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巡り巡って方程式

作者: 方程式ビギナー

※SF小説『冷たい方程式』のあらすじすら知りたくない方はこのお話を読まないでください。作品内であらすじを説明するところがあります。

 

 ここは放課後の教室。いつものように清掃班の僕たちはささっと掃除を終わらせ、部活へ移動する人の声で騒がしい中でいつも通りだらだらと時間を過ごしていた。僕の前の席は本来女子の席だが、彼女はとっくに部活へ移動してしまったので今そこには友人の竹橋がだらしなく座ってこっちを向いている。竹橋はクラス内では健全男子ポジションを確立しており、女子からは警戒、男子からはある種の尊敬の眼差しを集める男だ。だがクラスの人気者にしては珍しく部活には所属しておらず、放課後は僕と同じく暇を持て余しているためこんな地味めな僕と話をする仲になったのだ。


「でさ、俺はSFなんて読んだことないんだけど今日の話はホントによかったなぁ。今度図書室から借りてみよっかなー」


 竹橋は今日の7時間目のLHRをいたく気に入ったらしい。さっきから何を話しかけてもLHRでテーマになっていた『冷たい方程式』のことしか返してこない。傍から聞いたら相当にうっとおしそうだ。面と向かって聞かされている僕なんかそろそろ嫌になってきたので、会話の途中に何回バーカとさり気なく混ぜられるか挑戦中だ。よし、今は一言の間に5回は混ぜてやったぞ。


「おーい、竹橋、アキ、もう雑談大会は開幕しちゃってたかー?」


「お、鳴瀬、美術室掃除がやっと終わったか!なぁなぁ聞いてくれよ。さっきのLHRの話だけどさ......」


 教室の前方の引き戸がガラガラと開き、そこから長身で痩せ気味の男子が顔を出した。僕たち放課後ダラダラ同盟の参加者の鳴瀬だ。鳴瀬はサッカー部に所属していて勉強もそこそこ、さらにスクールカーストの上位に位置するような顔の造形をお持ちのまさにスーパーマンだ。だが、どうにも部活にギリギリに行こうとする気来があるようで、毎日教室に残っているうちに僕らの話に加わるようになった。話し掛ける竹橋の言葉に相槌を打ちながら鳴瀬は教室の中に入り、僕の席の斜め前、まだまだ語り続ける竹橋の隣の机に腰掛けた。長い脚を組んで片手を机の上に置き、で、なんの話してたの?と竹橋はダメだと思ったらしく小声で僕に聞いてくる。僕は前の席の竹橋を指さして肩をすくめた。説明するより見ていた方が分かり良い。

 しばらく竹橋の話を聞いて事情を察したようで、鳴瀬は相槌を打ちながら考える様子を見せしばらくして竹橋にこう言った。


「なぁ、竹橋。そんなに『冷たい方程式』が気に入ったんなら今から『方程式モノ』に挑戦してみようぜ」


 方程式モノ、この言葉を説明するにはまずその元ネタとなる冷たい方程式についても説明しなければならない。『冷たい方程式』とは1950年代に発表された古典期のSF小説である。

 舞台はとあるコロニーのある惑星へと向かう緊急の物資輸送船。目的地のコロニーでは致死性の熱病が蔓延しており、そのワクチンを一刻も早く届けるために主人公一人の乗った輸送船が出された。この輸送船は目的地に最速で着くために乗組員、物資、船体と言った最低限のものを運ぶ分の燃料と酸素しか積んでいない。そのために密航者がいた場合は即刻船外の宇宙空間に叩きだして安全に航行を続けるべしという規則ができていた。主人公の乗る輸送船は初め問題なく航行していたはずだった。だが航行中に密航者が見つかる。密航者は目的地のコロニーにいる兄に会いたいという少女だった。少女はこの輸送船の事情などまったく知らず、ただ兄が心配で乗り込んでしまったらしいのだ。悪意がなかったとはいえ想定外の乗員がいては最悪着陸に失敗して大気圏で燃え尽きる。主人公は手を尽くして策を講じるがそれも虚しく少女は......


