第三章 シロと魔法オタクと異端 その一
重厚な扉を開けハーシェリクは慣れ親しんだ場所に訪れた。
「ここが書庫です。」
そう後ろに続いた人物に話しかける。
話しかけられた人物は返事も頷きもせず、ハーシェリクに続いて書庫へと入室すると不機嫌そうな顔であたりを見回した。本来なら王子への態度に不敬罪と断罪されても仕方がない態度だったが、ハーシェリクは彼が不機嫌な原因が自分にある為、苦笑を漏らすしかない。
その人物は誰もが目を引く美女、と見せかけて実は男という性別詐欺者である。
彼が不機嫌なのは三分ほど前に戻る。
ユーテルの部屋を後にしたハーシェリクと彼。ハーシェリクは先導し歩きはじめた。
(あの大司教がなに考えているかわからないけど、ここは乗っておこう。)
こちらから接触しようにもできなかった教会側が、相手からきてくれたのはネギカモ状態。相手も何か企んでいるだろうが、接触なしの零より罠だったとしても一のほうが遥かにいい。
(城の中なら下手なことはしないだろうし……ん?)
ハーシェリクはいつになく周りの視線が自分に集まっていることに気が付く。彼は王子という立場から常に人の視線にさらされている。その視線に慣れはしないし居心地が悪いが仕方なしと思っているが、今日の視線はいつもより多く感じた。
そして皆の視線を追いその先の彼を見て納得する。
傾国の美女、という言葉がある。一国を傾けるほどの美しさを持った女性という意味だが、性別は違えどその言葉は彼の為にあるようだった。それほど彼の美貌は人外じみていたからだ。だからだろう、後宮で王族の美貌になれた者たちでさえ、足を止め彼が通り過ぎると振り返る。男女問わず彼の美貌に釘づけなのだ。
(確かに綺麗だよね。)
ハーシェリクは先導しつつちらりと彼を盗み見る。彼は父や兄達と違った美貌を持っていた。父や兄は確かに美形だが、どこからどうみても男だ。しいて言えば第二王子のウィリアムや第五王子のユーテルは中性的な印象を持つが、性別を間違えられたりはしない。
だが彼は声を聞かない限り男とは思わないだろう。否、やや高い声は女性と言われれば納得してしまう範囲だ。
「なんだ?」
「えっ。」
ハーシェリクの視線に気が付いた彼が問う。ハーシェリクは数瞬迷った後、今一番聞きたいことを聞くことにした。
「女性、ではないんですよね?」
「はぁ?」
「すみませんでした。」
思いっきり眉間に皺を寄せて睨まれ、ハーシェリクは即座に謝罪をする。
(美人が怒ると怖いというのは本当だった!)
冷や汗をかきつつハーシェリクは目的地へと急ごうとしてふと気が付く。
(あ、そういえば名前知らない。)
ハーシェリクはうっかりしていた。というかあの大司教も教えろと内心毒づきつつ再度振り返る。
「なんだ?」
先ほどよりさらに不機嫌になっている性別詐欺者にハーシェリクは一瞬怯む。だけど思い浮かんだのはやはりあのネコだ。
(ああ、本当に似ている。)
最初の印象通り、前世にいた近所の野良猫のシロ。機嫌がいい時は一鳴きしてくれるが、悪い時は一瞬見るだけで長い尻尾であっちいけという風に一振りするイケズな猫。痩せていたわけではないから、もしかしたらどこかで餌を貰っていたかもしれないし、白い毛並がいつも綺麗だったので野良ではないかもと思ったが、残業で遅くなった日にも見かけたりするから野良猫だろうと涼子は勝手に思っていた。
そんなネコのシロを思い浮かべつつ、見下ろしてくる彼にハーシェリクは挫けず話しかける。
「あの、名前教えてもらってもいいですか?」
「必要ない。私はこの国の王家とも関係ないし、お前の家来じゃない。」
あっさりとフラれ取りつく島もなしとはこのことか、とハーシェリクはこっそりため息を漏らす。
(本当にこの態度ってシロにそっくり。まあ野良猫のシロは機嫌がいいと触らせてくれるツンデレだったけど。だけど猫のツンツンは可愛いけど野郎にやられても萌えないわ……)
再度視線を目の前の美女のような美青年に戻す。
王族に対しこんな口をきいたら普通なら不敬罪で牢屋行きだ。ハーシェリク自身は、あからさまな媚びへつらった態度で接されるよりはまだマシだし、この程度で牢屋なんてばかばかしい。だが、呼び名がないのは不便だ。
