第八章 大聖堂と聖騎士と盲信 その三
主を小脇に抱えたままクロは長く続く廊下を駆ける。彼の頭の中にはこの大聖堂を含む教会敷地内の地図が有りこの先がどこに繋がっているか、そして目的の場所も目星がついでいた。ふと自分の小脇に抱えられ大人しくしているハーシェリクをちらりと見る。
「ハーシェはあの筋肉馬鹿が心配ではないのか?」
「……ん? クロは心配なの?」
微妙に乗り物酔いならぬ運ばれ酔いをしているハーシェリクは、ぐったりしつつ辛うじて答える。
「いや、全然。」
クロの答えにだよねとハーシェリクは苦笑気味に答えた。
この二人はお互い口で悪口言いながらもどこか信頼しているのだ。それにお互い面と向かって罵り合うが、決して相手がいないところで悪口は言わない。陰険執事や筋肉馬鹿とかの呼称が悪口と言われればそれまでだが、お互い返事しているのだから微妙なところだ。
「心配だよ。だけどそれ以上に信じている。」
ハーシェリクの言葉にクロは少し不機嫌に眉を顰めるだけだった。
ハーシェリクがもう少しでマーライオンと化す寸前で、クロは彼を地面へ降ろしす。目の前にも扉がありクロが警戒しつつ扉を開け、誰もいないことを確認してハーシェリク達は入室した。
「ここは?」
その部屋は八角形の形をしていて、その頂点には神々の石造が祀られており、天井はドームのようになっていてた。天井は全てステンドグラスがはめられ、色とりどりの硝子は天の庭を表現した一つの絵となっている。逆に床は色の暗い石材で、地の底の入口を表現していた。なぜハーシェリクが天の庭と地の底だとわかったかは、まだ勉強し始めの頃に読んだ絵本とそっくりだったからだ。
そして入ってきた扉の正反対の位置には奥へと続く扉がある。
「奥の礼拝堂へ行く手前の控えの間だ。あの扉の先が礼拝堂だろうが……ハーシェッ」
クロが感心して部屋を眺めるハーシェリクを抱えその場から飛びずさると、石に床に何かが突き刺さる固い音が響いた。ハーシェリク恐る恐る確認すると、自分がいた場所に二本、そしてクロの右肩に一本、掌サイズまで巨大化したような針が突き刺さっていた。
「クロ!?」
ハーシェリクは悲鳴のように執事の名前を呼ぶ。だがそんな主の声にクロは眉一つ、肩に刺さった針を無造作に引き抜き針を凝視する。
「問題ない……出て来い。」
ハーシェリクを降ろしつつ、クロは言葉を投げる。だがその声に反応する者はいない。クロは小さくため息を漏らすと、次は言葉ではなく手に持っていた針を投げた。投げた先には石造の影があるだけだが、その影が蝋燭の炎が揺らぐように揺れ、針が弾かれる甲高い音が室内に響く。ハーシェリクが視線を向けると、影しかなかった場所にひょろりと背の高い男が一人が現れた。クロはハーシェリクを守る様に対峙する。
「さすが『影の牙』だ。不意をついても主は無傷か。」
感心したような言葉だったが抑揚のない無機質な声だった。
クロの背後からハーシェリクはその男をつぶさに観察する。
暗い色の服を着た男だった。感情を捨て去ったかのような表情のない仮面のような顔をクロと自分を見ていた。
(孤児院で見たのはこの男だ。)
ハーシェリクは直感でわかった。薬事件の時孤児院で感じた視線の先にいた男。その後すぐ襲ってきた三人組とアルミン男爵が倒れ、視線を戻した時は消えていた。
表現しがたい不安が自分の中にこみ上げ、ハーシェリクはクロの服の裾を引っ張る。クロは男から視線は外さず、ハーシェリクの頭にぽんと手を置く。
「ハーシェ、先に行け。」
「だけど……」
ハーシェリクは一瞬躊躇う。不安もあるが、彼の視線の先は針が刺さっていたクロの肩だ。クロが立ち上がる時、不自然に肩を庇っていたのをハーシェリクは見逃さなかった。
そんなハーシェリクにクロは言う。
「不良騎士は信じられるけど俺は信じられないのか?」
顔は見えないが不敵に聞こえる彼の声。
それは絶対の自信に満ちた声だった。
「……わかった!」
ハーシェリクは頷き走り出す。目指すは奥の扉だ。体当たりするかのように突撃し、扉を開けて走り去る。
それを見送った二人、ただし視線は互いから外していない。さきに口を開いたのはクロだった。
「おまえがあの事件の時にハーシェが見た影か。」
クロの問いに男は沈黙を守る。そんな男にクロは肩を竦めてみせた。
