第七章 ジーンと毒と動き出す者達 その一
城下町での襲撃から一週間たったその日、ハーシェリクは一人の客人を迎えていた。いつも通り温室のお茶会の席に通されたジーンは深々と頭を下げる。
「殿下、先週はありがとうございました。」
どこか緊張した面持ちの彼女に、ハーシェリクはいつも通り微笑んでみせた。
「そんな、こちらこそ怖い目にあわせてすみませんでした。どうぞ座って下さい。」
ハーシェリクに促がされかつオランが椅子を引かれたので、ジーンはおずおずと席に着いた。
「やはりあの者達は殿下のお命を狙って……?」
「みたいです。僕も詳しくは教えてもらえないんですが。」
ジーンの問いにハーシェリクは苦笑気味に答える。
ただ言った事には嘘があった。自分が狙われていたことは本当だが、事件の仔細については知っている。ハーシェリク自身は立ち合いを許されなかったが、筆頭騎士であるオランと第一王子であるマルクスが取り調べに立ち会ったのだ。
オランの報告はハーシェリクの悩み事を増やす結果に終わった。
襲撃をしてきた者は雇われただけで、調査は続けてはいるが雇い主は不明。それは襲撃者が口を割らないのではなく、襲撃者が魔法によって記憶が改変をされ、そして呪術による襲撃するよう強制されたという証言とその魔法の痕跡が見つかったからだ。しなければ彼らは命を奪われる。呪術の恐ろしいところは、魔法使用者が死んだとしても媒介が存在する限り、強制力があるところだ。ただそれほどの強制力を持つ呪術を扱うには並みの魔法士では無理だが。
結局、襲撃者達は無罪放免にはならなかったが、襲撃を強要されさらに王族と知らずに襲撃したことにより情状酌量の余地有りとして、法務局の法廷で裁かれることとなった。
「そういえば今日ヴィオレッタさん……ヴィオレッタは?」
「妹は体調が悪く臥せっております。本日は私のみで申し訳ありません。」
頭を下げる彼女にハーシェリクは首を傾げる。
「それでしたら使いでもよかったのに。」
中止だったら使いのものだけを寄越せば問題ない。侯爵家の令嬢が小間使いのようなことをしているのは問題ではないのか、とハーシェリクが思う。疑問が顔に出ているハーシェリクにジーンは持ってきた箱を取り出す。
「いいえ、妹から殿下に食べて欲しいとお菓子を預かってまいりました。先日の守って頂いたお礼ということです。」
ジーンがそう言って箱を開けると、そこにはチョコとナッツがたっぷり入ったカップケーキが並んでいた。山のように綺麗に膨らんだケーキは、チョコでコーティングされた物もあり、甘い香りがハーシェリクの鼻孔を擽る。ハーシェリクが表情を綻ばせた。
「おいしそう! さっそく頂います。シュヴァルツ、お茶の用意を。」
「かしこまりました。」
うきうきとハーシェリクがクロに指示する。クロがティーポットを用意し始めるとジーンが箱とは別の籠から袋を取り出す。
「……殿下、よろしかったらお茶にはこれをお使いください。」
「これは?」
「他国の珍しいお茶です。偶然手に入りまして。」
ハーシェリクが受け取りパッケージを見る。原産国が南の連邦のとある国と印刷されていた。そして少量だが輸入物だし、こういったモノは前世でも高いということを知っている。
「いいんですか? 高価なものなのでは?」
「是非、殿下に飲んで頂きたいです。」
ジーンの言葉にハーシェリクは頷く。固辞しすぎるのも相手に失礼だと思ったのだ。
「では、ありがたく頂きます。」
茶をクロに渡すと、クロはジーンにお湯の量や蒸らす時間を確認し茶を入れる。出されたお茶は飴色で、豊かな香りが室内に広がった。
ハーシェリクは一口お茶を飲むと、渋みが少ないスッキリとした味だった。
「うん、確かにこのあたりとは違った香りのお茶ですね。味もスッキリしていておいしいです。」
「……はい。」
微笑むハーシェリクに、ジーンは強張った表情で頷く。
「ジーンさん? 顔色が優れないようですが大丈夫ですか?」
「……だ、大丈夫です。」
「そうですか? 無理はしないでくださいね。」
気遣わしげな表情を向けるハーシェリクからジーンは顔を背ける。
「……本当に体調が悪いみたいですね。早く戻ったほうがいいのでは? ……あ、このケーキの感想をヴィオレッタに伝えないといけないんですね。」
