終章 セーブ
森精種の統治するシルベインの大地に降り立った俺たちは、用意された馬車の荷車に詰め込まれて、船着場から最寄りの町であるシルヴェーパリへ向かっていた。
魔王崇教徒たちももう一台の馬車に積み込まれて、俺たちの後方を運ばれている。
「本当に森精種統治域に入れちゃったねっ」
押し込まれた馬車の後方隅で体育座りをしたコトリが右隣から話しかけてくる。
「そうだな。……マテオさんたちから借りた船は消し飛んじまったけど」
「まあ、それは仕方ないよ。魔王崇教、なんて得体の知れない集団に襲われたんだし」
それは実際にそうだが。
魔王崇教……あいつらは一体何者なんだろうか。
飛竜種を洗脳して差し向けて来た件もあいつらの仕業だと考えると、俺達がイーピアルを出る前から既に目を付けられていた事になる。
人間種組合長の認可の上で行動しているとは言え、俺達は基本的にたった3人で行動している個人の冒険者に過ぎないのに。
本当に『魔王』が俺達を排除しようと動いているのだとしたら、対応があまりにも早すぎる。
王都が襲撃された事件の際にも内通者がいたという話もあったし、案外身近に『魔王』と通じている人間が潜んでいるのかも知れない。
「けど……魔王崇教を捕まえたおかげで、ある程度、森精種からの信頼も得られているはず。きっと、無下には…扱われないと思う」
左隣からカエデが言葉を発した。
「だからこそ、俺達も追い返されずにシルヴェーパリまで運ばれてるんだろうが、信頼されてるかは微妙だな。俺達も容疑者の一員、くらいに思われてそうなもんだ」
「うん……そうかもね。私たちを馬車に載せる時も……なんか、ちょっと怖かったし……森精種の人たち」
「いきなり捕まったりは流石にしないだろうが、取り調べの後は丁重に送り返されるのが関の山って感じだな」
そうなる前に、ここに留まっていられる期間で出来る限りのことをしないとな。
と、俺が真面目な事を考えている横から、コトリが肩を押してくる。
「それにしてもこの馬車狭いよっ。ソウタ、もっとそっち寄ってよっ」
「ちょっ!?あんま押すなよ」
「え、そ、そソウタ……!ち、近い……!」
そこへ、正面から船員の少年、ニジンニが絡んでくる。
「おいおい、イチャついてんじゃねーよ。俺らだって体張ったんだぜ?」
「イチャついてる訳じゃねーよ」
ただ、船員たちも船が大破するのを承知で作戦を引き受けてくれた。冒険者でもない彼らが、下手をすれば死ぬ作戦に命を懸けてくれた事は事実だ。
「まあ、作戦に協力してくれた事には感謝してるよ」
「だったらたまには俺にもカエデを貸してくれてもいいだろ?」
「だからカエデは俺の物じゃねえっての。そもそもカエデは物じゃねえ」
俺の言葉を聞いているのかいないのか、ニジンニがカエデに向かって手を伸ばす。
「ひ……ッ」
カエデはその手を条件反射的には振り払い、ニジンニが少し不平そうに声を漏らす。
「俺、何か嫌われる様な事したか?」
嫌われる様な事はしてるだろ。
「ううん…ち、違うの。ごめんね?その、ちょっと……男の人が苦手で」
それを聞いて、ニジンニが得意げに告げる。
「なあソウタ、お前は男として見られてないみたいだぜ?」
「何でお前は俺をライバル視してるんだよ」
こちらの反応に、カエデは慌てた様子で弁解する。
「あっ、いや、そう言う意味じゃなくって……!」
「別にそんな気にして無いから」
今まで異性から男として意識されたことなど無いし、今更そんなことを言われたところで気にならない。
「本当に……気にしてないの?」
答えた俺に、カエデは何かを見定めようとしているかの如く、こちらを見つめて問いかける。
「ああ、気にしてないよ」
いや、睨みつけられている……?
