第一話:生徒会の男
「おはよう、実衣奈」
陸は道の角に立っている実衣奈に声をかけた。
「おはよ、陸」
彼女は黒髪を揺らして微笑む。
実衣奈の着る濃紺のブレザーの胸元には、金糸で校章が刺繍されている。そのSが二文字重なったような模様は、陸の着る制服に刺繍されたものと同じだ。
陸は手を伸ばし、曲げた人差し指で実衣奈のいかにも体の弱そうな白い肌を撫でる。
すべすべとキメ細やかな頬はひやりと冷たい。
陸は顔を曇らせる。
「いつも言ってるが、待たなくていいんだぞ」
「ん……」
心地よさそうな声を漏らした実衣奈は、顔を赤らめた。怒った表情を作る。
「いつも言ってるけど、待ってるくらい別にいいでしょ。立ってるだけなんだし。それ以上に手間がかかることなら私だってやらないよ」
「……気を使ってるんだか、使ってないんだか」
「ふふ。さ、学校行こうか、竹馬の友よ」
実衣奈は笑って道を示した。
ガードレールの合間に並木が立つ通学路を歩く。盆地にあるこの街は、緩やかな傾斜が多い。雨も風も少なく、青空からは朝と思えないほど暖かい陽射しが差していた。
歩道のタイルを踏む実衣奈は、陸を振り返って見上げる。
「今日も生徒会の仕事あるの?」
「そりゃあるだろうな。仕事は毎日湧いてくるし」
「陸も大変だね。そう毎日相手してたら疲れるでしょ?」
実衣奈はくすくすと笑う。
陸はその顔に笑い返そうとして、
背中を棒で突き飛ばされたようにつんのめり、
背中を突いたそれは身体を割って筋肉と内臓を裂いていく。
文字通り、突き抜けた。
陸の胸から刀が生える。
はぁ? と上げかけた疑問の声は、度を越えた痛覚に凝縮した全身で圧殺された。
驚く陸の唇から、血が溢れる。指一本動かせない。
目だけが、かろうじて動く。
実衣奈が怯えたように、笑っていた顔を強張らせている。
見開かれた金の瞳が、背後の少女にまっすぐ刺し貫かれた陸の姿を映していた。
「悪ぃな、我慢できなかった」
耳打ちする声。
からかうようなその声は、どこか甘えるように柔らかい。
ぐり、と刀が回され、陸の体が歪む。
一息に刃が引き抜かれ、どろりとした血の塊が瀑布のようにあふれ出た。
制服が赤黒く染まる。
「か……ふ」
声が出ない。
凍えたように震える体を動かして、陸は振り返る。
青白い髪をした小柄な少女。
血まみれの日本刀を片手に、その紅い目を細めている。
「まだ三回しか殺してない。よく我慢できたほうだ」
「ま」
歯を食いしばる。
肺を使った声の出し方を思い出すように、一つひとつ確かめながら、慎重に口を動かした。
「まだ、じゃない。しか、でもない」
調子が戻ってきた。
陸は少しずつ体の動かし方を思い出したように腕を上げる。鞄を捨てる。
得意げに笑う少女に向けて、ゆっくりと手を差し出した。
「殺した時点でアウトだ、犬塚志乃」
その手は友好のために差し伸べたものではない。
磁力に引きつけられる砂鉄のように、黒い粒子が陸の手に集まる。凝縮する。
鉄板のような大鉈を握った。
金属の握りが手に吸い付くように馴染む。
「生徒会処刑執行部として権限を発動する。犬塚志乃」
それは一種独特な、人肉を斬るための斬首刀。
身体を沈め、斬首刀を両手に握った。
「校則違反で、処刑する」
志乃に叩き付ける。
鈴が震えるような高音。
志乃は刀を盾に、斬首刀を受け止めていた。
か細い刀は斬撃を受けて折れず、小柄な体は衝撃にも踏ん張ってみせる。
牙を剥くように犬歯を見せて志乃は叫んだ。
「くっそ、インチキ人外め! どっからそんな凶器取り出してんだ! おかしいだろ!」
「シンプルに帯刀してるお前よりマシだ」
その横腹を蹴り上げる。
人外相手に遠慮も容赦も必要ない。
強化された脚力は、彼女の体重を重力から引き剥がすに充分な力を持つ。
吹き飛んだ志乃は瞬間に身体を翻し、高く掲げられるコンビニの看板を蹴って勢いを逃がした。ひしゃげた看板が身代わりに高々と空を舞う。
「今日こそお前の首級をあげてやらあ!」
看板を失ったポールを蹴って、志乃はまっすぐ切っ先を向けて弾丸のように飛来する。
陸は幅広の斬首刀を盾に構えた。打突。地に触れた大鐘を打つような鈍い音が響く。
その刀は折れるどころか衝撃を伝え、陸は浮かびかけた体に踏ん張りを利かせた。
瞬間、斬首刀のうえを滑らせて刀が突きこまれる。
