終章 異変
次の朝、仰向けの状態で目が覚めると目の前にはカエデの顔があった。
「ッ……!」
驚きで一瞬にして目が覚めた。状況を確認する。
水中に浮かんだカエデは、コトリに抱き付かれている。
寝相が悪いのは良いが他人を巻き込むなよ。
「あっ。おはよー、ソウタ」
俺の視線に気づいたのか、目を開けたコトリがこちらに挨拶を投げかけてくる。
「おはよう」
「お…は……っ」
釣られて起きたらしいカエデが言葉を発するが、予想外に俺が近くにいたのに驚いたようで、慌てて起き上がろうとしたのか俺と頭をぶつけ合わせることになった。
頭を押さえながら尋ねる。
「だ、大丈夫か?」
顔を赤らめながらカエデが返答する。
「ご……ごめん。び、びび……びっくり…しちゃって」
相当動揺してるな。ま、寝覚めに俺なんかの顔が目の前にあったら驚きもするか。
三人ともはっきり覚醒してそろそろ部屋を出ようかというところで、扉が外側から開かれた。
「起きてるな。そろそろ出るぞ」
あちらも既に支度を済ませているらしいカティアさんがぶっきらぼうに言い放つ。
「出るって?」
「決まってるだろう。ヤマトへ、だ」
彼女の背後からもう一人、そっくりの顔をした女性が現れる。
「ゼナが書簡を書いてくれたの。さっき受け取って来たところよ」
随分と朝が早いんだなと思ったが、腕時計に目をやると時間は10時を回っていた。昨日は疲れていたせいでかなりゆっくり眠ってしまったらしい。
「わかりました。行きましょうか」
向こうとしてもさっさと出て行って欲しいようだし、俺たちとしてもいるだけでHPがすり減るような場所にいつまでもいる謂れはない。彼女から書簡を手渡されて部屋を出る。
書簡と言うから紙に書かれたものを想像していたが、当然ながら水の中でそんなものを用意できるはずもない。日常的には植物の葉のようなものに墨などで書くようだが、公的文書においては岩を使うらしい。石碑のように、薄く平たい石板の表面に削って彫られた文字が象られている。これを見せれば獣人種の組合も動いてくれるかもしれない。どうせ個人倉庫に転送するのであれば直接獣人種組合に送った方が早い気もするが、手渡しですることにも意味があると思うことにする。
「おなかすいたーっ」
国を出て少し。我慢できなくなったらしいコトリが声を上げる。
その言葉に、海上近くまでは付き添ってくれるらしい二人の海棲種が簡単な食べ物を差し出す。
「これでも食べなさい」
サフィラさんが差し出したのは、貝や魚の切り身を串に刺した軽食だ。火の使えない水中では手の込んだ料理をする習慣はあまりないのかもしれない。
「わーい、ありがとーっ」
「お前らの分もある。食っておけ」
俺たちにも同じものをカティアさんから貰う。
「「ありがとうございます」」
適度な塩味の新鮮な海鮮で空腹を満たして海面を目指す。海棲種の双子に道案内されながら飛行場まで戻ってきた。
「二人とも、ありがとうございました」
「ありがとうっ」
「あ、ありがとう……ございました」
俺たちが礼を述べると、サフィラさんとカティアさんが海面から顔を出して、
「ゼナはあなた達を信じて書簡を託した。だから私たちもあなた達を信じるわ」
「失敗することは許さない。私たちの国が今後どうなるかはお前ら次第なんだ」
空気中でも声を発することは出来るようだ。彼女らの息が続かなくなる前に一言言葉を返す。
「もちろんです。任せてください」
*
その一時間ほど後。
ヤマトの中心となる街、イーディオにある獣人種組合の支部で俺たちは支部長と面会していた。
外からの輸入品なのであろう黒革のソファーに挟まれたこちらも洋風の重たそうなローテーブル。
俺たちの向かいには洋風なインテリアとはアンバランスとも思える和装の男性が腰かけている。支部長、などという大層な役職を背負っていると考えると若いとも思える彼は、不信感にも似た感情を孕んだ視線でこちらを見遣り口を開く。
「それで、何の用事ですか?私も暇ではないのですが」
そう言いながらもこうして時間を作っていくれているということはやはり人間種組合から何かしら口利きがあったということだろうか。
「すみません。時間は、取らせませんから」
別段威圧的というわけでもないが、やはりこういう場では緊張は拭えない。ゆっくりと口を開きながら単刀直入に話題を進める。
「実は、長年この国に圧力をかけている海棲種の国の王から、書簡を預かってきました」
「プラートの王から……ですか」
そういえば国の名前は聞いてなかったな。プラート、というのがあの国の名前なのだろう。
「そうです」
多分。
「失礼ですが、人間種があの国と交流しているという話は聞いたことがありません」
あくまで懐疑的な様子の支部長。すぐに信じろと言う方が難しいことくらいわかってはいるけれど。
「私たち、昨日あの国に行ったんですっ」
「あの国に、『行った』……?」
コトリの発言で余計に眉を顰める。
口でどれだけ説明するよりも証拠を示した方が良さそうだ。
「とにかく、これを見てください」
倉庫にしまっていた石板を取り出し、彼の方に向けてテーブルの上に乗せる。
