迷路 Lv3
翌朝、俺はいつも通りコトリにたたき起こされた。部屋に鍵が付いていないってのはどうかと思う。
宿屋から提供された朝食を摂ったあと、俺は昨日の夜にコトリの母親からもらった妙案を二人に話してみることにした。
「海棲種に会う方法だけどさ」
「うんっ」
「何か、思いついたの……?」
思いついたのは俺ではないのだが。
「ああ、海棲種は船の行き来を制限して金を取ってるわけだろ?」
「そうだったね」
「だったら、船の航行を監視するための見張りがいるはずなんだ。勝手に船を出されないようにな」
「あ、なるほどっ」
「つまり……わざと船を出して、海棲種に襲われる……?」
「正解だ。水の流れを操るような奴に、海の中じゃどうやったって多分勝てない。俺たちは捕まって、海棲種の住む集落かなんかに連れてかれるって寸法だ」
この提案について、彼女らは賛成らしい。
「ソウタすごーいっ。頭いいねっ!」
「さすが、ソウタ……っ!」
考えたのはコトリの母親なのだが、お母さんのことは、娘に秘密にするように言われている以上それを言ってしまうことはできない。何だか申し訳ない気持ちになりながら、言葉を続ける。
「問題は、海の中で息をできないってことだけど……」
「それなら大丈夫だよ」
「?」
「呼吸補助術式……があるから。水の中でも、呼吸はできるよ」
「なんだそれ?」
「自防術の延長みたいなものなんだけどね。息が出来なくなっても死ななかったでしょ?」
多分コトリが言っているのは飛行船で空を飛んで初めての戦闘、バウログの群れを焼き払った時の事だろう。
「まあ、確かに。死にかけはしたけど」
「うん。自防術は基本的に外傷に対してしか発動しないからね。酸素が足りない、みたいなときは本当に命に危険が及ぶレベルじゃないと発動しないの」
「だけど……水の中では、息が出来ない。それは、死にかけるまでもなく……わかるでしょ?」
要するに、地上にいるときはどうしても生命活動に支障が出るようなら酸素を魔力から供給するが、呼吸が出来ないことが自明である水中では先手を打ってくれるってことかな。
「そんな感じっ。一応、自防術とは別枠の魔法になってるけど、延長線上にあるって位置付けみたいだからHPは消費されるの」
「なるほど」
ともかく、それならそれで残された問題はなくなった。
あ、いや……。
もう一つ。由々しき問題を忘れてた。
*
「……で。どうやって町から出ようか」
宿屋の前で途方に暮れていた。証が無ければいくら歩いても、たとえ空を飛んでも、町の中で目的地にたどり着くことは不可能。昨日のことで嫌と言うほど思い知らされたことだ。
「大丈夫っ、任せてっ」
声を上げたのはコトリ。
「どうするつもりだ、コトリ?」
「この町に魔法がかかってることはわかったから。目に見える物を信用しなければ大丈夫だと思う」
「わかった。じゃあ、道案内を頼むよ」
「おっけーっ」
言うと、コトリは目を瞑った。
「こっちだよ」
俺たちは視界を閉ざしたまま歩き出した彼女について足を進める。
いくつかの角を曲がり、前方には行き止まりに見えるもの。コトリは壁に向かって迷いなく進んでいく。だったら、それは行き止まりなんかじゃない。
少女の体は、壁をすり抜ける。俺とカエデも後ろに続いてどん詰まりを透過する。
『目に見える物を信用しない』……こういうことか。
この町で証を持っていない者には存在しないものが見え、存在するものが見えない。道理でどこにも行けないわけだ。視覚に頼っていたんじゃあ、自分の進んでいる方角すらわからないんだから。
何個もの『壁』や『生垣』、『民家』とかを突っ切ってやっと町の出口にやって来ることが出来た。
「助かったよ、コトリ」
「コトリ……ありが、とう」
黒髪の少女は振り返ると、スッと瞼を開いて笑顔を見せた。
「どういたしまして」
俺たちはそこから三十分ほどかけて飛行場まで戻った。
「おお、もう帰ってきたのか」
「ちょっと事情がありまして」
出迎えてくれた船長に、かくかくしかじかと今の俺たちの目的を話す。
「なるほど」
「というわけで、食料はまだ手に入ってないんです。何かを売ってくれるような感じじゃなくて」
「まだしばらくは大丈夫さ。幸い、海が近いから魚も取れるしな」
「すみません」
「いいっての。で、海まではどうやって出るんだ?」
…………考えてなかった。
当然だが、獣人種が船を貸してくれるとは思えない。しかも沈められるのが前提となれば尚更だろう。
「なんなら、この飛行船で行けばいい。適当なとこで落としてやる」
海の中にいるであろう海棲種に会うのが目的なら別にそれでも構わないか。
「おねがいしますっ」
俺が言おうと思ってたんだけど。
「おう!任せな!」
てめぇら、船を出すぞ!と号令を掛けながら船に戻る船長。俺たちも一緒に乗り込んだ。
浮かび上がった船の上で数十分を過ごし、遠洋まで出たあたりで船の縁に来て飛び込む準備に入る。手すりの上に立つと、見下ろす景色に目が眩みそうだ。何もわざわざこんな高さから飛び込む必要がどこにあるのかと問いたい。
「この船は風の力を使って浮かび上がってるから、あんまり海面に近づくと水流が乱れて海に入ったあと大変なことになっちゃうからねー」
……仕方ないか。
荒れた水面に飛び込んで洗濯機にかけられる衣類の気持ちを味わうのは、俺だって願い下げたい。
船の上では手すりに立っているだけでも精一杯だ。バランスを崩して今にも落ちそうだ。
「じゃ、行くか」
「うんっ」
「わ……かった」
意を決して、自分の意思で身を投げ出す。
「わああああああああああっ」
悲鳴を上げながら落下する中で気付いた。
……あれ、飛べばよくね?
