黒幕 Lv2
「陛下、長老がお見えです」
「先客があるとお止めしたのですが、『そちら』にご用事がおありだそうで」
扉がノックされて、外に控えていた見張りの声が聞こえる。
ゼナさんは表情を引き締めて女王の顔になると、その声に応答する。
「わかりました。お入れしてください」
サフィラさんとカティアさんによって応接間の扉が開かれ、その間からゆらりと年老いた海棲種の男が姿を現す。女王であるゼナさんよりもさらに豪華な衣装に身を包み、その一挙動ごとに水流をかき乱す。要所に付いた鰭は暗い茶色で、鱗はつるりとした印象を受ける。
彼は俺の姿を一瞥すると、
「これはお客人。遠いところからわざわざ、こんな海の底にまでよくぞおいで頂きました。ワシは王族査問委員会の会長、バシルと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「ご丁寧に、どうも。ソウタって言います」
頭を下げた老人に、こちらも名を名乗ってお辞儀を返す。
「女王、こちらの方を少しお借りしても?」
「……え、ええ。それは構いませんが」
女王は、いきなり話を振られて困惑したように承諾した。
というか、長老にしろ女王にしろ、先に俺の意思を確認して欲しいんだが。
許可を受けて、バシルさんは俺に向き直る。
「それでは、ワシと一緒に来て頂けますかな。ソウタ殿?」
「もう少し、話したいことがあるんですが」
「そう長いお時間は取らせませんので。どうか、この老いぼれにお付き合いくだされ」
ここまで来てあまり余計な面倒は起こしたくないし、下手に逆らわない方がいいかな。
「はぁ。わかりました」
意図の読めないまま彼の言葉に従って部屋を出る。長老は続けて、部屋の外にいた二人に指示を出す。
「ソウタ殿のお仲間もお連れしなさい。ご案内しておきたいところがある」
「「かしこまりました」」
一礼して泳ぎ去った彼女らを見送って、
「それでは、ワシらも兵舎まで行きましょうか」
*
兵舎、地下牢の上に立っている建物、の前で長老と共に待っているとコトリとカエデを連れた双子がやってきた。
「縄は解ほどいて差し上げなさい」
「「は」」
指示を受けて彼女らの拘束を解く。
「では、参りましょうか」
「どこに行くんですかっ?」
声を出せなかったのが余程窮屈だったのか、開口一番にコトリが問うた。
「皆様方には、一度見ておいて貰いたいものがございまして。うちの衛兵たちの無礼のお詫びも兼ねまして、是非にと」
「へーなんだろ?楽しみだね、ソウタっ」
「ああ、そうだな」
「では、ワシはお客様をご案内する。仕事に戻りなさい」
長老が言うと、二人の衛兵は咎めるように口を開く。
「しかし、お一人では危険です」
「たかが人間とは言え、油断なされるべきではないかと」
彼女らの進言を一睨みして潰すと、もう一度命令を繰り返す。
「ワシの心配はいらん。……下がりなさい」
「「…………はっ」」
揃って頭を下げると、二人はその場を後にした。
長老は城の裏手に回り込むと、城壁の上あたりまで浮かんでいった。俺たちも隣に並ぶ。彼は壁の上の何も無い空間に手を伸ばす。
「何を……?」
俺の質問に、
「城壁の周りには侵入を防ぐために海流で壁が作られているのですよ。ですが、ワシくらいになるとそれに穴を開けることくらい容易いのです」
「何で……わざわざ、そんな事を?」
当然の疑問を、カエデがぶつける。まさか、こんなことを自慢するがために俺たちを呼び出したわけでもあるまいし、普通に城門から出ればいいのに。
「城の門には、常に見張りがおります。そこを通り抜けるのに、さっきのようなやり取りを繰り返すのも面倒でしょう?」
それに、と。バシルさんは悪戯っぽく笑う。
「こうして人目を盗んで抜け出すというのも、何だか楽しくはありませんか?」
「確かにっ。なんか『冒険』って感じですよねっ」
本気なのか、話を合わせているだけなのか、乗っかっていくコトリ。
「行きましょうか」
見た目にはわからないが、潮流に開いたのであろう抜け穴を通って城の外へ。そのまま、ここへ来た時と同様に人目を避けながら域外へ出る。中にいた時はクラゲのおかげで明るかったが、やはり外に出ると夜のように暗い。
「このあたりは少し暗いですが、今から向かう場所はまだいくらか光が届くのでご安心ください」
その言葉通り、海底の傾斜に沿って上昇を続けると段々と薄明るい場所に出てきた。砂地が減っていき、景色はごつごつとした岩場に変わる。高低差の多い場所。なるほど動き辛くて逃げにくそうだ。
と、そのあたりで、先行する長老が進むのを止め、振り返る。
「着きましたよ」
前方には岩で組まれた祠のようなものがある。入り口は暗く、中からは暗闇が覗くのがわかるだけだ。
「ここに入るんですか?」
「いえいえ。あちらから現れるのですよ。」
その台詞を待っていたかのように、前方の暗闇からぬるりと白い何かが影を見せる。俺の胴回りくらいはありそうなそれはこちらを見下ろすようにゆらゆらと立ち上がる。触手のような得体のしれない何かには吸盤のようなものが付いているようにも見える。
そう。まるで、烏賊の脚のような……。
「あの、これは一体……?」
「あなた方はワシらの伝統に口を挟みに来たようですが」
ゆっくりとこちらに視線を向けながら長老は述べる。
「あなた方には何の関係もないことです。どうか、お引き取りください」
……まぁ、そんなこったろうとは思っていたが。
巨大な下足に気を取られる俺達に向かって岩陰から飛び出した網が俺を絡みとる。予め隠しておいたのだろう。コトリは即座にカエデの手を取って転移で逃れたようだが、次の行動を起こす前に魔物の触手が振るわれる。
俺たちに、ではない。まずは手近な長老に向かって。
「あの馬鹿野郎ッ」
こういうことに使おうと思っているならもう少し飼いならして置けよ!
「物品収納!」
自らに覆いかぶさった網を個人倉庫に引きずり込んで、両足で体を前方へ押し出す。剣を抜いて魔法を発動し、刃のない部分で老人を弾き飛ばした。
「下がってろ爺さん!」
盾を使って怪物の攻撃を受け止めると、足の踏ん張りも効かない俺は真横に跳ね飛ばされた。
そして、俺が体勢を立て直していると、怪物が暗い岩の影からゆっくりとその全身を現す。
岩陰に住んでるなんて蛸みたいだが、見た目を一言で言うならどう見てもデカい烏賊。その体のところどころは硬そうな装甲で覆われている。特に腕の先端にある刃物みたいなのにやられたら痛そうだ。
まさか、海の底に来てまで魔物と対峙することになるとは思わなかったけど。
こうなったら、仕方ない、な。
「さぁ、かかって来いよ。ちょっとばかり早いが……ボスバトルだ!」
勝算なんて無いが、自分を奮い立たせるために、剣を突き付けて大見得を切った。