
この前、コトリに俺が特殊魔力を持っているんじゃないか、と言われたが彼女自身にもそれが宿っているとは思いもしなかった。
「それで、それと目を覚まさないことは関係があるんですよね?」
「うん。彼女に飲ませた薬は乱れた魔力循環を正常化する物なんだけど、特殊魔力持ちには上手く作用しないことがあるんだ。性質のわかっている魔力ならそれを元に正常化することは可能だけど、この波形は僕も見たことが無いね」
「それじゃ……コトリは、直ら、ない……?」
今にも泣きだしそうな顔で声を漏らす。
医者も辛そうな表情で暫く黙り込んでいたが、ゆっくりと一言発した。
「全く可能性が、無い訳じゃないよ」