第十章 ノエルとヘーニルと儀式 その三
自分を全否定した王子にヘーニルは頭を振り立ち上がると、彼を見下ろした。その瞳には先ほどまでの狂気じみた熱意はなく、冷え切っていた。
「私は貴方を買いかぶっていたようです……交渉は決裂ですね。」
「交渉は対等な立場で行うことで、貴方がやっていることは脅迫っていうんだけど知ってた? ……私を利用できない次はどうする?」
呆れたようにハーシェリクは言い、そして鋭く周りを見回した。
シロの置かれた床の模様。その周辺に教会の法衣を着た人間が現れたのだ。数にして六人。六人はシロを囲むように模様の周囲に散らばる。
「どうするかですか? なら最初の予定通り進めるだけです。」
「……なにを始める気?」
現れた六人は各々魔法具を掲げ魔言を唱え始めた瞬間、魔力のないハーシェリクにもこの場の空気が変わったことがわかった。
空気をいっぱいまで入れた風船のように、針で少しつつけば破裂しそうな張り詰めた雰囲気にハーシェリクは手に汗を握る。
だがそんなハーシェリクの緊張を嘲笑うかのように、ヘーニルは冷めた瞳のまま口だけは笑ってみせる。
「殿下を手に入れたかったのは、貴方のおっしゃる通りまずこの国を手中に収める為。そしてこの軍事力を手に入れるためです。腐敗した大国でもその影響力、軍事力は他の国と引けを取りませんから……だけど、さすがに私もたった一つの大国だけで世界を統一できるとは思っていません。」
「……それで?」
ハーシェリクの言葉ににっこりとヘーニルが笑った後、両手を広げる。その視線の先には創造神の石造が祀られていた。
「だからこれが私の切り札です。さあ始めましょう、神を創造する儀式を!」
ヘーニルの言葉と法衣を着た者達の魔言の言葉が重なり、それに呼応して地面にかかれた模様が様々な色に光が爆発し室内に溢れ出す。それは虹のようなオーロラのような様々な色の光だ。
その模様の中心にいるシロ。彼を中心に光が燦爛し室内だというのに風が巻き起こる。
「ああああああああッ!!」
次の瞬間、室内に身を引き裂かれたようなシロの絶叫が響いた。
「シロさん!?」
澄ました彼からは想像できない悲鳴だった。彼の純白の髪が模様のように様々な色に光り輝き、風に煽られ踊る。
尋常ではない悲鳴を上げるシロにハーシェリクは駆け寄ろうとしたが、模様の手前には結界が張られているのか、見えない壁にぶつかり行く手を遮る。
(シロさんの所にいけない!!)
側に行ってもなにもできないことはわかっていた。だがそれでもハーシェリクは見えない壁を叩く。だがやはり壁が消失することはない。そしてその光景を見守るヘーニルに振り返る。
「ヘーニル、シロさんになにをしている!」
「転化の儀式でございます。」
「転化?」
聞きなれない言葉をハーシェリクは繰り返す。そんな彼にヘーニルは言葉を続けた。
「ええ、転化の儀式。殿下は魔神という存在をご存じですか?」
この世界で魔力を有するのは人間だけではない。
動物が魔力を得て狂暴化した存在である魔物や魔獣。その上位であるといわれる魔人や魔族。そしてさらに上の存在であり、内包する魔力は軽く人間の限界を超え、老いや死という概念の外を生きる者を魔神と呼ぶ。ただその存在は伝説でありお伽噺話のようなものだ。
「魔神とは人を超えた存在。その絶大なる魔力を用い一国を一瞬で滅ぼすことも可能な神にも匹敵する力を持つ者。」
その言葉でハーシェリクは自分の中の余っていた情報が綺麗に嵌ったことがわかった。
身体強化する薬、浮遊魔力を取り込み増大することができるシロの能力、そして転化の儀式。
「……まさか。」
最悪な想像がハーシェリクの中で形となっていく。
(国の身体強化の薬の情報流出も、アルミン男爵の薬売買も、そのせいでオランの婚約者が死んだことも、全てがこの為……)
それに気が付き、ハーシェリクは自分が青ざめていくのがわかった。
「さすがは殿下、やはりとても聡い。そう、これはノエルを魔神へと転化する為の儀式。」
その最悪の想像をヘーニルが言葉にする。ハーシェリクは奥歯を噛みしめる。
ヘーニルにとって王子である自分は手に入れたら自分の計画が楽になる、というだけの存在だったのだ。本命はシロ、彼さえいれば世界を統一する為の力は手に入る。
「だけど、シロがあなたの言うことをきくわけがない。」
