終章 あのばしょから
「お湯屋さんに行こうっ」
症状が治ったのにいつまでも世話になっている訳にも行かないので――結局、コトリ共々三人揃って朝食までご馳走になっておいて今更言うことでも無いのだが――ジーヂャン先生の元を立ち去り、本来滞在していた宿屋へ向かう途中でコトリが何の脈絡もなくそんな言葉を発した。
「急にどうしたんだよ?」
「さっきヤギのお医者さんに聞いたんだよっ。この町にはおっきなお風呂屋さんがあるんだって!」
何やら二人で話し込んでいるとは思っていたが、そんな話をしていたのか。
「たまにはゆっくりお風呂に入りたいでしょ?」
確かに、長い船旅でロクに風呂になど入っていない。俺たち冒険者は風呂に入ることは疎か体を洗い流す必要すらないが、やはり気分的には湯船に浸かって疲れを取りたい物ではある。
瞳を爛々と輝かせるコトリから視線を外して、反対側にいるカエデの表情を伺うと彼女と目があった。心做しかその瞳には期待の光が宿っているようにも思える。彼女もコトリの提案には乗り気ということらしい。
「そうだな。後で行ってみるか」
俺の返答に喜びの声を上げるコトリを遮って、ただ、と続ける。
「その前に寄って置きたい所があるんだ」
歩きながら飛び跳ねていた少女は、つと動きを止めて目を瞬かせた。
*
お世話になった宿屋にてお詫びとチェックアウトを済ませた後、俺達は随分と馴染み深い場所になったiイーディオ城にやってきていた。
「またお前らか。殿は突然やってきて会えるようなお方では無いのだぞ?」
うんざりしたような表情の門番に、
「すみません、手短に済ませますので」
殆ど顔パスで城門をくぐり、殿様の待つ部屋へ案内される。
「失礼します。例の一行が殿にお目通り願いたいとのことです」
「通せ」
家臣に通された部屋で、壇上に座る虎の獣人に頭を下げる。やっぱりこういう場所は緊張するな。
「お忙しいところ、すみません」
「堅苦しい挨拶は必要ない。そこに座るが良い」
一段低くなった空間に並べられた座布団に、促されるまま腰を下ろす。
殿様は三人の顔を見渡して口を開く。
「どうやら上手く行ったようだな」
「はい、お陰様で」
俺は霊山に至るまでの道のりや、たどり着いた先での出来事、そしてコトリが目覚めるまでを掻い摘んで説明した。そして、もう一度ここへやって来た目的も。
もちろん、色々と迷惑をかけた謝罪とお礼をするためでもあるが、もう一つ。神々から重要な伝言を預かっている。
「……そうか。イザナキ様とイザナミ様が」
彼らが『存在』の存続のために『信仰』を必要としていることを聞いた殿様は深い溜め息を漏らした。
「超聖霊にとって『信仰』と言うものが大切なことは理解しているつもりだった。だから定期的に城の者たちで宗教儀式を行うことで『信仰』を捧げてはいたのだが、よもやそれ程までに困窮していたとは」
「定期的に儀式をしてたんなら、誰かが同じように言われてたりしたんじゃないですか?」
「それが……」
口にした疑問に、彼はバツが悪そうに言葉を濁す。
そして、俺とカエデに視線を投げて、
「其の方らも『霊山』に登ったのなら見たであろう。あの山には注意対象が出現していたのだ。『魔王』の魔力に影響を受けていないそれの影響で『霊山』全体の魔物も統率され、討伐は困難を極めていた。それ故に儀式も『霊山』に立ち入らない形で行わざるを得なかったのだ」
「そういう事でしたか」
彼が霊山への立ち入りを許可してくれたのも、俺達がその注意対象を倒すことを期待したからでもあったのかもしれない。
「だが、其の方らがあれを倒してくれたのなら儀式もこれまで通りに行うことも出来るし、一般人を入山させることも可能だろう」
安心したような台詞に、今度は俺たちが口を淀ませる番だった。
「あー、いや。その」
「?」
眉を顰めた殿様に対して、カエデが言葉を次いだ。
「実は……私達、そのボスに……会ってないんです」
「……何?」
俺はカエデに代わって、魔物たちに入り口で追い返され、上空から頂上に行った経緯を説明する。
