交渉 Lv3
海棲種の王は獣人種への書簡を書くことを約束してくれた。
外交関係についての話し合いが一段落ついたところで、彼女は居住まいを正すと改めて俺たちに視線を向ける。そして、深々と頭を下げた。
「この度は本当に色々ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。我が国の抱えた問題に巻き込んでしまい、いえ、それどころか解決して頂くなんて。王として、心からお礼を申し上げます」
「そんな、とんでもないです。頭を上げてください」
戸惑いながらそんな言葉をかけると、王女はゆっくりと頭を上げた。
その目がちらりと俺を見て小さく微笑んだ気がした。
「ここから先は私自身が解決しなくてはいけませんね」
辛うじて聞き取れるくらいの声で呟いて目を瞑る。大きく、長く息を吐き出す。そして、何かを決意したように目を開き立ち上がると真後ろを振り返った。
「あなた達にも、お礼を言わないといけないわね」
声をかけられた二人は驚きと戸惑いの混じったような表情を浮かべる。
「カティア、サフィラ……本当にありがとう。そして、今までごめんなさい」
海棲種の少女たちは、何か懸命に堪えてきたものが溢れ出してきそうな、押し寄せてきたそれらが出口でつっかえてどうして良いかわからないというような様子だ。
絞り出すように、サフィラさんが言葉を紡ぐ。
「へ、いか……?」
ゼナさんは首を横に振ると「もういいの」と返した。
「私は今まで、あなた達を遠ざけてきた。心配をかけたくなかった。知られたくなかった。巻き込みたくなかった。触れさせたくなかった」
一瞬躊躇うような沈黙の後に、何かに背を押されるように言葉を次ぐ。
「この国の暗い部分に。私の心の奥底に。……でも、そんなのは全部、私のエゴだった。私が一人で抱えて、一人で我慢してればそれで良いって思ってた」
そう口に出してから、自分で自分の言葉を否定する。
きっと彼女の中でも上手く感情がまとまっていないのだろう。だけどそれこそが、飾り立てない彼女の本心なんだと思う。
「ううん。私だけが辛くて、苦しくて、頑張ってるんだって、思いたかっただけ。そんな自己満足のために結局二人に余計な心配をさせてたんだよね。必死で隠してるつもりでバレバレだった。もしかしたら、自分が大変なんだって姿を見せたかっただけなのかも。……二人には嫌な思い、させちゃってたんだよね」
今にも噴出しそうな感情を押し殺しながらカティアさんが声を押し出す。
「馬鹿……だな。本当に」
「その通り。私は大馬鹿だった。本当は私、二人に聞いてほしかった……全部。子供の時からずっと。辛くて苦しくて悲しくて痛くて逃げだしたい気持ちを打ち明けたかったのに。心のどこかでは、言わなくても気付いて欲しいって思ってたのかもしれない。ずっとずっと…つまらない意地で、こんなところまで来ちゃった。国民の事を、二人の事を考えてるつもりで、ほんとは自分の事しか見えてなかった。こんなに私を心配してくれてる人たちに気づけてなかった」
息を吸って、言葉を吐き出す。
「……今からでも、間に合うのかな?」
目尻に涙を浮かべながらも笑顔で返答する。
「当たり前、じゃない」
「こっちはずっと……待ってたんだ」
どうやら、この国の抱えていた一番大きな問題も無事解決したようだ。
ソファ越しに肩を抱き合う三人の姿を見て、そう思った。
*
「お前らはこの部屋を使え」
「あまり部屋の物には触らないでね」
王城で簡単な食事をもらって、俺たちは双子の海棲種が暮らす家にお邪魔していた。書簡の用意にも時間が掛かるし、夜も近いということで、今日はこの国に留まって行けとのことだ。案内されたのは普段サフィラさんが使っている部屋らしい。彼女は今夜カティアさんの部屋で眠るそうだ。
「それと、妹に手を出したら殺す」
怖い顔で凄むカティアさん。
これはコトリ情報だが、サフィラさんとカティアさんは双子でカティアさんの方が妹らしいから、『妹』というのはこの国に入った時に出会った少女の事だろう。
