第四章 王子と姉妹とお茶会 その一
そこは後宮の一室、王族が客人を迎える為の部屋の一つだった。上品な調度品に囲まれた部屋に通された二人の姉妹は、極上の座り心地のソファに座り、待ち人から呼ばれるのを待っている。
二人はグレイシス王国の重鎮、バルバッセ大臣の娘達だった。妹の名はヴィオレッタ。褐色の緩やかな巻き毛を持つ今年七つとなる少女。生気溢れる大きな瞳、筋の通った鼻筋、薄紅色の唇……万人が認める美少女だ。
「お姉さま、私帰りたい。」
美少女がぷくりと頬を膨らませ不満を言う。だがそれさえも愛らしく見えてしまうのは美少女の特権だろうと姉は思う。
そう思った彼女の名はジーンといった。銅貨を磨き上げたような赤銅色の癖のないすべらかな髪を持つ、今年の十七となった少女というには年かさだが、淑女というにはまだ幼い女性。彼女は妹と違いどちらかというと地味な印象を与える。褒め言葉は清楚や家庭的と言われるが、着飾った段階で言われても嬉しくはないと本人は思う。
「ヴィオ、はしたないからやめなさい。それにお父様が決めたことよ。」
不頬を膨らませたその表情と、ソファに座り足をぶらぶらと揺らしている妹にジーンは注意する。だが姉の注意とは裏腹に、叱られたヴィオレッタはさらに頬を膨らませた。
「いやよ! 第七王子なんて子供じゃない。私はマルクス様と結婚したい!」
(ヴィオ、あなたも十分子供なんだけど……)
ふん、とそっぽを向く妹にジーンは小さくため息をついた。
最近ませてきた妹は機嫌を損ねると扱いにくい。自分にとってはかわいい妹だからいいものの、他人にまでこんな態度をとられたらかなわない。
(マルクス殿下、ね。)
影では薔薇の君、と呼ばれているグレイシス王国の第一王子。ジーンは何度か夜会でその姿を見かけたが、その名に恥じない美貌を持つ王子だった。しかもご令嬢達の噂では最近その美貌に磨きがかかっているらしい。さらに噂を好む人々の間ではついに恋人ができたのではないかともっぱらの噂である。
女性は恋すると綺麗になるというが、それが男性にも有効かどうかはジーンにはわからないが。
とりあえず今は妹を宥めないといけないとジーンは腹をくくる。
「それでも、よ。あなたも貴族の娘ならわかるでしょう。」
「むー……」
姉の言葉に妹は不満げな声を上げる。ただ不満を言いつつも彼女も解っていた。貴族の娘に生まれたら望んだ結婚ができるほうが稀なのだと。むしろ相手が王子ということ自体、世の女性達には羨まれることだ。
たとえそれが末の、なんの権力を持たない王子だったとしても。
それにヴィオレッタは姉であるジーンにだけは我が儘を突き通せない。彼女にとってジーンは姉でもあるが母親代わりでもある。
「じゃあお姉さま、殿下がいらっしゃるまで歌って頂けませんか? この前の新しい歌が聞きたいのです。」
ヴィオレッタは上目づかいで姉を見上げ首を傾げる。小悪魔的な微笑みにジーンは言葉が詰まる。妹が言っている歌はついこの前ピアノで弾いて聞かせた曲だろう。
「あれはまだ歌詞ができてないのよ。」
曲は出来たが歌詞が決まっていなかった。だから歌うことはできない為、なんとか諦めさせようとしたが、妹は姉から上目づかいを継続したまま言う。
「あの曲が好きなのです。お願いお姉さま。」
「……もうしょうがないわねぇ。」
(この子の上目遣いのお願いには勝てないわ。)
ジーンは苦笑を漏らすと周囲を見回しこの部屋に自分達しかいないことを確認する。
そしてジーンの口からハミングが漏れる。歌詞はまだない為鼻歌のような歌声だ。だがそんな曲でも妹は嬉しそうに聞き入り、曲調に合わせて体を揺らす。
そんな妹を見てジーンは目を細め微笑む。そういえば曲を作ると最初の観客は彼女だった。むしろ自分の曲を聴くのは彼女だけだった。
