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殺戮生徒会  作者: ルト
7/8

第六話:死ぬ能力

 そのとき陸は確かに死んでいた。

 肺腑は呼吸を保とうとしすぎて自力で潰れた。

 躍起になって命脈を保とうと胸郭で暴れていた心臓は、命の余韻を楽しむように震えている。

 酸素の行き渡らない脳は壊死が始まる。

 筋肉は弛緩し、視界は血が溜まって潰れていた。耳は耳鳴りに塗り潰されている。

 陸はすでに死んでいた。

 だから、ぱちりと目を開いた「それ」は生命ではなかった。


「ぐぎ」


 鬼は怪訝に声を漏らす。

 陸の身体をした「それ」は、だらんと下げられていた両腕を持ち上げて、鬼の左腕をはさむ。

 みちり、と湿った音がして、鬼の手首が冗談のように細った。


「ぎゅあがあああああっ!?」


 潰れた手指を引き剥がし、陸は鬼の手から着地する。ずるり、と全身が膨らみ、うごめき、陸の指先に至るまですべて治癒されていく。

 鬼を見上げた無感情な瞳は、銀色に染まっていた。


「……陸さん?」


 ただならぬ気配に、翔子は手を止めて陸を振り返った。

 陸はただ瞳だけを銀に輝かせ、平然と校庭に屹立している。

 それは、だからこそ異常だった。

 腕を抱えて転げまわる鬼も、自身の足元に溢れる鬼と自分の血でできた海も、校庭の隅で転がる志乃も、血染めになる翔子と実衣奈も、陸に届いていないかのようだった。ぶるり、と翔子は肩を震わせる。

