序章 ゲームスタート
人生なんてただの作業だ。
毎日、同じように目を覚まし、
同じように学校に行き、
同じように授業を受けて、
同じように家に帰り、
同じように風呂に入って、
同じように眠りにつく。
そして、また同じように次の朝がやってくる。
こんなことの繰り返しにどれほどの意味があるのだろうか。
そんなことを、俺は今日も同じように『作業』をこなしながら考えている。
桜も散り、若葉が芽生えだす四月も終わりころという時期で、そろそろブレザーも必要ないくらいの陽気の中、俺は自転車のペダルを重い足でこいでいる。
この『作業』も、もう何百回繰り返しただろうか。高校に入って一年と少し。もう見るのも嫌気がさすような通学路の景色を眺めながら、いつものように、そう、『作業』的に自らに問いかける。
なあ、どうして学校なんか行かないといけないんだ?
――――勉強するために決まってるだろう。
なんで、勉強なんかしなきゃいけない?
――――そりゃ、大学に行くためだろう。
大学に行ってどうする?大してやりたいこともないくせに。
――――それでも、今の時代、大学を出てないと就職もできないんだ。
そもそも、働く必要なんてあるのか?
――――金がないと生きていけないじゃないか?
だったら、なんで生きないといけないんだ?
――――……。
いつもそう。ここで返答が途絶える。
……俺は、自分の生きる目的すらも見つけられずにいる。
なぜ人は生きるのか。何のために幸せを求めるのか。そもそも、幸せとは何なのか。こんなこと、中学までは考えもしなかったことだ。あの頃はただ毎日が楽しくて、ただ、日々を浪費していた。そして今は、ただ、日々を消費している。
俺が通っている高校は中高一貫の私立高校。俺は高校からの外部生だ。
中学の頃は提出物も出さず、授業態度も悪かったために内申点がほとんどと言っていいほどになかった。それでも単純に勉強ができればそれでなんの問題もなかったのだが、当然のごとくそんなわけもなく、成績は中の下くらいの出来なものだから、併願で受けた公立の高校の受験には失敗してしまった。その同じ高校を受けた同級生たちもほとんどが落とされていたが、どうやら別の高校に入ったか後期で合格したらしいが、俺はできるだけ早く『受験』というものから足を洗いたかったために、その時すでに合格が発表されていた私立高校に通うことにしたのだ。今思えば、これからの人生を決めるかもしれない選択をするにはあまりにも軽率だった。
中学の担任からは、そこは勉強の厳しい学校だから、本当にここでいいのか?、と何度も念を押されたが、俺はそもそも自分からは勉強のできないような人間だし、だからこそ高校受験でこんな状況なわけだ。向こうから無理やりさせてくれるのであれば丁度いいと思っていた。まぁ、だから、勉強の面についてはある程度の覚悟はできていた。同じ中学からの知り合いがないことも、勉強に集中すればいいと、割り切った。毎朝小テストが科されることについても、それに再テストがあることについても、多少驚きはしたものの不平はあまりなかった。
だが、予想外の面もあった。
いや、私立高校という時点で、これもある程度は覚悟しておくべきだったのかもしれないが。その学校は風紀面でも厳しかった。制服や制靴があるのはまだいいとしても、コートもマフラーも使いたければ学校指定のものを買わなければならないし、しかも毎月のように早朝風紀検査が設けられている。朝早くから校舎の前にならばされ、髪の長さや服装を点検するわけだ。髪を染めていたりするのは論外だとしても、ベルトの素材や靴下の色、長さまでもを指定してくるのはさすがにどうかと思う。耳にかかったらその時点でアウトらしい。そのうえに、風紀検査に引っかかればその後三日間は通常より15分早めに登校しなければならないという意味不明な罰則まで科されてはたまったものではない。早くに登校することと風紀との関係性を是非とも教えてもらいたいものだが。
しかしいくら不満を抱こうとも、もともとコミュニケーション能力の高くない俺に知り合いのいない学校で友達などできるわけもなく、一人で抱え込むしかなかった。そして、それでもいいと思っていた。友達もいない。楽しみもない。なら、ひたすら勉強をすればいい、とそう思っていた。この学校に入ったのもそれが目的なのだから。風紀面の厳しさに精神的な息苦しさを覚えるのえあれば、心を消せばいい。ただ心無い人形のように、科された課題をこなしていればいい。そう、思っていた。
しかしながら俺は、ただ『繰り返される』日々の中で、魔がさしてしまったのだろう、『余計な事』を考えてしまった。考えなくていいことを、考えてはいけないことを。……そう。なぜ、俺は勉強をしているのだろうか、と。その疑問に答えはに見つからず、同時に俺は、生きる意味までをも見失ってしまったような感覚に陥った。