首の皮が裂かれた。
痛みを覚えるより早く、斬首刀を跳ね上げて刀を弾く。
志乃は赤い瞳で陸をにらみつけている。
「惜しい」
まるで遊びを楽しむような声。
陸は渋面を作る。すでに出血は止まっていた。
傷などなかったかのように陸は巨大な斬首刀を軽々と操る。両手に構えた。
「足掻くな。抵抗は無意味だ」
「はっ。黙って殺されてたまるかよ」
「では喚いて死ね」
陸は野球のバットを振るように、志乃へと斬首刀を叩きつける。
「なぐ……がっ!」
志乃を刀ごとポールに打ち上げた。がおんと空洞に響く鈍い音。
弾んで跳ね返った彼女の首に、陸は斬首刀を振るう。
「信賞必罰!」
目を見開く犬塚志乃の首を、へし折るように引ききっていく。
刎ねた。
勢いの余った斬首刀がアスファルトを割る。
志乃の首が地面に転がる。血の痕で地面に線を引く。
半円を描いて、青白い髪の塊は止まった。
「ふぅ……」
陸は息をつく。
その呼気に、嫌というほどに濃密な血の臭いが混じる。
わずかに顔をしかめたが、陸はそれ以上の反応を見せない。
斬首刀の刀身をコンと横様に叩いた。その衝撃だけで、斬首刀はばらばらに砕け散って消える。
志乃の死体が人形のように投げ出されている。
首から血溜まりが静かに広がっていく。
その首なしの身体を転がし、陸は志乃の胸ポケットから生徒手帳を取り出した。丙種人外特級との判が押された最後のページに、ペンで今日の日付を書き込む。
淡々と所定の手続きを終えた陸が胸ポケットに戻そうとして、
死骸の手に腕をつかまれた。
地の底からうなるような声が響く。
「おいコラ。死んでるのをいいことに、人の胸触ってんじゃねぇよ」
「……誰が、お前の貧相な胸を好き好んで触るか」
「ぶべっ」
志乃の生首に生徒手帳を投げつけた。
「いい加減に殺し癖を直せ。妖刀」
志乃は頬を地面につけたまま、悪びれずに笑う。
「いや、人の形したものは斬らないと、刀が泣くよ」
「お前の刀は抜いたほうが余計に泣くだろ」
首なしの体がむくりと起き上がって、自分の首を抱えあげる。
死んでもなお離さない刀は、どこかから滴る水で、自身についた血を洗い流していた。
「佐津間くん」
背後からかけられた声に陸が振り返る。
同じ顔が四つ並んでいた。
代表らしい真ん中の少女が困ったように笑って、一歩下がる。
「ごめん、また斬られちゃったから殺して?」
陸は応じて虚空から斬首刀を握った。
心なしか青白く透き通ったスライムの少女を斬首刀で叩き潰し、粘着質の水溜りに変える。
「ありがとう」
「いや。こっちこそ悪いな。斬られても平気だからって、志乃のお守りを任せちゃって」
「いいのいいの。さすがに、三十人くらいに増えたときは大変だけど」
スライムはにこにこと笑っている。
コンビニから出てきた女子生徒が血溜まりに目を丸くする。立っている陸に気づくと、彼女はけろりと笑って手を上げた。
「おはよー、生徒会役員。今日も朝から大変だねぇ」
「ああ、おはよう」
耳に生えた羽をぴくぴく動かして、女子生徒は機嫌よさげに歩道を歩く。
通りがかった狼顔の男子生徒や二人組みの先輩は、血溜まりを見て平然としている。
「よう佐津間。俺を殺すときは優しくやってくれよ」
「妖刀の犬塚相手に相変わらず見事な手際だが……もう少し殺し方を工夫して欲しいものだ。首打ちでは私と被ってしまう」
「人外学校の裏ボスにイケズなこと言うものやありまへんで~、デュラはん」
「そのインチキ京都弁やめろ」
それらの声に笑って応じながら、陸は斬首刀をまた割った。
その流れるような自然な手つきからは、慣れをにじませている。
「つか、誰か一人くらい、あたしを心配したっていいんじゃねえの」
志乃は不服を唱えながら自分の頭を首に乗せる。
ぷっと飛び出した血がブラウスを染めた。
「自業自得だ。今月に入って俺に殺されるの何回目だ」
「さぁ……八回くらい? だいぶ減ったよな」
「得意げな顔するな」
額にチョップを落とし、志乃のつながりかけた首から血の玉が膨れる。
通学路に戻ろうと振り返った陸の胸に、重い衝撃が走った。黒髪がふわりとまとまる。
「陸っ、大丈夫?」
実衣奈の金色に染まった瞳が、心配そうに陸を見上げて覗き込んだ。
「痛くなかった? 平気?」
「ああ。油断してただけだ、心配ない。あれくらいで俺はどうこうなったりしない」