 といった話だ。印象的な少女のセリフ、救いのないラストから根強い人気を持ち、とりあえず読んでおけば間違いないSF小説の筆頭。であるらしい。ここまで全て担任の小泉先生の受け売りではあるが。

 だが、鳴瀬は『冷たい方程式』の注目すべき点はその作品そのものの人気だけでなく、その作品に影響を受けた作品の多さなのだと言う。前述の通り、『冷たい方程式』は救いのないラストで終わるが、これに別の可能性を模索するファン作家たちが作り上げた別の『解答』の多いこと多いこと。もうとんでもない量らしい。それほどの影響力を持った作品だったのだ。その別の作家たちによる『解答』群を俗に『方程式モノ』というらしい。つまり、鳴瀬は竹橋に、そんなに好きなら別のラストも考えてみよう、と提案しているのだった。


「好きならもっと色々話をしようぜ。もしかしたら納得のいくハッピーエンドをみつけられるかもしれないしな」


 鳴瀬は竹橋の興味を他の事に向けるより、興味はそのまま僕たちと話をさせるように仕向けるつもりのようだ。竹橋もその気になったのか口を動かすのをやめて少し考え出した。僕もいつも通り放課後の雑談ができるのならテーマなんてなんでもいい。少し考えてみようか。うーん。流石に設定にスキがないから難しいな...ちっともアイデアが浮かばない。あれ?悩んでたら雑談にならないじゃないか。


「ちなみにこの小説の解釈になるけど、簡単に分けると2つになるかな」


 俺の心配を打ち消すように鳴瀬が話し出した。なるほどこいつは方程式モノとは名ばかりにただ雑談をしたいだけなのだ。


「一つ目はいわゆる生命の天秤についての解釈で、これから救うコロニーの住人の命の数と目の前の少女の命1つとを比べてどちらを取るのかという苦悩。二つ目は宇宙版カルネアデスの板的解釈で、やむを得ない殺人が許されるかどうか、だ」


「カル......何だって?」


 僕は聞きなれない単語を耳にしたので聞き返した。


「カルネアデスの板、だ。古代ギリシャの哲学者が出した問題で......説明めんどいから後でググってくれ。つまりはやむを得ない殺人は許されることもあるがそれは倫理的にどうなの?っていう問題だ」


 鳴瀬は勉強はそこそこだがこういう無駄な知識は豊富なことで少しばかり有名だ。授業中にもよく先生のマニアックな話に付き合っているのを見るが、一体どこでそんな知識を身につけたのだろうか。まぁ元がスーパーマンだから無駄知識が豊富でも今更驚きはしないないのだが。


「ほぅ、ではそのキャラメル味の板的解釈で行くとすると、読者の望むハッピーエンドは主人公の自己犠牲になるな。でも確かこれは不可能だって小泉先生が言ってたよな?」


 竹橋が真面目な顔をして真面目なコメントをしたが、聞き間違いのせいで残念なセリフになってしまった。ここはそっとしておこう。

 確かにLHRでは、主にやむを得ない理由があれば人を殺すのは許されるのかという鳴瀬の言うカルネアデスの板がメインテーマで、少女が死ななければならない理由として少女は輸送船の操縦が出来ないことが挙げられていた。操縦が出来なければ目的地のコロニーにつくこともできず主人公の犠牲も無駄になる。よって主人公が身代わりになることはしたとしても無駄なことになる、と。


「じゃあ、生命の天秤的な解釈をするとしてその場合のハッピーエンドって何かな?」


 少女を助けたところでコロニーの住人の命を捨てたら、果たしてそれは幸せな結末と言えるのだろうか。


「とりあえず単に少女を救うだけだとダメだな。コロニーの方もなんとかしないと」


 そこで思考が止まり、僕も鳴瀬も言葉に窮してしまう。やはりどうしようもないのか。だが悩む僕たちとは対照的に、まるで最高のネタを思いついたかのように竹橋はニヤニヤしている。