「まあ言えないよな。密偵が姿を見られたなんて恥ずかしくて。」
「……減らぬ口だ。そろそろ毒が回ってきているだろうに。」
クロの小馬鹿にした口調に、男が若干イラついたような口調で返答した。
クロも針に毒が仕込まれていたことは解っていた。右肩から痺れるような感覚、利き手の動きが鈍く徐々に毒が回っているようだった。
「ああ、確かに手足の先がしびれてきたな。だが……」
クロは次の瞬間男との間合いを詰め、いつの間にか左手に握られていたナイフを男の顔面に突きつける。男はそのナイフを間一髪避けたが、続くクロの蹴りを避けることができず腕で防御した。だがクロはさらに追い打ちで動かないはずの右手で手刀を繰り出す。しかし男は間一髪間合いをクロの攻撃をかわした。
数瞬の攻防が終わり、クロと再度間合いをとった男の頬に一筋の赤い線から血が流れる。その血を拭いながら、男の仮面のようだった表情が微かに目を見開いていた。
「なぜ動ける?」
毒を受けたはずで動けるはずがない、とその眼が言っていた。だがクロは平然とその場に立ち右手の具合を確かめる。
「いろいろあってな。」
そして右手を振ると手品のようにナイフが握られ、さらに手を振ると両手のナイフが消える。
「まあこの毒はなかなか効いたが、俺の動きを止めるには足りないな。」
化け物をみるような男の視線をクロは平然と受け流す。彼はジーンの毒を見抜いたように毒にも長けていた。そして彼の身体は、毒にも耐えられるよう仕上げられていた。それは過去、決して彼が望んだことではなかったが、今となっては感謝をしていた。
毒に耐えうる体は、ハーシェリクを守るのに役に立つ。
「……おまえやあの騎士のような人材が、あんななにもない末の王子の側にいる?」
男の疑問は最もだろう。なんの後ろ盾もない権力がない末の第七王子。才覚もなければまだ学院にも入学していない年端もいかぬ子供だ。
クロのような実力のある密偵が側にいることも、オランのような国を代表する騎士を代々排出する侯爵家の子息が仕えていることも、傍からみれば理解できない。
「なにもない?」
その言葉にクロの暗い紅玉の瞳に、危険な光が宿る。
「俺はハーシェほど、いろんなモノを持っている人間は会ったことがない。」
強さや知能の高さなどたかが知れている。権力など裏に身を置いていた彼にとって金よりも価値がない。
「お前が主に求める者は力か? 知識? 名声? 権力や金か? それとも容姿?」
そんな代替のきく上辺だけどモノなどクロは興味がない。クロは物心ついた時から様々な人間を見てきた。表も裏も、綺麗なところも汚いところも。そして悟っていた。全てがこの程度なのだと諦めていた。だが彼は違った。
努力家で直向き、優しくて頑固者、素直だが賢い、弱いが強い彼。
外見ではなく内から輝く光を持つ王子。
「ハーシェの存在がその程度と思っている人間が、その程度の存在でしかない。ある意味、お前たちの大司教は見る目がある。」
そう彼が何を狙っているのか、ハーシェリクは勘づいている。ただしそれだけではないような気がして確信はもてていないようだったが。
「まあ、あの程度の人間にハーシェが御せると思わないがな。」
「……だから行かせたのか。」
男の言葉にクロはにやりと笑う。ただ命を狙われているだけなら行かせはしなかった。あえてハーシェリクを呼び出したのだから、すぐには殺さないはずだ。それにここまでの教会側の動きは、ハーシェリクが予想した通りだった。
「俺が唯一認めた主が、この程度で終わるわけがない。」
そう断言し、クロは武器を構える。
毒があまり効いていないといっても手足には痺れはある。いつしか周りには目の前の男だけでなく、他の元同業者らしき者達に囲まれていた。だが負ける気はしない。
「さて時間がもったいない。とっとと終わらせよう。」
そう言ってクロが僅かに両手を動かすと次の瞬間、彼を囲んでいた者の内二人の首が宙を舞った。今まで喋っていた男も、その仲間も、そして首を斬られた者達も目を丸くする。首が地面に音を立てて転がると同時にその身体も血しぶきを上げて倒れた。
「……なにをした?」
標的であるクロはその場から動いていない。だが仲間の二人は、まるで見えない死神の鎌で刈られた様に首が飛んだ。
「言っただろう? 時間がもったいないと。」
