ある親子の書簡
■父上へ
父上がこの手紙を読む頃には、おそらく私はこの町ローラックを離れ、旅立っていることと思います。
私の勝手な願い事ではありますが、私の行方を追わず、今後、貴方の息子テリエ・サーザンドは死んだものとして扱っていただきたくお願い申し上げます。
父上は、一代でサーザンド商会を立ち上げ、財をなしてきました。その手腕は息子として尊敬しておりましたし、幼い頃は父のような商人になりたいと思ったこともありました。
しかしながら、10歳の頃、ある事件を境に、私の夢は商人から別の物に変わりました。
父上は覚えておりますでしょうか。
10歳の頃、父と共に隣町クールバントから帰宅する際、盗賊に襲われ、騎士ノアル・レードリック様に助けて頂いたことを。
彼はたった一人で5名もの盗賊をその剣で倒し、私たちの命を救いました。
それ以来、私は、彼のように国民を護る強き騎士になりたいと憧れを抱くようになりました。
もっとも、私は、サーザンド家の一人息子であり、いずれ父の跡を継がなければならない身です。
子供ながらも、自分が自由に将来を選択できる身分ではないことは重々承知しておりました。
そのため、騎士への道は幼い頃の夢でしかないと何度自分に言い含めたことか。
しかし、夢を諦めることができませんでした。
母上が亡くなって以来、男手一人で私を慈しみ育て上げ、跡継ぎとして期待をしていただきました父上に、期待を裏切るような不孝を申し出る勇気もありませんでした。
このまま父上の補佐に回って仕事を学び跡を継ぐか、それとも何もかもを捨て去り騎士の道を歩むか。
騎士への夢を胸に隠れて剣術の稽古を行い続け、父への不義理と自分の夢の狭間で、何度となく己に問いかけ、考え続けました。
その上でこのたび家を出ることを決意いたしました。
父上にとっては、突然の息子の家出とお考えのことと思いますが、決して思いつきで行ったわけではありません。長年悩み続けた上で出した結論であり、何もかも捨てる覚悟での行動であることをご理解ください。
このように父上の期待に背いて家を出ますので、サーザンド家の後継者であるテリエはもういないものとして捨て置いてください。
デリンジャー家のジャーヴィス嬢との婚約も、白紙に戻して頂くようクライア・デリンジャー様にも申し出ました。
貴族であるデリンジャー家の令嬢との婚姻は、デリンジャー領のマグナイト鉱石採掘権の譲渡・公共事業資金の提供を条件に約束されたものであり、両家を結びつける政略的なものであります。
それを一商人に過ぎないサーザンドが一方的に破棄を申し出ることは、一般に大問題といえましょう。
しかし、デリンジャー様は、貴族の中でも高潔と名高い方です。不忠な息子を持った父上に同情こそすれ、サーザンド家に不利を強いることはないと信じております。
ただ、ジャーヴィス嬢には私の勝手な理由により婚約を破棄することを申し訳なく思います。
彼女が私以上の立派な配偶者に巡り会えることを遙か遠くより祈っています。
このように、自分の勝手ばかりを押しつけて去っていく身ですので、二度と父上と相見えることは許されないと覚悟しております。
父上から今まで受けた愛情に感謝し、父上のことを想いながら祖国を護る者として生きていきます。
これまで本当にありがとうございました。
テリエ・サーザンドより
■我が息子テリエへ
先日、貴方の友人というクライ・クレモンドに会いました。
貴方が、元気でキューデリック騎士団で騎士見習いとして働いていることを聞き、ほっとしています。
貴方が家を出てから3ヶ月、貴方の置き手紙を読んで、連れ戻すべきか否か、思い悩みました。
しかし、クレモンドから、貴方がこれまでどれだけ将来について思案していたか、そして騎士となるべく影ながらどれだけ努力をしてきたかを聞き、貴方の思うがまま生きていくのを見守ることにしました。
私の跡を継がせ、立派な商人として独り立ちできることが、何よりも貴方の幸せであり、貴方の亡母サラの願いだと思っていました。
そのため、貴方がスクールで授業を頻繁にさぼり、及第ぎりぎりという成績を取る毎に、何度も激怒し努力をするよう諭したのですが、授業を抜け出して騎士ノアル・レードリック様に指南を受けていたのですね。
なぜあのとき、理由を聞かず叱ってしまったのか、貴方の悩みに気づいてやれなかったのか、それが悔やまれます。
ジャーヴィス嬢との婚約にしても、確かに両家のつながりという目的はあったものの、彼女は貴方にとってよき伴侶となると思い決めたものでした。
彼女は貴族の令嬢とはいえ、聡明で貿易への関心も高く熱心な方です。貴方が我が家の仕事に興味が持てないとしても、彼女のようなしっかりした女性と共に過ごせば、貴方も家業に対して身が入るのではないかという思いがありました。