「え?簡単じゃねーか。要はコロニーにワクチンを届けた上で少女を救えばいいんだろ?」


「ほー、やはり愛の深さの違いですかね。竹橋殿には我々には見えていない冴えたやり方がはっきりと見えるようだ」


 鳴瀬が竹橋を茶化す。いつもの光景だが今日優位にたっているのは竹橋だ。いつも口がよく回る鳴瀬にしては少し珍しい光景でもある。あ、いつもと違う立場に竹橋が調子に乗り出した。フッフッフと鼻高々にわらっていやがる。


「お前らは少女を救う条件が命を救うだけだと考えていないか?それがそもそもの間違いだ。俺は少女を殺すぞォォオ!!」


 なっ、何をするだァーーッ!!、という小ボケを僕は飲み込んで話を聞く。こういう事は――


「へー、それならコロニーにワクチンは届けられるな。でも少女を殺しといてどうやって幸せにするってんだよ?兄と通信して話をさせるなんてのはナシだぞ。それは死ぬ運命ありきの幸せだからな。純粋な幸せとは言えない」


 やはり鳴瀬が的確にツッコミを入れてくれた。

 だが竹橋はいいネタを思いついた時のニヤニヤ顔をやめない。

 

「もちろん。少女には死んだ上で幸せになってもらうぞ」


「どうするんだよ。ていうかその顔だとロクな案じゃあなさそうだよね」


 竹橋は意味深に笑った後、


「俺なら少女にこの汚れた社会の真実やらなんやらを話す。死んだ方がマシだと思わせるようなとびきりのをな」


 は?と僕と鳴瀬はポカンとした顔をしてしまう。いきなりすぎてちょっと何を言ってるのか分からない。


「SF世界が舞台なんだ。社会の闇の一つや二つ絶対あるだろ。そこらへんのとびきりのやつを精神的に不安定な年頃の少女に教えてやれば、生きてるより死んだ方が幸せだとか思うようになるだろ?」


 いい終えると竹橋は口の端を吊り上げて笑う。お手本になりそうなくらいキレイなゲス顔だ。にしてもこいつはSFにどんな偏見を持っているんだ。進んだ技術に犠牲は付き物みたいなお約束は確かにあるけれど、ここでそれを出してくるとは。


「はっ、斬新な解決方法だな。出版したら評判になるかもしれないぞ。トップクラスに最低の『方程式』の『解答』としてな」


 皮肉をいう鳴瀬だが顔は笑いを抑え切れていない。鳴瀬も楽しんでいるのだ。確かに竹橋の案は最低も最低、結末は言うまでもなくそこに至る方法は本家など比べ物にもならないくらいの底辺っぷりだ。だが、少女が自ら願ってした行為であるならばもしかしたら最良の結末であるのかもしれない。なにせ死んだ方が幸せなんて状況がないと誰も断言できないのだから。

 そして言った本人も自覚していたのか、自覚していたからネタとして喋ったのか竹橋は鳴瀬の皮肉にゲスな笑顔で応じている。


「なるほど、コロニーか少女かどちらかの条件を多少強引にでも満たすっていう方法もあるのか」


 鳴瀬は頷きながらそう言った。


「あ、じゃあこんなのどうかな?」


 僕も今の成瀬の言葉を聞いて1つひらめいた。僕は、密航者の少女か主人公が凄腕のエンジニアであり、輸送船には必要最低限の修理ができる工具が揃っているとします、と断りを入れて喋り出した。この時点で鳴瀬が胡散臭そうな目線をわざとらしく飛ばしてきたが気にするもんか。


「工具も材料もあったので主人公たちは、ワクチンを入れて大気圏に突入しても耐えられる容器と発射装置を作り、ワクチンを輸送船からコロニーの方へと発射した。輸送船自体既にある程度加速していたからワクチンはコロニーのある惑星につくまで慣性プラス発射の勢いで飛び続けるから問題ナシ、ってのなんだけど」


「受け取りはコロニーに丸投げかよ。俺のにも負けず劣らずひでぇな。で、ワクチン発射したら少女と主人公はどうするんだよ?そのままだったら燃料切れだろ?」


 竹橋は興が乗ってきたらしくテンション高めで聞き返してきた。うーんあまり深くは考えてなかったんだけどなぁ。


「まー近くの宇宙船か植民惑星まで進路変更か、あるいは2人きりで宇宙のどこかへランデブー?」


 疑問系で答えるといきなり鳴瀬が吹き出した。え?変なこと言った?