そう言ってクロが両腕を振ると、空気を斬る音が鳴った。
「間合いをとれ!」
男は直感的にそう叫び己も後方へ下がる。他の者達もその言葉に従ったが、一人だけ遅れをとった者がいた。その男の首から血が吹き上がり、声も発することも許されず倒れる。
「ふむ、不意を突かねばやはり無理か。」
そう言ってクロは肩を竦め両手を振ると、宙を紅い線が踊り彼の手元に収まる。否、それは赤い線ではなく血がついた鉄線だった。
「なんなんだ、それは……!」
見たことのない武器に、今では仮面ではなく恐怖の表情で男が呻く。視認するのも難しい細い鉄線に人体を切断するほどの威力があるとは考えられなかった。それ以前に分銅さえつけていない鉄線が意のままに動くことが可笑しい。
「お前の質問に答える必要があるか?」
クロはそう言いつつ、両手にナイフを持つ。不意をついて人数は減らしたが、毒が回り始めた身体では圧倒的に不利だ。だがそれでも負ける気はしないし、負ける気もない。
(だが時間はかかりそうだな。)
そう内心舌打ちしつつ、クロは目の前の敵を駆逐する為に動き出した。
ハーシェリクの最初の腹心であるシュヴァルツは、『黄昏の騎士』であるオランジュと比べ後世の認知度は低い。それは彼がいつもハーシェリクの後ろに控え、決して主より目立つことがなかったからだ。
だがもう一つ理由がある。歴史学者は彼の事を調べていくうちに誰もが不自然な点に気が付く。情報が操作されたかのように、彼に関する情報が全て掩蔽されているのだ。
そんな彼はハーシェリクの懐刀であり、主の側で影のように控える姿から『影牙の執事』と呼ばれた。
ハーシェリクは呼吸を整えながら扉の前に立つ。
(この扉の先が……)
走った為か呼吸が乱れ、足が震えた。否、足が震えているのは走ったせいだけではない。
自分の中に微かに恐怖の感情があるのを認める。
今ここにいるのは自分だけだ。いつも守っていてくれていたクロもオランもここにはいない。自分が予想した通りの展開だった。
最初そうなるかも予想を言った時、筆頭達は険しい顔をした。あえて相手の策に乗る必要性はないと言われた。だが乗らねばジーンとシロの命が危ういと解りきったことだった。だから二人の言葉を退け、ここまで来たのだ。正に虎穴にいらずんば虎児を得ずだ。
(何度か危険を冒してきたけど、私もまだまだだな。)
虎穴作戦の時、ハーシェリクは何度も危ない目にあっている。誘拐されかけたり、変態に襲われかけたり、殺されかけたりもした。でもその度に筆頭達は自分を守ってくれた。
だがその彼らも今は側にいない。
ハーシェリクは気合いを入れるように太ももを両手で叩く。思いっきり叩いた為痛かったが、痛みが引くと同時に震えは止まった。
そして覚悟を決め扉に手をかける。
(女は度胸! 今は男だけどな!)
ハーシェリクが扉を開け放つ。室内から光が爆発した。
「危ない!」
言葉と同時に後ろから引っ張られる。想定外の引力にたたらを踏んだが、そのまま誰かに抱きとめられ転ばずにすんだ。
クラクションがけたたましくなりながら車が通り過ぎ、横断歩道の真ん中に折り畳み傘が転がっている。
「え?」
突然の事に思考が停止した。生まれて初めて、肉親ではない男性の腕の中にいるのだ。固まってしまっても誰も責めはしないだろう。そんな腕の中の人物に、男性の声が頭上から降ってきた。
「たく、視界悪いのに飛ばすなよ。君も信号よくみないと……あれ、君はもしかして早川?」
名前を呼ばれ肩を震わせる。自分が呼ばれたと気が付くのに数秒かかった。
「えー……と?」
見上げるとオールバックにした髪がやや崩れたサラリーマンの男性がいた。仕立てのいいスーツを着ているのに、自分を引き込んだせいでその広い肩から背中は雨にあたり濡れてしまっている。雑誌に仕事の出来る男として紹介されそうな落ち着いた雰囲気のイケメンだ。
「忘れちゃったの? 俺だよ俺、高校の時同級だった。」
その男性がニカっと笑う。その笑い方に見覚えがあった。よくよく見れば所々に面影がある。
「……まさか、小鳥遊君?」
「そう! 久しぶりだな。」
自分の名前を言い当てられ、小鳥遊は嬉しそうに笑う。久しぶりの再会に早川涼子は自分の鼓動が早くなるのを感じると同時に、先ほどまで激しい音を立てていた豪雨が普通の雨なっていくのを視界の端で捕えていた。




