序章 続きから始める
「ソウタ、ほら起きて!」
体を揺さぶられる感覚と、誰かの名前を呼ぶ声で、俺は目を覚ました。
ソウタ……。そうか、それは『この世界』での俺の名前だった。
ぼんやりとした頭のままゆっくりと目を開けると、ベッドに横になる俺に馬乗りになって肩を揺さぶる黒髪の少女がいた。
「うわっ、何してんだよ、コトリ!」
慌てて目の前、というか体の上にいる少女、コトリから距離を取ろうとするが体を押さえつけられた状況ではうまくいかない。驚きで脳は完全に覚醒したようだが、体はまだ寝ぼけているのかもしれない。
コトリは、その赤い瞳で俺の顔を覗き込んで、
「何って、なかなか起きてこないから起こしに来たんじゃない。朝ごはんだよ!あさごはんっ」
「と、とりあえず、降りてくれないかっ?もう、起きたから!」
「あ、ごめんごめん」
ベッドから降りたコトリは靴を履き、服を手ではたいて整える。
今日のコトリは白いミニスカートに、Tシャツ、その上からいつも通り、紺色のフードつきパーカを着ている。今は、フードをかぶってはいないが。
俺も起き上ってベッドから降りる。
「起こしに来たって、鍵、掛かってなかったか?」
「うん。だから、窓から入ってきたよ」
「窓からって。……ここ三階だぞ!?」
ここは俺たちが泊まっているホテルの一室。なんだかんだあって表彰された後、組合から提供されたものだ。
ベランダがついているわけでもないこのホテルの壁を登ってきたってのかよ?窓にも鍵をかけておくべきだったか……?
「もちろん、登ってきたよ。ひょいひょいっと」
まだ聞いてもいないのに答えが返ってきた。それにしても、ひょいひょい、とはずいぶん軽い効果音だな。前から思ってはいたが、こいつの運動神経は人並み外れている。……猿かなんかなのか?
「ソウタ、なんか失礼なこと考えてるでしょ。言っとくけど、私はれっきとした人間だからねっ」
ほんとに鋭い奴だ。もしかしたら俺が顔に出しすぎなのかもしれないが。
「さ、行こっ。みんなも待ってるよ!」
みんな、というのはこのホテルに一緒に泊まっているカエデとルビィさんのことだろう。確かに、あまり待たせるのも悪いな。
「わかった、着替えるから外で待っててくれ」
「え?着替えるの?」
「まぁな。寝るときに着てたやつだし、皺が寄ったりしてるから」
「そっか、わかった。じゃあ外で待ってるね」
コトリはうなずいて部屋から出て行った。もちろん、鍵を開けてちゃんとドアから。
一人になった俺は、着ている服を脱ぎ、『魔法』でしまうと『魔法』で別の服を取り出し着替える。
……そう。魔法、そんなものがまかり通ってしまう世界。それが今、俺がいる世界なんだ。そんなことを改めて実感した。
着替えを終えて、時間を確かめようと俺は顔の前に手を出し、唱える。
「機能参照」
『魔法』によって現れた画面の端にある時刻表示を見て時間を確かめる。時計のあまり浸透していない『この世界』では便利な『魔法』だ。
と、時間を見たことで自分が腕時計をしていないことに気づき、ベッドの横の小さな机の上に置いてある腕時計を左腕に着ける。時間は魔法でわかるとはいえ、着けていないとなんとなく気分が落ち着かないのだ。学校に携帯電話を持っていけなかったこともあり、学校に行くときはいつも身に着けていたからだろう。
「っと、あまり待たせちゃ悪いな」
ふと我に返って、俺は部屋の外へ足を踏み出した。
*
俺がコトリに案内されホテルのレストランに顔を出した時にはすでにほかのメンバーは揃っていた。
「おはよう」
そう声をかけて来たのは栗色のふんわりとした長髪の少女、カエデだった。年は、正確には知らないが、みたところ俺やコトリと同じくらい。コトリとは幼馴染みらしいが、その性格は正反対で、気が弱く、人見知りが激しいところがある。全員が家族同然の小さな村で育ったのだから、仕方のないことかもしれないが。