「そんなことしませんよ」
「えー。でもソウタ、ロリコンだからなー」
余計なことを言うな。あらゆる意味において手を出すつもりなどない。
益々視線を鋭く俺を睨みつける。
「少しくらい信頼してくれてもいいんじゃないですか?」
意図していなかったとは言え、この国にある問題のいくつかを解決する手伝いをしたのだから多少心を許してくれてもいいと思う。
言うと、サフィラさんが口を開く。
「してるわよ。少しは」
ほんとに少しだけらしい。
「全く信頼していない相手を家に招き入れたりはしないさ」
「それはそうですけど」
「でも、信頼してないから……お城じゃなくて、ここ…なんですよね?」
「城内が混乱していることも理由だけどね。別に私としては牢屋に戻ってもらっても良かったんだけど」
「ゼナが駄目だというものだからな。これを持ってくるのも大変だったんだ」
カティアさんが示した部屋の隅にはあの治癒昆布が揺れている。
「ありがとうございます」
嘆息した俺にサフィラさんが言葉をかける。
「あなたたちに感謝してるのは事実よ。おかげであの子は心を開いてくれた」
「前は何を聞いても『心配しなくていい』の一点張りだったからな」
二人は友人だったゼナさんが女王であることを知って、彼女のそばにいるために衛兵に志願したという。努力の結果ようやく彼女のそばに辿り着いた二人を、女王は遠ざけるようにしていたそうだ。双子を兵舎ではなく自宅に住まわせているのも、女王の直属でありながら外周の警備などを任せているのも、なるべく城の内情に関わらせないようにするためだったのだろうと、彼女たちはここに来るまでの道すがら語っていた。
「それじゃあ、二人はこれから兵舎に住むの?」
コトリの質問に、
「それはゼナの判断次第だが、もう遠ざける理由もないし、私たちだけをいつまでも特別扱いにはしておかないんじゃないか?」
「お母さんやディオネは寂しがるでしょうけど、他の衛兵たちだって家族と離れて暮らしているわけだしね」
少し表情を曇らせた彼女たちだが、ふっと息を吐いて話題を切り替える。
「それじゃ、私たちはそろそろ寝るわ」
「今日一日でいろいろあって、正直私たちも整理が追い付いてない」
「あなた達も大変だったでしょう?」
「ひとまず今夜はゆっくり休め」
完全に信頼してくれているわけでもないし、口も悪いが、二人は若干の気遣いを見せて部屋を出て行った。三人で部屋に取り残された後、俺はタイミングを見計らってコトリの母親には連絡を入れた。
『驚いたわね。まさか本当にあんな方法で潜入できるなんて』
「アイデア、ありがとうございました」
『私は大したことしてないわよ。実際に実行して、問題を解決したのはあなた達なんだから』
遠く離れた私には、何も出来ないわよ、そう言った彼女の言葉をどこか寂しげだった。
「お母さん……」
『あっははっ。冗談よ、冗談っ。柄にもないこと言っちゃったわね』
普段は明るく振舞っているが、本心では娘が心配で堪らないんだろう。
「いつも助かってますよ。少なくとも俺は、毎日のこの時間が好きです」
『ありがとう、ソウタ君』
部屋に戻った俺に、コトリが声をかける。
「どこ行ってたの、ソウタ?」
「ちょっと、散歩に」
それで納得したのか、気を遣ってくれたのか、はたまた興味を失ったのか、彼女はそれ以上追及することなく話題を変えた。
「ところで、あれ、どうやったの?」
「『あれ』って?」
「輝翼を使って泳ぐ奴だよ。あれって上向きにしか動かせないんじゃないの?」
「確かに……『翼』は、『反重力』を生み出す特殊魔力……だから」
そう言われても、出来てしまったものは仕方がない。
「もしかしたらさ、ソウタには特殊魔力があるんじゃない?」
「俺に?」
特殊魔力は普通とは違った性質を持った魔法因子の事だが、稀にそれが生物に現れることもあるそうだ。そう言った人物が作り出した武器などは特別な効果を持ったりすることもあるそうだが、俺が特殊魔力を持っているってのか?