この曲もついこの間できた曲だ。冬から春にかけて暖かくなっていくような、季節の緩やかな変化をイメージした曲だ。最初は渋々だったジーンも段々と楽しくなってきて、夢中で口ずさむ。
「素敵な曲ですね。」
その言葉に驚きジーンは歌を中断し視線を声の主に向ける。そこには一人の少年が立っていた。自分が作曲した曲のような、春の陽光のような淡い色の金髪、新緑を思わせる碧眼、温和な表情を浮かべた美少年だ。一目でその人物の正体がわかったジーンは、ソファからすぐに立ち上がり慌ててお辞儀をする。
「殿下、失礼しました!」
歌うことに夢中になってしまい、王子が入室したことも気が付かなかった。貴族の令嬢としてはあるまじきことである。ふと妹を見ると彼女は座ったままそっぽを向いていた。
「ヴィオレッタ!」
王子には聞こえないくらいの声でジーンは妹を注意する。だが姉の言葉もヴィオレッタの態度は変わらない。むしろ大好きな姉の歌を邪魔されてご機嫌斜めのようだ。
臣下の娘として不敬罪と問われても弁明できない。青くなるジーンとは逆に、ハーシェリクはその態度に咎めることはしなかった。
「お気にせず。貴女も気を楽にしてください。堅苦しいのは苦手なんです。こちらこそ驚かせてごめんなさい。」
そう申し訳なさそうに王子は言う。
「自己紹介がまだでしたね。初めまして、僕は第七王子、ハーシェリク・グレイシス。彼は僕の筆頭騎士のオランジュです。」
そう紹介された王子の横に立つ青年が会釈をする。橙色の髪に青い瞳、近衛騎士団が着こなす制服に似た白を基調とした衣装に身を包んだ彼は、油断なく剣の柄に手を置いていた。警備以外の騎士が武装することが許されているということ時点で、説明されずとも彼が筆頭騎士だと安易に想像できた。
またジーンは知っている。王子はオランジュと呼んでいるが、彼はこの国の名門貴族で有り元将軍のローランド・オルディスの三男、オクタヴィアン・オルディスという名で、一昨年の武道大会で圧倒的な強さを見せつけた強者だということを。
「筆頭執事もいますが、今はお茶の用意をしてもらってます。後ほどご紹介しますね。」
人好きしそうな微笑みを浮かべハーシェリクが言葉を紡ぐ。まるで物語から飛び出した妖精のような彼をジーンは見惚れていた。
「お名前をお伺いしても?」
「し、失礼しましたっ。」
王子に促され自分が名乗っていないことを思い出し、ジーンは恥ずかしさに頬を染める。
座りっぱなしのヴィオラの腕を引っ張り隣に立たせ、ジーンは貴婦人の礼をした。
「私はバルバッセの娘、ジーンと申します。こちらが本日殿下のお相手となる……」
「ヴィオレッタ、と申します。」
礼をせずにつんと澄まして自己紹介をする妹にジーンは内心頭を抱える。ジーン自身にも一因はあるが、甘やかされて育った妹の我が儘は王子の前でも健在だった。
「ヴィオレッタ、いい加減にしなさい!」
「だって……」
大好きな姉に叱られて勝気そうな目じりを下げ、落ち込むヴィオレッタ。この表情になぜかこちらが悪い事を言っている気がしてきてしまうジーンだったが、ここで引き下がってはいけない、と自分を奮起する。更に叱ろうと口を開こうとすると、王子の微かな笑い声が響いた。
みれば口元を押え、笑いをこらえようとしてこらえていないハーシェリクがいた。ジーンに向けらえた視線に気が付き、コホンと咳払いをする。そして先ほどの微笑みを浮かべ言葉を続けた。
「ジーンさん、あまり妹さんを怒らないであげて下さい。小さいお子さんにはよくあることですから。」
そういう自分も同じくらいの年のはずだが、なぜか王子がいうと説得力があった。
「とりあえずお茶にしましょう。」
そう言ってハーシェリクは客人二人を別の部屋に案内するのだった。
「わあ!」
ヴィオレッタは目の前に広がった光景に歓声を上げる。