とはいえ、初めはおびえられていた俺もようやく彼女の日常に溶け込んできたらしい。カエデから話しかけてくることも多くなってきた。むしろ、コミュ障、特に女子が苦手な俺から話しかけるようなことはあまりない。俺も人のことを人見知りだとか言えたものでもない。
「ああ、おはよう」
そう返して、空いている席に着く。
四人掛けの正方形のテーブル、その正面の女性にも挨拶を放る。
「ルビィさん、おはようごさいます」
燃えるような赤い髪に、オレンジ色の瞳の女性は組合・パーリス支部所属の冒険者。俺たちのウィーニルへの旅に同行してくれた。戦闘時は露出の多い赤色の鎧を身に着けているが、今はさすがにカジュアルな服装をしている。
彼女は俺に挨拶を返した後、尋ねた。
「昨日はよく眠れた?」
「ええ、まあ」
どういう意図をもって彼女がその質問をしたのかはわからないが、俺は取り合えず適当に相槌を打っておく。
「それにしても、ちゃんと一人一部屋用意してくれるなんて、組合も太っ腹ですね」
「なに?コトリちゃんやカエデちゃんと一緒の部屋で寝たかったの?それとも私?」
「そ、そういう事じゃありませんよ!」
横ではなぜか、カエデまで顔を真っ赤にして慌てふためいている。
「ソウタ君ってほんと、面白いね」
そう言って茶化したが、質問には答えてくれるらしい。ルビィさんはこう続けた。
「まぁ、一応ソウタ君たち、ついでに私も含めて、は王都を守った英雄ってとこだからね。組合としても無下には扱えないんじゃないかな。私もソウタ君たちもウィーニルの所属じゃないから組合の職員宿舎には泊まれないしね」
うちのところも同じようなもんだけど、空き部屋はほとんど物置になっちゃてるからね、と付け足す。
そういえばルビィさんはここからは離れた村、パーリスの所属の冒険者だった。因みに、俺たちはどの村にも所属していない、いわゆる野良の冒険者だ。組合からの支援は村などに所属している冒険者よりは受けにくいが、魔王を倒すという目的のためには、いちいちどこかの村に縛られていない方が動きやすい。
「ところで、昨日捕まえた盗賊たちの処分ってどうなるんですか?」
コトリが口の中をもごもごさせながらそう質問する。飲み込んでからしゃべれよ。
盗賊、というのはもちろん、俺たちがこの街についたその晩に襲撃してきたやつらのことだろう。戦闘は昨日の朝方まで長引いていたが。
「んーそれがね、ちょっとややこしいことになってるみたいで」
「ややこしいこと、ですか?」
煮え切らないルビィさんの返答に、加えて尋ねた。
「うん。盗賊を束ねてた棟梁の話だと、今回の一連の襲撃事件には依頼人がいたんだって。村を襲う順番も指定されていたらしいよ。直接会ってはいないし、名前も、王都を狙った理由も、聞かされていないみたい」
盗賊による王都を含む村々の襲撃事件の裏にはほかに黒幕が潜んでいるってことか……。
ま、俺たちが考えるようなことでもないか。
「ルビィさんはいつごろパーリスに戻るんですか?」
俺がそう振ると、彼女はにっと笑って、
「どうしたの、私がいなくなるとやっぱり寂しいの?」
「違いますよっ」
意味もなく顔が熱くなる。この人には、むしろさっさと帰ってほしい。
「でも、そうだね、実はそろそろ村に戻らないといけないんだよね。今日の朝、さっそくパーリスの支部から帰還命令が来ちゃってさ。まったく、人使いが荒いよ」
言ってから、ため息を吐いて、
「ま、どこの支部も人が足りてないから仕方がないんだけどね」
「ええっ、ルビィさんもう帰っちゃうんですか?」
俺から向かって左側に腰かけるコトリが声を上げる。
「うん。今日一日はここにいるつもりだけど、明日にはね」
「そっかぁ、残念」
「寂しがってくれんだね。ありがとー!」
そう言ってコトリを抱き寄せながら俺の方を一瞥して、「ソウタ君にもこのくらいの素直さが必要だと思うなー」と言ってくる。
俺は、返す言葉も見当たらず、仕方なく苦笑いで返すことにした。