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第六章 デートと花達と存在意義 その四

 バルバッセの令嬢を見送った後、ハーシェリクはオランを伴って踵を返す。城内ですれ違う騎士や官吏達に、いつも通り温和な微笑みを向けながら、その歩みを止めることはない。

 そして後宮の敷地内、中庭の渡り廊下に入り周りに誰もいなくなるとハーシェリクは温和な笑みをやめ、鋭利な目つきになる。


「……で、どこから漏れた?」


 歩みを止めぬままのハーシェリクの問いに影が動く。先ほどまでは背後にはオランしかいなかったはずなのに、主の呼びかけに応えたクロがオランの隣に姿を現した。


「両方だ。」


 星明りの下、いつでも闇に溶け込めるような密偵用の真っ黒な衣装を着た彼は、オランの隣を音もなく歩きながら静かに答える。


 クロの答えにハーシェリクは目を伏せる。

 今日の外出、いつもならしない申告をあえてしたのは、情報の流出経路を確認するためだ。だから事前情報を流し、どう動くかをみたかった。


(大臣側か、教会側か……)


 どちらか絞れずハーシェリクは悩み、立ち止まり振り返るとオランを見上げる。


「オラン、どっちだと思う?」

「奴らはヴィオレッタ嬢も狙った。ジーン嬢も知らされてはいなかったんだろう驚いていたし、あの動揺が演技なら俺は女性不信になるな。」


 確かにジーンの素性を調べた結果、彼女はヴィオレッタと違い裏がある。だが、本日の様子をみるとあの襲撃はイレギュラーだったのだろう。


「だから大臣側からの可能性は低いと考える。だとすると教会側かとも思ったが、あの魔法士はハーシェを守った。」

「だよね……」


 教会から派遣されているシロは、襲い掛かる襲撃者からハーシェリクを守った。ということは教会側だと断定はできない。

 オランと自分の考えが一致し、ハーシェリクは視線を落とし眉間に皺を寄せる。


(大臣側でもない、教会側でもない……別の勢力?)


 ハーシェリクは虎穴作戦で、いろいろと恨みを買っている。逆恨みだがそれは重々承知した上での作戦だ。だけど彼らは大きく括れば大臣派閥の人間だ。そんな貴族連中が大臣の娘にも手をかけようとするとは思えない。


 立ち止まり頭を悩ませる主に、オランは一瞬だけクロと視線を合わせると口を開いた。


「ハーシェ、今回の本当の目的はなんだ?」


 オランの言葉にハーシェリクははっと顔を上げ彼を見上げる。


「本当の目的?」


 問い返す主に騎士は言葉を続けた。


「確かに相手の動きを見たかったのはわかる。だけど、ここまで危険を冒す必要はなかったはずだ。黒犬、おまえもそう思うだろう?」


 オランを同意するかのようにクロも首を縦に振る。むしろクロはこの作戦には反対だった。

 今日一日、クロは一行の尾行に徹していた。一行とその周辺を観察していたのである。襲撃時も実は側にいて、実は襲撃者は五人だったのだが、二人まで減らしたのは彼の功績だ。ちなみにその襲撃者も不審者として警邏に引き渡し済である。

 クロはハーシェリクがヴィオレッタを庇い襲われそうになった瞬間、シロの魔法発動に気が付いてなければ飛び出していた。


 咎めるような視線を向ける二人にハーシェリクは苦笑を漏らす。


(二人には御見通しだったか。)


 彼らは自分が思っている以上に自分の身を案じてくれている。それが申し訳ないと思いつつ、照れくさくだが嬉しく思うのは人間として仕方がないだろう。


(できれば自分の胸の内にしまっておきたかった事だけど、二人にはばれてしまったんじゃしょうがないな。)


 心の中でため息を漏らしハーシェリクは二人に打ち明けることにする。


「忠告をしたかったんだ。」

「忠告?」

「うん……私にはシロさんもジーンさんも隠し事はしていても、悪い人にはどうしても見えなかったから。」


 この二ヶ月、相手に観察されると同様にハーシェリクも観察をしていた。背後にいる人間は置いといて彼らはどうしても根っからの悪人だと思えなかった。


「できたら二人は傷つけたくない。」


 だからあえて本性をだし忠告をした。例えそれが自分の不利な事態になったとしても。


「甘いな。」


 クロが呆れたような口調で言った。オランも同様だろう小さなため息が聞こえる。


「……ごめん。」


 小さな謝罪がハーシェリクの口から零れる。

 解っていた、これで不利になり危険に晒されるのは自分と共にいる彼らなのだと。


(それでも……)