ハーシェリクが案内したのは城内にある温室だ。研究を兼ねて魔法装置により一定の温度を保っているこの建物である。温室に入った姉妹達の目の前に現れたのは、ハーシェリクの筆頭執事であろう黒髪の青年と色とりどりの花々、そしてお茶会の準備が万全に整えられた会場だった。
お茶会会場であるテーブルには焼き菓子やチョコレートが用意され、複数のサイドカートにはシフォンケーキやパウンドケーキ、ショートケーキ、ゼリー等数種類、そして冬だというのに数種類のフルーツが用意されていた。
(やっぱり女の子のだねぇ。)
瞳をキラキラさせてスイーツを見るヴィオレッタは、さきほどの生意気な態度と打って変わり年相応女の子の表情をしていた。
(それにクロの腕前、前世のパティシエをも凌ぐし……)
まさかここにある全てのスイーツがクロ作だとは誰も思わないだろう。味はもちろんのこと、本日は見た目も拘っている。ケーキなど前世でみたミニサイズケーキで、砂糖で作られた薔薇やら、飴で作られた小鳥やらが飾られていた。
(食べるのがもったいない。というかあのショコラは私が食べたい……じゃなかった!)
うっかり自分もスイーツに魅入られていてこほんと咳払いをする。
「彼が僕の筆頭執事のシュヴァルツです。このお菓子は全て彼の手作りなんですよ。」
クロが作ったというと姉妹の目が本当に? と疑いの視線を投げた。ちなみにヴィオレッタは疑い半分尊敬半分の眼差しである。
「では席へどうぞ。シュヴァルツ、お茶を入れて。」
「かしこまりました。」
クロが礼をする。オランがさりげなくヴィオレッタを席に誘導した。その様子を確認したジーンがその場でお辞儀をする。
「では私は退席を……」
そう言って去ろうとする姉を、妹は慌てて立ち上がった。
「えっ、お姉さま!?」
その瞳は捨てられた子犬のようだ。その様子にジーンは短くため息を漏らす。
「ヴィオレッタ、今日ご招待されたのは貴女であって私は付添いです。本当ならお妃様方や王女様方以外の関係ない女人が、後宮にいるのはいけないことなのですよ?」
その言葉にヴィオレッタは頬をふくらます。
「そんなことないわ。お姉さまは今日招待された私のお姉さまなのよ! それに私、お姉さまより先に結婚なんて……」
「ヴィオ!」
思わず愛称で呼んでしまいジーンは口元を抑える。その様子をハーシェリクは口を挟まず見守っていたが、そろそろタイミングかと口を挟むことにした。
「ヴィオレッタさんはお姉さんが大好きなんですね。」
ハーシェリクの言葉にヴィオレッタの頬が赤く染まったが、否定の言葉は彼女から出てくることはなかった。
「ジーンさん、この後ご予定がないのでしたら、このままヴィオレッタさんと一緒にいてあげて下さい。ヴィオレッタさんも一人では不安でしょう。それにお菓子は多めにありますから遠慮しないでください。」
ヴィオレッタの懇願するような表情と王子の申し出にジーンに残された道は一つしか残っていない。
「……では失礼させて頂きます。」
ジーンの言葉にオランがさりげなく移動して席を勧めた。余りにも自然な動きだった為、感心するハーシェリク。
だがその興味も目の前に置かれたショコラのケーキに向いた。置いた人物に目を向けると彼はすでに令嬢たちのほうに移動していて、彼女達にケーキを選んでもらっている。
客人を待つのが礼儀だと思いハーシェリクは目の前のショコラケーキの誘惑と戦う。令嬢達の前にケーキとお茶が用意されたのを確認し、ハーシェリクは口を開いた。
「では召し上がって下さい。」
そう言いつつハーシェリクが率先してケーキへ向かう。フォークでケーキを一口サイズに切り分け口に含むと、思わず笑みが零れた。自分好みの甘すぎず、かといってビターではないショコラケーキ。
(さすがはクロ。私好みのケーキ……ん? 私好み?)
