名前を入れてください Lv2
ずっと、仰向けの状態から上半身を起こしただけの体勢だった俺は胡坐を組んで座りなおす。2人の少女も立ちっぱなしで疲れていたのか近くにあった木箱や椅子に腰かける。
どうやらこの建物は倉庫か何からしく、そうしたものがたくさん置いてある。長方形の建物で、広さは学校の教室位、もしくは少し狭いくらいだろうか。俺が今、向いている方角に扉があり、その他の三面に本棚が敷き詰められている。本棚には本以外にも謎の瓶や頭蓋骨のようなものも入っている。床には机や壺、丸めて置かれている絨毯らしきものなどが所狭しと置かれており、部屋の体感の狭さを増長させているように思われる。魔法陣を描く場所を開けるためだろう、端の方にものが寄せられているのもその一因となっているかもしれない。
床は石造りになっており、その中心に魔法陣が描かれている。壁はレンガで組まれており、屋根は木で造られているようだ。
ところで、少し疑問に思ったことがある。
「ここって本当に『異世界』なんだよな?」
「うん、そうだよ」
「だったらなんで、言葉が通じるんだ?」
俺は一応、核心を突いた質問をしたつもりだったんだが、パーカーの少女はなんでもないような顔で答える。
「そりゃそうだよ。わざわざ同じ言葉を話してる世界を探してそこからあなたを連れてきたんだから」
「そうなのか?」
「そうだよ。この世界ではみんながあなたの世界で言う『日本語』を話しているんだよ。まぁところどころ単語が違ったりすることぐらいはあるかもしれないけど」
……この世界ではみんなが?
その疑問を口にする前に彼女が答えを提示した。
「この世界の人たちは、国も種族も関係なく同じ言葉を使ってるんだ。ずっと昔には種族ごとに違った言葉を使ってたらしいんだけど、ある時統一されたんだって」
世界中の人間を『統一』するなんて、どんな手を使ったんだ?そいつは魔王にも似た力を持っていた、ってことなのか?
そんなことを尋ねてみると、
「そこまではわからないけど。『その人』のことは言い伝え程度にしか伝わってないから」
という答えが返ってきた。
『この世界』にもいろいろ謎なことがあるみたいだな。
*
「魔王について、もう少し詳しい話を聞かせてくれないか?」
俺が質問すると、短髪の少女が不思議そうに、
「あれ、協力してくれるの?魔王討伐」
そっちから呼び出しておいて何をいまさら。
「いきなり喚び出しておいておいてあれなんだけど、元の世界に帰りたいって思わないの?」
『元の世界』か。俺はまだここが『異世界』だってことを完全に信じたわけじゃないが、それが本当だとしても、帰りたいとは思わない。
……だってそうだろう?『あんな世界』に帰りたいわけがない。
それにもしも本当に俺があの世界から棄てられたのだとすれば、上等だ。あんな世界、こっちから願い下げだ。
「あなたにだって家族がいて、友達がいて、大切な人がいるでしょう?」
もちろん家族はいる。確かに心配をかけるのは本意ではないが、友達に関してはいないと言ってもいいだろう。高校では友達は一人もできていないし、中学の友達だって今更、俺のことを覚えているかどうかは怪しい。大切な人なんて言うに及ばず、だろう。
だから。
ここが本当に『異世界』なら、俺を縛っていた『あの世界』から逃れられるのなら、帰りたいなどと思うはずもない。
俺は答える。
「いいや、あんな世界に未練なんて、これっぽちもねえよ」
少し誇張が入ったか。さっきも言ったように家族のことは多少気がかりだったりするが、未練はない。ないことにする。
それに、と俺は続ける。
「魔王を倒すなんて面白そうなこと、やるしかねぇだろ?」
その返事を聞いて、少女はほっとしたように笑う。
「よかった。帰りたいって言われても帰す気も、方法もなかったからさ」
無茶苦茶な事言ってるな、こいつ……。
「で、本題だ。魔王について」
「ああ、そうだったね」
黒髪の少女はそう応えて説明を始める。
「魔王っていうのはさっきも言ったように異世界から突然現れたんだよ。この世界では『闇世界』って呼ばれてる」
「その『魔王』は何をしに来たんだ?」
「さあ?」
さあ、って……。
「魔王は、この世界に来た時に、何か言ってこなかったのか?……この世界を、支配してるんだよな?」
「ううん。それどころか、私たちは姿を見てすらいないんだよ。魔王が現れたときに見たのは空が砕けたみたいになったのと、あと、ものすごい音が聞こえただけ」
じゃあ今、魔王はどこにいるんだ?