「だがそれがハーシェ、お前だろう。」


 拳を握るハーシェリクにクロが言った。その声はとても柔らかい。


「まあなんとかなるだろう。」


 オランの声も同様だった。二人の言葉にハーシェリクは一度瞳を閉じる。


 いつも彼らは自分を支えてくれる。いつか彼らに足る人物にならねばと思う。


「ありがとう、二人とも。」


 ハーシェリクの言葉に筆頭達は各々頷いてみせたのだった。


「そういえば一つ報告がある。」


 付けたすようにクロが口を開いた。


「ジーンという娘、あの魔法士と知り合いだった。」


 貴族の令嬢と大司教の養い子。表向き接点があるとは思えない。あるとすれば……


「小鳥、ということか。」


 それはジーンの別名。彼女の裏の顔だ。

 大臣と教会は繋がっている。だが協力をしたとしても目的が一緒だとは思えなかった。


「それと教会側が怪しい動きをしている。」


 さらに追加された情報に、ハーシェリク達は息を飲んだ。






 妹をベッドに寝かしつけたあと、ジーンは父の書斎を訪れた。今日の報告をする為だ。いつも通り重い雰囲気のある部屋に入ると、いつもと変わらずバルバッセ候である父が、書類を読みつつ出迎えた。


「失礼します、父様」

「……どうだった? そろそろ結論を聞きたい。」


 書類から視線は外さずに向けられた言葉にジーンは俯く。先延ばしにしていた報告をする時がきてしまったようだ。だが結果はすでに出ていた。今日の出来事がなくても、所々ハーシェリクの強い意志を感じる場面は何度もあったのだ。


「父様、ハーシェリク殿下を取り込むことは不可能です。」


 はっきりとジーンは言った。

 その言葉にヴォルフは彼女が部屋に入ってから初めて書類から視線を外し、鋭い眼光を向ける。


「……ヴィオレッタがなにかやらかしたのか?」


 低い威圧的な声が響く。だがジーンにはその表情や声から父親の感情が読めなかった。それほど彼らが接してきた時間は短い。


「いえ、ヴィオレッタと殿下の関係は良好です。ですが……」


 あのヴィオレッタが殿下に対しては恋する乙女だ。本人は恋という自覚はないみたいだが、彼を慕う気持ちは周りからみても明らかだ。ハーシェリク本人もヴィオレッタを邪険にはしていない。むしろ今日は体を張って彼女を守ったのだ。


 だけど彼は決して折れない。彼は言った。自分の邪魔をするなら容赦はしないと。すでに彼には自分の存在がばれているのだ。


「殿下は決してこちらにはつきません。」

「そうか。」


 その一言を言ってヴォルフは黙る。その父にジーンが願うのは唯一つだけだ。


(どうか馬鹿な考えを改めて欲しい。)


 父がなにをしているか知っている。今の権力を維持するために、いろいろなことをしていることも。そしてその片棒を自分も担いでいることも。


 だけど、これだけはやりたくない。


「消せ。」

「お父様!」


 それはまるで壊れたおもちゃを片づけるように命じたくらいの軽い、だが非情なる一言。


「お父様、王子はまだ子供ではありませんか! そのうち他国へ行く可能性だってあります!」


 ジーンはこの言葉が誤魔化しだとわかっていた。あの王子は決して逃げない。必ずこの男の邪魔をする存在となるだろう。だがそれでもジーンは言葉を紡ぐ。


 今まで従順だったはずが、初めて抵抗する娘にヴォルフはため息を漏らす。そして道端に転がっている石でもみるかのように、感情の無い視線を向けた。


「お前の存在意義を思い出せ。」

「ですが!」

「なら出ていけ。ヴィオレッタを使ってもいいんだが?」


 その言葉にジーンが思い浮かべるのは世界で一番大切な妹。彼女だけがこの家で、唯一自分を無条件で必要としてくれた。王子と彼女、選ぶなら間違えなく後者しかない。たとえそれが妹に恨まれる結果となっても。


「……わかりました。」


 ジーンの選択肢は残っていなかった。





 閉館した教会の大聖堂。創造神を中心に、数多の神々を祀るこの場所は、薄暗い光が灯されていた。創造神の大きな石造の前には壇上があり、昼間なら大司教であるヘーニルがそこから信徒へ向けて説法を説く。信徒は壇上の前に用意された信徒用の長椅子に座り、大司教の話を聞くのだ。誰もいない大聖堂でシロはその椅子に座り。神々の石造を見上げていた。