ふと子供に出すには甘くない。彼女達が選ぶ可能性があったのではないかと思い、ハーシェリクはクロを見る。トレーにはまだ別のショコラケーキがあったが飾ってあるチョコの細工が自分の食べているケーキと微妙に違う。また視線が合ったクロが自分だけにわかるようニヤリと笑った。
(ばれてた! 選ぶものばれてた!)
少しだけ恥ずかしくなりハーシェリクは誤魔化すように再度ケーキを口に入れた。
(うむ、うまい。)
視線を動かせばヴィオレッタは砂糖細工ののったショートケーキ、ジーンはスフレチーズケーキを目の前に置かれていた。そして二人が口に運ぶ、同じように顔が綻んだ。
二人は似ていない姉妹。ジーンはどちらかと地味な顔出し、ヴィオレッタは派手な造形をしている。だが、ケーキを食べ表情を綻ばすと姉妹なんだな、と思えるほど雰囲気が似ていた。
ふとケーキを夢中で食べていたジーンと目があった。夢中になっていたことを恥じてか少し顔を赤らめる彼女は、さきほどの姉の顔と違って可愛らしいとハーシェリクは思う。
「ハーシェリク様はいつもなにを?」
「……そうですね。普段は勉強や訓練をしています。」
誤魔化すようにいうジーンの問いにハーシェリクは答える。
他にも城を抜け出して、城下町でお手伝いしたり各地で世直ししたりとアグレッシブに行動はしているが、それは極秘事項なので黙っておくことにする。
「殿下はとても勤勉なんですね。きっと素晴らしい成果があるのでしょう。」
「勤勉、ですか。」
ジーンの言葉にハーシェリクは苦笑しつつ答える。その表情を感じ取ってかジーンの表情が曇った。
「申し訳ありません、何かご不快なことを……」
「ジーンさんはなにも悪くありません。」
彼女に他意がないのはわかる。これは自分の問題なのだとハーシェリクは理解している。
「勤勉というか努力はしているんですが、なかなか成果がでなくて……」
「そうなのですか?」
「ええ、兄達と比べ情けないことです。」
隠すことでもないのでハーシェリクは言う。むしろ共通の話題がない為、丁度いいとも思った。
「教師の先生方にもいつ見捨てられるか心配しています。」
そう茶化してハーシェリクは答える。
「最近はピアノも習っていますがなかなか難しくて……そういえばさきほど歌われていた歌は?」
ハーシェリクはふとさきほどの歌を思い出す。
先ほどの客間でジーンが歌っていたバラード。どこか前世で好きだった曲に似ていた。有名な歌手ではないが、普段アニメやゲームの主題歌や挿入曲しか聞かない自分には珍しく曲が気に入って買った曲。一瞬懐かしくかんじ聴き入ってしまった。
ハーシェリクの言葉にジーンが視線を彷徨わせる。
「恥ずかしながら自分で作曲いたしました……作詞や作曲が私の趣味なのです。」
「そうなんですか! とても素敵ですね。」
そう言ってハーシェリクは微笑む。思わず懐かしく感じる曲に出会えたことは僥倖だった。ジーンは王子に微笑まれ恥ずかしそうに顔を伏せた。
「殿下は!」
突然、ヴィオレッタがバンとてーブルを叩き立ち上がった。
音に驚いて注目すると、すでに彼女の前には空いた皿が三つある。
(ケーキ、気に入ったのかな? やっぱ女の子は甘いもの好きだよね。)
と思いつつハーシェリクはヴィオレッタを見る。可愛らしい顔が今や怒っているように瞳を吊り上げていた。
「殿下は、自分で自分を情けないと言って恥ずかしくないんですか?」
「え?」
ヴィオレッタの言葉にハーシェリクは瞳を丸くしたのだった。