一章 名前を入れてください Lv1
ガシャン!
盛大な音が耳に届いたかと思うと、直後、背中あたりに鈍い痛みを感じる。どうやら地面にたたきつけられたらしい。その割には俺の視線の先にあるのは先程までの青空ではなかった。いや、雪景色になっていたとか、そういうことではない。
俺が見上げているのはそもそも空などではなく、どこかの建物の天井の梁のようなものだった。しかも今時珍しく木製と来た。
足元ではカラカラと音を立ててタイヤを回している自転車が転がっている。
……なんだ、ここは?ていうか、いつの間に?気を失っていたんだろうか?
そんな俺の疑問をよそに、頭の上から少女の声が聞こえてくる。
「やった、成功したよ!」
仰向けのままの体制でそちらに目をやると紺色のフード付きパーカーを着た少女が俺に背を向けて飛び跳ねている。どうやらほかにも人がいるらしい。ますます状況がわからなくなってきた。手には何やら杖のようなものを持った少女はこちらを振り向くと歩み寄ってくる。かっぶていたパーカーのフードを取ると、黒い短髪が現れる。彼女は赤い瞳でこちらを覗き込んで告げる。
「あ、気が付いたんだね。こんにちは!」
訳も分からないまま俺は彼女の言葉を聞く。頭がズキズキする。もしかすると落ちたときに打ったのかもしれない。というか、どこから落ちたのだろうか、それすらわからない。
「あの、大丈夫、です、か?」
するとパーカーの少女の後ろからもう一人、ふんわりとした茶髪の少女が顔を出し、心配そうに声をかけてくる。髪の色は茶色というより栗色と言った方が近いかもしれないが。さっき黒髪少女が話しかけていたのはこの子だろう。年はおそらく俺と同じくらい、黒髪の方は一つ二つは下だろうか。
黒髪の少女は背中に隠れる彼女を示しながら、「ごめんね、この娘ちょっと恥ずかしがりやでさ」と苦笑いした。
このままの体勢だと歩み寄ってきたスカートの少女たちの、いろんなものが見えてしまいそうなので、「ああ、大丈夫」と答えながら、上半身を起こして、彼女らの方を向き直る。実際は体中あちこちが痛むし、あまり大丈夫ではないのだけれど。
黒髪の少女がにっこりと笑顔を作り、口を開く。
「ようこそ、私たちの世界へ!」
「……?」
何を言っているのか全然わからない。彼女は俺の困惑を察したのか、さらに言葉を継ぐ。
「ここはね、あなたが住んでいたのとは違う世界、異世界なの」
*
……わかった。これは夢だ、そうに違いない。通学中に事故に遭った俺は病院に運ばれてそのベッドで夢を見ているのだろう。
むしろそう説明された方が納得がいく。
……異世界だって?
俺が沈黙を続けていると、目の前の少女は困ったような口調で続ける。
「やっぱりわかんないよねー、いきなり異世界なんて言われても。どっから説明すればいいのかな」
口調とは裏腹に、表情は全く困っているようには見えないが。
「そ、そうだよ。この人の世界には、魔法すらないんだから」
茶髪の少女がおずおずと言った感じで、やはりパーカーの陰に隠れたまま、口を開く。異世界の次は魔法と来たか。やっぱ夢だろ、これ。
「うーん、そうだなぁ。じゃあ、えっと、どうしよっか?」
何かを説明しようとして諦めたらしいパーカーの少女は、背中に隠れる友人に質問を投げかける。当の本人は突然話を振られて驚いたように、
「え?えっと。『異世界』っていうものの説明からした方がいいんじゃないかな」
「じゃあ、そうしようか。説明よろしく。私、人に教えるのは苦手なんだよね」
「で、でもっ、わ、わ、私、異世界の人と話すのなんて初めて、だしっ」
そんなにうろたえられても困る。悪いが俺も異世界人は初めてだ。
「いいから、いいから」
「うう。わ、わかったよ」
短髪の少女に促され、彼女はしぶしぶ、と言った感じで、ふわりとした長髪を揺らしながら友人の陰から姿を現す。よく見ると足が震えている。
いや、俺は別に何もしねえっての。
「そ、その。まず、ですね……。世界っていうのは、一つじゃなくて、他にも……たくさんあるって、言われてるんです。私たちの、住んでる世界は『現世界』って、この世界の人たちは呼んでます。あなたのいた世界は『劣世界』、と呼ばれてます」
「あの、その『世界』ってのは全部で何個くらい、あるんだ?」
