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第七章 ジーンと毒と動き出す者達 その二



 ジーンが顔から手を外すと、目の前に濡れたタオルが差し出された。

 彼女は遠慮がちにそれを受け取ると、赤くなっているだろう目の周りに当てる。ひんやりして気持ちよく、顔の温度を下げると同時に自分も落ち着いていくのがわかった。タオルを外すと下を向いていた為自分の足と王子の足が視界に入る。

 王子は自分が泣いている間、ずっと頭を撫でていてくれた。物心ついてから一度も母親に頭を撫でてもらった記憶がないジーンは、無性に恥ずかしくなり自分の冷めた頬が再度熱を持つのがわかった。


「お見苦しいところをお見せしました……」


 顔は上げられずそのまま喋ると、思った以上にか細い声にジーンは自分自身が驚く。


「気にしないで。」


 ハーシェリクの声はいつも通り穏やかだ。その声になぜか安堵する。だがその安堵も、ハーシェリクの次の言葉で霧散した。


「……ジーンさん、私は貴女が過去、どんなことをしてきたか知っている。」


 ハーシェリクの言葉にジーンはハッとして顔を上げる。目の前には真剣な新緑色の翡翠のような瞳があった。


 クロはジーンの素性を事細かに調べてきてくれた。彼女がバルバッセや派閥の貴族からは『小鳥』と呼ばれ、内密な手紙や言伝を運ぶ役をしていたことを。そしてバルバッセ候の『短剣』として、毒を使い邪魔な人物の暗殺や再起不能の状態に追い込んでいたことを。


 ハーシェリクの言葉に、再度ジーンは顔を伏せ、持っていたタオルを握りしめる。


「……弁明する気はありません。」


 死罪となってもおかしくないほど自分は罪を犯してきた。ジーンは膝の上で組んだ手に力が入る。


「ジーンさん。」


 ハーシェリクが力の入った手を優しく撫でる。まるで安心してと言われたように思えた。


「貴女が歩んできた人生について教えて欲しい。」


 彼の言葉にジーンは息を飲む。そしてゆっくりと語りだした。


「……私が生まれたのは花街で、母はバルバッセ候の奥様付の元使用人でした。」


 誰にも話したことない出生の話。知るのは父であるバルバッセとその側近たちだけだ。


 バルバッセ侯爵の正妻の使用人として働いていたジーンの母は、容姿が整っていた為バルバッセに見初められ関係を持ち自分を身籠った。だがそのこと知った奥様に、少しばかりの手切れ金と共に追い出された。その手切れ金で自分を出産し生活をしていたらしいが、金が尽き、乳飲み子を抱えては定職にもつけず、行きついた先は花街だった。


 物心ついた時には、毎日母に怒鳴られ叩かれていた。容姿の整った母が目を吊り上げて怒る様は今でも鮮明に覚えている。

 「役立たず」「お前さえ生まれなければ」「死んでしまえ」そう毎日言われ続けた。だが母はいつも言った後、自分よりも傷ついた顔をして落ち込んでいた。今にして思えば、侯爵の奥様付使用人から花街の遊女という転落した人だ。誰かに当たらなければ生きていけなかっただろう。愛されていた、とは言えないがジーンは母に育ててもらった恩がある。悪態をつきながらも彼女は決して子供を飢えさせることはしなかった。


 そんな母が病気になり亡くなったのが五年前。


「母が病気で五年前に亡くなり、私は生涯孤独となりました。生きていくにも花街で体を売るには年齢の問題もありましたが、貧乏暮らしなせいか貧弱でやせっぽっちで、顔も華美ではありませんから売り物にはならず……途方にくれていたところ、母が以前話していた父の事を思い出し訪ねました。」


 父を訪ねるか、路頭で野垂れ死ぬかしか思い浮かばなかった。だから病で命数が尽きかけた時の母の言葉を信じ、実の父親に頼ることにした。

 母が侯爵家から追い出された時に持ち出したものはほとんど売られていたが、唯一バルバッセ侯爵家の家紋が入った指輪だけは売らずにとっており、息を引き取る前に指輪を渡してくれた。それを手に侯爵家の門をたたいた。再開した父からは父子の情を感じることはなかった。