「起動っ」
背中の機械から光の羽が現れて着水前に空中に浮かび上がる。
「ソウタ、大丈夫?」
声が上から聴こえて、そちらに目を向けると二人の少女が輝翼を使って降りてくるところだった。この二人は最初から気付いてたらしい。
「珍しいね……ソウタが、そんなミスするなんて」
「はは。高さに足がすくんで、思考も鈍ってたみたいだ」
「もう、しっかりしてよねっ」
まったくだ。落ちることを趣味にした覚えは、今のところはない。
ゆっくりと下降して海水面に近寄る。俺たちは顔を見合わせて、
「「「停止」」」
海に飛び込んだ。
息を吐き出しながら、水底に沈んでいく。息は止めているが、不思議と苦しくない。静かに目を開いてみる。海水が目に染みて、思わずもう一度目を閉じる。
ゴーグルはつけてくるべきだったか。都会っ子には、裸眼で海に入るのは難易度が高い。
もう一度、おもむろに視界を開く。目は痛いが、映る世界ははっきりと美しい。これも魔法のおかげか。だんだん、目の痛みにも慣れてきた。
「コトリ、カエデ。大丈夫か?」
どうやら声も問題なく出せるようだ。
「オッケーだよー」
「平気……」
もしかして一番平気じゃないのは俺かもしれない。何より、鎧が重くてめっちゃ沈む。
「ソウタ、息を吸ってみて」
「でも、呼吸は必要ないんじゃ?」
「肺の中の空気の量を調整して浮力を高めるの」
「ああ、そういうことか」
言われた通りに息を吸ってみる。もちろん、鼻から空気が入ってくることはないが、肺が膨らむのは感じ取れた。体が上方に引っ張り上げられる。
「どう?」
「浮かんでるよ。ありがとう」
「よしっ、じゃあ海棲種に見つかりに行こうか」
「簡単に、見つかれば…いいけど」
「大丈夫だよっ。向こうだって不審な物を探してるんだから」
推測でしかないけどな。見張りを立てなくても拠点からこちらを発見して撃退するシステムを持っていないとも限らないからな。その場合はまた別の方法を考えるしかないが。
少し周りを見る余裕が出てきて、二人の方に目をやるが、一瞬にして目を逸らした。
「ん?どうしたのソウタ?」
俺の視線に気付いてるのかいないのか、わざわざ目の前に移動してきたコトリが無邪気に尋ねてくる。
「別に、何でもないけど」
「じゃあ何でこっち見てくれないのっ?」
顔を背けても体の向きを変えてもぴったりと俺の正面に移動してくる。
「こっ、こ、コトリ……っ」
カエデはどうやら理解したらしく、頬を赤く染めながら自分の胸元を押さえて幼馴染を咎める。
「カエデまでどうしたの?」
「す、透けてるよぉっ、服!」
言われて、彼女は自分の姿を見下ろす。
「なーんだ」
黒髪の少女はニッと笑うと、
「そんなことで恥ずかしがってたのー?」
面白がって余計に近づいてくる。
「止めろ寄るなっ!」
「ソ、ソウタが……見たいなら…い、いいよっ」
「カエデまでどうしたっ!?」
「うわっ、だいたーんっ」
「お前ら一回落ち着け!!」
遊んでばかりもいられないので、一度仕切りなおしてからコトリが改めて口を開く。
「一応言っとくけど、海棲種を見つけても攻撃を当てちゃ駄目だよっ」
「『同盟』に参加してないからか」
「そうっ。魔法が使えない以前に、自動防御術式も持ってないからね」
「でも……自分から捕まりに行くのも、怪しまれるんじゃ…ない?」
「心配しなくても、相手のホームグラウンドじゃ、こっちが本気出しても完敗すると思うぞ」
呼吸も会話もできるが、徐々にHPはすり減ってるし、濡れた服が重たいし、ただでさえ水の中で素早い動きが出来ない。相手がどんな物かは知らないが、勝てる気はしないな。
「とにかく、気は抜かないでねっ」
「そうだな。連れてかれる前に倒されるんじゃ作戦にならないからな」
「がん……ばろう」
実際、頑張り方はよくわからないけど。
そこはこれまでと同様に、やれるだけのことをやってやるしかない。
広い広い海で、あてのない探し物を始めよう。