第三章 シロと魔法オタクと異端 その三
湿った風と静寂が支配する演習場。誰もが声を出せず一人の人物を注目していた。
だが注目を集めている人物は、我関せず深呼吸をする。
「ふう……」
シロは深呼吸を繰り返し、最後は大きく息を吐いた。
(まさか同時に二つも使うとな。)
シロは手元のブレスレットに視線を落とす。案の定、核であった宝石は割れ、金と銀の土台に施されていた魔法式も消えていた。この魔法具は彼専用のもので自作したものだった。
魔法は精密さや威力に比例して発動時間も長くなる。その発動時間を短縮させる方法は二通り。予め発動短縮の為の魔法具を持っておくか、魔力を大量に消費するかだ。
金のブレスレットには時間短縮、銀のブレスレットには魔力補填の魔法式をくんであったのだが……
シロは自分の肩にかかった髪を見る。純白の髪が今は弱々しく水色に輝きそしてもとに戻りつつあった。
(さすがに自分の魔力と補填だけでは、時間の大幅短縮及び威力の高い水と結界の複合魔法は無理だったか。)
自分の魔力だけで補えず、魔法具からも補填した魔力。だがそれでも足りず、自分の身体は自動的に周辺の浮遊魔力を取り込んだ。
魔法を使い浮遊魔力と取り込むと起る自分の髪の変化。
『化け物が。』
そう吐き捨てたのは実の父だった。
『お前さえいなければ……』
そう言って殴ったのは実の母だった。
それが異能を持って生まれた彼への評価。
頭に響いた言葉に、シロは頭を振る。ふと周りの魔法士の言葉が彼の耳に飛び込んできた。
「あれだけの魔力を一人で……しかも一瞬で消し去ったなんて信じられない。」
「あんな魔法式、見たことない。というかあの髪……」
その言葉には驚きというよりは恐怖や畏怖の感情が混ざっていた。その感情が彼の過去を刺激した。
(だから人は嫌いだ。)
唯一、あの人だけが自分を認めてくれた。あの人から言わなければこんな所にもこなかったのに……
暗い感情に引きずりこまれそうになったシロの意識が引っ張り戻された。もっというなら、物理的にも背後からローブを引っ張られ衣服で首が閉まるかと思った。咳き込みつつシロは思い出す。そういえば王子がいたのだと。
(泣かれるのは面倒だな。)
シロは子供が苦手だった。子供は遠慮をしない。小さい頃は近所の子供にも化け物呼ばわりされた上石を投げられた。だが振り返った先には彼の予想外の表情があった。
「すごい! しかも綺麗! シロさん今のどうやったの?!」
ハーシェリクは目をキラキラと輝かせ、先ほどまで迫っていた命の危険を忘れ、シロのローブをぎゅっと掴み逃がしてなるものかと言った風に見上げている。そこには周りが向けてくるような暗い感情はない。
「おまえ……」
私が怖くないのか?と続けようとしたが、最後まで声にはならなかった。ハーシェリクは首を傾げる。
「え、何か言った?もう一回言って……」
「ハーシェ!!」
名前を呼ばれハーシェリクが振り返る。するとそこには全速力で走ってきたのだろう自分の筆頭達がいた。荒々しく呼吸をしている二人の姿は、少し変質者にも思えたが言葉にすることはとどまる。
「クロとオラン? 二人ともどうしたの?」
疑問符を浮かべるハーシェリクは、つい先ほどの事件の事も忘れ筆頭達に問いかける。
「大丈夫か、けがはないか!?」
オランが慌てた声を投げつけ、クロが頭から顔、身体に腕と隈なく全身のチェックをする。
「けがはないけど……」
「よかった。俺はすぐ隣の訓練場にいたんだが、結界が敗れる音がしてな。ハーシェが演習場にいくかもって朝聞いていたから、慌ててきたんだ。無事でなにより……」
「おい、ここの責任者はどこだ。安全管理はどうなっている。」
オランの言葉を遮って、ハーシェリクの無事を確認しおえたクロがゆらりと立ち上がる。
「事と次第によっては……」
そういってクロがクスクスと笑う。声だけなら穏やかに聞こえるかもしれないが、付き合いの長い二人はクロがキレているとわかった。