「父から妹の面倒を見ること、父にとって都合がいいことをするかわりに、私の生活は保障されました。」


 それからは毎日妹の面倒を見つつ、貴族の娘としての作法も死ぬ気で身に着けた。毎日追い出されるのではないかと怯えながら、父の言うとおりに悪事にも手を染めた。その頃はそれしか生きる術がないと思っていた。

 だが考えればいくつも道はあったのだ。父の元には訪れず孤児院にはいるとか、小鳥や短剣がしたくなければ家を出るという選択肢もあったはずなのに、一番自分が楽な道を選んだ結果が今だ。


(本当に私は、なんて愚かな人間なんだろう……)


 自分の生い立ちを離し終えたジーンは俯き、タオルを持つ手に力が入る。

 そんな彼女にハーシェリクは口を開いた。


「なぜ、今回はしなかった?」

「それは……」


 ハーシェリクの質問にジーンは言葉を詰まらせる。だがハーシェリクは言葉を続けた。


「だって私を殺さないとヴィオレッタはどうなる?」

「そうですッ だけど……!」


 ジーンの手にさらに力が籠る。


 あの家でヴィオレッタだけが無邪気に笑いかけてくれた。彼女だけが裏心なく必要としてくれ、姉と慕ってくれた。腹違いの花街生まれの自分を。なにもなかった自分の唯一の大切な……


(だからやらなくちゃいけなかったのに! それなのに私は……!)


 止まったはずの涙が溢れだし、瞳から零れた滴はタオルを握りしめている手に落ちた。


「……ごめん、意地悪だったね。泣かないで。」


 ハーシェリクが優しくジーン手に自分の手を重ねた。ジーンの磨かれた銅貨のような赤銅の髪が揺れ、榛色の瞳にハーシェリクが映る。

 ジーンが伏せた顔を上げるのを確認し、ハーシェリクは言葉を紡いだ。


「ジーンさん、嘘っていろいろあるって知っている?」

「え?」


 脈絡もない言葉にジーンが呆気にとられる。だがハーシェリクは気にせず言葉を続けた。


「人はいろんな場面で嘘をつく。」


 利益を得るために人を騙す。

 自分を守るために嘘をつく。

 人を救うために言葉を偽る。

 

 全て一括りに嘘と言えるだろう。自分も多くの嘘をついている。


「たくさんある嘘の中で、私はついて欲しくない嘘があるんだ。」


 ハーシェリクはジーンに初めて会った時、張り詰めた糸のように気を張っているような気がした。

 それは王族である自分と会うことに緊張しているのかと思ったが、それとは別の怯えたような瞳がいつも周囲を警戒していた。

 令嬢という立場なのに、いつも人の目を気にしていて、権力に敏感に反応し、自分の立ち位置を確認する。

 己の居場所がそこしかなくて、その場所を守るしかないと思い込もうとしているようだった。

 本当の自分を押し殺し、その場所を必死に守ろうとずっとそう自分を欺き続けていた。


「それは自分を騙す嘘。」


 自分を誤魔化す為に自分に嘘を重ね欺き続ける。そして心は動けなくなっていく。そうやって自分を騙し続け行きつく先は一つ。


「自分に嘘をつき続けたら、自分の心が死んでしまうよ。」


 自分を偽り進んだ先は心の死。それは生きているとは言えない。

 