 鬼が狂ったように腕を振り回し、陸につかみかかった。

 陸は鬼を一瞥もしない。

 拳が触れるかどうかの瞬間、陸の腕に帯状の光が浮かぶ。

 鬼がねじれた。

 まるで腕を先端に紙縒(こよ)りを作るように、鬼の四肢や首が自身に巻きつくように。折れた骨で皮膚が尖り、鬼の頭が平たく潰されていく。

 陸がハッと顔を上げた。


「あ、いかんいかん」


 腕の埃を払い落とすように叩く。光を叩き潰すようにかき消した。手首の上に生え始めていた鈍色の玉が腕に沈んでいく。

 人体をやめた鬼の姿を傍らに置いて、陸の姿は不気味に釣り合っていない。


「あ、ぁあう……」


 実衣奈がうめいた。

 翔子は慌てて彼女を黙らせるように喉を串刺しにする。

 貫いてから、驚いたように身を仰け反らせた。口元を引きつったように笑ませる。


「お、驚いてしまっただけです。怯えたわけでは」


 瞬間的に翔子は飛びすさった。

 ねじれかけた指が戻る。取り残された剣が糸を()るように絞られた。


「な、な……っ」


 混乱する翔子は翼を打って必要以上に距離を取る。靴を滑らせて着地し、さらに一歩引いた。

 彼女の立っていた場所に、陸がひざまずいていた。


「悪い……実衣奈。痛かったか」

「痛かったよ、馬鹿陸」


 陸に抱き起こされながら、実衣奈は陸の顔を殴る。

 殴った指は、痙攣してうまく握れていない。

 実衣奈は混線した機械のように不規則に動く腕で、それでも陸を手繰り寄せるように抱く。


「陸が痛めつけられる姿なんて見せられて……胸が痛くないわけ、ないよ……」

「……馬鹿、そうじゃねーよ」


 陸は痛がるような、くすぐったいような、曖昧な笑みを浮かべた。実衣奈は得意げに口許を笑ませる。

 実衣奈の昂った神経系を宥めるように癒す陸を見つめ、翔子はひきつったように笑った。


「なんですか……それ」


 陸の腕にはもはや光がない。目からも銀色は失われていた。

 それがなにを意味していたのか、見当がついた。

 一度はねじれかけた指先を、痛みごと握りしめる。


「本気じゃなかったってことですか? 鬼と渡り合っていたのは遊びだったって言うんですか?」


 翔子は煮えくり返った(はらわた)を噛み潰すように笑う。


「わざと力を抑えて負けて、なにをそんな沈痛な顔をしくさって! 余裕ぶってるんですか!? よくよく、わたくしたちをおちょくってくれますね……!!」

「別に、力を抑えてるわけじゃない。アレは本気とか切り札とかカッコいいものじゃなくて、非常手段なんだ。使わないに越したことはない。それに今だって余裕はない」


 陸は実衣奈の額を撫でて、彼女から離れた。立ち上がる。翔子を向いた。

 その視線に、翔子の肌は粟立つ。

 陸の瞳は黒かった。


「実衣奈を傷つけられて、平静を保つのに必死なんだ……余裕なんて一片もねぇよ」


 唾を飲むのに苦心した。

 翔子は不敵な笑みを強いて作って、校庭に佇む陸をみすえる。

 沸々と沸き上がる怒りと苛立ちに解されて、笑みが自然なものになった。拳を握りしめる。


「力があるくせに、生徒会を任命されたのだって人間どもの出来レースだったくせに、よくもまあ、そんな綺麗ごとばかり言えますね……!」


 天使は両手に剣を引き抜いた。

 足を地面に叩きつけるように下ろす。砂が跳ね、中心で翼を広げる。


「鬼を唆すのが、非常手段じゃなかったとでも!? 管理組織に加入して謳えなかったわたくしに、手段を選ぶ余裕があったとでも!?」


 翔子は血を吐くように叫ぶ。


「人間が人間に都合のいい書類で築いた生徒会など、滅びてしまえばいい! 滅ぼすための力がほしいと、望んでしまったのに! 秩序を望むわたくしが、このわたくしが他を力で圧したいと望んでしまったのに! ……それを、それだけの持つあなたが! その力を! 出し惜しみ!? ふざけんな!」


 剣を振り払って構える。翔子は瀑布を背負うように足に力を溜めた。


「殺しをする人外は、それが自然なんだ! 人食いをする人外は、そう望まずにいられないんだ! 息をするのと同じなんだよ! 人間に都合のいい道徳と秩序であたしたちを殺して! 人外を……あたしの望みを!」


 翔子は地面を踏み切った。


「見下してんじゃねぇえええ――――ッ!!」


 陸は斬首刀を構えていない丸腰だ。それを見ているのかいないのか、翔子はまっすぐに空を渡る。剣を振り上げる。ただがむしゃらに叩き下ろす。

 陸はその剣に、

 黙って、斬られた。


「な――っ?」

「陸っ!?」


 斬るのではない、ただ振り下ろされた剣は、陸の骨を数本叩き折って肺のなかで止まった。

 陸の目が一瞬で充血し、視界が眩む。それでも顔をあげて、陸は見えない翔子の顔を見る。


「……人を、斬る味が……分かったか?」

「え?」


 陸は翔子の手を押し、後退りして体から剣を引き抜いた。失血にふらつく頭をこらえ、体を治す。

 癒えた。


「俺は、いわゆる超能力を持った人間だ。人外じゃない。原理も原因もわからないから、特例を作るにも難しかった。だから、この街に暮らすために……明示的に街の外から追い出すために、人工的に人外にされた。実験を兼ねてな」


