六章 交渉 Lv1
「ソ……ウタ……。心配……し、したよ……ぉ」
ポロポロと瞳から涙を零しながら水をかき分けてやってくるカエデは、ホッとして力が抜けてしまったのか、こちらに辿り着く前に膝から崩れ落ちた。
「おいおい、大丈夫か?」
彼女に近づいて手を伸ばす。
「それは……私の、セリフ……だよ。ほんとに、びっくり……したんだから」
手を取りながら潤む瞳で睨みつけられた。少し怒っているらしい。
「……悪かったよ。何の説明もしないで」
「本当に、大丈夫なの?」
「もちろんだ。見てみろよ」
ジェスチャーで俺のHPを確認するように促すと、またしても驚いた様な表情を浮かべる。
「体力が……減ってない……?」
まだ理解が追いついていないカエデに、コトリが広間の隅を指さして説明を加える。
「あの植物だよ」
「あ……っ!」
そこにあるのは牢獄に置かれていた昆布の様な海藻。広間のあちらこちらへ分散して隠すように設置されている。
「私が兵士さんたちを避難させるついでに置いてたんだっ」
女王との謁見のあと、バシルに呼び出された時に回収するように頼んでいたものだ。役に立つかと思っての事だったが、モンスター相手では敵のHPまで回復してしまって意味がなかった。自動防御術式を持たないバシルとの直接戦闘だからこそ使えた戦法だ。
「知ってたなら、教えてよ……」
「あれだよっ。敵を騙すにはまず味方からって言うでしょ?」
コトリの言葉に、幼馴染は不満そうに頬を膨らませた。
*
バシルには応急処置を施し、その兵士たちと共に一応縛り上げて広間の隅に転がしてから、女王ゼナの待つ部屋へと足を向けなおす。
「……まったく。あの爺さんも自分勝手な理由で手を煩わせてくれたな」
水をかき分けて進みながら、俺は口を開く。
かつて自分が変えようとして出来なかったことを、他の誰かになど変えられたくない。傲慢で身勝手。変えられなかったからこそ逆に意地でも守る、だなんて短絡的にも程がある。その為に巻き込まれる方の都合も多少は考えてもらいたいものだ。
俺の言葉に、横を歩くカエデが応えた。他の三人は前を進んでいる。
「でも……気持ちは、少し…わかるかも」
「え?」
「ちょっと、違うかもしれないけど」
そう前置きすると、彼女は語り始める。
「人生ってさ……そんなに簡単じゃ、ないから。生きてれば、自分の力ではどうしようもないことが……あるんだよね。限界を感じることが、少なくなく、さ」
カエデは俯きながらも前方を歩く人影を気にかけるようにしながら、さらに言葉を紡ぐ。
「でも、その限界って……私だけのものなんだよ。私が、できないことを、諦めてしまったことを……なんの苦労もなく出来ちゃう人もいる。仕方……ないこと、なんだけど」
人それぞれ、得手不得手はある。そんなことも関係なく、何でもできてしまう様な奴だっている。生まれ持った才能の事だ。努力だけでは、運だけでは、どうにもならないことだ。それを認めて、受け容れて、自分自身をしっかりと見定める。自分に出来ないことは、どう足掻いても『出来ない』。出来ることを出来る限りやるしかない。
けれど……。
「やっぱり、自分が躓いた所を……障害物にも気付かずに通り抜けられると、越えられなかった壁を、壁とも思わずに越えていかれちゃうと。悔しいし、悲しい。自分には何もないような……そんな気持ちになるの」
他人の事は言えた立場ではないが、彼女はきっと、何でも出来るようなタイプではないんだろう。この一か月くらいで、それは何となく分かっている。カエデは特別才能のある人間ではないのかもしれない。それでも、真面目で努力を怠らない少女。その横にはいつも、息をするように何でもこなしてしまう少女がいた。一体どんな気持ちでそれを見ていたのだろうか。
「強いな、カエデは」
思わず口を衝いたセリフに、彼女は驚いたように顔を上げた。
「俺だったら。努力をしても天井の見えてる自分とは引き換えに、どこまでも飛んでいけそうな翼のついた才能の塊を見続けてたら、バシルと同じだったかもしれない」
あるいは、それは彼のそれとは違うのかもしれないが。
「自分が出来ないことは誰にもさせない。足を引っ張ることを考えてたかもしれない。もしかしたら、そんなこともしようとせずにただ諦めてたかもしれない」
いや、実際にそうだった。自分は世界に縛られている、自由なんかない。抗っても世界は変わらないと諦めていた。自分の限界を自分で定めていた。
「でもカエデは、ずっと努力を続けてる」
凄いことだ。
俺の言葉に、首を横に振る。
「私は……自分に何もないって認めるのが、怖いだけだよ」
「良いじゃん、それで」
目を瞬かせる彼女と視線が合ったのが気恥ずかしくて、前に目線を戻して続ける。
「『自分には何もない』なんてくだらない妄想だ。そんな自分ですら自分の事を認められない自分の言葉なんか、認めてやる必要はない。才能だろうが、運命だろうが、抗ってやればいい。カッコ悪く悪足掻きすればいい。失敗しても、挫折しても、最終的に全部デタラメだったって証明すればこっちの勝ちだ」
