四章 何かボタンを押してください Lv1
俺は薄明るい部屋の中で目を覚ます。目に入るのは、見覚えのない無機質な岩の天井。少しして、ああ、そういえば土精種に捕まっていたんだと思い出した。牢の格子の隙間から発光石の放つ光が入り込んでいる。就寝時間には一度消灯されていたから、もう朝だということなのだろう。しばらく日の光を見ていないせいで時間の感覚が鈍っている。
そんなことをぼんやりと考えながら体を起こす。俺が今座っているのは白い布団の上だ。就寝時間になり、牢の施錠をしに来たエミリアが、四人分の布団と枕を持ってきてくれたのだ。これのおかげで床に直接横になるよりは幾分よく眠れた。
「……トイレ、行くか」
他の三人がまだ寝ている中、立ち上がり、牢の扉に手をかけると、鍵がかかっている様子はなく簡単に開けることが出来た。寝ぼけていたせいで忘れていたが、ここの鍵は昨晩、間違いなく施錠されていたはずだ。ということは、朝早くに族長がやってきて開けておいてくれたということなのだろう。ふと腕時計に目をやると時間は六時半を少し過ぎたところだった。だとすれば、彼女はいつ起きたのだろうか?ちゃんと眠っているのだろうか?俺が心配する立場でもないのはわかっているが、気になってしまう。俺たちのことを気に掛け過ぎて体を壊さなければいいのだが。
用を足して戻ってくると、コトリが寝床で体を起こして目をこすっていた。こちらの姿を捉えて、口を開く。
「あ、ソウタ。おはよー」
早起きが苦手という話をどこかで聞いた気がするのだが、もしかしたら起こしてしまったのかもしれない。
「おはよう。よく眠れたか?」
「まーまーかな」
言いながら大きな欠伸を一つ。思い起こしてみれば、昨日も俺を部屋まで起こしに来ていたし、環境が変わってあまり眠れていないのかもしれない。というか俺は、彼女が俺より遅く起きているのを見たことがない。俺が『こっち』に来てからは同じ部屋で寝させてもらってたし、盗賊が村を襲ったこともあった。王都に着くまでも、当然ながら泊りを繰り返していたからな。案外、そういう変化に敏感なのかもしれない。
「もう少し寝ててもいいんじゃないか?どの道やることもないしな」
言いながら、俺は自分の寝ていた布団をたたむ。部屋が狭いため、広げっぱなしにしていると布団の上を歩かなければならない。
ちなみに布団は牢の格子側から見て部屋を左右に分割した際の中心線にそれぞれが頭を向けて横になるように、房の右半分と左半分にそれぞれ二枚ずつ敷いた。俺の布団は右半分の格子側で、入口の一番近く、コトリのはその奥だ。左半分ではカエデが格子側、ルビィさんが奥側で眠っている。
壁際に寄せ三つ折りにした布団の片隅に枕を置き、空いたスペースに腰を下ろす。
「ソウタはもう起きるの?」
「目が覚めちまって、寝る気分でもないんだ」
昨日の就寝時間が早かったというのも原因かもしれない。確か、消灯されたのが10時ごろだった気がする。そこからすぐに眠りに落ちたわけでもないが、修学旅行みたいに『楽しくおしゃべり』という感じでもなかったから、少なくとも7、8時間は寝ているはずだ。
「そっか。私はどうしようかな」
そんなことを言いながら未だに眠そうなコトリは、枕をさらに端に除けると俺の横に座る。ふわっといい香りが鼻をくすぐった。すぐ横にいる彼女との距離が、俺をわずかに緊張させる。
「ね、ソウタ」
「ん?」
「さっき、『どの道やることもない』って言ったでしょ?」
そんなことを言ったかもしれない。
「……本当に何もしないつもり?」
「え?」
「族長さんに全部任せて、流れに身を任せて……それって、ソウタらしく、ないかなって」
コトリの口調がだんだん緩やかなものになっていく。
「私は、私はね……」
不意に言葉が途切れて、とさっ、と俺の左肩に力が加わる。
重み、暖かさ、柔らかさ。自分の肌を通して伝わってくる。
甘い香りや心地よさそうな寝息までもが、今まで経験のない距離で感じ取れる。
心臓が跳ね上がる。
「ちょっ、おい……っ!」
寝ている二人を起こさないように気を遣いながら、声をかけて隣の少女を起こそうと試みる。俺の心臓の音もかなりうるさいはずだが、その程度では起きる気配もない。彼女も疲れているのだろう。俺はコトリを起こすのを諦め、天井に視線を投げる。
