第二話:信賞必罰
志乃の身体を蹴り飛ばしたのは、一人の男子生徒だった。
彼は全身の肌を赤くして、額から二本の角を伸ばしている。鬼だ。
鬼は震えるように荒く息をつく。
校門の脇に転がった志乃の首を見て、陸は問うた。
「お前、なにかやったのか?」
「違う! 知らん! いやごめん嘘ついた、ぶっちゃけ斬った相手なんて覚えてない。けど、ここ数ヶ月はあんたとスラ子しか斬ってないし!」
志乃の叫びに耳を傾ける、その隙を突かれていた。
「うぎゅあわあああああああああっ!」
捨て鉢な怒声。
その声と裏腹の力強い踏み込みで、鬼は志乃の首をサッカーボールのように陸を狙って蹴り飛ばす。
鞄を捨て、反射的に抱えるように受け止める。
体が浮いて、数メートル吹き飛んだ。
「ぐぅっ!」
「痛ぁあい!」
「陸っ!?」
実衣奈の悲鳴が響く。
その間に、鬼はひと飛びに距離をつめている。
「実衣奈ッ、危な――」
「陸――」
身じろぎも間に合わない。
実衣奈が鬼に殴り飛ばされた。
ぐにゃりと腰を曲げて、拳を受ける。折れた体に両腕が振り回される。
腕が鬼を叩くより早く、その痩身が慣性を引きちぎる。
車に跳ね飛ばされたように空に解き放たれた。
人形のように手足を弛緩させまま、実衣奈は道路を飛び越えて、向かいのガードレールに足を打ち付け、ぐるりと身体をひねって肩口から倒れこみ、後ろ回りをするように歩道を跳ねた。喫茶店の窓に頭を打つ。
墨汁をぶちまけたように長い黒髪が窓に張り付いた。
ばらばら、と髪が崩れていく。
棒が倒れるように呆気なく、実衣奈の体が倒れた。
陸はその一部始終を、目撃していた。
「み……っ!」
「陸、前!」
志乃の声に、陸が前を見る。
通学路。校門の前。並木道。
その景色に立ちふさがるように、正気を失った鬼が肥大化した拳を握っている。
人外の力を解放させ始めている。
「――落ち着け」
陸は、肝に刻み込まれたように、まずその言葉を口にした。
「落ち着け。力を振るうな。誰かを傷つけている自分を自覚しろ。手を出すな、やめろ」
自分に言い聞かせるような声。
鬼の表情に変化がない。聞こえているかどうかも怪しい。
「うがああああああああっ!」
鬼はにわかに身体をひねって、傍らのガードレールを引きちぎった。足を止めて見入っていた野次馬に向けて、乱暴に投げつける。
斬首刀が切り払った。
目標を外したガードレールが道路を滑っていく。
陸は靴底を滑らせて着地した。くるりと手首を返して斬首刀を地面に立てる。
志乃の首を道の端に置き、振り返った。鬼を見据える。
鬼は怒り狂ったように塀を殴りつけて粉砕している。自身に降りかかった粉にさえ苛立ったように首を激しく振っていた。
「……正気を、失っているのか?」
陸は怪訝に目を細める。
腕を止めた鬼は、呆けたように立ち尽くしている。
陸は斬首刀を握ったまま、ちらりと目だけで実衣奈を窺う。
鬼は陸を一瞥して、身を翻した。
背中を向けて走り出す。
「ぐぎるあああああああああああっ!」
校庭で様子を見ていた野次馬の生徒に突っ込んでいく。
陸は即応して追いかけたが、二歩でトップスピードに達した鬼は、車よりも速い。
「く……っ!」
陸は顔を歪めて足に力を込めた。陸の足下がひと蹴りで剥がれ、割れる。
鬼は大きく腕を振り上げて、立ち並ぶ生徒をまとめて薙ぎ払おうとしている。
多種多様な容貌の生徒たちは、怯えたり応じようとしたりと動き、
「させるかよっ!」
急加速した陸が、その間に滑り込んた。