自分の事を真っ先に見限った自分自身に対する証明。きっとそのうち見返してやれる。早々に自分を投げ出しあがったことを恥じて後悔してもらおうじゃないか。
「……ありがとう、ソウタ」
「別に。少し前まで何もなかった人間の戯言だよ」
カエデの笑顔に、照れ隠しの言葉をぶっきらぼうに投げ返す。
「ソウタは『証明』、できたの?」
彼女の言葉を少し口に含んで、ゆっくりと吐き出す。
「いや」
偉そうな事を吐いた手前アレではあるが、俺は首を横に振る。
俺にはまだ何もない。誰かに、自分に誇れるようなもんは何も。
「でも、俺を縛ってるものも、もう無い」
自分を縛っていると思っていたものも、自分の限界だと信じていたものも。『この世界』に引っ張り出されて、色んな人達と出会って、色んな経験をして、何も無い自分自身を少しずつだけど認めていけるようになってきた。
だからこそ。
認めたくない事実から目を逸らすのではなく、ちゃんと向き合っていけるようになったからこそ、今は『変わりたい』と思っている。そういう風に変わった。これから先も変わっていけると信じている。
「俺はまだ、『自分には何も無い』って言う自分自身を否定できるほど強くは無いけど。その主張を全部認めて受け入れて、いつかはそいつを全否定出来るようになれたらって思うよ」
そうやって胸を張って自分自身を肯定できるようになれたら、きっと人生は最高のものになるから。
「……そっか」
こちらの顔を見上げてそう微笑んだ少女は、前方をしっかりと見据えて言葉を紡いだ。
「それなら…私も。ソウタと一緒に、頑張ってみるよ」
*
王女の私室前。
サフィラさんが豪奢な扉を掌の甲で打ち、部屋の中へ呼びかける。
「陛下。お時間よろしいでしょうか?」
声に応えて、ゼナさんの返事が聞こえる。
「いかがしましたか?」
「先ほどの客人が戻りました。失礼ながら、少しばかりお時間を頂きたいのですが」
「わかりました。先に応接室で待っていてください」
応接間のソファに座って女王が来るのを待つ。俺の両隣にコトリとカエデが腰かけ、二人の護衛は女王の部屋まで彼女を迎えに戻った。
少しして応接間の扉が開かれ、ゼナさんが双子と共に姿を現した。
「お待たせいたしまして申し訳ありません」
女王は俺たちの対面に腰を下ろし、ソファの後ろにサフィラさんとカティアさんが立つ。
「二人も座って構いませんよ」
「「いえ、私たちはこのままで」」
きれいなシンクロで気遣いを撥ねつけられて、彼女はこちらに視線を放る。
「先ほどの、お話の続きですね?」
「はい」
「隣の方々は?」
そう問われて、女王とこの二人は初対面だったことを思い出す。
「すみません、紹介が遅れました。俺の仲間です」
「コトリですっ」
「か……カエデ、です」
「そうですか。よろしくお願いします」
一度うなずいてから、質問を重ねる。
「ところで、ご長老とはいったい何があったのでしょう?」
長老に連れていかれて帰ってきたら、ついさっきまで囚われの身だった俺たちが全員、しかも縛られてもいない状態で女王の前に来ているのだから、その経緯は気になって当然と言えた。
俺たちは思い思いの言葉でこれまでの成り行きを彼女に伝えた。コトリがもう少し静かにしていてくれれば幾分かスムーズに説明ができたと思うのだが。……とにかく、俺たちの言葉を聞き終えて少しの間、どう受け止めていいのかわからないと言った表情を浮かべていた。
「そう……ですか。彼が、そのようなことを」
「『あのお方』が犠牲になった、と彼は言ってました」
「恐らくそれは、私の父でしょう。かつて委員会の査問対象になり、国を追われたと聞いております。ご長老は昔、父の直属の護衛だったのです」
先代の王とそのお付きも変えようとしていたんだ。今と同じように。
「今度は、成し遂げて見せましょう」
「お話は分かりましたが……」
どうやら彼女の中にはまだ迷いが残っているようだ。
「たとえ今回の事がご長老の独断であったとしても、あの人のおっしゃる通り査問委員会からの反対があるであろうことは確かです」
「……そう、なんですか?」
カエデが不安そうに問い返す。
確かにバシルは『査問委員会の総意』だと言っていたが、あれは自分の意見を押し通そうとしただけではないだろうか。
「この国は大きな海棲種という種族の中の、小さな一部に過ぎないのです。私たちだけが種族の方針に相反することをするのは許されないでしょうし、委員会も望んでいません。もちろん、同種族から排斥されることでこの国の安寧が崩れるのは私の本意でもありません」
彼女の言うことも一理あるだろう。彼女の判断次第では、この国は今までのように『海棲種』からの後ろ盾を得ることは出来なくなる。それどころか敵に回るかもしれない。
その程度の事は、俺にも何となく予想ができていた。
だから、先ほど用意してきた自分の提案を述べるために口を開く。
「実は少し、考えがあるんです」