目の前の信号が赤に変わったのを見て、俺は自転車を止める。いくら生きる意味を見いだせないからと言って、そう簡単に死ねないし、信号無視で車に引かれて死ぬとか、愚の骨頂だ。後世までの恥さらしになるだけだ。俺はまだ、こんなちっぽけな命への未練を断ち切れていない。どうせ死ぬのであれば、車に轢かれそうになっている可愛い女の子、じゃなければこの際、猫や犬でもいいが、誰かを助けて、何かを守って死にたい。それが自己満足に過ぎないとしても、せめて、最後に自分が誰かの役に立って死んだと思って死にたい。最期くらい、自分の人生に意味があったのだと、誤解して死んでいきたい。
生きる意味を見失ってもなお、俺は『人形』であることから逃れられずにいる。同じように日々を繰り返し、消費している。どこにいようと、何をしていようと誰かの思惑の上にいるように思えてしまう。学校にいたところで俺は次の生徒を呼び込むための『広告』でしかないし、学校を売り出すための『商品』でしかない。勉強をさせるのもいい大学に行かせて、『進学率』の足しにするためだ。仮にどこかの企業に就職したとしても、会社の資本を生み出すための『歯車』でしかない。働かなかったとしても生きている限りは何かを消費する必要があり、そうすることで社会が回るのだから、大した差もないのだろう。良くも悪くも人は一人では生きられはしないのだから。
結局、人間なんて『社会』を動かすための『部品』でしかない。常に『社会に貢献』しなければならない。しかも異常をきたせばすぐにでもはじかれてしまうような、交換可能なものでしかないのだ。そんな『人間』である俺に、そもそも『生きる意味』などないのかもしれない。俺はどこにもないものを探し求めているのかもしれない。ただの『部品』が、自分に存在意義を見出そうなどと言うのはただの傲慢だったのかもしれない。大半の人間がそうしているように、俺も思考を止めて『幸せに』生きているのがお似合いなのかもしれない。『人間』として生きている限りはきっと、『誰か』の思惑から逃れることはできないのだ。俺は、思惑に、社会に、縛りつけられている。
いや、そもそも俺は、その思惑から逃れようとすらしていないのかもしれない。俺は自らを『人形』だと思いながら、そこに不満を抱きながら、現状を変えようとなどしていない。恐れているのだ。すべてを、生きる意味をも失ってしまったと思いつつもなお、失うことを恐れている。まだ、『未来』なんてものを性懲りもなく信じているのかもしれない。新たな行動をすることでもっと状況が悪くなるかもしれない、などと言う『可能性』のせいで、身動きが取れないでいる。『現状維持』なんてものに捕らわれている。現状に不満を抱いているなら行動を起こすべきなのに、ひたすらに『歯車』であることを甘受している。
今日だって、学校に行きたくない、などと言いながら、目的もないままに毎日学校に足を運んでいるのは『勉強』という選択肢を捨てられずにいるからだ。ここで『勉強』を捨てれば進学という道は確実に絶たれるだろう。大学に行くことなど意味はないと感じていながら、そんなことを恐れている。だから、勉強をする気などないままに学校に行く。結局、中途半端だ。勉強をするでもなく、しないでもない。中途半端、これほどつまらないものもない。半端な勉強で半端な結果になるのなら別のことに時間を使った方がよほど有益に決まっている。クラブや恋愛や、夢に向かった努力。『部品』は『部品』なりに楽しい『人生』を送るために一生懸命になったほうがよほど良い。だが、俺はもう、『部品』であることに慣れてしまったのかもしれない。感覚が麻痺しているのかもしれない。誰かのために生きるのは嫌だと、前は思っていたのだが。いまではもう、どうでもいい。世界の束縛から逃れようなどという気持ちは、きっともう既に奪われてしまっている。いつの間にか、逃れたいとは思うけれど、逃れようとは思えなくなっていた。
人間というのは放っておけばすぐに堕ちていくもので、楽な方に行きたがるものだ。今の俺は楽をすることを覚えてしまった。働いているようで、ただ空回りしているだけの『歯車』だ。そして、役目を果たさなくなった歯車の末路など、言うまでもないことだろう。
すべてを中途半端に為し、何を生み出すことも無くなった俺は、『進学率』の足しにすらならなくなった俺は、いつか『不良品』としてこのくそったれな『社会』から弾かれるのだろうか。それなら早くそうして欲しい。この世界の束縛から、解き放たれたい。生ける屍のような状態で飼い殺されるのにはもう、うんざりだ。
信号が青に変わった。周りが動き出したのに合わせて、俺も自転車を前に進める。と、横断歩道の中ごろまで来ただろうか、地面に何か、魔法陣のようなものがあるのに気が付いた。黄色い光で描いたようなそれに、周りの誰も気付く様子はない。不思議に思いながらもそのまま通り過ぎようとしたとき、足元の地面が、消えた。
「……は?」
支えを失った俺が、重力に抗う術など持ち合わせているはずもなかった。