 翔子は怯えたように一歩下がる。

 陸の瞳は黒かった。

 斬られた跡を手のひらで押さえる。切り傷は跡形もなくなくなっていた。


「だからこの体は、俺の力で人外の因子を押さえ込めば、人間とまったく同じ強度なんだ」


 翔子の剣を握る手が震える。手応えが生々しく残っていた。

 ひどく柔らかい、筋肉と内蔵と骨の感触。


「なあ翔子、分かるだろ? 人間は『こんなふうに死ぬ』んだよ」


 翔子の手から、剣が滑り落ちた。


「あ、えあ……」

「理由も秩序もない。誰が『飼い主』かなんてどうでもいい。俺はただ、こんな簡単なことが、どれだけ重大なのかって言いたいだけなんだ」


 おもむろに翔子の肩をつかむ。


「これが俺じゃなかったら、俺は死んでたぞ」


――暴力的なまでの、厳然とした「事実」。

 翔子はその事実の前に、すくんでいた。

 そんな翔子の姿に安堵したように頬を緩ませる。

 命の重みを、他者の痛みを理解できている証だ。


「でも」


 それでも翔子は、歯を食い縛った。

 拳を握りしめて。

 つり上げた眦で陸をにらみつけて。

 立ち向かった。


「でもやはり、わたくしは許容できません。人外が人におもねるような秩序のもとでは、人外が人外として人外らしく生きることなど難しいでしょう。それでは意味がないのです」

「人外で世界征服でもするつもりか? 人間だって万人が万人幸せ一杯我慢なしで生きてるわけじゃねえ。誰もが自由気ままに暮らせるほど世界は広くもなければ、豊かでもないんだ。現実に人間も人外も存在して、縄張り争いをしたくないなら、互いに手を取り合うしかない」

「分かっています。だから特区がある。わたくしは特区の存在を好ましく思っています」


 陸は怪訝を顔に浮かべた。


「じゃあ、何が気に入らないんだ?」


 陸の問いに、翔子は一歩下がった。よく見えるように顔をあげて、

 微笑。


「わたくしはただ、住み分けた人外の世界が、人間の論理に侵されているのが許せないのです」


 陸は息を飲んだ。


「……お前は」


 翔子は彼の反応が分かっていたかのように、羽根に乗るような足取りで距離を取る。

 陸は、その距離が見えていない。

 陸は怒っていた。


「お前は……っ、『人外に殺されるための人間』を、特区に飼えと言うつもりか……っ!?」


 翔子は曖昧に微笑んでいる。

 翼と両手を浅く広げた。

 彼女の背に、遠くに稜線が連なっている。

 山に囲われた盆地は監視網が張られ、許可された通行路はトンネル一つしかない。そこを通って特区にやってきた全ての人外は、そのことを知っている。


「なにも家畜のように肉袋として取り入れるわけではありません。もちろん、前提は人斬りのような人外が人をかどわかし、殺し、食らうための人々です。ですが、わたくしたちのように人を殺す意志のない人外は、彼らを庇護し、権利と保障を与え、街でごく普通に生きていけるように整えてよいでしょう。親人派の人外が彼らと連携するのです」


 豊かな資源に支えられ、生産施設が整えられ、高度に独立した自給都市。そうして、人外の世界に関わる道を細い細い通行路一つに絞り込む。

 特区はそういう場所として作られた。

 特区は一つの小さな世界だ。

 だから、翔子は言った。


「この街に、人外を加えた生態系を作る。でなければ、人外は満たされません」


 陸は絶句した。

 生きていたいという人間の護身と、見捨てられないという人外の感情を叶え、万策尽くしてそれでもなお人外に食らわれる。彼女の構想はそういう巧妙な作りになっている。

 これだけ手を尽くしたのだから、それで被害が出たのなら、それはもう、どうしようもない。そのような諦めを誘発する、罠のような新しい「世界の論理」だ。

 剣を握った翔子は目を細める。


「人間など、同じ非力な人間だって不意を打てばペン一本で殺せます。にもかかわらず、厨房に立つ料理人は他者と分かり合えないと言う人が居ますか? 車に乗っている相手と会話を拒絶する者がどれだけいますか? 銃を持った警察官が害悪であると、誰が唱えていますか?」