「事情は理解した。とは言え、我が国を守ってきた神々がお困りなのを放って置くわけにも行かない。何か、方策は考えよう」
殿様の返答を受けて、俺達は頭を下げて礼を述べた。
『秘宝』があの山に無くなった以上、モンスター達も『魔王』の魔力に影響を受けることになるはずだ。凶暴性は増しても、統制が取れなくなれば討伐の難易度は幾分下がるのでは無いだろうか。後のことはフェイラン達が解決してくれる事に期待しよう。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「礼を言われるようなことではないさ。この国の事情を何とかするのが儂の役目。むしろ、神の言葉を伝えてくれたとこに感謝せねばならんのはこっちだ」
ヤマトへ来たことも、ここでしたことも、自分の望みのためにしたことだ。だとしても、それが少しでも誰かのためになったのなら良かったと、そう思えた。
*
城での用件を済ませ、コトリの希望通り湯屋へと向かった。
「そ……ソウタ。覗いちゃ、駄目…だからね?」
番頭さんに料金を支払って、男女で別になっている浴場への入口前でカエデが上目遣いでそんな事を言う。
一体俺は何だと思われているんだ。仲間への信頼とかどうした。
「そんな事しないって」
両の掌を示して潔白を訴えると、少女はプイと顔を背ける。
そんな表情を傍目にコトリは笑顔を作って、
「大丈夫だよっ、私はそんなの気にしないからねっ」
フォローになってねーよ。
「おう、じゃあ後でな」
アホを無視して先に男湯の暖簾をくぐる。背中から「あとでねーっ」と脳天気な声が飛んできた。
衣類を全て個人倉庫にしまい、浴場へ入る。まだ午前中だからなのか俺以外に人はおらず、貸し切りの状態だ。そもそも体も汚れていないので、洗い場で適当に体を流して湯船に浸かろうと浴槽に張られた湯に足を触れる。
「あっつ!」
驚くほどの熱さに反射的に足を引っ込めた。軽く45度位はありそうな気がする。風呂は温めの方が好きなんだけどな。
湯に浸かれるか不安になりながら、水面を爪先で突いていると不意に背後から声が掛かる。
「ソウタ、大丈夫?」
「え?」
思わず振り返ると何故かそこにはコトリが立っていた。しかも全裸で。
「うわっ!!」
身を仰け反った拍子に足を滑らせ、俺の体はそのまま熱湯へ。
「熱っ、熱い、あっつい熱い熱い!!」
「わわ、ソウタっ!氷結束縛!!」
余裕で足の付く深さで溺れかけているとお湯の一部が凍り付く。氷によって適温まで下がった湯船で落ち着きを取り戻した俺は改めて湯の底に座り直して目の前の少女に戻しかけた視線を、浴槽の端に投げ捨てる。
「で、お前は何をしに来たんだよ?」
「ほら、お湯がすごく熱かったからソウタも困ってるんじゃないかと思って」
「冷ましに来てくれたって訳か」
「そういうことっ」
そもそもお湯に氷を入れて冷ますとかマナー違反じゃ無かろうか。
「て言うか、せめて少しくらいは隠せよ」
「だって見たいでしょ?」
「別に見たくねーよ!!」
その返答に不満そうに唇を尖らせ「えー」と声を漏らす。
「それに、最近私の出番少なかったでしょっ?インパクトを残しとかないとっ」
誰向けにだよ。あと、インパクトの方向性も間違ってるからな。
「で、そろそろ隠せよ。つか帰れよ、もう充分適温だよ!つかどうやって入ってきた!?」
今更な疑問だが、入り口から普通に入ろうとすれば普通に番頭に止められるだろうし、空間移動では『部屋』の中には入れないはずだ。
「だってほら」
最後の疑問形以外は聞こえていなかったのか、コトリはどこも隠すことなく右手で女湯と男湯を仕切る壁を指差した。よく見ると天井付近には空間があり、どうやら完全に区切られているわけでは無いらしい。男女の浴室を合わせて一つの『部屋』と認識されているということか。
コトリの台詞に反応したわけでは無いだろうが、そのタイミングで壁の向こうから声と湯桶が投げ込まれる。
「ソウタの……えっち!」
だから!俺は!!何もしてないんだが!?