そう例え彼が魔神となったとしても、こんな扱いをしたヘーニルに従うとは思えなかった。転化が終了した瞬間、シロは得た力でこの場にいる全員を一瞬で屠ったとしても疑問に思う余地さえない。
「ええ、だから私は彼にもう一つ魔法を施しました。名を与え毎日毎日その名を呼び、魔法を重ねていく呪法。」
それが鎖となり、圧倒的な魔力を持つシロを縛り付けている。現に彼は苦しみ悲鳴を上げながらも、その場から逃げることはできない。
「薬の投与も終え、あとはあの器に魔力を満たし、転化を完了させる……そして傀儡とする。」
それは自分にもかけようとした魔法だ。だが操作系魔法は欠点が多い。
「いくら呪法で縛ったとしても、魔法だけで完全に操れるわけじゃない。」
ハーシェリクの言葉にヘーニルは頷いて見せる。
「ええ、殿下のおっしゃる通り意識がある人間を操るのは難しく、できたとしても時間が短い。それは対象の人間の意識や心があるからです。」
それらが他人からの魔法による干渉を妨害する。精神操作で幻を見せられたハーシェリクのように、魔力がなくても打ち破ることは可能だ。
「だけどもし、その心が壊れてしまったら? 私の精神攻撃魔法と大きな隙さえあれば心は壊すことができる。」
そしてヘーニルは心の底から笑う。見た者全てがぞっとするであろう、底知れない暗い微笑みだ。
「心さえなくなればそれは人形と同じ。殿下、貴方を人形にすることは失敗したのは残念でした。だけど私にはお人形がある。お人形さえあれば問題ない。私は最強の魔神となったあの化け物を操り、聖フェリスと同じく世界を統一するのです!」
光の溢れ風が巻き起こる室内で、法衣をはためかせながらヘーニルは声高らかに宣言する。絶対的な自信に溢れ、全てを自分の思い通りにしようとしている。
両手を広げ演説をする彼に、ハーシェリクは怒りを覚える。それはジーンが殴られた時の激情とは別種の怒りだった。
さきほどから彼はシロを呼ぶ時お人形と呼ぶ。それが答えだったのだ。
絶大の魔力を持ち、魔神へと転化したシロを人形のように操る。
彼にとってシロさえいれば計画は成功する。言い換えればシロ以外全て捨て駒なのだ。そのシロでさえ彼にとってはモノなのだ。
「……なんてことを。」
ハーシェリクが呟く。だがそれは彼がこれから行おうとしていることについてではない。
「シロさんは、貴方が大好きだったのにッ」
態度にはあまり余り表さないが、シロはヘーニルを親の様に慕っていた。あの氷のような冷たさを持つ美貌を、他人の前でほんの少し綻ばせて笑うくらいに好きだったのだ。
そんな彼を、この男は最初から騙し裏切っていたのだ。
「ええ、そうなるように仕向けましたから。化け物相手に七年間毎日いい養い親を演じ、最高の舞台で裏切る為に。」
ハーシェリクの言葉をヘーニルはにっこりと笑って受け止める。
「さてまだ儀式には時間はかかりますが、その前に一つやっておくことがあります。」
ヘーニルはそう言うと懐から一本の短剣を取り出した。
「殿下には死んで頂きます。」
その言葉にハーシェリクは彼との距離をとろうと身を翻す。だがヘーニルはハシェリクの華奢な腕を捕えた。
ハーシェリクは逃れようともがくが、背後から抱きつかれるように拘束され、頬にぴたりと短剣を突きつけられる。平均よりも小柄な七歳にも満たないハーシェリクは、ヘーニルに簡単に囚われてしまった。
「ノエルの心を壊すには私一人では足りない。」
動けなくなったハーシェリクの耳元に、ヘーニルは口を寄せる。それは恋人同士が睦言を交わすような仕草にも見えるくらいと近い距離だ。
「そう考えた時、貴方といういい存在を見つけました。」
動けないハーシェリクに彼は言葉を続ける。
「最初、貴方に近づいたのは貴方の予測通りです。人形はあくまでも切り札ですから。それに予想外に嬉しい事もあったんですよ。」
とても愉快そうにヘーニルが言う。
「人間不信なお人形が、貴方だけには心を開いた。」
「は……?」
確かにシロとはかなり喋ったほうだと思う。だがあれで心を開いたというならツンツンレベルの話ではない。
「だから貴方を手に入れれば、お人形はわざわざ傀儡魔法を使わなくてもいうことを聞いたでしょう。」
つまりこのヘーニルはわざとシロと自分を対面させる為に動いていたということだ。
「ユーテル兄様に近づいたのも……」