俺の返答を受け止め、彼女は、
「……むぅ」
と吐き出した。
「あれ、何か怒ってる……?」
「ソウタ、そーいうところだよっ?」
呆れ気味に、そしてどこか楽しそうに、コトリが肩で小突いてくる。
「だよな。ソウタには女心ってもんが分かってねー」
「そうだよっ?おんなごころだよ、おんなごころっ!」
口を挟んで来た赤髪のアンディに便乗してさらに調子づくコトリ。
コトリに女心を説かれるのは何となく釈然としない。
「ひどいっ!私だって一応女の子なんだからねっ!?」
叫んだコトリに、小柄な少年レーンが苦笑する。
「一応って……そこは自信持とうよ。コトリちゃんはちゃんと女の子だよ」
「だってさ、ソウタっ!私、女の子だってっ!!」
知ってるよ。
「はいはい、分かってるよ」
「明らかにカエデの時と態度違うよねっ?私には冷たいよっ」
「冷たくしてるつもりはないんだが」
ここぞとばかりにニジンニが続ける。
「どっちかって言うと、遠慮が無いって言うのが正しいんじゃないか?むしろ、ソウタはカエデに対してちょっと距離があるよな」
「なんでチームワークにヒビを入れて来ようとしてんだよ?」
「ソウタ……?」
カエデ、そんな目で見ないで。
「コトリの、どこか良いの?やっぱり……胸が小さいから?」
「まあ、ソウタはロリコ……」
「違う」
違うし、ロリコンと貧乳好きはイコールじゃ無いと思う。
「別にどっちがどう、とかじゃなくさ。なんて言うか、コトリは普段から距離が無駄に近いせいで慣れたっていうか……妹みたいな感じっていうか。それにカエデはいかにも女の子、って感じで……あ、いや、いつもそういう目で見てる訳じゃ無いけど、ふとした時に意識しちゃうんだよ。2人とも俺にとって大切な仲間だって思ってるよ」
必死に弁明する俺を見て、コトリが吹き出して笑う。
「ソウタ、ちょっと素直になったね?」
「まぁ、な」
照れ臭くなって、頬を掻きながら言葉を返す。
「言わなきゃ伝わらない事もあるってわかったから。相手の本音を知りたいなら、自分も本音で話さないといけないってわかったからさ」
元の世界での俺は、自分の気持ちを誰かに否定されるのが怖かったんだと思う。せっかく発した言葉を、他人に理解して貰えないことが怖かった。
表向きでは肯定されても、心の中では何を思っているのか、それが分からなくて怖かった。
きっと理解してくれるはずだ、なんて勝手に期待して、その結果、勝手に裏切られることが。
だから、本当に心の奥にある物は開示せず、上っ面だけのコミュニケーションに逃げて来た。
言わなくても察してくれる、俺を肯定してくれる誰かが現れるのを、ただ待っていた。
けど、それじゃ駄目だって気付いた。
いくら相手が俺の気持ちを察してくれても、本音を引き出してくれても、俺が自分で心を開いた訳じゃないから。
本当の意味で、相手を信じる事が出来ていなかったから。
「うん、そうだねっ。私も、今のソウタの方が良いと思うよっ!」
コトリはそう言って明朗に笑う。
もちろん今でも、言えば必ず伝わるなんて思ってない。相手がその全てを受け容れてくれるとも思ってない。
「それにしても、妹ー?私も『いかにも女の子』だよっ!」
「でも…『妹』のコトリよりは、やっぱり、私の方が距離がある感じ……?」
俺の開示した本音を肯定するのも否定するのも相手次第だ。
それでも、相手にその選択肢すら与えずに、初めから諦めていたら何も始まりはしない。
勝手に相手を見限って、心を閉ざして、それで自分は『理解してほしい』なんて虫が良すぎる。
「コトリが女の子なのは分かってるよ。けど、お前がベッドに潜り込んで来てても今更驚かない。お前に特別な意図なんか無くて、ただ無邪気なだけだって分かってるからな」
喩え肯定してもらえなくても、納得してもらえるように説明すれば良い。
「カエデの事も、別に避けてるつもりとかは無くて……ただ、仲間としてじゃ無く、女の子としてどう扱って良いか分からなくなることがあって。俺は今まで女の子と接してくる機会が少なかったから」
もしも受け容れて貰えなくても、少しでも近づけるように努力すれば良い。
だって俺は今、こいつらに俺の事を知って欲しいと思っているし、二人の事をもっと知りたいと思っているから。
他人に興味が無かった……いや、他人を怖れて、興味がないふりをしていた俺が、今はそう思えているから。
もう、その気持ちに嘘は吐きたくないから。
「そっかっ。まあ、へへっソウタがお兄ちゃんって言うのも悪くないかもっ」
「そう、だね。それは……私も同じかも。私も、あんまり男の子と話したりすること…少なかったから」
この二人は、自分自身ですら信じられない俺の事を信じると言ってくれた。
自らを肯定できない俺を、それでいい、と肯定してくれた。
それはきっと、俺が自分の弱い部分を――少なくとも、弱い部分や醜い部分があるという事を――認めることが出来たからだと思う。
その、他人には絶対に見せたくない部分を、彼女たちには知っていて欲しいと思えたからだと思う。
心の底から信頼できる仲間。心を預けられる相手。
元の世界に帰って、またそんな相手に出会えるかは分からない。
そこで今と同じように、弱い自分を認められるかは分からない。
それでも俺は、自身を肯定することを諦めたくない。
今は、そう思えている。
それだけでも一歩前進だと、そう思うことにする。
今の自分を少しずつ肯定して行って、最後にはその全てを肯定できるように。