「アキ、宇宙空間でランデブーっていったら宇宙船の同速平行飛行のことをさすんだよ。2人でランデブーって二人揃って船外に飛び出すつもりじゃないよな?」


「え?そうなの?」


 全然知らなかった。恥ずかしい間違いをしたものだ。さらに絶対に知っていなかったであろう竹橋も数秒遅れて画が頭に浮かんだのか、大笑いし始めた。くそう。恥ずかしいぞ。


 その後も鳴瀬が、乗組員のどちらかが超能力に目覚めて燃料を倍加させ船は無事にコロニーに到着。そこから銀河を揺るがす超能力と科学の戦争が......などと原作完全無視の三文ストーリーを打ち立てたり、そのあまりの原作無視っぷりに竹橋が怒って原作をバカにするなと言ったら、俺原作持ってるし、と鳴瀬に返され小説の存在自体を知ったのがさっきである竹橋には返す言葉もなくなったり、それを僕が笑ったら急に竹橋は落ち込んで僕と鳴瀬が慌てたり、と僕たちはいつも通りの放課後を送っていた。そして、僕と鳴瀬が落ち込んでしまった竹橋を励ましていると、鳴瀬が入ってきた時と同じく教室前方の引き戸が開けられた。現れたのはどこかで見たことのある他クラスの生徒だ。


「おい早くしろ鳴瀬!コーチが練習に来ちまうぞ!」


「あれ?コーチが来るのってあしたじゃなかったっけ?」


 どうやら鳴瀬のサッカー部仲間らしい。彼は、週頭のミーティングで伝えただろ、などと多少あきれながら僕たちの席の近くまで寄ってきて何事か鳴瀬と言葉をかわしている。対してよほど部活へ行くまでの時間を引き伸ばしたいのか、それとも純粋に雑談に彼を巻き込もうとでも思ったのか、鳴瀬は今まで喋っていたことを彼に言ったらしく彼が、へー俺たちのクラスは進路についてのアンケート書かされたよ、なんて言っていたのが聞こえてきた。

 だがそんな鳴瀬の抵抗虚しくすぐに部活には行くことになったらしい。続きは明日な、と言い残して去ろうとする鳴瀬の後ろ姿を見て僕は一つ大事なことを思い出した。


「鳴瀬!今日日直だったよね?日誌はもう提出したの?」


「おっと、まだ今日のお題を書いてないんだった!」


 今日のお題とは学級日誌において小泉先生に課される日替わりのお題のことだ。日替わりなので運次第ではしばらく悩まなければ日誌が埋まらないようなお題の時もあるという結構侮れないもので、空欄にしたり日誌の提出を忘れてしまえば明日も日直になってしまう。


「あれ?鳴瀬もう帰るのかよ」


 ブルーな気分から復活した竹橋が鳴瀬に聞くと、鳴瀬は自分の机を漁りながら冗談めかして


「んー、もうちょっとはねー、一緒に居られるかもねー」


 なんて返すと同時に机の中から一冊のノートを取り出してページをめくる。今日のページを見つけてお題を読んだのか、鳴瀬の表情には安堵の色が浮かんだ。


「なんだ、今日のお題は『今日のLHRのテーマについて考えたこと』だってよ。さっきの竹橋の話を書いてやろーっと」


「おわっ、やめろよ!せめて自分のヤツ書けよ!」


 鳴瀬がニヤニヤ笑いながらシャーペンを走らすと慌てて竹橋が止めに入った。先生からしたらどっちも大差ないと思うんだけどなぁ。素人の考えた小説のアナザーストーリーなんて他人から見たら目も当てられない物だろうに。