盾として構えた斬首刀に、鬼は構わず全力で拳を叩き込む。
陸の体が沈み、斬首刀を支えていた腕がねじくれて折れた。
「ぎ……ぐ、う!」
陸は目を剥いて脂汗を噴き出していく。
歯を食いしばる。
充血していく目をかっと見開いて、鬼をその視界に捉えた。
鬼をにらみつけたまま、斬首刀を構えなおす。
「いいから……下がってろ。これは俺の、生徒会の、仕事だ。……一般生徒が、みだりに力を使ってんじゃ、ない」
陸の背後で尻餅をついている女子生徒を、翼を持った女子生徒が助け起こしている。
鬼に応戦しようとした生徒がそれを助け、あちこちで避難が始まった。
陸を矢面に立てて。
「馬っ鹿、見栄張ってんじゃないよ! おい誰か、あたしの体持ってこい! 今どこでどんな姿勢になってるのか分からなくて立てねぇ!」
置き去りにされた志乃の首が、校門の前で叫んでいる。
陸は彼女に目もくれない。使い物にならない左腕をだらりと下げて斬首刀を鬼に向けた。
「確か、まだお前を殺したことはなかったな」
怒りの形相を深める鬼に対して、陸は逆に笑みを作ってみせる。
「お前は志乃と実衣奈を殺した。さらに周囲にいた生徒にまで無差別な暴力を振るおうとした。文句なしのスリーアウトだ」
片手で斬首刀を巧みに操り、二度素振りをした。後方に流す。
「生徒会処刑執行部として権限を発動する。今この場で、お前は俺が処断する」
陸が言い終わらないうちに、鬼はつかみかかるように腕を向けた。
素早く身をかわす。飛び退きざまに斬首刀で斬りつけた。
しかし、腕が硬い。浅い傷をつけただけだった。
鬼は痛みを感じるのか、腕を素早く引いて蛮声を上げる。
「さすが、鬼の体は頑丈だな……!」
渋面を作りながらも、左足を突っ張った。蹴る。踏み込み、鬼の脇腹を刺した。
刺さらない。
表皮は裂けても、筋肉に刃が遮られる。
鬼が丸太のような左腕を振るった。斬首刀ごと陸を薙ぎ払おうとする。
陸は自ら斬首刀を折った。這うように姿勢を落とす。
陸のうなじの毛を豪腕がかすめた。
空振りした鬼の腕に、砕けた斬首刀の破片が刺さる。破片は砂のように消えて、残された傷から血がにじんでいる。
地面に這いつくばった陸は、鬼の足に手のひらを当てた。
「ふん!」
陸が力を込める。
鬼の足は土ごと浮き上がって半円を描くように吊りあがった。
腕で押すような物理や力学で測れる、定常の挙動とは明らかに異なる力。
鬼の顔面が地面に迫り――鬼は左肘を突いて身体を支える。肘一本で逆立ちしながら、陸を蹴り飛ばした。
「ごぁ……っ」
治りかけた左腕の肘が、衝撃で破裂する。
校庭の砂利を巻き上げながら滑る。
陸が姿勢を整える間に、鬼は立ち上がっている。
しかし、陸の目はその姿を捉えてなかった。痛みと失血で目がくらんでいる。
鬼は興奮を表現するように意味もなく地面を叩き、地面を蹴って踊りかかった。巨岩のような拳が陸の体を吹き飛ばす。
弾かれた小石のように陸の体は吹き飛んだ。塀を砕く。
転がるように肩でガードレールを薙ぎ倒した。腕を弾ませながら道路を転がっていく。
二転、三転。血の飛沫を撒いて陸の体は止まった。
「陸ぅッ!?」
志乃の悲鳴に、鬼は校門の前に捨て置かれる生首を振り返る。
その瞳は、目が合ったことを悟って瞳孔を狭めた。
鬼は嗜虐的な笑みを口元に刻む。
「く……っ! あたしの体、どこまで吹っ飛んでんだよっ!?」
焦燥の色をにじませて志乃は怒鳴る。身体を動かす実感に頭が伴わない。三半規管も地面に取り残されている。
翳った。