「ええ、全ては貴方と接触する為。まあ、あの王子達も中々手ごわかったですがね。中々貴方に会わせてもらえませんでした。」
余裕の声音にハーシェリクは歯を噛みしめる。でも気になっていたことはそれだけじゃない。
「じゃああの魔法事故も教会が、やはりあなたが仕組んだことだったんだ。」
「おや、足がつかぬよう細心の注意を払ったんですがさすがですね。」
ハーシェリクの言葉にヘーニルは余裕の表情を崩さず答える。
城内で起った魔法事故、サイジェルが調べた報告を元にクロが素材の流通経路を追った結果、城に卸されている魔法具の素材と同質の物が、いくつかの商店や貴族を経由し最終的に教会に納められていた。ハーシェリクはそこから教会が事故を画策したとし、糾弾する予定だったが、行動を起こす前に先に行動を起こされてしまったわけだが。
「もしあの場の私とシロがいなかったら……」
「まあ何人かは死んでいたでしょう。でもそれを利用してお人形を殿下の側におくようにしましたが、あの場にいてくれたおかげで話は都合よく進みました。」
あの場に自分とシロがいなかったら三つ子の兄姉達は怪我か、もしくは死んでいたかもしれないということだ。彼らだけではない。あの場にいた者達全員が命の危険にさらされていた。
「それで聖職者だなんて聞いてあきれる。」
「全ては全世界の人々の為です。」
迷いなくヘーニルは言い切りハーシェリクを拘束したままシロに向かい合う。
「お人形、見なさい。」
絶対的な命令が発せられ、膨大な魔力をその体に取り込み続けているシロがゆっくりと視線を動かし、そして瞳が見開かれる。
「貴方を殺し心に大きな隙が生まれた瞬間、私の傀儡魔法が完成します。」
ハーシェリクの頬に痛みが走る。確認せずとも、ヘーニルの短剣が自分の頬を傷つけたのだとわかった。反応の薄い彼にヘーニルが肩を竦める。
「泣きもしませんか。少しは怖がってくれたりしないと、人形にも影響が低いのですが仕方がない……そろそろ死んでもらいます。」
ヘーニルが短剣を持った手を振り上げた。
自分には身を守る術も、自分を守ってくれた二人はいない。
拘束された手を振りほどくほど、自分には力もない。
(だけど私は……!)
「さようなら、ハーシェリク王子。」
ヘーニルの持った短剣が、ハーシェリクに振り下ろされた。
時を遡る事数分前、薄暗い部屋の中ソファで微睡んでいた女が色の違う瞳を見開くと同時に姿勢を正した。
「これは……」
彼女は呟くと同時に手を水平に動かすと、目の前に円形の鏡のようなものを出現させる。ただしそれは鏡ではなく、別の風景を写していた。もしこの場にハーシェリクがいたのなら、SF映画に出てくるような画面みたいだと揶揄しただろう。だがこの場に王子はいないし、その光景に異議を唱える者はいなかった。
その鏡を出現させた者、情報屋であり知る者には常世の魔女と呼ばれる彼女は、画面に映し出された景色に唾を飲み込む。
「なぜ、この時代にこんなものがある?」
映し出されたのはこの時代にはあり得ない魔法陣、中央にいる若者、そして法衣をきた人物に拘束されているあの王子だ。
だがそれも一瞬のことだった。鏡は真ん中から亀裂が入ると同時に砕け散り、その破片は空気に溶けて消えた。
「妨害された、か。」
常世の魔女はさらに瞳を見開いたが、諦めたように首を横に振り瞳を閉じるとソファに身を預ける。
彼女は未来を予見する能力を持つ。だがその予見は断片的であり複数ある。前回、王子に会った時にみた予見には、このような事態は視ることはできなかった。死さえ超越し膨大な魔力を宿す身だとしても、決して全てを知ることはできない。特に自分と同等か己以上の力を持つ者については尚の事不可能。つまりこれは自分より力のある者が絡んでいるということだ。
(誰がなんの為にやったのか気になるが……だけど私には許されていない。)
あの王子に続き、この時代にあるはずのない魔法陣が使用されている。この世界は異変が起きていることは確かだ。だが自分の役割上、これ以上の干渉をすることはできない。
「世界を、運命を変えることが出来るのはその運命に選ばれた者のみ……どうやら運命の神々は、私が思っている以上に彼女を気に入ってしまったみたいね。」
常世の魔女の呟き宙を睨む。さきほどの王子が見えた瞬間、彼を通し視えてしまった未来。
残酷な未来が彼に迫っていたが、それを報せる術を彼女は持ち合わせていなかった。




