In the dark Lv2
速足でソウタの部屋を出て行ったコトリの後を追って、私も半分ほど開いたままの扉へ向かった。
部屋を出るときに、扉を閉めるために振り返った視界に、ベッドの上で座っているソウタが映り込む。
だけど私は、今の彼に何を言ってあげていいのか分からずに、そのまま扉を閉めた。
コトリが駆けていった方へ歩いていくと、食堂の大きなテーブルの周りに並べられている椅子の一つに、彼女が座っていた。
普段は休憩時間の船員さんたちが食事を摂ったり、おしゃべりをしたりしているけれど、今はたまたま他の人はいないみたいだ。
私が入って来た扉に対して、背を向けて座っているコトリに歩み寄って声を掛ける。
「コトリ……大丈夫?」
こちらを振り返って、コトリが力ない笑顔を向ける。
「あはは……失敗しちゃった」
そんな彼女の隣に、私も腰かける。
コトリは私に向けて……あるいは宙に向かって言葉を続ける。
「ソウタが悩んでいるなら、力になってあげたかったんだけどなぁ。疲れてるソウタの気持ち、考えてあげられてなかった」
私は正面に顔を向けて、コトリが見つめているあたりに視線を投げる。
「コトリは何も悪くないよ」
「そうかな?」
「ソウタの様子がおかしいこと、私は気付けてなかった。コトリは、ソウタが何か抱えている事にちゃんと気付いて、出来ることをしてあげた」
だから、何も間違った事なんか無いよ、と。
そう言葉を掛けた私の方に不器用な笑顔を向けて、
「うん、ありがとう」
コトリはそう言った。
そんな彼女の表情の意味を、私は知っていた。
自分が傷ついているとき、そのせいで誰かを傷つけてしまいたくないとき、コトリはこうやって痛々しく笑う。
嘘なんか苦手なくせに、苦しいのは自分のくせに、他人のために必死で笑顔を浮かべるんだ。
「……ねぇ、コトリ」
彼女に視線を合わせた私の目を見て、コトリは小さく首を傾げる。
私は言葉を続ける。
「コトリにも、そんな顔は似合わないよ?」
コトリの目が僅かに見開かれたような気がした。
「……えへへ」
諦めたように笑い声を漏らしたコトリの表情が、悲しみとも痛みとも言えない色に染まる。
正直な心情を表に出して、ぽつりと言葉を零す。
「やっぱり、カエデにはバレちゃうよね」
「当たり前でしょ?幼馴染、なんだから」
答えた私に、コトリは疑問を口にする。
「けど、どうして?」
何が、と尋ねる前に質問が続く。
「今まで、私が何かを隠してるって思ってても、カエデがそんな風に言った事無かったのに」
やっぱり、コトリに隠し事は出来ないな。
私が気が付いている事に、ちゃんと気付いていたんだ。
「こういう時、カエデは私の気持ちを察してくれて、そっとしておいてくれたでしょ?」
「そうだね」
観念して、私も本当の気持ちを打ち明ける。
言葉を探すように宙空に視線を泳がせる。
「前はね……コトリがそっとしておいて欲しいって思ってるときは、そっとしておいてあげるのが優しさだと思ってたの。私に気を遣って何も言わないなら、私も気を遣って何も聞かないのが、コトリのためだと思ってた」
コトリは、黙って私の言う事に耳を傾けてくれている。
「だけど、それは違うって気が付いたの。……本当は全部、自分のためだった。私が傷つきたくないから、コトリの痛みに気付かないふりをしてただけだった」
「そんなこと無いよ。カエデはいっつも私の事を想ってくれてた」
その優しさに、私は首を横に振る。
「本当はどうだったか、なんて、今はもう分からない。コトリのためだったかも知れないし、私のためだったのかも。それとも、その両方だったかも知れない。その時の私の行動が、正しかったのか間違っていたのかも……もう分からない」
それでも、と私は言葉を次ぐ。
「少なくとも今は、自分の気持ちに嘘を吐くのは違うって、思ってる。悩みがあるなら打ち明けて欲しい。力になれることがあるなら、力になりたい。コトリのために、出来ることをしたい。気付いているのに気づかないふりをして、何もしないなんて、今の私はしたくない」
痛みや悲しみの上に、戸惑いや驚きを浮かべるコトリの瞳を、覗き込んで告げる。
「……コトリも、同じように思ったから、ソウタにあんな風に言ったんじゃない?」
少しの間、何かを考えるように沈黙して、やがて何かに得心したように首を何度か縦に振る。
「うん……そう、だったのかも、知れない」
頭の中を整理するように、一つ一つ言葉を取り出していく。
「ソウタが何かで悩んでるのが分かって、でも、何で悩んでるのかまでは分からなくて。それでもソウタのために、何かしてあげたかった。ソウタが苦しんでるのを、そのままにはしたくなかった」
きっと、コトリには他の人よりも沢山の物が感じ取れてしまうから。
そしてコトリは、とても優しいから。
だから必要以上に、いつも周りに気を遣ってしまっているんだと思う。
いつも笑っているから能天気な印象を持たれやすいけど、それもきっと、自分の笑顔が周りを明るくすることを、無意識にでも分かっているからなんだろう。
コトリはいつでも、周りの誰かのために笑っているんだ。
「やっぱり、カエデは頭いいなぁ」
ぼんやりとコトリを見つめていた私に、彼女はそんなことを言った。
「私は頭悪いから。他人がどう思ってるのか、何となく感じ取れても、それを上手く言葉にできない。どうしてそんな風に感じてるかって事まで分からない」
そこまで口にして、ううん、と首を振る。
「自分が考えてる事だって上手に表現できない。何で自分がそんな風にしたのかすら。カエデに言われて、すごくスッキリしたもん。ありがとう、カエデ」
「そんな……私は、別に、思ったことを言っただけだから」
急に褒められて、恥ずかしさに顔を俯かせる私の両肩に手を添えて、
「カエデは、ホントにすごいよっ」
一点の曇りもない笑顔でコトリは言った。
コトリにそんな笑顔で言われると、どんな言葉でも真実に思えてしまいそうだった。
励ますつもりが、逆に背中を押されてしまった。
……凄いのはコトリの方だよ。
いつの間にか、私の顔にも笑顔が浮かんでいた。
「きっとカエデなら、ソウタの事も助けてあげられるよねっ」
ソウタの助けになってあげたいのは、私もコトリと同じだ。
言われるまでもなく、元よりそのつもりだったけれど、コトリにそう言われては余計に断れない。
本当は少し、ソウタと話をするのは怖かったけど、その不安を取り除くだけの勇気は充分もらった。
今度はこの勇気を、私がソウタにあげる番だ。
「うん、任せて……っ」
コトリの顔を見つめ返して、力強く頷いた。




