シャドウ Lv3
たとえ、『この世界』で生きてきた『ソウタ』という人間が偽物だったとしても、コトリやカエデはそんな『俺』を必要としてくれたんだ。必要としてくれているんだ。
自らに言い聞かせるように……いや。
後ろ向きな自分自身の思考を打ち消すために、そんな言葉を繰り返し自らに言い聞かせる。
本当の俺がどんなものであれ、彼女たちは『今の俺』を大切な仲間だと言ってくれているんだ。
――大切な仲間、ねぇ?
『俺』が心の奥底で嘲笑う。
脳みその奥で低く響く頭痛が、暗い感情に拍車をかける。
頭が重たい。思考の糸が絡まる。
それを好都合とでも言うように、俺の裏側が好き勝手に言葉を紡いでいく。
――自分でも気が付いているくせに、白々しいな。
うるさい。もう黙れよ。
そんな言葉も虚しく、俺の中で膨れ上がった負の感情は言葉を垂れ流す。
――あいつらが必要としているのは『お前』じゃない。本当に必要とされているのは『異世界人』だ。
異世界からやって来た『魔王』に、同じく異世界からやって来た人間ならば対抗しうるかもしれない。コトリ達はそう考えたから、『異世界人』を召喚することにした。
そして、『この世界』にたまたま喚び出されたのが俺だった。
それだけの、たったそれだけの事だ。
――そうだ。あいつらがお前を仲間扱いしているのは、それが自分たちの目的のために必要なことだからだ。
分かってる。俺自身には、『俺にしかない価値』なんて無い。
異世界から来た人間であれば、誰だって良かった。
――『向こう』にいた時と同じ。お前の代わりなんて、誰にだって務まるんだよ。
別に、それでも良かった。
誰に何を言われようと、今『ここ』にいて、彼女達に必要とされているのは、求められているのは、頼りにされているのは、役に立っているのは、誰でもない俺なんだから。
――そうだな。お前にとっても、別に誰でも良かったんだもんな。
我ながら、次から次へとくだらない戯言を思い付くものだ。心の中から響く声には、耳を塞ぐ事も出来ないから質が悪い。
――お前は、誰かに求められたかった。頼りにされたかった。認めてほしかったんだ。
それはそうかも知れない。
『あの世界』で、俺は自分に存在価値を見出せず、自分が生きている意味も、生きていく理由も分からないままでいた。
だから、俺にもちゃんと価値があるってことを教えて欲しかったのかも知れない。
お前も生きていていいんだって認めて欲しかったのかも知れない。
――そんな醜いエゴ、くだらない欲求を満たしてくれる相手なら、誰でも良かった。それが別にコトリで無くても、カエデで無くても、どうでも良かった。
そんな事はない。俺にとって、二人とも大切な仲間だ。
コトリは能天気で、ズケズケと物を言ってくる所があるけど、他者を思いやれる優しい奴だ。いつでも俺のやりたい事を理解してくれて、背中を押してくれた。
カエデは気弱で人見知りだけど、本当は芯の強い女の子だ。心配ばかりかけて来たけど、いつでも俺の気持ちに寄り添ってくれて、傍で支えてくれていた。
――コトリはいつも、心を読んだみたいに心情を察してくれて、言葉にしない心の内にまで土足で踏み込んできた。そのことに、心地よさすら感じていたんだろ?
自分の存在意義を見つけられず、そんな世界から逃げ出したいと思っていた。そんな想いを誰にも言い出せず、心の内に抱え込んでいた。
誰にも心配を掛けたく無かったし、情けを掛けられたくなんか無かった。それでも、誰かに気付いてほしかった。
矛盾した感情を抱えて生きていた俺は、コトリのように接してくれる相手を求めていたのかも知れない。
――カエデはいつも、黙って付いてきてくれて、それでも『俺』のする事をちゃんと見てくれていて、道を踏み外しそうになった時には止めてくれもした。自分を肯定して、見守ってくれてる人間が居ることに、安心感を覚えていたんだろ?
誰にも必要とされていなかった。誰も俺を肯定してくれなかった。そんな自分自身を、自分ですら認めてやることが出来なかった。
自分に自信が無かったせいで、行動を起こすことが出来ずにいた。失敗を恐れて、現状が悪化することを怖れて、結局は繰り返しの『作業』に甘んじていた。
そんな俺を彼女が信じてくれたから、俺は自分の選択に自信を持つことが出来た。カエデがいてくれたおかげで、俺はいつも、一歩前へと踏み出すことが出来ていたのかも知れない。
――本当に、おめでたい奴だな。
冷たい言葉が、胸を突き刺す。
――『この世界』でお前が『自分らしく』生きられているのは、自分ですら気付いていないお前の本音を、コトリが引き出してくれたからだとでも思っているのか?全部、あいつの都合の良いように誘導されて、自分の意志だと思い込まされてるだけだって分かっているくせに。
横向きに転がした体を、自分で抱え込むようにして丸めて痛みに耐える。
――気が弱くて人見知りなカエデが、自分に似ているとでも思ってたか?あいつの芯は強くて真っすぐで、お前とは正反対だ。弱いお前は彼女に支えられて、いつしか進む方向すら決められて、『理想のソウタ』を演じさせられていたんだ。
だからどうした?だったら何だ!?そんなのは何一つ関係ない!!
――『だって俺は、必要とされているんだから』、か?
心の底から、『声』がつまらなそうに、くだらなそうに告げる。
――違うだろ、それは。本当の理由は、『ここがお前にとって居心地が良いから』だ。
胸が締め付けられる。心が軋む。自分の思考を、自分で制御できない。
――自分の意志を疑っても、都合よく利用されているだけなんじゃないかと思っても、お前がそれを受け入れ続けているのは、『ここ』にはお前を否定する奴がいないからだ。
自分を否定する感情が次から次へと溢れ出してくる。
呼吸が苦しい。息を吸っても、肺に上手く空気が入ってこない。
――お前が大切な仲間だと呼んできたものは、お前が必死に守ろうとしてきたものは、コトリでもカエデでもない。お前はただ、自分の居場所を守りたかっただけだ。
心臓の鼓動が不規則に乱れ始める。吐き気にも似た感覚が込み上げてくる。
「あ……ああ……!」
胸の中に抑え込み切れない痛みが、絞り出すような声となって口から吐き出される。
涙が目から零れ落ちる。
なおも、追い打ちをかけるように声が響く。
――今まで執拗に自己犠牲を払ってきたのは、コトリやカエデに傷付いて欲しくなかったからじゃない。傷付くことで、自分は必要とされている、役に立っているんだと思い込みたかったらからだ。
俺は……俺が、守ろうとしてきた物は、そんな自分勝手で傲慢な物だったってのか……?
――お前が過去の自分を棄てて手に入れようとして来た物は、『俺』を否定して守ろうとしてきた物はそういう物だ!お前はコトリやカエデを一人の人間としてすら見ていない。お前にとってあいつらは、自分を引き立てるための飾り。お前の心を守ってくれる、都合の良い玩具なんだよ!!
自分の本来いるべき世界から逃げ出して、過去の自分を無かったことにして、偽物の自分を守るために……俺はずっと、二人の優しさを、人としての尊厳を、踏みにじって来たっていうのか?
もしも、本当にその通りなら。
だとしたら、俺は……
――そうだ、お前は――
……最低だ。
――最低だ。