 この日誌を受け取る先生の不幸を僕が考えている間に日誌が完成したらしい。


「待てって、そんなノリのを勝手に書くなって!」

「アキっ!パス!」


 なおも日誌を奪おうとする竹橋から逃げるため、鳴瀬は日誌をこちらに投げてよこす。日誌は綺麗な放物線を描いて教室の空中を飛び僕の手に落ちた。


「悪い!俺急ぐから代わりに提出してといてくれ!」


 鳴瀬はついでに僕に提出まで頼んできた。確かにグラウンドと職員室はここ、2年生の教室から見ると反対方向だ。急ぐというのなら代理提出くらいは許されるだろう。


「分かった。コーチが来る前に部活行けるといいね」


「おう、じゃあなまた明日ー」


 荷物を背負い、竹橋の追撃をかわして鳴瀬はサッカー部の仲間と一緒に走っていった。さて、人数も二人になってしまったし雑談大会はお開きにして僕もそろそろ帰ろうかな。


「なーアキ君。その日誌を渡してくれたら僕すごく嬉しいんだけどなー」


 竹橋が何やら言っているようだ。おっと、荷物をまとめる前にこの日誌を忘れないうちに提出して来なければならない。なんとなく早く帰りたい気分だから走って行ってこよう。


「ちょっ!アキ君なんで走るの?って意外と速い!部活無所属なのに!ていうか廊下は走ってはいけませんん!!」





 ─

 教室に竹橋を一人残し、僕は鳴瀬の日誌を提出するために職員室にやってきた。中の様子を伺ってみると担任の小泉先生は2年生の先生方の机の島にただ一人座ってデスクワークをしている。ほかの先生は確か全員運動部を持っていた筈なので部活に出払っているのだろう。......これは僕としては好都合だ。


「失礼します。2年......」


 お決まりの挨拶をして職員室に入り、小泉先生のもとまで歩く。途中で小泉先生も気付いたのかこちらをちらりと見るとパソコンを打つ手を止めてかかる髪をサイドに流し、肩をぐるぐる回すストレッチを始めた。


「先生、日誌を提出しに来ました」

「はい、お疲れ様ー」


 僕は日誌を先生に差し出す。先生はストレッチをやめて一度日誌を受け取ったが、一瞬後少し不思議そうな顔をした。


「あれ?今日の日直は確か鳴瀬くんだったよね。鳴瀬くんはどうしたの?」


 僕が、鳴瀬が急いでいたので代わりに提出にきたことを告げると、先生はなぜか少し残念そうな顔をして


「そう......じゃあ代わりに提出してくれてありがとうね。気を付けて帰るのよ」


 そう言って軽く手を振った。このまま帰ってもいいのだが、今の反応を見て確信した。僕には恐らくここで言っておかなければならないことがあるはずだ。そう、


「先生、7時間目のLHRのことなんですが」


『冷たい方程式』について。






 ─

「失礼しました」


 僕は職員室を出て竹橋のいる教室に向かう。あの後僕が先生に言ったのはただ一言、やっぱり少女は必要な犠牲だったと僕は思います、とだけだ。恐らく先生は鳴瀬からこの言葉を聞きたかったのだろうが、鳴瀬がいない現状、代理の僕が言うしかなかった。誰かが小泉先生の隠された頼みに気付いたことを伝えなければならなかったのだ。

 そもそも、だ。小泉先生はどうしてLHRで冷たい方程式なんて、言ってしまえば高校生の道徳には少し幼稚なものをやったのだろうか。いや、何も小説自体が幼稚だと言うわけではない。LHRのテーマが高校生には相応しくないように感じた、ということだ。高校生ともなれば個人の倫理観より実際に起こっている社会の諸問題に対する考えを扱う方が僕は相応である気がする。さらに他クラスでは道徳ではなくアンケートをやったということも踏まえるとますます不自然だ。どうしてうちのクラスは授業の足並みを揃えなかったのだろう?そして、極めつけは日誌の今日のお題だ。『今日のLHRについての感想』など既にLHR中にクラス全員が配られた紙に書かされている。なぜもう一度同じことをさせるのだろうか?日直の鳴瀬に。