ハーシェリクがひらめいたとばかりに手を打つ。その答えにジーンの肩がびくりと跳ねたが、ハーシェリクは気が付かずチョコがコーティングされたカップケーキを手に持った。
「では、頂きます。」
大きな口を開けハーシェリクがケーキにかぶりつこうとする。
ジーンには時の女神がこの場の時間を支配したかのようにゆっくりと流れるように見えた。一瞬のはずの景色がゆっくりとゆっくりと動き、ハーシェリクの口にケーキが近づいていく。
「……ダメッ」
ジーンが椅子を倒す勢いで立ち上がり、ハーシェリクの手から己の伸ばした手でカップケーキを叩き落とす。そしてテーブルに置いてあったカップケーキが入った箱を持つと地面に叩きつけた。
「だめ、ダメ……」
気がふれたかのようにジーンは呟き続け、ハーシェリクが飲んでいたティーカップも地面に叩き落とす。さらにサイドテーブルに近づくとお茶を入れたティーポットも、開封された茶葉の袋も地面に叩きつけ、ジーンは動きを止めた。
「ジーンさん。」
肩を上下させ荒い呼吸をする彼女に落ち着いた声が話しかける。だが、ジーンの耳にその声は届かなかった。
「だめ……」
その場でジーンは動けず立ち尽くす。頭の中では父の指示に従って用意した一週間が、早送りで流れていた。
(私は……私はなんていうことをッ)
父に言われた通り、ハーシェリクを暗殺するために彼女は準備してきた。お茶にもケーキにも毒を仕込んだ。その毒は二種類あり単体では毒とは思われないし効果がない。その二種類を体内に取り込むことで効果を発揮する毒薬だ。詳しい知識がなければ絶対怪しまれない方法。このやり方で、自分はいくつもの命を奪ってきた。父に言われるがまま。
昨日まではいつも通りと自分に言い聞かせてきた。自分と妹の命を守るために、これしか方法がなかった。それなのにハーシェリクの顔を見て、いつものと変わらぬ微笑みを向けられたら、決心が揺らいだ。
そして彼が茶を飲みケーキを食べようとした瞬間、揺らいでいた決心は一瞬で脆く崩れ去った。
手を握る。爪が掌に食い込み痛みを感じたが、それでも握りしめることをやめることはできなかった。その手を温かい手が包んだ。
「ジーンさん、落ち着いて。」
手から感じる体温と一緒に、穏やかな声がジーンに届く。
「……殿、下?」
自分よりも身長が低い彼が見上げている。彼に促されるまま椅子座ると、目線はより近くなった。
ハーシェリクは膝に置かれたジーンの片手を握ったまま、子供をあやすように言う。
「全部、知っていたから。」
「え……?」
その言葉に、ジーンは自分の血が音を立てて引いていくのがわかった。
青くなる彼女を安心させるように、ハーシェリクは手を握り、そして空いている手で彼女の手を撫でる。
「お茶もクロが取り替えたから私は毒を飲んでいない。お菓子も私が食べる前にきっと貴女が止めてくれるって信じていたから。」
「どう、して……?」
「ん?それは私の執事は優秀すぎるからね。」
バルバッセ候が以前より裏ルートで二つの薬品を手に入れていることは知っていた。それは二つとも適量を体内にいれることにより、時間をかけ人を死に至らしめるという毒だ。しかもその毒の認知はとても低く、クロが知らなければ気が付かなかっただろう。
同時にバルバッセ侯爵家がご用達の商人から高級茶を仕入れたのも知った。だから仕掛けてくるかもしれない、と予想ができ対策を立てたのだ。
「それに今日のケーキ、ヴィオレッタが作ったにしては綺麗な出来だったし。」
クッキーさえ歪で少し焦げたものを作るヴィオレッタが、綺麗なカップケーキを作れるとは思えなかった。それに毒を入れるケーキをジーンがヴィオレッタに作らせるとも考えられなかった。
「なぜ、私が……」
止めると思ったのか、信じられたのか、それがジーンは解らなかった。自分は直前のあの瞬間まで、ハーシェリクを殺すと決めていたのに。
ジーンの言葉にハーシェリクは苦笑を漏らす。それは腹心達にも止められたことだった。だが自分は確信を持っていた。いや、信じたかった。彼女を。
「うーん、勘、かな?でも私は信じたかったから。」
根拠がないのでそう言うしかない。腹心達にも言っても呆れられたが。
その言葉にジーンの榛色の瞳から涙が一筋流れ、それを切っ掛けにとめどめなく零れ落ちる。
大粒の涙を流し、両手で顔を覆い俯く彼女の頭を、彼女が泣き止むまでハーシェリクは撫で続けた。
 