「……『らしくない』、か」
*
その一時間ほど後。エミリアが持って来てくれた朝食を食べながらルビィさんが口を開く。
「ところで、コトリちゃんとソウタくんは朝から何をしてたのかなぁ?」
結局、俺に寄りかかって眠ってしまったコトリはなかなか目を覚まさず、後から起きたカエデやルビィさんにその状況を目撃されてしまったのだ。
「な、なんでもありませんよ!」
あのニヤニヤ笑い、完全にこちらの反応を楽しんでいる。
カエデはカエデで、なぜかずっと俺にむすっとした表情を向けているし。
「コトリも何か言ってくれよ……」
「んー。私、すごく眠かったからよく覚えてないんだよね」
助けを求めて視線を放ったものの、無慈悲な返答があっただけだった。
「ソウタくん。寝ぼけたコトリちゃんに一体何をしたの?」
「何もしてませんってっ!」
「あはは、わかってるよ。そんなムキにならなくても」
思わずため息をついてしまう。まったく、この人は。
茹でられた人参にフォークを突き刺しながら、俺はさっきコトリに言われたことを思い返す。言った本人はよく覚えていないらしいが。
本当に何もしない気か、と彼女は俺に問うた。とはいえ、牢獄区間の出入り口には鍵がかけられていて出ることはできない。扉を破壊して外に出たところで地上に戻る方法は結局わからないし、無理に脱走したとなれば余計に土精種たちに警戒されてしまうことになるだろう。
……いや、重要なのはそんなことではないか。
俺は人参を口の中に放り込んだ。
問題なのは、俺が今何をしたいのか、のはずだ。でも、俺はどうしたいんだ?長い間、自分を殺して生きてきた俺には、自分の望みすらわからなくなっていた。
俺は、地上に戻りたい。もちろんそうだ。だが、何かが違う気がする。何かが引っかかっている。
食事を終えた俺たちのもとにエミリアが台車を押してやって来る。
「食器の回収に参りました」
自分の使っていた皿を持って立ち上がる。
「ありがとう。美味しかったよ。ごちそうさま」
「こんなものしかお出しできませんが、喜んでいただけたなら幸い……です」
台車の上に食器を置いた俺に、エミリアが倒れこんでくる。力の抜けた小さな体を、受け止める。
「おい、大丈夫かっ?」
「す、すみません」
彼女はふらふらと立ち上がろうとするが、再びバランスを崩してしまう。倒れてしまう前に、俺はもう一度彼女を支える。
「ありがとう、ございます。大丈夫、ですから」
「大丈夫じゃないだろ。無理すんな」
……そうか。これがきっと俺の望み。自分の中にあった本当の気持ちに気付かされた気がした。
俺は、この小さな少女の助けになりたい。
地上にはもちろん戻りたいが、俺は知ってしまった。土精種の、この少女の抱える問題を。それを見て見ぬふりして帰るわけにはいかない。たとえ、ただのお節介だとしても。
新たに決意を固めている中、慌てたような声を上げながら監獄区画に駆け込んでくる者があった。
「族長!大変です!」
声の主はルーカスだ。彼は俺にもたれかかる族長の姿を見て顔色を変える。
「お前ら、族長に何を……!?」
「待ってください、彼は私を助けてくれただけです」
エミリアはよろよろと自立するとそう言って、ルーカスに続きを促す。
「それより、何があったのですか?」
「っ……!居住区画にゴーレムが現れました。現在、住民の避難とゴーレムに対する反撃を行っておりますが、厳しい状況です」
「ゴーレム?」
俺の質問にエミリアが応えて、
「岩石などに魔力が宿った魔物です。普段は私の力で、居住区画への侵入は、阻止しているのですが……」
彼女が体調を崩した影響で、その力が弱まったってことか。
「俺をその居住区画まで案内してくれ」
「何だと?」
俺の言葉にルーカスは眉を顰める。
信用がないのはわかってる。それでも退かない。彼女の力になるという、俺の望みのために。
「いいから早く!状況は厳しんだろ!?」
「ああ、くそ!わかった、付いてこい!」
やけくそ気味のルーカスについて監獄区画を出る。コトリとカエデも何も言わずに一緒に来てくれた。
「私は彼女と一緒にいるよ」
後に残ったルビィさんの声を背に受ける。確かに、エミリアを一人にはしておけない。
「お願いします!」