スタンドアップ Lv3
「ソウタが泣いてるの、初めて見たよ」
俺が涙を零す様子を見て、コトリは少し嬉しそうに笑いながらそんなことを言った。
指で頬を伝う物を拭いながら、やっとコトリとカエデに向き合う。
「多分、無意識の内にずっと強がってたんだ。二人に弱みは見せたくないって思ってたんだと思う」
二人の顔を見て、自分の表情が和らぐのを感じる。
心の強張りが消えていく。思考に絡みついていた糸は、もう綺麗に解けていた。
「だけど、弱い部分も醜い部分も、犯した失敗も間違いも、全部まとめて俺の一部なんだって気付くことが出来たから。隠す必要なんか無いって、思えるようになったんだ」
その言葉を聞いて、コトリも、カエデも微笑みを返してくれる。
「自分を変えるって事は、嫌な部分を切り離すって事とは違う。過ちを犯した自分から、全くの別人になんかなれないんだから。過去の自分がいるから、今の自分がいるんだって、そんな当たり前のことを改めて理解できたよ」
ずっと、自分の人生を浪費してきた自分自身の事を許せなかった。
だからこそ、そんな過ちを二度と繰り返すまいと心に決めて生きて来た。
変わりたい、という気持ちはいつの間にか、変わらなければいけない、という強迫観念になってしまっていた。
俺はまた、自分で自分を縛り付けていた。
「お前らに相談して……相談できて良かった」
過去の全てを、まだ許せる訳ではないけれど。
カエデやコトリが、何も言わず見守っていてくれたおかげで、俺はこの一歩を踏み出すことが出来た。
無理に変わろうとする必要なんかどこにも無かったんだ。
俺は『俺』のままで、少しずつ変わっていけばいい。そう思えた。
これでやっと、前に進み出せるんだと思う。ようやく、ほんの少しだけ今の自分を許せる気がした。
『過去』に……『あっちの世界』に置いてきてしまった『俺』の事も、ちゃんと迎えに行ってやらないとな。
「ソウタは、自分の世界に帰るの?」
俺の表情からその決意を読み取ったのか、コトリがそう尋ねた。
迷いは、もう無かった。
確信を持って、俺は頷きを返す。
「ああ、帰るよ。帰らないといけない」
その答えに、カエデが不安そうに声を漏らす。
「ソウタ……」
そんな彼女に微笑みかけて、
「何も今すぐって話じゃないよ。方法も分かんないらしいし」
コトリの方へ視線を軽く向けると、当人はバツが悪げに舌を出して微笑んだ。
失笑を返しながら、それに、と言葉を続ける。
「今は他に、やらなきゃいけない事もあるしな」
視線を投げた先でコトリと目が合って、明るい笑顔を向けられる。
「『魔王』を倒す、っていうのは俺の願いじゃないけど、そう願うお前らの力になりたい。それは間違いなく俺の願いだから」
今なら自信を持ってそう言える。
誰に何と言われようと――それが喩え自分自身だろうと――これが俺の願いで、俺の目的だ。
誰に強制された訳でもない、俺の意志だ。
「だから、その願いのために、俺を手伝ってくれるか?」
差し出した手を、カエデが握り返してくれる。
「もちろん……!当たり前、でしょ?」
握手を交わす手の上に被せる様にコトリが手を載せる。
「こちらこそ、これからもよろしくねっ」
俺の右手を包み込む体温は、柔らかく、そして暖かかった。
*
「それで、さっそく相談なんだけど」
出し抜けに口を開いた俺に、カエデが心配そうに声を返す。
「寝てなくて、大丈夫?」
「コトリが持って来てくれた水のおかげで、だいぶマシになってるから大丈夫だよ。それに、あまりゆっくりしてもいられないからな」
「それって……」
カエデの目が小さく見開かれる。
その表情を見るに、察しがついているであろうカエデに、頷いて言葉を返す。
「ああ、やっぱり森精種統治域に行きたいんだ」
「……けど、組合の許可が無いと、入れて貰えないんじゃない?」
確かに、人間種組合の組合長には帰還命令を受けている。今の情勢を考えれば、各種族組合間での合意が無ければ領内に受け入れて貰うことは難しいだろう。それどころか、ディヴァイワル上空を飛ぶことすら避けるように言われているくらいだ。
俺は彼女の意見を首肯する。
「そうだな。普通に行っても難しいだろうけど、それについては少し考えがあるんだ。まあ、こっちに関しても詳しいところは相談させて欲しいんだけど、何にしてもまずは魔王崇教って奴らをどうにかしないといけない」
「相談って言うのはその事なんだね?」
コトリの質問に肯定で返す。
「崇教徒を操ってる親玉を倒すには、周りの援護射撃がどうしても邪魔になる。コトリには、俺に飛んでくる攻撃への対処を頼みたいんだ」