それでも心配そうな表情を晴らさない実衣奈に苦笑して、陸は彼女の頭を撫でた。
実衣奈は、陸の胸に身体を預ける格好のまま困惑したように背中を丸める。
「ほら、離れろ。制服に血が移る」
「ん……いいよ、そんなの。陸の血だもん」
「微妙に引っかかる言い回しをするな、お前も。幼馴染の制服が物理的に俺色に染まるとか、お前が気にしなくても俺がへこむ。やめてくれ」
物凄く渋々、といった態度で実衣奈は身を離す。
陸は身を案じてくれる良き友人に向ける笑みを向けた。
「心配するなって。俺は簡単に死んだりしないから」
「まあ、手ごたえは人間と同じだから気持ちいいんだけどな。陸の心臓刺してスッキリした」
志乃は返り血のついた顔をつやつやと輝かせる。
実衣奈ににらみつけられ、小さく肩をすくめた。志乃も同じ学校の制服を着ている。
道を歩く生徒はみんな同じ制服を着て、しかし正しい人間の姿を持つ生徒はいなかった。
人外学校。
またの名を特区専属学校教育施設。
文科省の管轄する学校組織ではないが、学校と同じ機能を持つ、人外庁の設営する人外への保障の一つ。そのような施設は、この盆地には無数にあった。
陸の住むこの街は、特区と呼ばれている。
人外を住まわせるためだけに造られた、特別独立都市だ。
「志乃、いい加減に反省しろ。いちいち処刑するのも面倒なんだぞ」
「反省はしている、後悔はしていない。やめる気もない。いいだろ、ちゃんと数は減らしてる」
青白い髪の端を血に染めたまま、志乃は堂々と薄い胸を張る。
その態度に、陸の隣を歩く実衣奈は目を眇めた。
「学習しないんじゃなくて、ホントは陸に構って欲しいだけじゃないの? 羨ましい。私だって陸に殺されたい」
唐突な羨望の言葉に、志乃は二歩引いた。
「……いや、殺されたくはねぇわ。それはねぇわ。殺されたいなら適当に誰か殺せばいいだろ」
「嫌。陸に嫌われたくないし」
「そういう問題なのか?」
「他にどんな問題があるの?」
「なあ、お前らすごい会話してるって自覚あるか? そもそも殺すな、そして俺に殺させるな」
実衣奈は諫言に不貞腐れたように顔を膨らせる。日常会話のような態度に陸は顔を引きつらせた。そういう穏やかな内容ではない。
志乃は、にやっと犬歯を見せて笑った。鞘に納めた刀を掲げる。
「なんと言われようと、この妖刀こそがあたしの本体なんだ。刀は斬るためにある。そういう人外なんだよ、あたしは。諦めな」
「そういう人外を矯正するために、特区の学校と俺たち生徒会があるんだよ」
途端、志乃は表情を忌々しげなものに変えた。
「はん、なにが矯正だ。人外を隔離してるだけだろ」
「いけないか?」
陸は志乃に聞き返す。
「俺たちの力は強い。少し気を間違えただけで、人間を殺す。力で従えさせる。暴力で大抵のものを手に入れられる。人外の力は、俺たちの気を酔わせ、惑わせ、道を違えさせるもんだ。このまま人間社会に放り出されるより、よほどありがたいと思うぞ、俺は」
「……ふん」
志乃は渋面を浮かべて顔を背けた。
「分かってるよ。人斬りのあたしがこうして日の下を歩けるのも、特区様々だ」
「分かってるならいい」
重々しくうなずく陸に、志乃は苦々しい視線を向ける。
金の目を細めて、実衣奈は陸を窺う。
「でも、陸も大変だよね。いつもいつも、暴走する人外の面倒を見てさ」
「いや。俺の性質はそれ向きだからな、そんなに大変でもないさ」
「ああ? 言ってくれるじゃん。このあたしを斬るのが楽だって?」
振り返って凄む志乃に、うなずいて返す。
「剣術の技量も力もあるのに、中身が単細胞だからな」
「…………芯が通ってるんだよ」
また顔を背けた。
「……どうせなら特区の本懐を遂げる方針で筋を通してくれよ」
「さぁー学校に着いたぞ! 今日の授業はなにかなー!」
志乃は露骨に誤魔化して、学校の校門に向かって両手を挙げる。
外の学校と何も変わらない、校庭や時計台のある特区の校舎が敷地にそびえている。
「生徒会役員が遅刻したら恥だぞーい!」
「時間は充分あるのに」
呆れる実衣奈に陸は同意して笑う。陸と意見の合った実衣奈は、嬉しそうに目を細めて猫のように笑った。
早足で校門をまたいだ志乃の体が、
横様に吹き飛んで塀の影に消える。
「へ?」
間の抜けた声をあげて、体から取り残された志乃の首が地面を転がった。