もっとも、このような親の思いも貴方にとっては重荷だったのですね。
サーザンド家としてのテリエを捨て、一騎士として国を護る者となることを決意した貴方の心を尊重します。貴方へ援助することは、貴方の志を阻むものとなるでしょう。したがって、今後もサーザンド家として貴方への支援は一切行いません。
しかし、貴方は一生私の息子であることを忘れることなきよう。貴方が父を想うよう父も息子を想っていることを。
それから、ジャーヴィス嬢と貴方の婚約ですが、当初は少しいざこざがあったもののなんとか解消されました。
そして、これは貴方に伝えるのは少々、否、かなりためらいがあるのですが、ジャーヴィス嬢と私は婚約しました。来月式を挙げる予定です。
彼女は貴方より一つ年下の16歳で、自分の息子よりも若い女性と結婚など何をトチ狂ったかと驚いたかと思う。私もまさか自分がこの年になって20歳も年下のしかも貴族の令嬢と結婚をすることになるとは考えてもみなかった。
ただ、お前との婚約が破談になったので仕方なく結婚することになったとか、彼女の意志を無視して、というわけではないことははっきりさせておきます。
お前が出奔しジャーヴィス嬢との婚約を破棄せざるを得ないことを伝えたとき、デリンジャー氏は大層憤激し、テリエを見つけ出し連れ戻せ、娘の体面をどうしてくれる、それならお前が結婚するべきだととにかく言いたい放題で、お前が戻ってくるまでは娘の面倒を見るべきだなどとよくわからない理屈によって、いつの間にか我がサーザンド家にてジャーヴィス嬢を預かることになってしまっていたのだ。
このような事態になって、彼女もさぞ困惑しただろう。
しかし、お前も知っての通り、彼女は聡明で心映えもよく、全く慣習の異なる商家の生活にもすぐさま慣れ、また私の仕事について熱心に勉強し、私の手助けをしてくれた。
このような女性がお前の嫁になってくれればと何度思ったことか。
そのうち、彼女を手放すことが考えられなくなり、愚かにも彼女に想いを抱いてしまったのだ。
そもそも我が息子の妻にと望んだ令嬢だ。
それなのに、その夫の父親が想いを寄せるなど不届き極まりない、と自分の想いを断ち切ろうとしたのだが。
彼女への愛しさが理性を上回っていたのだ。
彼女と過ごす日々は愉しく、お前と二人で生活した日々とはまた異なる喜びもあり。
そんな私の想いに応えてくれた彼女に、また快く彼女との婚姻を許してくれたデリンジャー氏に感謝の念が尽きない。
お前にとってジャーヴィス嬢は元婚約者に当たることを考えれば、複雑な思いもあるかと思う。
しかし、私としてはお前に是非とも息子として祝福してもらいたい。
来月の月満ちる日に式を挙げるので、ぜひ来てくれ。
ロアル・サーザンド
■未来の義母上ジャーヴィス嬢へ
ローラックはそろそろ春を迎える頃だけど、シャイロンの花は咲いたかい?
同室のケイロン(年下だけど僕の先輩にあたるんだ)によるとローラックよりはるか西にあるここセンリューンは、もうしばらくは冬が続くらしい。毎日雪景色を眺めながら訓練に励んでいるよ。
父との婚約おめでとう。
父からもお許しが出たので、来月の式には是非とも参列させてもらうよ。
君の美しい花嫁姿と照れる父を楽しみにしている。
しかし、本当にうまくいったな。父に一目惚れして結婚まで漕ぎ着けた君の執念、いや情熱に感服するよ。
まさか、君と初めて会った見合いの席で、僕ではなくて僕の父が好きだ、彼と結婚したいから協力してくれ、と言われるとは思いもしなかったよ。
それに、君の父上もずいぶん策士だよね。
確かに、うちの父は周りが頻繁に再婚の話を持ってきてもすべて拒否していたから、直接君との縁談を持ちかけられてもすげなく断るだろうというのは目に見えていたけど。
だからって、まさか、まずは息子の僕と先に婚約をして、息子が家出をしたことにかこつけて、その父親に結婚を迫る筋書きを立てるなんて。流石の父もそんな謀略に微塵も気づいていないさ。
僕自身、父の跡を継ぐ気がなかったから君たちの計画に乗らせてもらったけど、こんなにうまくいくとは思わなかった。
母上一筋で再婚もできないかと思っていたのに。
この間届いた父からの手紙なんて、最初の部分は丁寧な文面で僕を気遣う内容に思わずほろりときたのに、君との婚約について触れたあたりから、君を賛美する言葉を連ねて惚気まくっているし、いい年して君に惚れたことへの恥じらいで筆跡が乱れているわ、文体が変わっているわで、父の狼狽えぶりが目に浮かぶようなものだったよ。もう爆笑してしまったな。
数ヶ月、父と過ごした君ももう気づいているかもしれない。
父は、頭が切れるし商人としてやり手だけど、抜けているところがあることを。
だからこそ、君みたいな女性が支えて添い遂げてくれるのは、息子として本当に嬉しい。
これからも父をよろしく頼みます。
貴方の将来の義息子テリエより