俺は、思ったことをぽつぽつと質問してみた。
向こうも緊張してるみたいだが、こっちもこっちで相当の人見知り、というかコミュ障だ。一年間高校に通って一人も友達ができなかった実力は伊達ではない。
「え、あ、その。世界は、見つかっているだけでも、2000以上あって、もっと……たくさん、あるだろうって言われてるんです。……だよね?」
相手から話しかけられることを想定していなかったのか、言葉を探し出すように説明をした後に、黒髪の少女に確認を取る。話しかけられた少女は頷き返す。あっちのパーカーの彼女の方が頭がいいんだろうか。だとしたら失礼ながら少し意外だが。
俺がそんなことを思っていると、長髪の少女は「そ、それで」と説明の続きを始める。
「あなたが、いた『劣世界』から、この世界に……召喚したんです。私が、じゃ、ない……ですけど」
そう言って後方の少女を見やる。要するに彼女が俺をここに『召喚』したってわけだ。
「『召喚』について聞いても?」
「あ、それは私が説明するよ」
と、黒髪の少女が湧いて出た。正確に言えば、もちろんずっとそこにいたのだが、なんとなく、そう描写するのが正しいように思われた。
「あなたが座ってるところ、魔法陣が描いてあるでしょ?」
言われて自分の座っている地面(というか床か)を見ると確かに魔法陣のような模様が描いてあり、俺が座っているのはその中心らしい。
「それを使って召喚したの」
わざわざ説明しに出てきておいて、まさかそれで説明終わりじゃないだろうな。
そんな俺の心中を感じ取ったのか、少女は補足で説明を加える。
「その魔法陣、『こっち』に来る前にも見なかった?」
「ああ、確かに、ちらっと見た気がするな」
俺は意識を失う直前のことを思い出す。横断歩道に現れた光の模様は確かにこんな模様だった気がしないでもない。はっきりとは覚えていないが。
「私がこの魔法陣の前に立って、杖に魔力を込めて、呪文を唱えて、喚び出したの」
……ごめん、まったくわかんない。
しかしながら困ったことに彼女はそれですっかり説明を終えたつもりになっているらしく、それ以上言葉を続ける様子はない。仕方がない、『召喚』については『そういうもの』という事にしておこう。そもそもここが異世界だって話にも納得したわけじゃないし。
「それで、俺を『この世界』に喚び出した理由は何なんだ?」
「あれ?今の説明で納得したの?『異世界』とか『召喚』とか」
自分で言うのかよ。もちろんしてねーよ、納得。
納得してはいないがいつまでもそこにこだわっていても話が進まないし、いくら説明を受けたところでおそらく納得はできないだろう。今はとにかく現在のこの状況についての情報が欲しい。
というわけで俺はそういう趣旨を何とか伝え、再度俺を『召喚』した理由について尋ねる。
すると彼女は「それはね」と前置きして、こう答えた。
「魔王を倒すためだよ」
なんかもう、なんて反応していいかがわからない。今度は『魔王』か。……まぁいい。
「で、その『魔王』ってのは一体……?」
「この世界を侵す悪しき存在、らしいよ」
らしいってなんだよ……?
俺が黙ったままでいると、黒髪の少女は『魔王』ついての説明を続ける。
「魔王は三年前にこの世界に現れて支配した。魔王の魔力は魔物にも悪影響を与えて、強力に、狂暴にしたの」
三年で世界を支配した?いくら何でも速すぎる。そんな相手を倒せるのか?
「魔王を倒せる見込みはあるのか?」
「もちろん!」
黒髪少女が即答するが、そこに茶髪の少女が口をはさんでくる。
「私たちだけじゃ、無理です。魔王は、人間の力では、倒すことはできない強さ……だそうですから。だから、あなたを……召喚したんです」
「いや、一応、俺も人間なんだけど」
「魔王は、異世界から……突如、現れた存在なんです。つまり、あなたと同じ……異世界人、なんです」
「だから、あなたがいれば魔王も倒せるんじゃないかなって思ってさ」
残念ながら俺はただの人間で、特殊な能力など持ち合わせてはいない。
「大丈夫、多分何とかなるよ」
なんでこんなに楽観的なんだろうか。羨ましいくらいだ。
「ちなみに、魔王を倒す方法は?」
「それは今から考えるよ」
ノープランかよっ!……本当に大丈夫なんだろうか?