「……解りました。では勝手にシロと呼ばせてもらいますね。」
「はぁ!?」
先ほどよりも整った柳眉を吊り上げる彼にハーシェリクはにっこりと微笑む。
「だって呼び名がないと不便ですし、教えてくれないならしょうがないでしょう?」
そういえばクロと会った時も勝手に名づけたっけ、とハーシェリクは思い出しつつ、綺麗な顔が呆気にとられる彼をつぶさに観察する。
(この人、そういう陰謀事とかに関われるほど器用じゃない気がするな。)
それはハーシェリクの勘だった。
何か裏ある人間なら不機嫌さを隠そうとするだろう。裏があればあるほど隠そうと表情を作る。それはバルバッセ大臣しかりヘーニル大司教しかり。ハーシェリク自身、無害な王子というキャラを表向き作っているからわかる。
ハーシェリクはシロには見えないよう自嘲気味に笑う。
ある意味自分も彼らと同じ穴の貉なのだ。だが彼は違うような気がした。
(まあツンツンだけど。)
「じゃあシロさん。さっそく書庫に案内しますね。王城の書庫だからきっと珍しい本とかあると思います。興味あればいいけど。ああ、それと。」
ハーシェリクは彼に頭を下げた。いきなりの事に青年……シロは不機嫌な顔を一周呆けたが、頭を下げたハーシェリクは気が付かなかった。
「女性と間違えてごめんなさい。」
そう言ってハーシェリクは彼に背中を見せてさくっと先導を再開する。シロが何か言いたそうな顔をしたが、ハーシェリクは気が付かなかった。
(まだ彼が、敵だと確定したわけではない。)
先導しつつハーシェリクは思考する。自分の勘を信じるなら、少なくとも彼から敵意や殺意等の身の危険は感じなかった。確かな情報ではない限り、その情報を仮定し先を予測することは危険だ。仮定が間違っていた場合、取り返しのつかないことになりかねない。
(だけど彼はともかく、教会は動き出した……きっと何か起こる。)
その事実だけは動かしようがなかった。
さて勝手にシロと命名し彼を図書室に招き入れたハーシェリク。彼が部屋に入った瞬間、不機嫌さが一瞬変わったのをハーシェリクは見逃さなかった。
(私も初めて来た時は驚いたからね。)
王城で魔法局や研究局の建物が並ぶ一角にある書庫。その部屋は吹き抜けの三階層でできていて、見える限りの壁は全て本だ。
(ここは活字中毒者の天国だよ。)
かくいうハーシェリクも、勉強を始めて後宮にある王家専用の図書室では物足りなくなってこちらに来た時は、心の底から大喜びしたものだ。古い書物の落ち着いた香りがするこの部屋はすぐにお気に入りとなった。
ハーシェリクが入室したことにより男性司書が出迎えようとしたが、ハーシェリクは首を横に振って押しとどめた。彼は読書友達でいつも興味深い本を教えてくれるのだが、だが今回は話している時間はなさそうだ。
「シロさん、何か見たいものある?」
不名誉な名前を呼ばれ一瞬反論しかけた彼だったが、諦めたように頭を横に振り別の言葉を続けた。
「……魔法関連の書物はあるか?」
「ああ、それならこっちかな。」
そういってハーシェリクは階段を上がる。魔法関連の本は二階の所に集まっていたはずだ。
案内するとシロは興味深そうに本を手に取る。そのまま開き字を視線が追い始めた。
ハーシェリクはその様子に話しかけるのを躊躇う。自分もそうだが読書を邪魔される事ほど不愉快を感じることはない。
(シロさんは魔法士なのかな?)
本に集中しているシロをハーシェリクはつぶさに観察する。
最初に思った通り男性にしては線が細く華奢だ。ローブから出た手など白魚のように細い。そういうハーシェリクも、毎日鍛錬しているにも関わらず男子にしては小柄で細く筋肉がつきにくいのが目下の悩みである。
(オランやクロまでは思わないけど、人並みにはついてほしい。)
服を着ていては解りにくいが、二人はかなりの鍛錬で肉体を作っている。オランは騎士にしてはやや細身だが実は細マッチョだし、クロはオランに負けるもののしなやかな筋肉をしている。
それに比べ自分はどうだろうか。本に熱中しているシロを確認し、ハーシェリクは袖を捲る。見慣れた白くて細い華奢な腕が現れため息を漏らす。
(さすがに細すぎじゃないか?)