「ちょ、落ち着け黒犬。お前がいうと洒落にならん。」
「黙れ、不良騎士。ハーシェに何かあったら一族郎党生かしては……」
「ああああ! おまえこそ黙れ陰険執事! こんな所でそんな物騒な事口走るな! お前が出て行ったら収まるものも収まらん! 俺がやるから! ちゃんと全部調べるから! ええい、こっそり暗器取り出そうとするなああああ!」
今にもあたり一面血の海に変えそうなクロを、オランが慌てて引き留め宥めている。そんな二人をハーシェリクは呟く。
「落ち着いてよ、二人とも……」
目の前で展開される筆頭達の会話に、ハーシェリクは疲れたように肩を落とす。そして心配で駆けつけてきた三つ子にもみくちゃにされた。そんなハーシェリクをシロは見つめていた。
馬車に揺られシロは小さな窓から外を見る。グレイシス王国は温暖な気候だが、冬には雪が積もることもある。昨年から振ったりやんだりしている雪は城下町にも白い絨毯を作り、その上を子供達が駆けまわる。ふとそこへふくよかな女性が現れると子供達はその女性に駆け寄ってだきついた。どうやら母子のようで、その様子をシロは食い入るように見つめる。
(そういえば母は今どうしているだろうか。)
記憶に残る最後の母は、痩せこけ何も映さない瞳で連れて行かれる自分を見ていた。その瞳から一筋の涙が流れたが、その涙にどんな意味があったかは今になってもわからない。
思い出そうにも靄がかかったように記憶を辿ることはできなかった。
「今日は大変でしたね。で、王子はどうでした?」
追憶にふけるシロを引き戻したのは、対面式の座席の前に座ったヘーニルだ。
窓から視線を動かし養い親である彼を見る。彼が自分をあの場所から助けてくれた存在だ。
「変な王子でした。」
本来ならその地位を笠に着て、不遜な自分を咎めるだろうと思ったのに苦笑を漏らしただけ。かと思えば王族なのに簡単に謝罪する。化け物の力の一旦を見せて怖がるかと思えば、まるで宝物を見つけたかのように瞳をキラキラさえた王子。
今でもあの時の服を引っ張られた感触を覚えている。
(頭のねじが一本飛んでいるというか……)
「ふふ、面白いですね。」
どちらかといえば他人に無関心な養い子が反応するのは珍しいと思いヘーニルはほくそ笑む。
「いいかい、このまま王子の観察を頼んだよ。彼はこれからの世界の為に助けとなる者かもしれないから。」
「……子供は苦手です。」
ヘーニルの言葉にシロは難色を示す。
事故から合流した後、ヘーニルは事情を聞きつつ魔法が苦手だというハーシェリクに、シロを教師代わりに貸し出すといいだしたのだ。最初は遠慮をしたハーシェリクだったが、最後は了承した。
「それにあの王子は大層君を気に入っているみたいだしね。君もなんだかんだあの王子が嫌いではないだろう?」
人嫌いをする養い子が、その場では顔を顰めつつも拒否をしなかったのが動かぬ証拠だ。もし本当に嫌だったら、その場を魔法でふっとばしてでも拒否をしただろう。
だからヘーニルはこの後の養い子が渋々了承することも安易に予想できた。
「……わかりました、ヘーニル様。」
その返事にヘーニルは満足そうに微笑む。
「ありがとう。頼りにしているよ……私のかわいいノエル。」
シロ……ヘーニルからはノエルと呼ばれた異端の魔法士の青年は、ぷいっと視線を窓に戻す。それが彼の照れ隠しだと養い親は知っている為、特に咎めることはしなかった。
「確認したが、どうやら件の魔法具はすり替えられていたらしい。」
時間は既に十時を回っていた。クロが入れたホットミルクを片手にハーシェリクはオランの報告を聞き入っていた。ちなみに前世でいうところの珈琲なるものもこの世界には存在し、前世から珈琲好きであるハーシェリクはクロに所望したが、眠れなくなると言われ却下された。とても残念である。それは兎も角、今の問題は昼間の事件を起こした魔法具だ。