眉間に直撃した鈍器のようなものに沈められながら、ほぼ恒例になったこんなノリさえもひどく懐かしい物に思えて我知らず口元が緩んでいた。
「ソウタ、こういうのが好きなの?」
差し出されたコトリの手に腕を伸ばしながら、
「ちげーよ」
別に痛みに快感を覚えるタイプではない。
あと、隠せ。
俺の手を引くコトリの顔を見上げて、その時の視界が『この世界』に来てすぐの事が脳裏に重なった。
あの時、彼女によって召喚された倉庫の中で、立ち上がった少女は床に胡座をかいていた俺に手を伸ばして促した。
確かコトリは「ほら、異世界人さんも行こっ」と言って、そして俺は「異世界人さんはねぇだろ」と苦笑いで言葉を返してその手を取ったんだ。
あれからまだ、と言うか、もう、と言うか一ヶ月くらいだろうか。あのときは『魔王』討伐なんて途方の無いことのように思えたけど……いや、今でもそうだな。
「どうしたの?」
コトリの手を握って座り込んだ体勢で動きを止めた俺に、小首を傾げて問う。
「いいや、何でも」
苦笑を作って、手を引かれるままに立ち上がる。
世界を相手取る強大な敵、『魔王』を倒すなんて途方も無いことだ。それでも、俺達はそれを成し遂げると決めて冒険に出た。どちらに進むのが正しいのかもわからないままに進み続けて、あの小さな倉庫から始まった旅もこんな所までやってきた。
今まで歩んできた道のりが正しかったのかなんて分からない。これからどうなっていくのかも。
「少しは隠しなよ」
立ち上がった俺に少女がそんな言葉を投げかける。
お前が言うなよ。
とは思ったが、忠告は素直に受け取って置くことにする。
彼女の手を離してお湯に体を沈めようとしたところ、ニッと笑ったコトリの手が俺の手を掴み直し、
「空間移動っ」
「ちょ……ッ!?」
抗議する間も無く目の前の景色は遷移する。と言っても、そこまで大きく変化したわけでは無かった。
「そ、ソウタ……っ?」
背後からのカエデの声にビックリしたのと、座りかけのバランスの悪い姿勢のせいで再び湯船の中にダイブすることになる。
「おい、コトリ!」
やっとの事で振り返り声を飛ばすが、楽しげに表情を歪めた少女は構わず飛び込んでくる。
自らの身体を抱くように隠しながら顔を真赤に口をパクパクさせるカエデ、俺に続いたコトリの飛び込みによって生み出された波に飲み込まれて溺れかける俺、そして無邪気にはしゃぐ張本人。もう無茶苦茶である。
俺達の進んできた道が正しかったなんてわからない。
けど、俺達はいつだって自分たちの『正しさ』を信じて前に進んできた。それは誰に何と言われようとも絶対だ。だからこれからも、俺達は思うままに進んで行けばいい。壁にぶつかったり、道に迷ったり、疲れたときには休んだり。
自分たちの道が正しかったか、なんて、全てが終わってから考えれば良いことだ。
どうせ、道半ばの俺たち分かることなんてそう多くは無いんだからさ。
……因みに。
その直後、俺達の騒ぎ声を聞きつけた番頭が浴場に入ってきた。俺は寸前にコトリの空間移動で男湯に放り込まれたため事なきを得たが、誰もいないとは言え大声で騒いでいたことと湯船を凍らせた事をこっぴどく怒られていた。
カエデは若干巻き添え感はあるが、コトリはこれで少しは反省してくれると助かる。