周りの同い年の子供がいないから比べられないが、前世の記憶を辿れば同世代の子供より小柄だ。異世界だから成長速度が違うのかもとも淡い期待を抱いてはみたが、兄達を見ればその考えは捨てねばならない。
再度ハーシェリクはため息を漏らす。
「ハーシェリク殿下?」
自分の呼ぶ声にハーシェリクは慌てて顔を上げた。王家は国の顔。それが溜息をついているところを見られるなど言語道断だ。
だが視線を向けた先には、そういうことを気にしい者だった為、ハーシェリクは胸を撫で下ろす。
「サイジェルさんこんにちは。」
そこには白衣を着たひょろりと背の高い青年が立っていた。水色の髪に群青の瞳、眼鏡をかけた学者というよりは学生といったほうがしっくりする彼は研究局の職員である。
「こんにちは、資料を取りに?」
「ええ、研究に必要だったので。」
そう言いつつ既に視線は本棚に向けられている。彼はあちらの世界でいうところのオタクだ。しかも魔法オタク。彼に知り合ったのは薬事件の時、マルクスを介して知り合った。
彼はマルクスの筆頭魔法士。本人曰く「三食寝床付で研究三昧、煩い上司もいないから。」ということで受けたらしい。そんな彼は魔法士としても一流の腕前を持つらしいが、本人が魔法道具、特に最古の時代の道具に興味があり、今では失われた最古の英知を復元することに命を懸けている為、ハーシェリクはその実力をみたことがない。
「ところでそちらの方は? 見たところ魔法士のようですが。」
「え?」
そう言ってサイジェルが視線を向ける先は熱心に魔法学の書物を読むシロの姿。サイジェルがクイっと鼻にかかった眼鏡のフレームをかけ直す。マルクス曰く学者スイッチが入った時にやる彼の癖だが、ハーシェリクはその事を知らない。
ハーシェリクが紹介しようとするとそれよりもサイジェルが先に動いた。
「まあ誰でもいいんですけど。そこの君!」
「はぁ?」
読書の邪魔をされシロが不機嫌そうに顔を向けた。漫画だったら青筋マークが三個くらい描写されているだろう。ちなみに女性かと聞いた時は青筋マーク五個くらいだったとハーシェリク比較である。
そんな彼の表情を気にも留めずサイジェルは大股で彼との距離を詰める。
「そのブレスレッド型の魔法具、見せてくれ!」
びしっとサイジェルが指さした先には、ブレスレットがある。ハーシェリクから見てとても洒落ているものだったが、どうやらそれは魔法具だったらしい。
魔法具、といっても多種多様にある。ハーシェリクが身近にあるのは現代風にいうとスキャナとコピー機能の魔法道具だろう。魔力を注ぎ込むことにより書類の複写ができる優れものだ。だが彼らの話しているのはそういう魔法道具のことではないらしい。
「この魔法式は自己流? かなり個性的だ……ここの方式で発動の時間短縮しているのか。だけどこの場合だと魔力の消費が余分にならないか?」
今にも触れそうなほどシロに近づいたサイジェルは、そのブレスレットを穴が開いてしまうのではないかと思うほど見つめる。そこには金の輪にルビーのような石がついたブレスレットだった。よく見ると金の輪にも石にも魔言が彫られていた。正確にいうなら魔法式というものだ。魔法を構築する式を魔法式というのだが、魔力なしのハーシェリクにはどれも扱えない為、いまひとつわからない。
「……いや、これは本当に緊急時用で発動時間短縮を目的としている。魔力効率を一番に考えたのはこちらの魔力補充型だ。」
サイジェルの指摘にシロは別のブレスレッドを外し見せてみる。それは先ほどのものとは対照的な銀に青の宝石が嵌めこまれたものだ。
「ふむ、なるほど。魔力を最初から補充しておくことで、半分以下の魔力で発動可能、ということか。ならこの方式を変更したら発動短縮にならないか?」
「一度考えたが、それだとここに問題が……」
「ふむ、均衡が難しいな。」
「あのー?」
あーでもない、こーでもないと魔法談義に花を咲かす二人に、ハーシェリクは恐る恐る割って入る。このままでは夕方まで語り続きそうだった。
(なにこの置いてけぼり感!)
ハーシェリク自身、魔法学の勉強はした。だが魔力がないため、基礎勉強のみで終わり専門的な事は習わなかった。というかできなかったのだ。本は読むが試すこともできない為、今一知識を自分のものに出来ていないのが現状だ。
「失礼しましたハーシェリク殿下。滅多に見られない高性能な魔法具に我を失ってしまいました。」
口では謝っているが、全く悪びれもしないサイジェルにハーシェリクは苦笑を漏らす。彼は良くも悪くも学者なのだ。自分の興味に忠実でそれに関して労を惜しまないが、他の興味がないことに関しては視界に入るかも怪しい。
「そうだ、よろしかったら彼と演習場に行っては? 今試作の魔法具の実験予定だと聞いております。君もよかったら意見を聞かせてくれると嬉しい。とすまない、私は研究室に戻るよ。君のおかげで新しい方式が浮かんだ。では!」
足早に去っていく彼を見送る二人。ただ資料を取りにきたはずなのに、その手にはなにも持たれていないのだが、ハーシェリクが指摘しようと思った時は既に書庫から立ち去ったあとだった。
「……シロさんは魔法士なんですね。ちょっとうらやましい。」
「うらやましい?」
思わず漏れた本音ハーシェリクははっと口を押える。ただ出てしまった言葉は取り消せないので、訝しげにしている彼を見上げてハーシェリクは苦笑しつつ答えた。
「はい、僕には魔法の才能皆無ですから。」
それはこの世界に生まれてから覆らない決定事項。貧弱な体に才能、身を守る術さえ自分にはない。それなのに野望がある。そしてついてきてくれる者達がいる。
(だから私は進むことができる。)
「あ、興味あったら演習場行きます?」
暗くなってしまった気分を打ち消すために、ハーシェリクは努めて明るく提案した。
そういえば今日は演習場で特別な実験をすると三つ子の兄姉から聞いていて誘われていたのだが、すっかり教会のほうに意識が行ってしまっていたのだ。