そして、夜が明けた。 Lv3
通話を終えて建物の中に戻ると、ジーヂャンさんが食事の途中で危なっかしく舟を漕いでいるカエデの手から、そっと箸を取り上げている所だった。8割型は食べ終えているようだが、彼女もやはり疲れていたんだろう。彼女の体はゆっくりと傾きを大きくしていき、布団で横になるコトリの体に覆いかぶさるように倒れ込んだ。
ジーヂャンさんが皿を横に退けていてくれなかったら少し大変な事になる所だった。
「おかえり。君はまだ食べるよね?」
医者はカエデの背に布を被せながら、部屋に上がってきた俺に声を放る。
「あ、はい。ありがとうございます」
「どこに行っていたんだい?」
「えーと……少し、外の空気を吸いに」
彼にまで隠す必要の無いことではあるが、説明も面倒だったので適当にごまかす。
「眠たいなら寝たほうが良い。言ったろう?無理はいけないと」
「大丈夫ですよ、俺は」
食事の続きをするために皿の前に座り直した俺の正面に、ジーヂャンさんも腰を下ろした。
箸で魚の身を切り分けて口に運ぶ。
「味はどうだい?」
「とても美味しいです」
「それは良かった」
白ひげの医者は優しく微笑んだ。そして、少し真面目な表情を作って話を戻す。
「君は、自分は大丈夫だと言ったね?」
「え。……あ、はい」
数瞬前の自らの発言を思い返して、頷く。
「だけどね。自分のことは自分が一番わからないものなんだよ」
「……そんな物、でしょうか?」
「自分自身の体だからこそ、自分では気がつけないような変化や問題もあるものなのさ」
彼の言葉の意味を全ては理解できないけれど、言わんとしていることはなんとなくわかる気がした。今回のコトリの事だって、近くに居た俺達が、ちゃんと気付いてやるべきだったのかもしれない。
「だから」
自分なりにジーヂャンさんの言ったことの意味を考えて、思ったことを尋ねてみる。
「だから、ジーヂャンさんは医者になったんですか?」
意外そうな表情を覗かせた後に、彼は小さく笑って言葉を返した。
「それもあるかも知れないね。自分では分からないからこそ、僕らのような医者が、具合の悪い人や体調を崩しそうな人を見つけてあげなくちゃいけない」
いつの間にか箸を止めていた俺に、食事を続けるように手で促しながら、彼はさらに言葉を次ぐ。
「魔法や魔術の進歩のおかげで、怪我や病気をすることは格段に減った。医者の役目も無くなるかも知れないと思ったこともあったよ。けれど、それは違った」
「?」
「魔法が使われるようになれば、今度はそれが原因となって問題を引き起こすことになる」
魔力循環不順。コトリの意識を奪った症状も、意図的に体内の魔力粒子を操作する技術が存在していなかった時代には無かったものだろう。
「いくら技術が進んだところで、それを使う側が強くなった訳じゃない。命というのは、儚く脆いものなんだよ。多少無理が効くようになったからと言って、それを通し続ければいつかは壊れてしまう」
それは変わることの無いものなのさ、と呟くように言って、
「つまるところ、医者の言うことは聞いておくものだよ?」
重みのある言葉で沈みかけていた空気を払拭するように、冗談っぽく笑った。
*
夜の峠を越えて、外の景色が徐々に白み出した頃。ついに待ち望んでいた声が、医者の言葉に従って浅い眠りに浸っていた俺の耳に届いた。
「う……うーん」
身体を跳ね起こし、僅かに身動ぎする少女の顔を覗き込む。
「こ…コトリ?」
浮上した意識が行燈の光を嫌って瞼を固く閉じ直させた後、コトリがゆっくりと目を開く。彼女は俺の視線に気が付くと、のんびりと言葉を零した。
「あ、おはよう……そうた」
緩みかけた涙腺を引き締めると、引き換えに口元から力が抜ける。
「おはよう、じゃねぇよ。……ったく、心配させやがって」