「そうっ。ソウタは異世界から来たでしょ?」
「俺が自由意志で来たみたいに言うなよ。お前らに喚び出されたんだ」
皮肉をスルーしてコトリは言葉を続ける。
「世界によって物理法則とか魔力法則とかが微妙に違ったりするから、異世界に転移するとそこに適応させるために肉体の『性質』がある程度『書き換えられる』らしいよ。『異世界』から来た物の中の、『この世界』に存在しないものとか足りていないものを置き換えるの」
「書き換えられる、ねぇ」
「だから、異世界から来た物質や生物…には、特殊魔力が宿っていることが多いって」
わざわざ別の世界から俺を呼び寄せたのも、そういった可能性に期待した部分もあるということだろうか。
「でも、どんな特殊魔力なんだ?」
「多分、『他の特殊魔力に共鳴する』とかじゃないかなっ」
いやに具体的な推論だな。前々からそう思っていたかのような言い草だ。
根拠でもあるんだろうか。
「前にも似たようなことがあったでしょ?」
心当たりは特にない。
「ほらっ。初めてダンジョンに行ったときとか」
「ああ……あれか」
『欲』を使って巨大化した誘拐犯を人間に戻したんだったか。
「あ、そうか……。本来、『欲』は核の力が弱い…部分の魔力しか取り込めない」
「それをソウタは魔力を沢山吸収すればその力も強くなるように『変質』させた。しかも、自分の魔力は吸われないように」
そう言われれば確かにそうだな。俺の手を離れた瞬間に暴走し始めたが。
「今回もそうだったってことか」
「ソウタも輝翼を使いこなせるようになるのが早かったしね。多分、ソウタは他の特殊魔力を自分の目的に合うように一時的に『変質』させられる能力なんだよ」
「なるほど」
結構便利な能力な気がする。まぁ特殊魔力が手元に無ければ無能だけど。
言いたいことを言い終えたコトリは眠くなったのか、大あくびをかました。まったく、自由な奴である。
とは言え、カティアさんもゆっくり休めと言ってくれた事だし、そろそろ寝るとするか。
俺が床に寝転がり、コトリとカエデがベッドの上。誰が聞いてもこの配置は自明だと思うが、ここに至るまでは無駄に時間を要した。どう考えても一つのベッドに三人で雑魚寝は厳しいだろうに。
「……ソウタ、起きてる?」
ベッドの上からカエデが声をかけてくる。寝相の悪いコトリは落ちないように壁際で、こっち側にカエデがいる。
「眠れないのか?」
「うん……ちょっとね」
少しの沈黙があって、コトリに言われたことを思い出す。カエデに直接聞いてみる、か。
「カエデ」
「?」
「カエデはどう思ってるんだ?この冒険をさ」
「……どうしたの、急に?」
「少し、気になってさ。カエデは村の人のために、家族のために魔王を倒すって強い想いで家を出てきた。でも、俺たちの冒険は寄り道ばっかりだ。地下に潜ったり、ダンジョンに行ったり。今回の事もそうだ。魔王討伐に直接つながる事じゃない」
魔王を倒すためのヒントを得るためならもっと簡単で効率的な方法もあったはずだ。そのうえで、敢えてこの方法を選んだ。……『面白そうだから』。彼女は…カエデは、本心ではどう思っているんだろうか。
カエデが静かに口を開いた。
「……そうだね。確かに、私の…私たちの目的は、魔王を倒すこと。最初は……魔物と戦うのも、ダンジョンも、怖かった。でもね、今、私は、単純に今が……三人で冒険してる時間が……楽しいよ。本当に」
黙して耳を傾ける俺に、言葉を続ける。
「寄り道も、道に迷うのも……全部が必要な事じゃ、なくても…良いんじゃないかな?今の私たちがいるのは……魔王を倒すための、通過地点じゃない。必要じゃなくても……大切な時間、だよ」
気が弱くて心配性。俺はてっきり、彼女は使命感で戦場に立っているものだと思っていた。カエデからそんな言葉が出てくるなんて思いもしなかった。分かっているつもりで、何もわかってなかったんだな。
「そっか、それを聞けて安心したよ。ありがとう」
「お礼を言うのは、私の方。コトリがいて、ソウタがいて……そこに私がいられることが、すっごく嬉しいんだ。……だから、ありがとう」
それを最後に、ゆっくりと睡魔に身を預けてカエデは寝息を立て始めた。
その声を安らかに聞きながら、俺もいつの間にか微睡の底に沈んでいった。