「すり替えられた?」
いったいどうやって、とハーシェリクの表情が言外に語っていた。この王城には警備もさることながら結界だって張ってある。その結界も年月を重ね綻んでいる場所もあるが、並みの侵入者では見つけられない。さらに魔法具を保管してある場所は、王城内でも屈指の厳重さを誇る研究室の保管庫だ。
(内部で手引きしているものが?あの薬事件の時みたいに……)
そう考えたがあの薬事件に関与したものは、調査した限り全員もうこの世にはいない。
(じゃあ誰が……)
そこまで考えてハーシェリクは一度頭を振る。少ない情報で下手に推理しても無駄だと思ったからだ。オランの続きの言葉を待つ。
「すり替えられた魔法具は制御関係の魔法式がめちゃくちゃに設定されたそうだ。あれじゃどんな一流の魔法士でも暴走する、ということだ。今サイジェルさんが調べてくれているが、こんなひどい魔法式はみたことない! 万死に値する! って珍しく怒っていたからな。」
きっとあの冷静そうな瞳を吊り上げて怒っているだろうとハーシェリクは想像する。彼は何よりも魔法設備や道具を好んでいる。むしろ愛しているいっても過言ではない。
曰く「魔法と学問の結晶。古代文明から残された遺産。金よりも価値がある!」と最初会った時力説されたのだ。その彼が、我が子の様にかわいい魔法具に無体な真似をされたら激怒するだろう。きっと怒りつつ原因究明をしてくれるはずだ。
(そっちの調査はサイジェルさんに任しておくとして。)
「どうやってすり替えたかはわからないけど教会か貴族かが仕組んだ可能性が高い。それに今日の件で教会がなにか動き出したとみて間違いない。」
そうあのヘーニル大司教は、シロを自分の魔法学の教師にと押してきた。基礎の勉強はしたが実技ができないハーシェリクは今、魔法学の勉強はほとんどしていない。
(私が魔力なしなんて知っている人はあんまりいないからなぁ。)
家族で知っているのも父くらいで、他の家族は自分が魔力なしだとは知らない。きっと大司教も知らないから魔法が苦手な王子に教師を推薦したのだ。
「クロ、すぐに教会の動きの調査を。小さい事でも見逃さないで。」
「わかった。」
ハーシェリクの指示にすぐさま行動を開始する。彼はその場で回れ右をし、部屋から出て行った。
「オラン、ウィリアム兄様とユーテル兄様のことも含めてマーク兄様に伝えてほしい。」
「了解。だけどそれは明日だ。今は黒犬がいないし昼間の事もある。ハーシェを一人にするのは却下だ。」
「……しょうがない。」
「不満そうな顔するなよな。」
顔をしかめるハーシェリクにオランは嗜めるように言う。
(大丈夫だよ、と言いたいけど昼間の前科もあるしな。)
安全だと思われた城内で発生した作為的な事故。自分にけががなかったのはあの場にシロがいたおかげだ。
事故が起きた演習場を後にしつつ助けてくれたことにお礼を言うと、彼は美女のような容姿になんともいえない表情をした。奥歯に魚の小骨が引っかかったような顔、が一番近い表現だろう。
(私の命を狙っているなら、教会側のシロが助けてくれたのは矛盾を感じる。だけど教会側が怪しくないといったら……)
仕組まれた魔法事故。自分を狙ったと考えようにも、サイジェルの言葉がなければ実験の存在さえ忘れていただろうから、あの場に自分が居合わせる確率は低い。だけどそれさえ誰かの掌の上だったとしたら……
(考えすぎかな? だけどもしかして……いや、憶測で動くのはまだ危ない。それにもう一つ片づけなくちゃいけないこともあるし。)
バルバッセの娘とのお見合いの日取りも決まりもうすぐなのだ。
ハーシェリクはゆっくりとホットミルクを飲む。微かに香草の香りと蜂蜜のほんのりした甘さが、緊張した神経をほどいてくれるようだ。
(虎穴作戦、吉と出るか凶とでるか。)
ハーシェリクは不安と一緒にホットミルクを飲み干したのだった。