 剣を払った。純白の天使の翼が夢のようにそよぐ。


「すべて人間の保身で……我々を圧殺し、傲慢にも情けをかけたつもりになって、我々を管理しようとなどしている。例えば、陸さん、あなたを使って」


 陸は反射的に、右目に指を添えた。瞳は黒い。

 翔子の靴底が砂を噛み、翼が風を打つ。


「私たちは、もう特区(ここ)で生きていくしかない。ここが私たちの世界なんです。なのに、人間を守るための、人間のためのルールを私たちは押し付けられる。これを支配と呼ばずに、なんとしますか?」


 足を下げて、初めて陸は自分が気おされていることに気がついた。

 翔子は人間の感情を殺すつもりはない。痛みも悲しみも理解している。

 人間を守り、そのうえで人外を充足させる。

 いずれをも大事にできる環境を作ろうとしている。

 命のために己を殺せと命令する陸よりも、あるいは筋が通っているかもしれない。

 相容れない両者が、各々のために、全力を尽くすことを許された世界なのだから。


「違う。特区だけが、人外の場所じゃない。人外だって特区を出る権利がある!」


 まるで言い訳のように響いた。陸は顔をしかめる。パンフレットに書いてあるような言葉だ。


「人間の定めた基準を満たさなければ出られないでしょう! そんなもの権利と呼びません!」


 借り物の言葉は、天使の剣に切り捨てられる。

 く、と鈍った陸の口を、翔子は冷たい微笑で見つめた。

 閉じた口から、彼女に賛同する言葉が出てくる気配はない。

 ふ、と小さく息をついて、翔子は目を伏せた。


「わたくしたちの在り方は変えられない、すでに成立したものです。いかな理由であれ、上にも下にも置かれるべきではありません。それでもあなたは、あくまで反対するつもりですか?」

「……ああ。俺は、お前の」


 ぎぃん、と鈍く金属音が響く。

 陸が盾に構える斬首刀を、天使の直剣が打っていた。


「く、お前……っ」

「確かに、特区は人間が用意した人外のための都市です」


 身体を返し、翔子は左手に握った直剣を薙ぐ。首。

 皮一枚を切らせて陸はかわした。

 斬首刀を振り上げて翔子との間合いに異物をねじ込む。追撃を封じられた。

 飛び下がった翔子は、即座に羽を打ち跳躍する。


「しかし! だからこそ!」


 空襲、陸の頭蓋に剣を向ける。


「わたくしは、特区を『人間が用意した街』にしたくない! 人外の監獄などに留まらせるつもりはありません!」

「陸っ!」

「実衣奈は伏せてろっ!」


 陸は斬首刀を砕き、槍を再構成させた。

 立てただけの穂先が天使の頬を切り、耳を削る。身体を翻して穂先をかわす。

 回転して着地した天使は、陸と背中合わせに立った。

 足腰が萎えたように座り込む実衣奈の金の瞳が、一瞬だけ翔子の視界に映る。

 弾かれたように両者が離れた。

 振り返りざまに打った刃が、音を立てて互いを弾く。


特区(ここ)が人外の故郷だと証明するために! 人外の世界を認めさせるために!」


 身体を流しながら、翔子は翼を羽ばたかせて姿勢を整える。

 跳んだ。


「わたくしたちの存在(ありかた)のありのままを、認めさせなければなりません!」

「くっ!」


 陸の振り上げた槍をかわし、柄を打って弾いた。剣を引く。


「他者の価値観(ルール)に恭順するなど――人外の秩序が他の何物に劣るなど――!」


 剣の切っ先が陸の胸を貫く。


「誰が!」


 背骨を削り、肉と皮を食い破って背中に突き抜ける。


「認めるものか!」


 内蔵を移動する刃が右心室を傷つけ、内圧で心臓が破裂する。

 血が臓器の隙間に噴き出し、内側から肉体を圧迫していく。心臓が潰れる。

 一閃。

 陸の首が刎ねられた。

 陸は死んだ。


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