俺が疑問に思ったのを察したのか、黒髪の少女が続ける。
「魔王の居場所はわからないの。少なくとも、この辺で魔王の姿を見たことがある人はいないみたい」
「でも、魔王が世界を支配、しているんだよな」
「うーん、そうなだけどね。魔王が直接何かをしに来たことはないんだよ。魔王による実質的な被害は魔王の魔力の影響で世界中で魔物が強暴化してるってこと」
「その、影響で、行商人は……町の外に、出れなくて、ものが不足、してるんです」
短髪が言ったのに続けて長髪の少女が補足で説明をする。
「なるほど。ってことは魔王に関することは、ほとんどわかってない、ってことか?」
「まあ、そういうことになるね。私たちが知ってる魔王についての情報は全部、ギルドの広報部が作ったニュースから知ったことだから」
彼女の言った台詞の中にまた聞き慣れない単語が出てきた気がする。
「ギルドってのは?」
「ああ、ギルドっていうのは冒険者組合のことを言うんだけど、魔物を退治したり、犯罪に対応したりする機関なんだよ。種族ごとにそれぞれ組合を結成しているの」
そこで一度言葉を切って、少女は続ける。
「組合の中でも魔物との戦闘を主な仕事にしている人たちを特に『冒険家』って呼ぶこともあるんだけど、最近は魔物が強くなってることもあって冒険家を志望する人の人数が減って、組合も大変みたい」
大体、『ギルド』についてはわかった。だが、わからないことがまた一つ。
「さっきも少し思ったんだけど、『種族』っていうのはどういう意味なんだ?人種ってことか?」
「そうだったね。あなたの世界にはあまりない概念かもしれない」
そう前置いてから、
「この世界には私たち人間に以外にも高度な知能をもった種族がいるの。この場合の『種族』はそういうものを指すんだよ。言葉を話すことのできる種族を指すから言語種族っていうこともあるよ」
「そうなのか」
俺が返事をすると、黒髪の少女は本棚に手を伸ばし、確かこの辺にあったはず、と言いながら一冊の本を取り出す。
その本のページをめくりながら、彼女は再び口を動かし始める。
「まぁ、すべての言語種族が冒険家組合を持っているわけでもなくて、今の時点で組合のある種族は……」
言いながら彼女が開いたページは『言語種族』と題された章の書き出しの部分だ。
『言語種族とはコミュニケーションに言語を使用する種族のことである。具体的には以下の通り……』
続く文章に羅列されている単語のうちから、黒髪の少女がいくつかを指差していく。
「私たち『人間種』に、『獣人種』『竜人種』『森精種』『天聖種』の5種族」
「他の種族は組合を結成していないのか?」
「そうなの。この『妖精種』みたいにあまり他の種族と関わろうとしないような種族も多いし、『連合』を組織してる種族や、『巨人種』みたいに存在するかも定かじゃない、都市伝説みたいなものもいるんだ」
「それに、『土精種』みたいな……裏切者も」
今まで黙っていた茶髪少女が唐突に口を開く。彼女のエメラルドの瞳は心なしか怒気を帯びているように思えた。
「裏切者?」
「うん。そうだね。土精種はもともと組合を有していたんだけど、スピーシーズユニオンを結成するときに、土壇場になって裏切った。そう言われてるの」
「スピーシーズユニオンってなんだ?」
「多種族同盟、スピーシーズユニオン。魔王の登場に対抗するために作られた組織なの。組合を有している種族にいくつかの種族を加えて同盟を結んでるの」
「てことは、その多種族同盟ってのは結構新しい組織なんだな」
「うん。魔王が現れたのが三年前。その後一年くらいかけて結成された組織だから、まだできて二年そこらってとこかな」
なるほど。魔王ってのは世界が束になっても敵わないほどの相手ってことか。
「とにかく、組合っていうのは他の種族との連携にも大きくかかわっていて、実質、国よりも大きなくくり、『種族』のトップなんだよ」
「ふうん」
わかったような、わからなようなと言った感じだが。
というか、組合の話をし始めたらだいぶ話が逸れてきた気がする。……なんの話をしてたんだったっけ。
「で、ああ、そうだったったね。私たちの情報は組合から得たものがほとんどって話だった」
俺の心中を読んだかのように、黒髪の少女が話を戻す。
「組合も世界中を把握はできないからね。魔王の動向を把握できていないみたい」
動向のわからないものに支配された世界、か。これは大変だな。
「それで、具体的にはどうするつもりなんだ?」
さっきは『今から考える』と言っていたが、流石に何も考えていないことはないだろう。
「うん、とりあえずは組合員としての登録をしに行くよ。組合員になればもう少しわかることも増えるかもしれない」
「登録?」
「組合員の中でも冒険家は、言ったように、人員不足になっているから、組合に申請を出して、いくつかの条件なんかを満たせばそれで冒険家になることができるんだよ」
そこまで言ったところで、少女のお腹がぐうう、と音を立てる。彼女は恥ずかしそうに笑うと、
「ははは。ちょっとお腹すいたね。お昼ご飯にしようか」
立ち上がって彼女は俺に手を伸ばす。
「ほら、異世界人さんも行こっ」
「異世界人さんはねえだろ」
俺は苦笑いしながらその手を取り立ち上がる。
「じゃあ、なんて呼べばいいかな?」
と言って、思い出したように、
「そう言えば自己紹介がまだだったね。私はコトリ、よろしくね。こっちは」
「カエデ、です。よよ、よろしく、お願いします」
茶髪の少女も慌てて立ち上がり頭を下げる。
黒髪の少女、コトリが続いて俺に自己紹介を促す。
「あなたの名前はなんていうの?」
俺はある日突然、『異世界』に喚び出された。
コトリとカエデ。彼女たちの話をどこまで信じていいのかはわからない。
でも、この二人なら『あの世界』の束縛から俺を開放してくれるかもしれない。
だとしたら、新しい世界でこれから始まる新しい人生。
新しい名前で今日からニューゲームってのも、悪くはないか。
それじゃ……
「俺はソウタ。こっちこそよろしくな」
少し考えてから俺はそう名乗った。伸ばした俺の手を、コトリが握り返す。
これからどんなことが待っているかはわからない。けど、この二人とならどんな困難だって乗り越えていくことができる。そんな無根拠な自信が、なぜか俺の中には満ち溢れていた。
こんなワクワクする感覚は、久しぶりだ。