「ハーシェリク、殿下……」


 ジーンの瞳に再度涙が溜まる。ああ、また泣かしてしまうと思いつつもハーシェリクは再度頭を撫でる。サラサラな赤銅の髪の手触りが気持ちよかった。


「今までよく頑張ったね。」


 ジーンの頭を引き寄せる。身長差で座っていても彼女のほうが高いため、肩に頭を置くことになってしまって恰好が付かないのは仕方ないだろう。

 ハーシェリクの肩で、ジーンは静かに泣いた。






 ジーンは腫れてしまった瞼を、クロが再度用意した濡らしたタオルで冷やし頭を下げる。


「殿下ありがとうございました。」


 毒入りのカップケーキやお茶は既に片づけられ、テーブルには別の新しいお茶が用意されている。

 ちなみに立っていることにつかれたらしいオランも椅子に座りリラックスしていたりする。クロは一応立ってはいるが、先ほどまでの緊張感はない。すでに空気がハーシェリクの自室と同じ状態だ。


「これからどうする?」

「私はもう自分に嘘をつきません。」


 ハーシェリクの言葉にジーンは力強く答える。そこにはもう怯えた子供はいない。


「私には償うべき罪があります。そして父も。すぐにでも自分の罪を償うために出頭すべきだと思います……ですが」


 強い決心を持ちジーンは言葉を紡いだ。


「その前に、私はやるべきことがあります。必ず、殿下のお役にたちます。」

「それは、危険ではないの?」


 だがジーンの言葉にハーシェリクの表情は陰る。決して彼女を懐柔したかったわけではない。だがそんなハーシェリクにジーンは明るい表情で答えた。


「大丈夫です、殿下。こうみえても私、結構修羅場をくぐってきてるんですよ。」

「ジーンさん……」


 先ほどとはうってかわって生き生きとした表情をするジーン。憑き物が落ちたという表現は今の彼女の為にあるとハーシェリクは思う。

 ふとジーンが真面目な顔になった。


「……殿下、ジーンと呼んでいただけませんか? 私もハーシェリク様と呼びたいです。」

「え?」


 豆鉄砲を喰らった鳩のような顔をするハーシェリク。だがジーンは更に言葉を重ねた。


「それと、もし私が罪を償い許されたら……お傍に置いていただけませんか?」

「へ?」


 今度はマシンガンで豆を喰らった鳩のような顔になるハーシェリク。だがジーンが若干頬を染めながら言葉を続ける。そして意を決したように真っ直ぐとハーシェリクを見つめた。


「自分に嘘つくのをやめます。私にはハーシェリク様が必要です。お傍にいさせて下さい。」


 あまりの真剣なジーンの表情に、ハーシェリクは気後れする。椅子に座ってなかったら数歩下がっていただろう。


「う、うん、好きなだけいていいよ?」

「……はい!」


 ハーシェリクの返事に、ジーンは幸せそうに微笑んだ。

 その微笑みに、ハーシェリクは調整されているはずの温室の温度が若干あがったような気がした。。






「ハーシェ、耳まで赤い。」


 ジーンが帰った後、ハーシェリクの自室に戻った三人の内、クロが切り出す。自覚のあるハーシェリクは慌てて耳を抑える。その様子にオランが追撃をする。


「そうか、ハーシェは年上が好きだったのか。」


 キッとオランを睨むが、オランは笑ってハーシェリクの視線をかわす。


「いや、妹も可愛らしいし聡明な令嬢だった。大臣のことは置いとくとして、二人ともハーシェの好みじゃないのか?」


 さらにクロの追撃に自分の顔の温度が上昇していくのがわかった。

 確かに自分の好みは大人で聡明で優しい芯のある人。そういう意味では二人は理想に近いだろう。


 だがハーシェリクは前世も合わせて、初めてだったのだ。告白されるというものが。


「うううう、煩い!」


 まだまだからかう気満々の筆頭達に、ハーシェリクは背中を見せて防御を試みる。


 今まで自分が必要で、それを伝えたことはある。それはクロ然り、オラン然り。もちろん恋愛感情ではない。


 だが今自分を支配している感情はそれとは別だ。

 生まれて初めて、前世も合わせてジーンに初めて必要だと言われた。真剣に真摯に。

 前世でも恋愛シミュレーションゲームで幾多のキャラに告白されたが、それとは比べられないくらい自分の心臓が脈打っていた。





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