そう言った俺の顔を不思議そうに見つめてから、右手の横で突っ伏して寝息を立てるカエデを見つけて、布団の反対側に座っている山羊の獣人に視線を移し、こちらに戻ってきた。
コトリはキョトンとした表情で、
「何かあったの?」
どうやら本人には全く自覚が無いらしい。既に懐かしいとさえ思える呑気さに失笑しながら返事する。
「お前、丸4日は寝たまんまだったんだぜ?」
「えっ、そんなに?」
元眠り姫の上げた驚きの声に、傍らで眠っていたカエデも目を覚ました。
「あ、寝ちゃってた……」
跳ねるように体を持ち上げた拍子にコトリと目が合った彼女は、体を硬直させて言葉を失った。そして思い出したように見開かれながら、瞳が涙で潤んでいく。
布団の中の少女はそっと微笑を作って口を開いた。
「おはよう、カエデ」
その言葉を皮切りに決壊した涙が溢れ出す。
「コトリ……コトリ……っ!」
覆い被さるように抱きついた幼馴染の頭に手を添えながら優しく言葉を掛ける。
「ごめんね、色々と迷惑掛けちゃったみたいで」
「そんな、そんなこと……!」
掛け布団に顔を埋めて泣いているカエデの髪の毛を撫でながら「ありがとう」と礼を述べたコトリのお腹から、ぐうう、と大きな音が鳴り響いた。その音で思わず涙を止めたカエデとコトリが顔を見合わせて互いに笑顔を漏らす。傍らで様子を見ていた医者も苦笑とともに立ち上がって、
「お腹空いてるよね。すぐにご飯を用意するから」
その場を去った白ひげの獣人の紹介をコトリにしておく。
「あの人はジーヂャンさん。コトリが寝ている間面倒を見てくれてたんだ」
「そっか。後でお礼言っとかないとね」
それで、私の寝ている間の事聞いていいかな、と尋ねた彼女に、コトリが倒れた日からの出来事を話す。
「殿様のところに話をしに行ったあとの帰り道で突然倒れたんだよ、お前。覚えてるか?」
「確かにその辺りから記憶が無いなー」
軽いな、反応が。
相変わらずな感じのコトリに安心感を覚えながら説明を続ける。
「そっからコトリを抱えてここまで来て、薬を飲ませたり看病してもらったんだけど全然目を覚まさなくてさ……」
コトリの症状が万能薬では改善できなかったこと、その原因が彼女の持っている特殊魔力にあったこと、問題の解決のために霊山へ向かい『秘宝』を手に入れたことなんかを話した。
「へー、私って特殊魔力持ってたんだ」
「やっぱり、コトリも知らなかったんだね……」
「おかげでこっちは大変だったんだからな?」
苦笑いを浮かべながらぶつけた冗談に乾いた笑い声を返してから、少し寂しそうな影を顔に浮かべて、
「けど、私がいなくても二人だけで何とかなっちゃったみたいだね」
彼女のそんな珍しい表情につい吹き出して、コトリの顔を覗き込む。
「ばーか」
頭に手を載せた俺を、意外そうな面持ちで見返した。その様子が可笑しくて、また笑顔が零れる。
「お前のためだから頑張れたんだろうが。俺も、カエデも……な?」
カエデに視線を投げると、彼女も笑みを作って頷いた。
「そうだよ。……そうじゃなかったら、きっと途中で諦めちゃってた」
コトリは俺とカエデの顔を交互に見て、俯きがちで呟いた。
「ごめんね、ソウタ、カエデ。何か、私だけ仲間はずれになっちゃったような感じがして。二人が頑張ってくれてたのに、嫌な言い方しちゃった」
「気にしないで、コトリ。……コトリが元気になったんだから、それで良いんだよ」
「そうだよ。せっかく目が覚めたんだ。お前はいつもみたいに笑っててくれよ」
二人の言葉を受けて、コトリはいつも通りの、夢にまで見た笑顔を見せた。
「本当に、本当にありがとうっ」
パーティーの完全復活を祝福するように、登ってきた朝日の光が建物の中を明るく照らした。