 それは恐らく、小泉先生が鳴瀬の妙に賢しいところを信頼してとある決断を任せようとしたからではないだろうか。『冷たい方程式』によく似た状況における何らかの選択の。それがなんの決断なのか僕には分からない。ただ本当に人を殺すかどうかの決断であるとは思ってはいない。殺人の判断を生徒に求める教師というのは流石にありえないと思ったからだ。さらに、先生が本当はどちらを選んでもらいたいのかもさっきの雑談の中でLHRの内容を思い出しているうちになんとなく分かってきた。先生は暗に少女が救われる方法はないということを強調していた。つまり、先生は七割方少女――何らかの決断において犠牲となる恐らく一人――を比喩的に殺すしかないと考えていたが、その決心がつかなかった。そこで授業を通して何も知らない生徒の意見を求めた上で最終決断しようとしていたのではないか、と僕は考えたのだ。もちろんこれは僕の妄想に過ぎず、間違っていたかもしれない。現に一言言ったあとの小泉先生の反応は思っていたより薄いものだったし、その後特に何も言われず帰された。

 だが、たとえ自己満足だったとしても僕は僕の考えを伝えることができてよかったと思う。僕のさっきの言葉が吉とでるか凶とでるか、はたまた何の影響も及ぼさないのか。それは僕らの放課後の雑談の方向性くらい分からないことだ。だが僕は、僕たちの放課後の雑談が少しは生産的なものになったような気がして、なんとなく晴れやかな気持ちになった。



 ─

 一週間後のLHRは、先週とは打って変わって法律についての内容だった。万引き、盗撮、覗き、ゴミのポイ捨てなどなど僕たちが軽んじがちであったりうっかり手を出しかねない犯罪の意外に重い罰が紹介され、特に男子が身震いをしていた。3週間後の修学旅行に向けて邪な計画でも立てていたのだろうか。だが、このLHRにも先週と同じく僕は不自然さを感じずにはいられなかった。これは......なんというか、どうにも具体的過ぎるというかピンポイントで計画を阻止しようとしているような気がするというか......

 もちろん放課後の雑談でこのことを竹橋に言ってみた。するといつになく神妙な顔をして竹橋はこんなことを言ってきたのだった。


「俺たちな、実は修学旅行でその、女子風呂をこう、......しようとしていたんだよ。だけど今日の話を聞いて改心したわ。それまでは漢のロマンがとか言ってたけど、そんな一瞬のロマンのために一生を棒に振っちゃいけないってな」


 ......どうやら先週小泉先生が悩んでいたことはこのことだったらしい。ノゾキ魔どもをどう処断するか。今後の予防のためにも見せしめでこってり絞って『社会的に』殺すか、それとも難しい方法だが人道的に内密のうちに処理してあげるか。当事者にとってはまさに非情な二択だ。誰か賢しい人に意見を求めたくもなるだろう。そして意見を求めた結果、素晴らしい案が生まれた。社会的な事実を見せつけてノゾキ魔どもを絶望させてやるのだ。こうして竹橋をはじめとするエロ男子たちの野望は見事自然消滅した。

 小泉先生......僕の言葉を実行してくれなかったのは良かったです。お陰で竹橋たちの社会的命は救われました。でも、あの日誌の案は鳴瀬くんじゃなくて、ほかならぬそのエロ男子の首領が考えた物だったってこと、知ってましたか?


作者は宇宙物理学は分からないし、冷たい方程式を実は読んでもいません。自分は大変いい加減な事をしたと反省しております(笑)

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― 新着の感想 ―
[一言] 喜んでいただき幸いです。私も「なろう」で「冷たい方程式」の単語に出会えると思ってなかったので大変嬉しく思ってます。そこでくどいと思いますが再度書き込ませていただきました。 今見ると実にフェイ…
[良い点] 読んでなくて方程式物を書いたこと! [気になる点] 読んでなくて方程式物を書いたこと! [一言] 私も方程式もの考えてみたいです!
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