 そんな彼に背後からヘーニルが話しかける。


「ノエル、二か月間王子と過ごしてどうでした?」

「別に……」


 ヘーニルの言葉にシロはそっぽを向く。


 最初はおかしな王子だと思った。化け物じみた自分に恐れも抱かず近寄り話しかける。するりと人の心に侵入してくる。


 次には魔法も使えない残念王子。それでも彼は知識欲に旺盛で、まるでスポンジが水を吸うように知識を吸収していった。


 そして今日見せた子供とは思えない表情と雰囲気。


「私の邪魔する者に容赦はしない。」


 そう彼は言った。彼は一体どこまで知っているのだろうか。


 自分の養い親であるヘーニルは現在この国の状況を憂いている。王族は国民達に圧政を引き、彼らを苦しめていた。教会は国や政治には不干渉だが、毎日の生活に苦しむ人々の心を支えるのは教会であり、その嘆きを聞くのも教会だ。

 だから彼の養い親は大臣と関わりを持ち、この国の王族を正そうとしていた。本来なら許されないことだったし、この国がどうなろうとシロには興味がない。だが養い親であるヘーニルには恩があるから協力し、人嫌いな性格を押えて王子と付き合ったのだ。


 ふとシロの中に疑問が浮かんだ。


(あの王子が大切に思っている父親や兄弟が、本当に国民を苦しめるか?)


 自分の知るあの王子は家族を盲信するほど愚かではない。


「それはノエルにとってとても楽しかったということですね。」

「ヘーニル様!」


 ヘーニルは言葉にシロは思考を中断させ、咎めるような口調で養い親の名を呼び長椅子から立ち上がると彼を睨みつける。いつもなら微笑んでいるヘーニル。だがシロが見たのは今までにない、邪悪な微笑みを浮かべた彼だった。


「じゃあもう頃合い、ということですね。」

「……ヘーニル様?」


 今までにない雰囲気の彼に、シロは一歩後ずさる。先ほど感じた違和感が不安を増幅させ、頭の中で警鐘が鳴り響いていたが、ヘーニルを信じるもう一人の自分がそれを否定する。


「王子は君にとって、私と同等か私の次に大切な存在になった、のだろう?」


 いつもより若干低く聞こえる声。その声に更にシロは更に一歩後退する。


「何を言って……」

「私の可愛いノエル……私の可愛いお人形ノエル。」


 電流が体を走り抜けた気がした。うめき声を上げることも許されず、シロはその場に倒れこむ。


(これは、操作系魔法……?)


 その中の呪法。自分の魔力ではない他人の魔力が、身体を支配し自由を奪っていた。

 だが本来、呪魔法は効果が薄い。それにかける相手のほうが魔力が高い場合、それに比例してかかりにくいはずだ。ヘーニルは確かに魔力が高い。だが、シロの魔力はヘーニルの魔力を遥かに凌ぐ。だから彼の呪法にかかるのはおかしいのだ。第三者かと考えれば答えは否。この場にはヘーニルと自分しかいない。


――――私の可愛いお人形ノエル


 頭の中で響く彼が呼ぶ自分の名前。


 シロは気が付いた。気が付きたくないことを気が付いてしまった。


 呪法は効果が薄い。だがそれは魔法をかけてからすぐ使用をする場合だ。しかし時間をかけ、そして何度も重ねてかければその効果はだんだんと上がっていく。さらに物や言葉を媒介にすれば、効果が強化される。


 『ノエル』これは生家から引きととられた時、ヘーニルから貰った名前。生まれた時に親からもらった名前は既に忘却し、あの頃は親からも周りからも化け物としかよばれなかった。名前を問われた時、化け物と答えたらヘーニルがくれた名前だ。


 その時から、最初からヘーニルは自分に呪法をかけていたという事実。

 世界で唯一信じていた人は、最初からいなかった。その事実はシロを絶望へと叩き落とすには十分だった。


「おやすみ、私の可愛いノエル。」


 ヘーニルの声が響く。それは優しい声音だが、決して感情は籠っていなかった。


『シロさん!』


 強制的に意識が途切れる寸前、シロの頭の中で末の王子が自分の名を呼ぶ声が響いた。


 動かなくなったシロを配下の者に運ばせ、ヘーニルは大きく息を吐いた。

 操作系魔法は総じて多くの魔力を使い、さらに緻密な魔法式を構築しなければならない。シロに気が付かれぬよう呪魔法を長年かけることは、とても骨が折れた。

 だがそれも報われる日は近い。


 ヘーニルはとある神の前で膝を折り、頭を下げる。

 それは聖フェリスの石造だ。黎明の時代。世界を統一し神となった英雄。神々の中で平和を象徴する一柱。彼が崇拝してやまない神だ。


「全ては、聖フェリスの名の元に。」


 ヘーニルは穏やかな、だが見る者を震え上がらせるような狂妄な光を瞳に湛えていた。




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