鬼が志乃の前に立ち、にいと牙の揃う口を釣り上げ、
鼻から上をずり落とした。
「はぁッ、はぁ――ッ! 六回は死ねたぞ、この野郎」
斬り飛ばしたばかりの斬首刀を杖に、陸は苦痛に顔を歪める。
折れた腕や脚は、すでに治癒されていた。具合を確かめるように左腕を振る。
「悪いな、志乃。お前が気を引いてくれたから、治癒に専念できた」
「え、ああ、いや。別にそういうつもりじゃなかったし……って、おい! 馬鹿! 鬼!」
「は?」
陸の右腕を、小枝でも握るように潰し、あまつさえ異常な力で引っ張った。
強烈な衝撃が骨を圧壊し、肉を断裂させて皮膚を裂く。
鬼はすぐに手をぱっと開いた。
一瞬で圧力が放たれ、かえって蓄えられた力が解放されて爆発するように血が吹き出る。
筋繊維と神経だけでつながった肘から先が、だらりと垂れ下がった。
「……ぐ、ふぅ……っ、くそ」
陸は目を剥いた。
息を詰める。
拡散しかけた瞳孔を、つなぎとめるように眉をしかめる。
手を開いて笑っている鬼の頭を、歯を食いしばって見上げた。
鬼は地面に落とした鼻から上を、左手でつまんで頭に乗せる。
白目を剥いていた双眸が、癒着に伴って喜悦に歪んでいく。
正気を失った瞳孔が、無言のまま陸を見下した。
陸はその姿を見て、笑みを頬に刻む。
「油断はしてなかったつもりなんだけどな……」
裂けた皮膚は毛穴から血をにじませるように流血し、割れた爪の先から血を滴らせている。
それでも、陸は苦痛に悶えることも気を違える気配もない。
静かに左手を右肘に添える。
途端に潰れた腕が顫動し、膨れ上がり、引き締まっていく。
水が滴り落ちるように、潰れた右腕が治癒していく。
二度三度右手を開閉させた陸は、鬼を見上げた。
腕を右にまっすぐ伸ばす。
「安心しろよ、処断はまだ終わってない」
右手で虚空に斬首刀を握り、抜き打ち。
鬼の右腕を肘から切り落とした。
はらりと剥がれるように、太い腕が血に押し出されて落ちる。血の塊が溢れて弾けた。
悲鳴をあげかける鬼の口に、剣尖が叩き込まれる。
がつ、と硬い音を立てて、顎を潰した。頬肉を切り裂いて斬り抜ける。
陸は肩を引いて身を翻す。足を振って蹴り上げた。後ろ回し蹴り。
背後から襲った鬼の右腕を蹴り飛ばす。
蜥蜴の尻尾のように、鬼の右腕は独りでに動いている。鬼の生命力は意思をも凌駕する。
畳み掛けるように、鬼が陸を叩き潰そうと腕を振り下ろした。衝撃が校庭を爆発させる。
「一つ、いいことを教えてやろう」
陸は高く跳び上がっている。鬼の肩を踏んで跳躍していた。
ゆっくりと空を落ちていく陸は、空中で身を翻す。
斬首刀の峰に左手を添えた。
剣尖で鬼を指す。
鬼は陸を振り仰いで拳を握る。右腕が鬼に戻っている。
落ちてくる陸を迎え撃つように、拳を引いて振りかぶる。
「ぎゅぎうう……」
「俺の武器はモノじゃないんだ」
その胸を、槍がすとんと貫いた。
陸は校庭に転がって鬼から離れる。しかし鬼は姿勢を崩したまま、胴体を動かさない。
動かせない。
槍が上半身を貫いて地面に縫いとめていた。
鬼は全身に力を込めて腕を振り回している。身体を動かせないかと身をよじっていた。しかし、穂先の根元まで地面に突き刺さった槍は微動だにしない。
虫の標本のように、上体を反らした鬼は心臓を貫かれて硬直している。
やがて鬼の四肢から力が抜けた。野太い腕が地面を打つ。
全身の筋肉が弛緩していく。
「信賞必罰、だ」
陸が背を向ける。
同時に、強靭な筋肉でふさがれていた鬼の傷口が開き、血が吹き上がった。