すると、カエデが少し不満げに声を漏らす。
「わ、私の事は……頼ってくれないの?」
慌てて、俺はその言葉を否定する。
「いや、違うよ。そういう事じゃなくて……!」
そんな様子をニヤニヤと見守りながらコトリが口を開く。
「カエデ。ソウタはもうとっくにカエデの事を頼ってるんだよ?」
「……え?」
「だって、ソウタが魔王崇教のリーダーと戦って、私がその援護をするって事は、それ以外の全部の敵をカエデに任せるって事なんだから」
驚いたような、喜んでいるような、そんな表情を浮かべるカエデ。
「そっか。そう…だったんだね」
俺は彼女に問いかける。
「簡単な事じゃないとは思うけど、頼めるか?」
力強く、カエデは頷く。
「うん。任せて……っ」
大役を引き受けてくれた彼女に「ありがとう」と礼を述べて、本題を切り出す。
「で、もう一つ相談が……っていうかこっからが本番なんだけど。たとえタイマンに持ち込めたとしても、俺があいつに勝てるって確信が持てないんだ」
以前の戦闘はあちらが圧倒的に有利な状況だった。あそこで見たものが全てという訳では無いだろうし、奥の手を隠している可能性は大いにある。確実に勝利を収める、あるいは、最低でも負けないためには、あらゆる事態への対応策を立てておく必要があるだろう。
「素直に弱音を吐くソウタってなんか新鮮っ」
「茶化すなよ」
照れ隠しに顔を背ける。
「ごめんごめん」
コトリは可笑しそうに笑いながら、俺の相談に対する答えを用意してくれる。
「まず、一番に警戒しないといけないのは、やっぱりあの首輪だよね」
「味方を操ってる魔法だよな」
「そうだね。でも、飛竜種の時とは微妙に違うと思う」
飛竜種に掛けられていた洗脳魔法は、強制的に命令を聞かせているような感じだったが、味方に使っている物はそれとは違うという事だろうか。
尋ねる前に、カエデが先に口を開いた。
「違う、って言うのは?ただの洗脳……じゃないの?」
「うーん、なんて言うか、一方的に縛り付けてるって感じじゃなくて。お互いに繋がってるって感じがしたんだよねー」
「そんな事まで分かんのかよ。お前ってホント何でもアリだよな」
「何か、魔力の流れ?みたいなのかそんな風な気がしたってだけなんだけどね」
恐ろしく感覚的な推論ではあるが、こいつの感覚はある種、超常的な所があるからな。
考慮に含めるだけの価値は充分にあるだろう。
「あと気になるのは……やっぱり、攻撃に使ってくる魔法、だよね」
発動するときに呪文のようなものを唱えていた。明らかに冒険者の使う魔法じゃない。
俺の戦ったリーダーは防御の魔法を使っていたし、攻撃魔法だけとも限らないというのも注意が必要な点にはなるだろう。
似たような物を前にも見たことがある。初めて行ったダンジョンで、誘拐犯が扮する少年が使っていた。
今度は自分の口で疑問を投げかける。
「あれは、即席魔法なのか?」
「うん。それの応用だと思う」
質問を肯定し、補足で情報を付加する。
「普通の即席魔法は紙とかに欠損魔法陣が書いてある物で、一度使用すると、魔力の影響で魔法陣が焼き切れちゃうから使い物にならなくなっちゃうの。けど、あの人たちは何度も使ってたし、魔法陣が書いてある何かを取り出してる風でも無かった」
「もしかして……あのコート?」
「たぶんそう。あの人たちが着てた黒いコートに魔法陣が刻まれてて、そのコートを『防具』として登録することで自動防御術式の対象に含ませてるんだと思う」
そうすることで、魔法陣が『焼き切れる』ことを免れているという事か。
しかし、『防具』の登録が出来るって事はあいつらも冒険家崩れって事になるんだろうか。魔物の凶暴化の影響で冒険家を退く者も少なくないのかも知れない。にしても、もう少し真面な再就職先を選んで欲しいものだが。
「なるほどな。今のところ主に警戒すべきはその二つか」
「うん……そうだね」
「今日中に作戦をまとめて、明日には船のみんなを説得しないとっ」
「イーピアルには、後どのくらいで着くんだ?」
イーピアルからヤマトへ向かう際の当初の予定では、2・3日の航程だったはず。航路の半分以上を過ぎてからでは、引き返すという提案の通り辛さは一段上昇するだろう。
「大丈夫。『魔王崇教』が追って来ても追いつかれにくいように大きく迂回してイーピアルに向かってるらしいから」
「明日の朝なら……きっと、まだ間に合うよ」
「もしダメでも、私たちが絶対説得するからっ!!」
どうやら、この期に及んで弱気になっている場合ではないらしい。
今はとにかく、前に進むことだけを考えよう。