「ふむ……これは」
それを見てしばしの間言葉を失う。
「このサインに、押印。……確かに本物のようですね」
「そこに書かれていることを読んでいただければ、わかると思いますが。獣人種組合のプラート支部を、作っていただきたいのです」
「わかりました」
彼は呆れたように息を吐きそう答えた。そして続けて、
「しかし、これは私一人で決められる問題でもありません。獣人種組合や『同盟』の意見を仰がなければなりませんし、一般市民の賛成を得る必要もある。一度持ち帰り、検討したうえで返答させてください」
それだけ言い残すと多忙な支部長は席を立とうとする。
「ま、待って……ください」
呼び止めたのはカエデだった。
きっとここで帰してしまえば要望は通らないと思ったのだろう。俺も同意見だ。何故だかわからないが、彼はこちらの事を快く思っていないようだし。
少女の声に、彼は腰を下ろす。
「なんですか?」
「こ、この……提案は、ヤマトにとって…そして、『同盟』にとっても、利益になるはずです」
「ええ、わかっています」
それがどうした、とでも言いたげに頷く。
「それにっ。獣人種は以前にも同じような受け入れをしたことがありますよね」
「……よくご存じですね」
「確か、夜叉種もこの国とは協力関係にあるとか」
ここに来る前にコトリから聞いた話だ。今回の交渉でもしかしたら重要になるだろうと言っていた。
夜叉種は海を挟んで対岸にある大陸に生息している種族で、強靭な肉体と高い魔法適正を持つ代わりに知能が多少低いという。その彼らの一部と獣人種は今回同様に魔法提供を条件として協力関係にあるが、その実、半ば騙すように不平等条約で搾取を行っているのだとか。
「その通りです」
「良かったです。それならきっと、海の底の人たちともいい関係を築けると思います」
「……ええ。そうですね」
「人間種組合の本部長にも、そのように報告しておきますね」
彼に釘を刺すことにどれほどの意味があるかはわからないが、少なくともこれで彼の手元で握りつぶされるということは無いだろう。ここで出来るだけのことはやった。
少し不機嫌そうな表情で押し黙った彼に頭を下げて、俺達は建物の外へ出る。
次は組合支部で取らせてもらった書簡の写しを持って虎の殿様が待つ城へ向かった。石板に墨を塗って紙に写し取ったそれを見て、彼はヤマトの他の権力者たちにも呼び掛けて署名を集めてくれると言ってくれた。その署名があればそれなりに後押しにはなるだろう。
一介の冒険家に過ぎない俺たちの手の届く範囲はここまでだ。後は流れに任せるしかない。
「それで、本来の其の方らの目的に関してだが」
お殿様が言うのは、魔王の討伐に関する何かしらの情報のことだろう。忘れかけていたが、そもそも俺たちは獣人種に信頼してもらって情報を集めやすくすることが目的だった。
「すまんが、儂からやれる情報はそれほどないな」
「え?」
責めるつもりなど毛頭ないが、口を衝いてしまった声に相手は少し申し訳なさそうに眉を動かして、
「儂としても『魔王』についてそこまで詳しいわけではないのだ。ただ……」
「ただ?」
「この近くにこの国の神を祀った霊山がある。その霊山だけは魔王の魔力の影響を受けないと聞くな」
なるほど、それは少し怪しいな。
「魔王が現れて以降、一般人は立ち入ることを許されていない場所だが、其方らには入山を許可してやろう。儂がしてやれるのはそれくらいだが、暇があれば行ってみるといい。だが、相応に危険の伴う場所だ。準備を怠るなよ」
虎の獣人がその場で書き下ろしてくれた入山許可証を受け取って、
「あ、そうだっ」
「どうかしたか?」
突然声を上げたコトリに殿様が尋ねる。
「あの、『証』って言うのくださいっ」
そう言えば忘れていた。この街に施された結界を免れるためのアイテムだ。
「おお、そうであったな。…というか、今までどうやってここに来ていたのだ?」
その疑問ももっともだが、コトリの謎の直感があればこの街の結界を破ることが出来る。
「それなら『証』は必要ないのではないか?」
半分冗談交じりに彼は笑った。
「そう言われればそうかも知れませんね」
「もう、ソウタっ。それじゃ、私がいないとき困るでしょっ?」
俺も笑いながら答えると、コトリに突っ込まれてしまった。
「仲の良いことだな。良いだろう、そちらの許可も出してやろう」
彼の言うにはこの街を訪れる者が『証』を取得する許可を出すのは最高権力者であるお殿様で、実際に『証』が保管されているのは組合支部らしい。面倒なこと極まりないが、決まりだというのなら仕方がない。
二枚の許可証を手に入れた俺達は再び組合支部に向かっていた。その、道すがら。
「これで、何とかなんのかね」
ポロリと零した疑問に、道案内しながらコトリが自信満々に答える。
「大丈夫だよっ」
いつも俺たちに安心と確信を与えてくれる不思議な笑み。
いつものように笑い返そうとした時。
その笑顔が、視界から消えた。
バサリ、と何かが倒れる音。
「「ッ――――コトリ!?」」
地に付した少女にかけた声は当人に届くことはなく、虚しく空を掻いた。